19 13歳は24歳より大人である
「私、思ったのですけれど」
ドーナッツを作った日の夜、フローラと一緒に年少者たちの就寝を確認して回っている最中、声を掛けられた。
ヴィル特製の魔法器具ランプを手に廊下を歩いていた私は、隣を並んで歩くフローラの方を向いた。
「何?」
「今日の昼間の話です。ドーナッツを食べているとき……ヴィルフリート様とサエカ様は子どもの話をしていましたよね」
「あ、聞こえたんだ」
「私は前の方の席に座っていたので、偶然聞こえてきました。……サエカ様って、いつか本当の意味でヴィルフリート様の奥方になるのですよね?」
「……。……うん?」
なんだろう。
フローラは結構自然な態度で尋ねてきたけれど、これって、結構デリケートな話題じゃ……?
「えーっと……本当の意味、ってのは?」
「ヴィルフリート様と同衾し男女の間柄になるということです」
「ひえっ」
「何を驚かれているのですか……サエカ様、こちらへ」
やれやれといわんばかりの表情のフローラは私の手を引き、ちょうど目の前に差し掛かっていた彼女の部屋に引っ張り込んだ。ほとんどの子どもは複数人で一部屋を共有しているけれど、子どもたちの中でも年長のフローラとアウグスト、アンネは狭いながら一人部屋を与えられているんだ。
夜の廊下でとんでもないことを尋ねられた私は既に息も絶え絶えなのに、部屋の明かりを点けて「そちらにどうぞ」と私をソファに座らせるフローラはけろっとしている。
向かいの席にフローラが座ると、自然と私の背筋は伸びた。
おかしい。私は一応この屋敷の奥様なのに、十三歳の少女に威圧されている。
「実はですね、昼間の会話をクラウスたちも聞いていたようでして」
「う、うん」
「あのあとの勉強時間にクラウスが聞いてきたのですよ。いつか、サエカ様が赤ちゃんを産んでくださるのか、と」
「ひえっ」
な、なんてことを言っているんだクラウス少年!
そしてそんなデリケートな話を、どうしてフローラは顔色一つ変えず言えるんだ!?
十三歳――中学生女子なら多感なお年頃だし、こういった話をオープンにしないものだと思っていたんだけど。
「クラウスは私たちの中では一番年下ですし、サエカ様もご存じの通り大変な甘えん坊です。でも、サエカ様がヴィルフリート様のお子様を産まれたなら、ついに自分も『お兄ちゃん』になるのでは、と彼は思っているようなのです」
淡々と語るフローラに対し、私は「えっ」「そっ」「あっ」と意味をなさない音節を発することしかできない。
……えーっと、確かに私たちは夫婦なのだから、子どもが生まれてもおかしくない。子どもが生まれたら屋敷中の人が祝福してくれるだろうし、フローラたちはきっと可愛がってくれる。
今日一日、ヴィルと一緒に行動した。芝生広場で子どもたちが訓練する姿を見守り、ドーナッツの試食をして、子どもたちの食事風景を一緒に見た。
彼が隣にいると、ふわっと胸が温かくなる。私を追いつめたり焦らせたりしない彼の優しさが嬉しくて、ヴィルと過ごす時間に心地よさを感じ始めていた。
……でも。
「……あ、あの。フローラたちの考えもよく分かるけれど……私とヴィルはまだ知り合って五日程度だし、いきなりそういうことを言われても……」
「ええ、承知しております。政略結婚ならまだしも、お二人は――サエカ様に記憶はないとはいえ、恋愛結婚。子作りを焦らなければならない理由もございませんし、ゆっくり愛を育めばよろしいかと」
「まさにそうだね!」
「そういうことで今日は、クラウスたちにやんわりと注意をしておきました。お二人はお二人のペースで愛情を深めていくのですから、周りがとやかく言ってはならない、サエカ様を焦らせるようなことを言ってはならない、と念押ししました。おそらく、通じたかと」
「……その、ありがとう、フローラ」
私はぼそぼそとお礼を言う。
鏡がないからはっきりとは分からないけれど、顔がものすごく熱いからきっと私は顔面真っ赤だ。いつも通りの表情で「子作り」なんて言えるフローラがすごい……あ、考えただけでまた顔がじわじわ熱くなってきた……。
フローラはそんな私をしばし黙って見つめたあと、口を開いた。
「……その、差し出がましいことを申し上げて、すみません。でも、このことはサエカ様も知っておくべきだろうとマクシミリアン様もおっしゃっていまして」
「マキシさんも?」
脳裏に、若草色の髪をなびかせるキツネ目お兄さんの姿が浮かび上がる。
「ええ。……もうじきサエカ様は国王陛下への拝謁を願い出るはずです。それはご存じですね」
……そういえばヴィルがそんなことを言っていた気がする。確か、国王陛下から手紙が届いたときだったな。
頷くと、フローラはふと視線を逸らしてカーテンの閉まった窓の方を見やった。
「……マクシミリアン様も危惧なさっているのですが、王城にはヴィルフリート様と対立する者もおります。私たちのような低魔力者をよしとしない者が中心ですね」
……それはきっと、ヴィルも言っていた「低魔力者差別主義者」というものだろう。
かつてはヴィルも低魔力者を蔑視していたけれど、私との交流がきっかけで目が覚め、フローラたちのような低魔力の子どもを引き取ったり、魔力の高い者が生まれにくいリリズの町の人を助けたりするようになったんだと。
「そして、立場としてはヴィルフリート様側にいるけれど、よけいなお節介を焼く者もいるかもしれません。……この館の大人の人たちは決して申し上げませんが、優秀な魔術師であるヴィルフリート様の結婚を聞きつけ、魔術の素質の高い跡継ぎが生まれることを期待する者も少なからずいるそうです」
「……な、なるほど」
王城にはヴィルと対立する人もいるし、ヴィルに味方してくれたとしても「子どもはまだか」とせっついてくる者もいるだろうってことね。となると、私が国王陛下への挨拶に行った際、そういった連中に絡まれる可能性だって十分にある。
でも、ヴィル本人や男性であるマキシさんだと私に言いにくいことだろう。だから、女の子たちの中で最年長のフローラが説明役を買って出てくれたんだろうな。ありがたい。
「そういうことだったんだね。ありがとう、フローラ」
「どういたしまして。……あの、サエカ様。ヴィルフリート様のこと、本当によろしくお願いします」
立ち上がったフローラが改まった態度でお辞儀をしたので、私は首を傾げた。
「それは……うん、少しずつ仲よくしていこうとは思うけど……」
「私、皆の中で一番ヴィルフリート様のお世話になった時間が長いのです。だから……私が引き取られて二年経ちますが、ヴィルフリート様がずっとサエカ様のことだけ想っている姿を見ておりました。あなたが不完全な状態でこの世界にやってきたときも、私がお世話し申し上げましたが、あなたを抱きしめるヴィルフリート様の嬉しそうな顔が――ずっと忘れられません」
……そっか。魂だけの存在でこっちの世界に引き込まれた私を、フローラが面倒見てくれたんだな。そしてそのとき、私と再会を果たしたヴィルの様子も見ていると。
「サエカ様は、ヴィルフリート様の生きる糧、幸せの在処なのです。無理に、とも急げ、とも決して申し上げません。しかし、ヴィルフリート様がここ数日見せてくださる穏やかで愛情に満ちた表情を……私たちはこれからも見ていたいのです。それだけは、どうかお知りおきください」
そう言ってもう一度頭を垂れるフローラを見ていると、私の鼻の奥がつんと痛くなってきた。
ヴィルは、フローラたちのことを大切に思っている。でもそれと同じくらい、皆にも愛されているんだ。そんなヴィルがずっとずっと想っていた――らしい私を妻に迎えて幸せに包まれていることを、フローラたちは喜んでいる。
今すぐに何か行動を起こすことはできない。ヴィルは本当に優しくていい人だけれど、五日前に知り合ったばかりの人とすぐに……ゴニョゴニョしろと言われても無理だ。羞恥と戸惑いと緊張で私が死んでしまう。
でも、一歩ずつ歩んでいきたい。
皆が期待しているというのは脇に置いておくとしても、私自身、もっともっとヴィルのことを知りたいし、側にいたい――そう思うようになっていた。




