17 私にはちょっと眩しすぎる
彼と一緒に練習風景を眺めていると、私もだんだん落ち着いて見学できるようになった。泥だらけの子どもたちの姿が見えたときには肝が冷えるけれど、ヴィルが何も言わないから私も手を出さず、見守りに徹した。
最初は魔法を打ち合っていたけれど、やがてマキシさんの笛の音で一列に整列し、全員同じ方向を向いて魔法を放っていた。これは――誰が一番遠くまで魔法を撃てるか競争しているのかな?
ちょっと殺伐としていた最初の訓練と違い、「今日は僕が一番!」「私よ!」と元気よく競い合う声が聞こえてきてほっとする。
「やっぱり魔法にはコントロール力も必要なんだよね」
「うん。低魔力者はどうしても魔力に上限があるから強力な魔法は撃てないけれど、コントロールはいくらでも鍛えられる。……魔術学院時代にも模擬戦闘の授業があったんだけど、力こそ全てじゃないってのが証明されたりしたんだ」
「……魔力は低いけれどコントロール能力の高い人が勝つってこと?」
「そう。……俺の同期にすごい攻撃魔法が得意な女性がいたんだけれど、彼女はいつぞやの模擬戦闘で自分よりずっと能力の低い下級生に負けたことがあったんだ。教授曰く、彼女の敗因はコントロール力の低さと、慢心だった」
慢心――つまり、「私は相手よりずっと強いのだから、負けるはずがない」という心が油断を生んでしまったんだね。
威力は高いけれど命中率は低いのと、威力は低いけれど命中率が高い。どちらにも勝機はあるってことか。
「俺は、低魔力者の診断を受けた子こそしっかり訓練を受けるべきだと思っている。魔法は、素直だ。使用者の精神状態や細かな心の機微に敏感に反応し、相応の結果を出す。これも訓練の成果が出るってものだよ。アウグストやフローラはいずれ、国の魔術師団入団試験を受けるかもしれないな」
「女の子でも入れるんだね」
「女性の数はかなり少ないけれど、フローラは入団を希望している。……実はこれは、冴香の影響が大きいんだ」
「私?」
フローラが入団を決めたと言われても、それはどう考えても私がこの世界に来るより前の話だ。
私が首を捻っていると、ヴィルは穏やかな顔で頷いた。
「昔、君は俺にいろいろな話をしてくれた。その話題の中に、女性の社会進出というものがあったんだ。確か、チューガッコウの公民の教科書というものを見せてくれたんだよ」
「お、おう」
過去の私、本当にありとあらゆるものをヴィルに見せていたんだな……。
まあ、それはいいとして。
「君の国には女性の官僚や大臣が存在する、と言っていた。それって、このフローシュ王国ではあり得ないんだ。女性は国をまとめる職には就けない。王族でさえ、王妃や王女が国の政治に口を出すことはできないんだ」
「……私の国も、ずーっと昔はそうだったらしいけど」
「みたいだね。フローシュ王国もそれが当然だと捉えていたけれど……考えてみると、おかしいよね。男が国を取りまとめ、女がそれに従属しなければならない理由なんてない。優秀な女性もたくさんいるのに職業選択の幅を狭められるのは――平等不平等という以前に、非効率だ」
だからヴィルは、女の子でも自由な職業選択ができるよう教えているそうだ。
「前にも言ったけれど、僕って結構偉いからね。国の制度で嫌だなぁ、おかしいなぁ、と思うことがあったら陛下に進言してるんだ」
「していいの!?」
「言うのは勝手だよ。それに陛下も、『これって時代遅れですよ』とか『これじゃ他国との競争に勝てませんよ』って言葉には弱いらしく、結構俺の話に耳を傾けてくれるんだ」
それって半ば脅しているんじゃ……。
一国の国王の手紙をも適当に扱い、嫌だなぁ、って思うことをズバズバ進言するヴィルって、相当の大物だし神経が太いんじゃ……。
「他の説得材料としては……女性は結婚して家庭を持つのが当たり前って考えだから、女性王族の身辺警護とかも男が担うんだ。でも、ときには女性同士の方が助かるってこともあるよね?」
確かに。王族となれば専属の侍女やメイドはいるんだろうけれど、警備だって女性に担当してもらった方がお願いしやすいこともあるだろうし、夜中の警備とかも安心できるだろう。
「……この子たちが、未来を切り開くきっかけになれたら、と思うんだ。でも何にしても、俺がこういう思いを抱けるようになったのは冴香に出会えたから。……君は覚えていないけれど、あのとき桜の木の下で出会えたのが冴香で……本当によかったと思っている」
そう言って笑うヴィルの顔は、きらきら輝いている。
子どもたちの未来を願うその顔が、そして私と出会えたことを喜ぶその眼差しが、眩しい。
――そんな彼がちょっと眩しすぎて、可愛くない私はついついぷいっとそっぽを向いてしまった。
「……別に、私以外の人と出会っていても同じように言ったんじゃないの」
「そんなことないよ。冴香だから、だよ」
「そんなの分かんないじゃない」
「うーん……俺、君に関しては本気なんだけどな。まだまだ伝わってないか――っと!」
ヴィルがいきなり鋭い声を上げたから何事、と思って振り返ったとたん。
ぶわっと私たちの髪が風に煽られ、一瞬目の前が真っ白になった。
「わっ!?」
「大丈夫、冴香?」
思わず体がぐらついたけれど、ヴィルの腕が腰を支えてくれたから尻餅をつかずに済んだ。
彼の腕に掴まりながら、私はこくこく頷く。……まだ、心臓はばくばく言っているけれど。
「う、うん。今の突風は――?」
「誰かの魔法が標的を逸れてこっちに来ちゃったみたいだね」
そう言うヴィルの視線を辿るとちょうど、ツンツン金髪のケヴィンとさらさら金髪のリヒャルトがこっちに向かって大きく手を振って、「ごめんなさい!」「大丈夫!?」と声を上げている。ああ、あの子たちの魔法がこっちに飛んできたんだな。
「俺も冴香も大丈夫だよ! ただ、気を付けなさい!」
「はい!」
「すみません、気を付けます!」
ヴィルの声を聞き、二人はそろってお辞儀をした。そしてマキシさんに叱られていることからして、手が滑ったか気を抜いたかのミスをしてしまったんだろう。
「……反省しているみたいだから、大丈夫かな?」
「そうだね。今のは俺たちの側を通っただけだから何事もなかったけれど……マックスが注意しているみたいだし、大丈夫だろう。……冴香もそれでいいね?」
「うん。あちこちから叱られたら、あの子たちも落ち込んじゃうだろうし」
私たちは顔を見合わせ、そっと笑みを交わしあった。
ちょっとした事故は起きるけれど、子どもたちが切磋琢磨する姿をヴィルと一緒に見守るのは――心穏やかで、安らぐ時間だと思えた。
「……ヴィル、あれって確かバイロンさんだよね?」
ヴィルと一緒に子どもたちの魔法見学をしていたのだけれど、私はなにやら重そうな袋を抱えて庭を横切っていく男性を目にしてヴィルの袖を引いた。
「ああ、彼はきっと、皆のためのおやつをこれから作るんだろう。あの袋は、おやつ用の粉物が入っているんだ」
「バイロンさんが厨房に立つことが多いの?」
一応当番制になっているはずだけれど、バイロンさんが主任になることが多い気がする。そう思って聞くと、ヴィルは頷いた。
「彼がうちで一番料理が上手なんだ。……ああ、そうだ。冴香も手伝ってくれないかな」
「……いいの?」
「むしろ、君に尋ねたいことがあるんだ。……マックス! 俺たちは引っ込むから、あとは頼んだ!」
ヴィルが声を上げると、遠くに立っていたマキシさんがこっちを見て片手を挙げた。了解、ということだろう。
私は練習を続ける子どもたちに手を振り、ヴィルについて屋敷に戻った。まずはしっかり手を洗ってから厨房に向かうと、バイロンさんを始めとしたおやつ係の人たちがエプロンを身につけているところだった。
「失礼するよ、バイロン。これから子どもたち用のおやつを作るんだろう?」
「ああ、そうだ。……あ、なるほど、サエカ様がいらっしゃったから」
「そう、これでやっと例のものを完成させることができる」
納得した、といった表情のバイロンさんと、その通り、といった表情で頷くヴィル。
いや、私には何のことか分からないんだけど?
「えーっと……例のブツって、何?」
「君の世界に存在していたお菓子だよ」
振り返ったヴィルは、私にエプロンを差し出してきた。あ、またフリフリエプロンだ……ヴィル、好きなのかなぁ……?
「四年前、君は俺に会いに来るとき、本や遊び道具だけじゃなくて、食べ物も持ってきていたんだ。もちろん俺は食べられないし匂いも嗅げないから君が食べるのを見るだけだったけれど、君の世界に存在していたお菓子がずっと気になっていてね」
「……。……あ、もしかしてヴィル、私が食べていたお菓子をこっちの世界で再現しようと……?」
「そういうこと。……君はおばあさんから借りた料理の本を持ってきて、読んでくれたりもしたんだ。ただ、そっちの世界とこっちでは存在する食材も違っていて、全部が全部理解できたわけじゃないけど……」
「今日は、ドーナッツを作る予定です。子どもたちも大好きなのですよ」
バイロンさんがそう言って、手書きのレシピを見せてくれた。
ドーナッツって……おお、確かにここに描かれているイラストはまさにドーナッツだ。ヴィル、私から教わった情報を基に料理まで再現したのか……この人のバイタリティ、すごいな……。
「すごい……えっ、じゃあドーナッツを食べられるの?」
「そこなんだけど……さっきも言ったように俺は君が食べていた本物のドーナッツの味を知らない。だから今、君に調理過程の観察や味見をしてもらいたいんだ」
ヴィルの説明を受けて、私もようやく事態が飲み込めた。
つまり、これまではヴィルが私から聞き出した情報を基に作った「なんちゃってドーナッツ」だったものを、本物に近づけようということなんだな。
「でも、こっちの世界の食材や調理方法で作ったのなら、それはそれでいいんじゃないの?」
「そうなんだけど……いろいろ試してみたけれど、冴香が食べていたドーナッツのような見た目にはなかなかならなくて。子どもたちはそれでもおいしいって言ってくれるんだけれど、よりおいしくなるのなら研究する価値はあると思わない?」
「……思う」
ヴィルは研究者だけど、その関心の向く先は家電製品や日用品のみに留まらないようだ。今の生活をよりよくしていこうと志す姿勢、格好いいな。
「……分かった。それじゃあ、味見したり見学したりすればいいんだね?」
「そうだね。冴香はまだこの世界の調理器具に慣れていないし、まずはバイロンたちの様子を見ながら気になったことを教えてもらいたい。皆も、それでいいかな?」
「もちろんだ。よろしく頼みます、サエカ様」
「こちらこそ。おいしいドーナッツを作りましょう!」
今、庭で特訓している子どもたちに、最高のドーナッツを饗するために!