15 変えてくれた人
屋敷に戻ると、ヴィルと私の連名宛に手紙が届いていた。
へえ、この世界の文字では、「サエカ」ってこう書くんだ。
「立派な封筒ね。だれから?」
「国王陛下だな」
自らペーパーナイフで封を切ったヴィルがなんてことないように言うものだから、私はてっきり「コクオーヘーカー」という名前の人なのかと思ってしまった。
だって、「国王陛下」って……あれでしょ?
一国の王様でしょ?
「王様から、私たちに手紙!?」
「おかしいことじゃないだろう。陛下は俺たちの結婚のこともご存じだし、祝いの品も贈られている。魔術研究に傾倒していた俺が幼なじみと結婚したと聞いて、興味津々のご様子だったな」
「そ、そうだけど……そうだけど……」
王様らから手紙が届くなんて……しかもそれを真顔で開封して、足を組んだ姿勢で読むなんて……ヴィルフリート・シュタインおそろしや……。
「……あの、私の名前も連名になっているそうだけれど、ご用件は何?」
「いずれ、冴香の姿を見てみたいんだってさ」
ほら、とヴィルは手紙の端をつまんで私に差し出してきた。何その、雑紙でも扱うようなつまみ方!
「も、もうちょっと大切に扱おうよ……」
「俺にとっては国王陛下からの手紙だろうが下書き用紙だろうが、扱いは同列だよ。もし冴香から直筆の手紙が送られてきたら特製魔法器具金庫に入れて一生保管するけれど、それ以外は別に」
この人、結構特殊な感覚をしているな……。
まあ、今はそれはいいとして。
ヴィルから受け取った手紙を読むと、かなり遠回しな表現や本文に関係のない麗句が盛りだくさんで読むのに時間が掛かったけれど、要するに「シュタイン卿の最愛の奥方に直接挨拶申し上げたいから、奥方がこの世界に慣れた頃でいいので、是非顔を見せに来てほしい」とのことだった。
「……どうして一国の王様なのに、私に対して敬語を使っているのかしら」
「俺はこれでも偉いからね。あと、異世界人である冴香のことが個人的に気になるんだろう」
そう教えてくれるヴィルだけど、あんまり表情はよろしくない。
「まさか陛下に限って冴香に手を出したりはしないけれど、もしやましい思いでも抱くようなら腕の二三本は吹っ飛ばすつもりだ」
「待って、ヴィル。人間は二本しか腕がないわよ」
「冴香の言う通りだ。さすが俺の奥さんは賢いね」
「褒められることなの?」
うーん……国王陛下からも一目置かれているらしいヴィルだけど、やっぱりちょっとずれているな。もしかして、異世界のよけいな知識を与えてしまった私のせい?
え? そうなの?
ヴィルと一緒に国王陛下への手紙の返事を書いていると、お茶の時間になった。
「あ、このお茶、おいしい」
マキシさんが淹れてくれたお茶は、レモンティーそっくりだった。
それを聞いたマキシさんはポットを置き、満足そうに頷く。
「お気に召したようで何よりです。サエカ様は我々とは味覚が少々違うようで、お口に合いそうなものを私がブレンドいたしました」
「わざわざ作ってくれたのですか? ありがとうございます、マキシさん」
「当然のことをしたまでです」
タオルで手を拭きながら、マキシさんは答えた。
物言いはちょっとそっけないけれど、真面目だしなんだかんだ言って優しい人みたいだ。今だって、ヴィルがソファの背もたれに掛けていたコートが少しずれ落ちてしまったのを、さりげなく直している。
「冴香の舌に合うものが見つかったようで何よりだよ。……冴香が目を覚まして二日経ったけれど、どう? この世界は冴香にとってどんな感じ?」
ヴィルに聞かれ、私は昨日と今日で起きたこと――屋敷の皆とのふれあいや魔法器具について、そしてリリズの町の人たちのことを思い返して、答える。
「……思ったより、日本と変わらないなぁ、ってところかな? あっちにある機械や家電製品の代わりにこっちには魔法器具があるし、人間の姿形は髪と目の色が違うくらいでほとんど一緒、かな」
「……そっか。冴香は子どもの頃、『ヴィルの世界に行ってみたい』って言っていたんだ。いろいろあったけれど、冴香に満足してもらえたなら嬉しいよ」
そう言うヴィルは本当に嬉しそうだ。
……きっと子どもの頃の私は、ヴィルから魔法のことや魔法器具のことを聞かされて、自分の目で見てみたいって言い出したんだろう。
過去の自分の性格を振り返れば、「ヴィルは私の世界を見られるのに、私がヴィルの世界を見られないのは不平等だ」ってわめいたんじゃないかな。
「ヴィルは、その……私との思い出をしっかり覚えているのね」
「そうだね。俺にとっては四年前くらいのことだし、君との出会いが俺自身を変えるきっかけにもなったから、よく覚えているよ」
「……ヴィルを変えるきっかけ?」
首を傾げると、クッキーそっくりの焼き菓子をつまんでいたヴィルは頷き、懐かしそうに目を細めた。
「……当時十六歳の学院生だった俺は、我ながらあまりよろしい性格をしていなくてね。コミュニケーションを取ろうとしないし、自分の魔力を鼻に掛けているし、自分のやりたいことしかしないし――我ながらなかなかの問題児だったと思うよ」
「えっ……ヴィルが?」
謙虚な人だと思ったのはついさっきのことなのに、衝撃発言だ。
ヴィルの言葉を受け、傍らで給仕をしてくれていたマキシさんも嘆息した。
「……なかなか手こずる後輩でしたね。ああ、私はヴィルフリートの二年先輩だったのですが、当時の彼はいくら言い聞かせてもまったく効果のない、可愛げのない子でしたよ」
「……マックスの言葉に反論できない自分が情けない。まあ、そんな俺だったけれど――ある日マックスが持ってきた植木鉢を手にし、君と知り合ってからは変わったんだ」
「あ、マキシさんが拾ってきたんだね」
当時の先輩からもらった植木鉢云々の話は聞いていたけれど、まさかマキシさんから譲られたものだとは。
マキシさんは頷き、肩を落とす。
「……ヴィルフリートは当時から、目新しい魔法器具に興味を持っていましたからね。あの植木鉢で少しは彼の性格が改善されるのでは……と淡い期待を抱いていました。まさか、異世界に繋がっているとは思いもしませんでしたね」
「えーっと……でも、どうして私との交流がヴィルを変えたの?」
私の問いに、ヴィルの表情がふっと翳った。
「……当時の俺は、低魔力者差別主義者というものだった」
「ていま……差別?」
「そう。簡単に言うと、『魔力の低い者を蔑視してもいい』という考え方だね。子どもの頃から、俺の周りにいたのはそういった大人ばかりだった。学院に入ってからも、類は友を呼ぶと言うからね、同じような考えの生徒と必然的に仲よくなった。まともだったのは、マックスだけだったかもしれない」
……ヴィルの生い立ちについて聞くことはなかったけれど、過去のことを語るヴィルの表情は暗い。
今では、過去の自分の思想がどれほど悪質だったかよく分かっているからこそ、やるせない気持ちになってしまうんだろう。
「でも俺は、冴香と出会った。冴香は、魔力を持っていない――当時の俺からすれば、あざけるべき対象だった。でも、君の世界にはそもそも魔力がない。魔力がなくても、人々は科学と知恵を駆使して俺たちとほぼ変わらない――いや、それ以上の生活水準を保っていた。冴香が家電製品の広告を持ってきてくれたのは、俺が頼んだからなんだ。他にも、子ども向けの乗り物図鑑も持ってきてくれたし、俺の目の前で携帯ゲーム機で遊んだりもした」
……そうか。子どもの頃の私はヴィルに何を見せているんだろうと思っていたけれど、ヴィルの方からお願いしたんだね。
地球の文化レベルを知るために。
「そうしているとね、魔力のあるなしで人を差別するのが馬鹿らしくなってきたんだ。だって冴香の世界では、科学者だけが便利な文明の利器を使っているわけじゃない。地域の差や貧富の差はあれど、一般市民でも便利な道具を使うことができる。……だから、『持つ者』が『持たぬ者』を蔑視するのはおかしいと気づいたんだ」
ヴィルの説明で、私ははっとした。
「……そういえばヴィルは、リリズの町の人にも格安で魔力供給をしたり魔法器具を譲ったりしているんだよね。それも……私と出会ったから?」
「そう。……リリズはね、フローシュ王国内でもとりわけ低魔力者が生まれやすい傾向にあるんだ。実のところ、うちの屋敷で一緒に生活している同僚や弟子たちの多くは低魔力の診断を受けているんだよ」
それは気づかなかった。
ヴィルは微笑み、ちらっとマキシさんを見上げたあと続けた。
「……俺がリリズで研究を行うことを申請したとき、過去の学友からは相当詰られたよ。低魔力者に知恵を与えてどうする、おまえには魔術師としての誇りがないのか……ってね」
「誇りって……そんな……」
「うん、俺もきっと今の君と同じ気持ちだったよ。だから俺は、皆に強引に別れを告げて王城を去った。同意して付いてきてくれるのはマックスくらいだったね。そこから俺は同志を集め、魔術訓練を受けるべき年頃の子どもたちに声を掛けていった。……親御さんたちは、驚いていたよ。自分の子が低魔力だというのに、俺のように名の知れた魔術師が誘いを掛けてくるなんて思ってもいなかったんだろう」
ヴィルの話を聞きながら、私は屋敷で暮らす子どもたちの顔を思い浮かべる。
十五人いる子どもたち。あの中の大半は、「低魔力者」と診断された子たちなんだ。
本来なら、魔術師のもとに弟子入りすることも難しかったんじゃないだろうか。
「でもね、皆は元気に勉強に訓練にいそしんでいる。……フローラ、分かるよね? あの子は初期に弟子入りした子なんだけど、十一歳時点で初歩的な炎の魔術すらできなかったんだ。でも二年経った今では炎でも氷でも操れる。同年代の子どもに比べれば威力は控えめだけど、コントロール力は抜群だ」
「そうだったのね……」
フローラも努力してきたんだな。
それにあの子は真面目なだけじゃなくて、私のことも何かと気に掛けて手を貸してくれる。炎の魔術ができなかった十一歳まで、辛い思いをしてきたのかもしれないけれど、てきぱき動けるとてもいい子だった。
「学院の同期生たちはめきめき昇進しているけれど、今の俺にとってはわりとどうでもいい。好きなことに没頭し、自分が持って生まれた才能を誰かの役に立てる……そんな喜びを日々感じるだけで、満たされているんだ。そして、そんなささやかな喜びを積み重ねられるきっかけになった冴香には、感謝している」
「い、いや。きっと私じゃない別の人でも、ヴィルは同じように変われたはずだよ」
「そうかな? でも俺は今、幸せなんだ」
そう言って笑うヴィルは……本当に嬉しそうで、幸せそうで。
その笑顔を見ていると、私の胸がぽうっと温かくなってくる。
「俺が今幸せでいられるのは、冴香に会えたから。そして、再会できたから。君に記憶がないのは残念だけど、俺が冴香に感謝していること、そして……誰よりも大切に思っているというのは本当だよ。二年前――俺と君が十八歳の頃に離ればなれになったあのときから変わらず、ずっと」
「ヴィル……」
「無理しなくていい。少しずつでいいから、俺のことを知ってほしい。そして……少しずつでいいから、俺のことを好きになってもらいたいんだ。俺も君に好いてもらえるよう、頑張るから」
これはきっと、ヴィルにできる最大限の譲歩だ。
彼には私と過ごした記憶がある。本当は……もっともっと、近づきたいんだろう。
でも、記憶のない私のために踏みとどまってくれている。
力ずくで私に迫ることもできるはずなのに、時間を与えてくれる。
……そんな彼の想いに、応えたい。
「……うん。ちょっと時間は掛かるかもしれないけれど……でも、私もヴィルのことをもっと知りたいし、仲よくなりたい」
「冴香……」
私の言葉に、ふにゃっとヴィルの相好が崩れた。
ああ、そんなにしまりのない顔をして。でもイケメンだ。
そっと、ヴィルが私の手を取る。
私も彼の思いやりに応えるように、その大きな手を握り返した。
……いつの間にかマキシさんが退出していたみたいだけれど、私たちはなかなか気づかなかった。