14 ヴィルの志
喫茶店では昼食も兼ねて、飲み物だけじゃなく軽食も頼むことにした。
こちらの世界の主食は、やっぱりパン類みたい。といってもホームベーカリーが焼いてくれるようなものより生地は硬いし、なんとなく黒っぽい。全粒粉が入っているからとかじゃなくて、そもそもの穀物の色なんだって。
私たちが頼んだのは、その灰色っぽい丸いパンに切れ込みを入れ、野菜やハム、チーズや果実のソースなんかを挟んで食べるサンドイッチのような料理だった。テーブルに運ばれたときには既に、パンに切れ込みがあって大皿にさまざまな具材が盛られている状態なので、自分の好きな具材を選んでセルフでパンに挟むんだ。
「これはティルブという果実のソース。甘いけれど少し舌にぴりっとくるから、こっちの葉野菜と一緒に食べるといい感じに刺激が緩和されるよ」
子どもたちもある程度解説してくれたものの、私はこっちの世界の食材に明るくないので、ヴィルが時間を掛けて一つ一つ丁寧に説明してくれた。
ティルブのソースは紫色で、ブドウジャムのように見える。でもヴィルの説明を受けてちょっとなめてみると、明らかな柑橘系の味と酸っぱいような刺激があった。ちょうどお店のカウンターにティルブの実があったので見てみると、見た目は紫色のリンゴだった。カルチャーショック怖い。
「一応言葉は通じるけれど、文化に馴染むのには時間が掛かりそうだね……」
見た目は黄色いキュウリなのに味はトマトな野菜を咀嚼したあとにつぶやくと、ヴィルはふっと遠い眼差しになった。
「……そう、だね。なんだか不思議だね。昔は、冴香が持ってくるお弁当に入っていた食材をただ見るしかできなかったのに」
「私たちはお互いの姿を見ることはできたけれど、触れることはできなかったんだよね?」
ヴィルは頷き、イチゴそっくりの果実をパンに挟んだ。ちなみにあのイチゴ、さっき食べたけれど味はかぼちゃだった。
「うん。君に贈った指輪は奇跡的に君の指に届いたけれど――触れることも、吐息を感じることも、君の世界で吹く風を肌に受けることもできなかった。姿は見えるのに、君と俺は絶対に越えられない壁によって隔てられている」
考えながら言っているから手元がおろそかになっているようで、ヴィルのパンは既にイチゴもどきで詰まっていた。それでもまだ詰めようとするから、やんわりと止めておいた。
「君の世界には自動車ってのがあるだろう? あれが俺たちの近くを通ったら、君は『排気ガスがくさーい』って言っていた。君の世界では、夏になるとたまに嵐が来るだろう? 君が嵐の中、防水服を着てまでして俺のところに来た日があって――君は暴風雨に煽られているのに、俺の髪も服もまったくなびかない。そんなとき……ああ、俺は排気ガスとやらの匂いを知ることも、君が台風と呼んだあの嵐を経験することもできないんだな……と実感していた」
だから、とヴィルはイチゴたっぷりのパンから手を離し、微笑む。
「……こうして君と触れあい、同じ風を受け、同じ匂いを感じられることが――すごく嬉しいんだ。さっきマックスも言っていたけれど、我ながら俺はしつこくて執着心が強い性格だと思っている。でも、たとえ君に『重い』と思われたとしても――とにかく、嬉しいんだ」
「ヴィル……」
「君と同じものを食べて、おいしいと思える。君と手を繋いで、その温もりを感じられる。……それはどれも、あり得ないと思っていたことなんだ。君と過ごせる一日、一時間、一秒が愛おしい」
……うーん、確かに彼の行動は「重い」と言われるかもしれない。
でも、彼が私と知り合ってから過ごした四年間を考えると、それも仕方のないことなのかもしれない。
記憶のない私と違って、彼には渇望していた「私」という存在がある。一度は諦めかけたそれが手元に永遠に存在するとなったら……ちょっとくらい羽目を外すのも、仕方のないことなのかもね。
「……分かった」
「冴香……」
「あ、でも『さすがにちょっとこれはなぁ』ってのがあったら、言わせてもらうからね」
年長者として、びしっと決めるべきところは決めるべきだろう。
ヴィルが私に執着する理由はなんとなく分かったけれど、だからといって何でも許されるわけじゃない。さっきのオープンなハグやキスだって、私には相当恥ずかしいのに!
ヴィルはきょとんとしていたけれど、やがてくすくすと笑った。こっちは一応忠告しているのに、なんだか……嬉しそう?
「そっか……分かった。昔は冴香より俺が年上で、別れたときも十八歳で同い年だったからね。冴香に叱られるなんて、斬新かも。それもいいなぁ」
「……」
まさか、叱られたいがために悪さをするとか……ないよね?
ないと信じることにした。
喫茶店で昼食を摂ったあと、リリズの町長のお屋敷にもお邪魔して挨拶をした。
なんというか……町長の屋敷といえば当然、町で一番立派であるべきなんだろうけれど、どう見てもヴィルの屋敷の方がでかい。
「シュタイン卿がいらっしゃってから、早二年。卿のおかげで我々は日々不自由なく過ごすことができているのですよ」
頭がつるりと禿げ上がった町長は私たちを接待しながら、そう嬉しそうに言う。
「それは、魔法器具の製作という点で貢献しているのですか?」
「はい。このリリズの町は王都から離れており、魔法器具もあまり多く手に入れられません。シュタイン卿がいらっしゃるまではそれこそ、生活水準も低い状態だったのです」
私の問いに、町長は嬉しそうに答えてくれる。私の隣に座るヴィルは黙っていて、町長に説明を任せているみたいだ。
「しかし、そんなリリズにシュタイン卿がいらっしゃいました。卿は閑静な場所で魔術の研究をしたかったために我が町を拠点に選んだそうですが、魔法器具の試作品を分け与えてくださったり、魔法器具を修理してくださったり、格安で魔石の魔力補充をしてくださったりと、何かと気を回してくださり……我々はシュタイン卿の屋敷に足を向けて寝られません」
「……魔石って、誰でも補充できるものじゃないんですか?」
たぶんこの世界では超初歩的な質問なんだろうけれど、私が異世界人であることを理解している町長は丁寧に教えてくれた。
「基本的には、その属性を扱うことのできる人間であれば補充できます。しかし――百の魔力を注ぎ込んだとしても、実際に魔石内に貯め込むことができるのはせいぜい三十の魔力程度。我々のような魔力の低い人間では溜めるのにも一苦労ですし、貯め込んだだけ使えるわけでもないので効率が非常に悪いのです」
確かに、一生懸命注いでも三割しかチャージできないとなったら疲労ばかりが募ってしまうだろう。
「ヴィルはそういうの、平気なの?」
「俺は偶然、高い魔力を持って生まれた。ほぼ全ての属性を扱うことができるし、一般市民向けの魔法器具くらいならすぐに貯めることができる」
私の問いに、ヴィルはあっさりと答えた。
……一般人がそんなに苦労しているというのに、ヴィルにとってはなんてことないんだな。
「俺は、生まれ持った力を存分に生かしたいと考えている。俺は毎日魔力が有り余っているから、使わずにいるのはもったいない。それだったら、困っている人たちのために使った方が皆も助かるし、俺自身もすっきりする」
彼の口調から、おごるような響きも恩着せがましい気持ちも見えてこない。
彼は、自分の持っている力を存分に生かすことが当然だと考えている。
魔力が低くて困っている人がいれば、格安で魔石の魔力補充を行う。
魔法器具の調子が悪ければ、修理をする。
……そうやって立派なことをしているのに鼻にかけないところ、素敵だな。
挨拶回りを終えた私たちは、来たときと同じように手を繋いで屋敷へ続く丘を上がった。
「結構歩いたね。冴香、大丈夫?」
「うん。最近体がなまっていたし、ちょうどいい運動にもなったよ」
「それはよかった。町の皆も、冴香に会えて嬉しそうだったね」
ヴィルが柔らかい眼差しで言ったとき、私たちの体をぴりっとした電流が包む。
あ、これ、出かけたときに感じたのと同じ気配だ。
「今、屋敷の結界の中に入ったんだよね?」
「そう。ここからはもう安全だ」
それはよかった。リリズの町は至って平和そうだし町の人たちも優しい人ばかりだったけれど、よそから来た人も同じだとは限らないし、不測の事態だって起こるかもしれないものね。
……さて。
「敷地内に入ったなら……もう手、繋がなくていいんじゃない?」
そう言って、硬く繋がれた手を持ち上げた。
私は当然のことと思って聞いたのに、振り返ったヴィルはものすごくショックを受けた顔をしていたものだから、私までぎょっとしてしまう。
「……冴香は、俺と手を繋ぐのはやっぱり嫌なのかな?」
「い、嫌というわけじゃないよ! でも……ほら、もうここまで来れば安心だし、町の人たちにアピールする必要もない……よね?」
「それはそうだけど……俺は、もっと冴香と手を繋いでいたいんだ」
ああ、またこの顔だ!
捨てられた子犬のような顔。もし彼に犬耳としっぽがあればどちらもしゅんっと項垂れていたんじゃないだろうか。
「でも、冴香が嫌ならやめるよ。はい」
「……あ、ちょっと待って!」
喫茶店で話したことを覚えているからか、ヴィルはあっさり手を離した。
でもすかさず私が彼の手をキャッチしたものだから、彼の驚いたようなブルーの目が、限界まで見開かれる。
「そ、その……嫌、じゃないから」
「冴香……」
「でも! マキシさんやみんなに見られるとやっぱり恥ずかしいから……ほら、あそこ! 玄関に入るまでなら!」
びしっと玄関を示して言うと、とたんにヴィルの顔がぱあっと明るくなった。
ああ、こんなに無邪気に笑うなんて!
「ありがとう! それじゃあ屋敷の中に入るまで……ね?」
「う、うん」
ヴィルは嬉しそうに私の手を握り直し、歩き出した。
……さっきよりかなり歩幅が小さい上、ゆっくりゆっくり歩いているように感じられるのは、気のせいではないはずだ。
私はずっとあとになって知ったのだけれど。
私たちが手を繋いで玄関まで向かう姿を、屋敷の上階ベランダからマキシさんやフローラたちが見ていたのだった。