13 リリズの町の新婚夫婦(仮)
昼前のリリズの町は、活気があった。
煉瓦で舗装された大通りは緩やかなカーブを描いていて、色とりどりの屋根を持つ店が軒を並べ、商売にいそしんでいた。
こういった商店街風の風景も、現代日本では滅多に見られなくなったな。私が住んでいるのは都市圏だったから、お店といえば大型ショッピングモールだった。
町ゆく人たちはやはりというか、欧米風の顔立ちで髪と目の色も実にカラフルだった。背もすらりと高いので、日本人女性の平均身長程度の私が人混みに入れば、あっという間に皆に揉まれ潰されてしまいそうだ。
皆の服装は――男の人はシャツにスラックス、女の人は年齢によってだいぶ違うけれど、私と同い年ぐらいの女の人はすべからく、カントリーワンピースにロングブーツだった。フローラやアンネが言っていたのは本当だったんだな。
そして、私たちの姿はとてつもなく人目を引いた。
歩くだけで皆が凝視してくるものだから、一躍有名人になった気分だ。……いや、「シュタイン卿夫妻」なのだから、実際有名人なんだろうけどね。
「こんにちは、シュタイン卿。このたびはご結婚、おめでとうございます」
最初に私たちに声を掛けてきたのは、中年の男性だった。見上げるほど身長が高いだけでなく、髭がすごい。日本人では滅多に見られない見事なもじゃもじゃ髭が口をほぼ全て覆ってしまっている。牛乳を飲んだりしたら大惨事になりそうだ。
ヴィルは彼を見て立ち止まり、鷹揚に頷いた。
「ああ。いつも君の店には世話になっているな。結婚祝いの置き時計、ありがたく使わせてもらう」
「それは嬉しいことです。……サエカ様、でしたか。俺はリリズの町で彫刻師をしているゴートンと言います。シュタイン卿の花嫁ということで、お会いできるのを楽しみにしておりました」
そう言ってゴートンさんは私の身長に合わせるように巨体を折りたたんでしゃがみ、お辞儀をした。
ヴィルに視線で指示を仰ぐと頷かれたので、私はゴートンさんに向き直ってなるべく自然に見えるように微笑む。
「はじめまして、ゴートンさん。冴香・シュタインです。まだこちらの世界に来て間もないのでご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
「なんと……慎ましい奥方ですね。シュタイン卿が羨ましい限りです。俺も早く、サエカ様のような美しい妻を迎えたいものです」
顔を上げたゴートンさんがからりと笑う。あ、この人独身なんだね。
ヴィルはゴートンさんを見たあと、ちらっと私に視線を寄越す。そして――
「なるほど。でも、何があろうと妻は渡さない」
そう言うと同時に、それまで繋いでいた手を離し、ぎゅっと私を胸に抱き込んできた。
……うわあっ、公衆の面前でハグ!
なんてアメリカーン!
「冴香は俺の運命の人だ。何があっても離したくないし、ずっとずっと愛していたい」
私を抱き込むヴィルはそう言い――ぐりぐりと私のつむじに顎を擦り付けてきているみたい。えっ、なにこのスキンシップ。マーキング?
彼の腕の中で固まる私は正面からヴィルに抱きしめられているので、周りの様子はよく分からない。
分からないけど……あちこちから、「まあ! あのシュタイン卿が!」「本当に奥様を愛してらっしゃるのね」「素敵なことだな」といった声がしている。あれっ……結構、受け入れられているみたい?
やがて、ははは、とゴートンさんが快活に笑う声が聞こえた。
「これはこれは。ここまでされると、野暮なことはできませんね。夫婦水入らずで町を散歩したいでしょうし、邪魔者はそろそろ退散します」
「申し訳ないけれど、そうしてくれると助かる。……今度、新作魔法器具に君の意見を聞きたい。また後日頼む、ゴートン」
「もちろんです。それではまた、シュタイン卿、サエカ様」
ゴートンさんが去っていったみたい。
私も挨拶をしたかったけれど、未だにヴィルが私をがっちりホールドしているのでそれは叶わなかった。
「……んー、ヴィル……」
「ごめん、冴香。もうちょっと、こうさせて」
「え……でも、人前……」
「嫌……かな?」
ああ、またしてもこの声だ!
もしかしてヴィル、弱々しい態度を取れば私がわがままを叶えてくれるって、計算ずくなんじゃないの? まあ、その通りなんだけどね!
「っ……いや、じゃ……ないです……」
「よかった。……好きだよ、冴香」
甘ったるい囁きと共に、つむじにキスされた。
アメリカーン!
その後、私たちはリリズの町の人たちに声を掛けられ、結婚の挨拶をして回ることになった。
ヴィルは本当に町の人気者みたいで、「シュタイン卿」「ヴィルフリート様」と、皆が彼の名を呼ぶ声はきらきら輝いているかのようだ。
ヴィルは堂々としていて、私と話をするときの柔らかい口調とは真逆のきりっとした態度で応じていた。
背筋を伸ばして皆に挨拶をするヴィルはやっぱり格好いいな、と感心していると、いきなり彼にハグされる。そしてつむじにすりすりされたり軽くチュッとキスを落とされたりし、皆に呆れられたり苦笑されたりするのがお約束になっていた。
そうしているうちに、私も気づいた。
ヴィルが挨拶だけでなく、人前で私にハグやキスをしてくるタイミングは決まっている。
「ヴィル……相手が男の人のときだけ、やけにくっついてくるよね」
挨拶回りをして喉が渇いてきたので、ヴィル行きつけだという喫茶店にお邪魔した。
店内は田舎の家族運営店舗って感じで、座席はカウンターとテーブル席併せて十程度。手作り感溢れるメニューボードや置物、パッチワークのクッションとかが可愛らしい。
ちなみに私はヴィルの魔力のおかげで、この世界の言語を理解し話せるだけでなく、文字を読むこともできるようになっていた。書くのにはちょっとこつがいりそうだけれど、今はこれだけで十分だ。ヴィル、やっぱりすごい魔術師なんだな。
向かいの席のヴィルは私の言葉を聞き、ふふっと微笑んだ。
「ああ、ばれちゃったか。だって、冴香を誰にも取られたくなかったからね」
「そ、その気持ちは……嬉しいよ。でも、若い男性ならともかく、おじいさんやこんなに小さい子にまで牽制しなくてもいいんじゃないかな……?」
こんな、と手で示したけれど、ヴィルは相手の性別が男だったらおくるみに包まれた赤ちゃんだろうと杖を突かなければまともに歩けなさそうな老人だろうと、関係なしにべたべたくっついてくる。
仲よく夫婦アピールだと言われればそれまでなんだけど、男性限定で対応が変わるというのはやりすぎな気も……。
でもヴィルはきょとんとした様子で首を傾げた。
「性別が男である以上、誰が冴香を狙うか分かったものじゃないだろう。冴香はこんなに可愛くて魅力的なんだから、いつかっ攫われるか気が気でないんだよ」
「そ、そう? えっと……でももし私が誰かに襲われそうになっても、ヴィルが守ってくれるんでしょう?」
ほら、と私の左手首を飾るブレスレットを見せる。
私を守るための魔術が施されているのなら、痴漢対策にもなるんじゃないか。
するとヴィルは目を丸くし、そしてほんのりと嬉しそうに笑った。
「……うん、そうだね。冴香が怖い思いや痛い思いをしないように、いつでも俺が駆けつけるから」
「……ありがとう。だからね、誰それ構わず警戒する必要はないと思うんだ。私も……その、やっぱり恥ずかしいから」
「そっか……分かった。冴香が恥ずかしがる顔は、俺だけが見られればいいものね」
……それはちょっと違うんだけど、まあ納得してくれるのならいいとするかな。