12 お出かけの準備をしよう
「ヴィルフリートとサエカ様は、どういう設定になっているのですか。はいどうぞ」
「……魔法器具を通して知り合い、お互い熱烈に想い合っていたけれど、世界の壁が二人を隔てた。ヴィルがせめて心だけでも繋がっていたいと思って私に贈った指輪によって、私はこの世界に呼ばれた。そうして再会した私たちはその場で結婚を約束し、一日でご成婚。現在は新婚休暇を満喫しているおしどり夫婦である、と」
なんですかこの設定、と突っこみたくなるけれど、前半はあながち間違っていない……そうだ。
つまるところ、「奥方の方には過去の記憶がなく、仕方がないので仮面夫婦を演じている」というのは屋敷の中だけに秘めておこうということになったんだ。
私の返答を聞いたマキシさんは、満足そうに頷いた。
「よろしい。……ヴィルフリートはフローシュ王国でも屈指の大魔術師。かのシュタイン卿が初恋の君と運命的な再会を果たして結婚したというのは、既に国中の人間が知っています」
うわぁ、そうなんだ。
初恋……初恋……うん。今はスルーしよう。
「とりわけ、ここリリズの町人たちはあなたに強い関心を抱いているはずです。……あなたは結婚式のあと数日眠っていたから知らないのでしょうが、あなたたちの結婚式の翌日から、町はお祭り騒ぎだったのです」
「え、そんなに?」
「ヴィルフリートは普段から、町の人々に格安で魔法器具の修理を行ったり魔石の魔力補充に出向いたりしています。そんなヴィルフリートが結婚したのですから、祝わないわけないでしょう。……数日掛けて我々の方で整理したのですが、かなりの量の贈り物が届いたのです」
「そ、そうなんですね」
「そうなんです。というわけで、これからサエカ様にはヴィルフリートと一緒に町に降りてもらいますが……たとえかりそめの夫婦だとしても、外では仲睦まじく振る舞ってください。何かあればヴィルフリートの沽券に関わり、我々の今後にも影響が出るかもしれません」
うーん……それは責任重大だ。
私だって、何かと気遣ってくれるヴィルや屋敷の皆の足を引っ張ることはしたくない。数日前に出会った人とラブラブ新婚っぷりを演じるのは結構緊張するし恥ずかしいけれど……グダグダ言ってられないな。
「分かりました。肝に銘じます」
「そうしてください……おや、ヴィルフリート。支度ができましたか」
マキシさんが私の背後を見てそう言ったので、振り返った。
私たちは廊下で立ち話をしていたんだけど、ちょうど二階からヴィルが降りてきているところだった。
柔らかい癖のある茶色の髪は――おや、前髪をヘアピンみたいなので留めている。そういえばマキシさんも同じように前髪を留めているから、こっちの世界では男の人も普通にヘアピンで髪をまとめる文化なのかもしれない。覚えておこう。
着ているのは朝食のときと同じスラックスにシャツで、その上にコートを着ていた。デザインはマキシさんが着ているものとそっくりだけど、あんまり裾や袖口がずろっとしていない。マキシさんが着ているのは仕事着で、普段着用のは動きやすくするために全体的に丈を短めにしているのかもしれないな。
階段を下りたヴィルは私の前に立つと、じっくりと見つめてきた。彼のブルーの目に見つめられ、私はにわかに不安になって自分の装いを視線で確認する。
今の私はフローラたちに着付けをお願いして、ちょっとおしゃれなよそ行きの服を着ていた。水色のカントリー風ワンピースは裾が大きめのフリルで飾られていて、大きく折り返したカフスや丸い襟が可愛らしい。
髪は手先が器用なアンネに、ゆるふわっとした三つ編みに結ってもらった。それだけだと黒一色で地味だから、ユリのような花を模した髪飾りで彩りを加える。
足下は、太ももを引き締める縞模様のタイツに膝下丈の編み上げブーツ。この世界では、女性の靴はどんなに短くてもショートブーツと決まっているそうだ。
ハイヒールとかパンプスのような靴はないのかと聞いてみたけれどフローラ曰く、女性が足首を見せるのは旦那様だけなので、そういった靴は旦那様の前で履くのみだという。それも、「今からこの靴を脱がして可愛がってください」というアピールになるそうだ。カルチャーショック怖い。
全体的に可愛らしくて、二十四歳の私が着るにはちょっと勇気がいった。でもフローラやアンネ曰く、「フローシュ王国の二十代の既婚者の普段着は、こんな感じです」とのことらしい。
郷に入りては郷に従え、だ。ひとまず二人の言葉を信じて着ることにしたんだけど……。
「その……どうかな? ちょっと私には可愛すぎるかなぁ、と思っていたんだけど」
スカートの裾をつまんで、ちょこっとお辞儀をする。……といっても、某ファンタジーアニメで見たお姫様の動作を見よう見まねしただけなんだけどね。この世界の流儀に反していたらどうしよう。
顔を上げると、ヴィルは相変わらずしげしげと私を見ていた。なんだか、さっきよりもさらに眼差しに熱が籠もっているような……気がするけれど……。
「……何か言って差し上げなさい、ヴィルフリート。サエカ様が困っていますよ」
「え? ……あ」
呆れたようなマキシさんの声で、ヴィルは我に返ったようだ。
彼は私の目を見、そして――ほんのり頬を赤く染め、ふわっと微笑んだ。
「ご、ごめん、冴香。あんまりにも君が可愛くて……言葉を失ってしまっていた」
「えっ……?」
「もう一度言うね。……とても可愛いよ。君を俺の妻として皆に紹介できること……すごく嬉しい」
……。
……まずい。
今、私の胸がかつてないほど激しく脈打った。
つまるところ、ときめいてしまった。
記憶にないのに。
初恋だとか言われても全然覚えていないのに。
でも……ヴィルの嘘偽りのない褒め言葉が、すごく嬉しい。
「……あ、ありがとう。その、ヴィルもとっても格好いいよ」
「……ねえ、マックス。やっぱり今日はお披露目を延期して、冴香を部屋に閉じこめていたいんだけど?」
「気持ちは分からなくもないのですが、そこまで行くと寵愛を通り越して『重い』男になってしまうので、やめた方がよいかと」
マキシさん、ナイスツッコミ!
支度を終えた私たちは、マキシさんや子どもたちに見送られて屋敷を出た。
「行ってらっしゃい、サエカ様!」
「楽しんできてねー!」
子どもたちが元気よく見送ってくれるのが、なんだかすごく微笑ましくてくすぐったい。
ちなみに子どもたちは私たちを見送ったら、マキシさん指導のもと魔術の訓練をするそうだ。みんな小学生くらいの年齢なのに、かなりこってり訓練を受けるという。いつか、みんなの訓練風景を見てみたいな。
「……ああ、そうだ。さっき完成したばかりなんだけど、これを持ってて」
屋敷の門をくぐる直前、ヴィルがそう言って私の左腕に何かを通した。これは――
「腕輪?」
「そう。冴香のために作ったんだ」
ヴィルはそう言って、私の左手首を飾る金属製のリングをそっと撫でた。
見た感じは、真珠のような石を連ねた銀のブレスレットだ。でもよく見ると石は銀色一色ではなくて、太陽の光を浴びて随所がきらきら七色に輝いている。
「きれい……このきらきらしているのってもしかして、例の魔石?」
「そうそう。四年前に冴香に贈った指輪の腕輪バージョンだと思ってくれればいいよ」
「えっ……例の指輪って、私の命の危機を察知してこっちの世界に引き込んでくれたものだよね? もったいないよ」
そんな代物をまたしても私がもらってしまっても……いいのかな?
でもヴィルは目を見開き、少し怒ったように眦をつり上げた。
「もったいないことない。これは君の身を守るために必要なものなんだ。……君はこの世界でも珍しい、一滴の魔力も持たない人間だ。この屋敷の中は俺たちの魔力で守っているけれど、あの門をくぐると何が起こるか分からない」
……反射的に飲み込んだつばは、すごく苦くてどろっとしていた。
「それって……命を狙われたりするかもしれないってこと?」
「申し訳ないけれど、確率がゼロとは言い切れない。……だからこそ、この腕輪を身につけていてほしい。これには俺にできる最大限の魔力を込めている。俺より魔力の弱い人間の攻撃だったら簡単に防げるし、なんなら冴香のもとに飛んでいける。冴香は魔法に対する抵抗力も常人よりずっと弱いだろうから、こうでもしないと……きっと、この世界は冴香にとって生きていくのが難しい場所になるんだ」
「な、なるほど」
今、ものすごいことをさらっと言われた気がするけれど――要するに、これを身につけていれば私はヴィルの魔力によって守られるし、いざとなったらヴィルをその場に呼ぶこともできるんだね。
「すごいね。そういうことなら……もらっておくよ。ありがとう」
「そうして。ちなみにこれ、冴香が昔教えてくれたぼーはんぶざぁってのを基にしているんだ」
過去の私は本当に、ヴィルとどんな話をしていたんだろう。
屋敷の門をくぐったとき、ほんの少しだけ肌にぴりっと来た。どうやら今のが、ヴィルたちが張った魔術の結界を超えた証らしい。
昨日、ベランダから見下ろすだけだった土地を自分の足で踏みしめる。
屋敷は小さな丘の上に建っていたようで、緩やかな坂道を降りると目の前には中世ヨーロッパ風の町並みが広がった。
「ここが、フローシュ王国の田舎リリズの町。俺は学院を卒業し、魔術研究者になってからここで暮らしている」
「生まれ故郷というわけではないんだね」
カントリー風の町並みに魅入られつつ私が言うと、隣でヴィルが頷く気配がした。
「ここに来てまだ二年しか経たないけれど――リリズは、俺の故郷のような存在になっている」
「それは……素敵なことだね」
「うん。……いずれ、冴香にとってもこの町が故郷のような存在になれば、嬉しいな」
思わず横を見ると、ヴィルは少しだけ寂しそうに笑っていた。
……リリズの町が、私の故郷になればいい……か。
そうなればきっと、私はこの世界に根付くことができるだろうな。
ヴィルが手を差し伸べてきた。何だろう、握手かな――と思ったのは一瞬で、手を繋ぎたがっているのだとすぐに分かった。
「冴香が嫌じゃなかったら、手を繋ぎたい。……よかったら、でいいから」
……そんな、捨てられた子犬のようなしおらしい態度で申し出られると、断ることもできない。
いや、断るつもりは……ないんだけどね。
そっと手を差し出すと、思ったよりも強い力で握られた。
「んっ……ちょっと、痛いかも」
「あっ……そう、だね。ごめん。これくらいならいい?」
そう言ってさっきよりは優しく――でも、「離したくない」とばかりに指と指を絡めて握ってくるヴィル。
その温もりがなんだか嬉しくて、私は返事の代わりにそっと彼の大きな手を握り返した。