10 新婚さんのお約束?
ふわふわで温かい。
これは……毛糸玉?
「ん……んん?」
「ん、あはは……くすぐったいですよ、サエカ様ぁ」
「……あれ?」
腕の中で毛糸玉がもぞもぞ動いた。しかも、喋る。
……あれ? ……えーっと、これは確か――
「……クラウス?」
「せいかーい! おはようございます、サエカ様ー!」
体を起こし、にぱっと満面の笑みを浮かべてくる水色ふわふわヘアーの少年。
ああ、そうだ!
私はヴィルと結婚して慌ただしい初日を終え、クラウスと一緒に寝ることになったんだ!
八歳のクラウスはまだまだ甘えたい年頃。ヴィルの前では背筋を伸ばしていたけれど、一緒にベッドに入ったらとたんに甘えっ子モードに突入した。
子どもの就寝時間である十三時まで、歌を歌ったり日本での思い出話をしたりして、その後は抱き合って一緒に寝たんだ。これくらいの年の子どもって体温が高いから、湯たんぽになるんだよねぇ。
もともと癖の強いクラウスの髪は、寝癖でいっそうくしゃくしゃになっている。手で軽く梳いてあげると、「ありがとうサエカ様ぁ」と満面の笑みを浮かべて飛びつかれた。
ううううう……可愛い!
こんな可愛い子たちと一緒に過ごせるなんて、私は幸せ者!
「あ、そろそろ支度しないとですね。今日は僕、朝ご飯の担当なんです」
「そういえば家事も全部、当番制なんだっけ?」
二人でベッドから降りながら問うた。
ヴィルの同僚と弟子たちが暮らすこの屋敷に、使用人の類は存在しない。料理も洗濯も買い物も子どもたちの世話も全部、全員で回しているんだって。すごいなぁ。
「はい。ヴィルフリート様は、僕たちでも簡単に使える魔法器具を作ってくれたのです。だから僕も、朝ご飯のお手伝いができますよ! ……といっても、今はまだ野菜を切るとか、食器を運ぶとかくらいしかさせてくれませんが」
「そっか……じゃあ、私もお手伝いしていいかな?」
「えっ……でも、サエカ様はヴィルフリート様の――奥さんですし」
「私だって少しくらい働くよ。邪魔だけはしないから、ね?」
「……分かりました。今日の朝ご飯主任はバイロン様なので、一緒に聞きましょう」
話をしながら、昨日のうちに持ってきていた服に着替える。
この服はフローラたち女の子が、私のために選んで買ってくれたものだという。昨日着ていたもののように、あまり体を締め付けない丈の長い薄桃色のワンピースで、肌触りがとってもいい。これ一枚だとちょっと薄着だから上にカーディガンを羽織り、クラウスに続いて部屋を出た。
顔を洗ったあと、クラウスに連れられて向かったのは屋敷の厨房。毎日約三十人分の食事を作る場所だけあって、かなり広々としていた。
おまけに……たぶんヴィルが私のチラシを見て思いついたんだろうけれど、冷蔵庫もどきや電子レンジもどき、圧力鍋にそっくりな鉄鍋など、調理器具や設備は日本のそれとよく似ている。おかげで「異世界のお屋敷の調理場」よりも、「学校の調理室」のような雰囲気だ。
「おはようございます! バイロン様、サエカ様がお手伝いをしてくれるそうなんですが、どうします?」
私たちが到着したときには既に、厨房には大人三人、子ども四人が集まり、エプロンを着て朝食準備をしていた。
クラウスの声に反応して三十歳くらいの男性が振り返り、私を見ると目を丸くした。さっきクラウスが「朝ご飯主任」と呼んでいたから、彼が今日の朝ご飯担当のリーダーなんだろう。
「おはようございます、サエカ様。……サエカ様には食堂で待っていただければと思います」
「おはようございます。……やっぱり、お邪魔ですかね」
「邪魔なんてとんでもない! ただその、サエカ様に雑用を手伝わせるなんて恐れ多いことでございます」
「……そう、ですか――」
「――いいじゃないか。冴香がそう言うのだから、手伝ってもらえればいい」
あ、この声。
私の名前を流暢に呼ぶこの人は。
振り返ると、厨房の戸口に寄り掛かるようにして立つブルネットの男性が。私を見て柔らかく微笑むその姿を見ていると、なんとなく落ち着かない気持ちになってしまう。
朝から麗しい私の結婚相手は、厨房に集まった本日の朝ご飯担当の顔を見回し、最後に私に視線を戻して笑顔で頷いた。
「冴香にとって慣れない世界だろうけれど、君が何か行動を起こそうとしてくれていることが、俺は嬉しいよ。調理器具も、君の世界の家電製品を参考にして開発したから、見た目だけは似ているだろうね。といっても今すぐに扱うのは大変だろうから、できることだけでもしてほしい。……いいかな、バイロン」
「……ヴィルフリートがそう言うのなら」
バイロンも納得してくれたようなので、私はほっとしてヴィルに歩み寄った。
「おはよう、ヴィル。……無茶を言ってごめんなさい」
「おはよう、冴香。無茶なんてとんでもない。君が少しでもこの世界や皆に関心を抱いてくれるのなら、俺にとってこれ以上嬉しいことはない」
「う、うん。……あの、ヴィル?」
「何?」
「どうしてヴィルまでエプロンを付けるの?」
話をしながらヴィルは厨房の入り口付近の壁に掛かっていたエプロンを手に取り、身につけていた。黒一色の地味なエプロンだけど、イケメンは何でも着こなせるんだな。イケメンシェフって感じでよく似合っている。
ヴィルは私用のエプロンを選びつつ、首を傾げた。
「うん? ……冴香を見ていたら、俺も手伝いたいな、って思うようになったんだ。普段、俺とマックスは家事当番を免除されているんだけどね、たまにはこうして手伝うんだよ」
「……そ、そうなの」
「俺たちだっていつも多忙ってわけじゃないからね。……はい、冴香はこれ」
そう言ってヴィルが差し出してきたのは――あれ? なんだかこのエプロン、フリフリとか付いていない?
ヴィルたちが身につけているものよりもエプロンの丈は短く、丸くカットされている。裾部分と胸元には大きめのフリルが付いていて、これを着るとシェフとか給仕というよりむしろ――
「メイドさん……」
「可愛いだろう? それ、女の子用なんだ。フローラが市販のものを改造して作ったものなんだけど、ちょっとサイズが合わなかったらしくてずっとしまったままだったんだ。冴香が着たら似合うと思うんだけど……どう?」
そう言うヴィルの目はきらきら輝いている。
……私には分かる。
ヴィルは特殊な趣味をお持ちで私にメイドさんごっこをさせたいのではなく、自分の妻に可愛らしいエプロンを着せてあげたいという思いやりで言っているんだ。
なぜなら彼のブルーの目はどこまでも純粋で、「可愛い服を着た妻の姿が見たい」と口よりも雄弁に物語っていたのだから。
寺井冴香、二十四歳。
この年にして、フリフリエプロンを着用しました。
着用するまでは抵抗のあったフリフリエプロンも、いざ着てしまえばそんなに気にならなくなった。
それはコスプレと違い、周りの皆も私のフリフリエプロンをガン見したりせず、ごく自然に扱ってくれたからだと思う。
「あれは圧力鍋を基にしているんだ。使用している魔石は、炎と風と空間」
私は主任のバイロンさんによって、ヴィルと一緒に皿運びや食器の点検をするよう頼まれた。
皆がそれぞれ野菜の皮むきや煮込みなどを始める傍ら、私はヴィルから調理器具の説明を受けていた。
「空間、っていう魔術の分類があるんだね」
「うん、扱える人はそれほど多くないけれど、便利なんだ。炎で食材を暖め、風で混ぜ、空間で圧力を掛けてしっかり煮込む。最近開発できたんだけど、おかげで料理の幅が広がるようになったんだ」
「……ヴィルってすごいね」
どう考えても、過去の私が的確に家電製品の説明をすることができたとは思えない。となるとヴィルは私の説明から受けた内容をふまえ、独自の解釈で同じような魔法器具の開発を進めたんだ。
私の素直な感想に、ヴィルは振り返って嬉しそうに微笑んだ。白い頬がほんのり赤く染まっている。
「ありがとう。……俺の開発した製品を褒められるのは日常茶飯事なんだけど、冴香にそう言ってもらえるのが一番嬉しいな。開発した甲斐があったよ」
「……こういう便利な魔法器具って、どこの家にもあるものなの?」
人数分の食器を出しながら尋ねる。
昨日食事したときからあれっとは思っていたけれど、この世界の食器はフォークとスプーンが一体化していた。一本の柄の両端にフォークとスプーンがそれぞれくっついていて、そのときに応じてくるくる回転させて使い分けるみたい。ちなみにナイフはほぼ同じ形だけど、どれもこれもやたら柄が長い。これも異世界文化、なのかな?
「そうだね……いずれどの一般家庭にもまんべんなく普及すればと思っているけれど、現状は厳しいかな。俺たち魔術研究者が開発した魔法器具はまず王城の魔術部に提出し、検査を受けることになっている。検査基準をクリアしたら、ひとつの『商品』として登録する。登録して初めて、登録主である俺たちに主な製造・販売権が与えられるんだよ」
つまり、特許みたいなものかな?
「今バイロンが使っている圧力鍋もいずれ、俺ヴィルフリート・シュタイン名義で登録するつもりだ。今のところあの鍋は試作品としてうちでしか使用していないけれど、近い未来量産して販売できるようはからうつもりだ」
なるほど。そういった過程を経て、一般家庭にも魔法器具が届くようになるんだね。
というか私、ヴィルの本名を初めて知った。
「……話の腰を折ってごめん。その、ヴィルの名字がシュタインなら、私もシュタイン姓になっているってこと?」
「……あー、そういえば当たり前すぎて言ってなかったね。君の言う通り、冴香は俺と結婚したことで冴香・シュタインになった。きっとこれからは『シュタイン卿夫人』とかって呼ばれると思うけれど……少しだけ我慢してほしい」
「わ、分かった」
冴香・シュタイン。なんともちぐはぐな響きだ。
そしてヴィル、「卿」って呼ばれるような人だったのか……一般市民じゃないとは分かっていたけれど、二十歳で卿と呼ばれるなんて、私の夫は相当偉い人だったみたいだ。