◆97.移植前日
移植前日。
聡と優生、そして母が、響生を見舞いに来た。
聡は、響生の姿を見て、ただただ、何も話さず、黙っていた。
「ねえ、ひびきは、いつなおるの?」
優生は私のかを覗き込んでそう答える。
無菌室の中では響生がこっちを見て、少しだけ笑う。
「そうだね。明日の移植が上手くいったら、金沢に戻れるようになるから、もう少し待っててね」
日焼けした優生の顔が、淋しそうにうつむく。
「いつになるの?」
優生は淋しさを必死で我慢しているのだろう。
「なるべく早く戻れるように、ママも響生もがんばるから、もう少し待っててね」
優生は私の言葉にそっと頷いて、響生を見て手を振った。
「移植の相手の人は、大丈夫なのか?」
聡の言葉で私の胸は熱くなった。
「うん。大丈夫になってる。誰が骨髄を提供してくれるのかは教えてもらえないことになってるみたいだから」
「そっか・・・」
聡は、切ない瞳で響生を見つめて溜息をつく。
「ちゃんと、大丈夫って言うわけじゃないんだろう?急に何かあることだってあるんだろう?」
「シーッ!!」
母は聡を少し睨むようにして、唇に人差し指を押し当てた。
「これから、響生ががんばろうって時に、何を言うの?聡さんが信じてやらんとどうするが?」
母の言葉が私の心にも響く。
「響生は、本当にがんばってるんだよ。ここに入ってから辛い思いを沢山してきてるのに、本当にがんばってるんだよ」
ここに入ってからの、毎日は、戦場のように過酷なものだった。
それをただ黙ってみていることしかできない自分に、嫌気がさしていた。
愚痴をこぼすことだけはしたくなかったが、涙と一緒にあふれ出していた。
「玲香も、大変やと思うけど、ちゃんと響生を見てやんなさい。お母さんなんだからね。響生が頼れるのは、今は玲香しかおらんからね」
「わかってるよ。わかってる・・・」
母の言葉が私を励ましてくれる。
「それじゃ、そろそろいこうか?響生の顔も見れたし」
聡は優生の手をとり、病室を後にした。
「私は、今晩は、こっちに泊まろうと思っとるけど・・・」
母は私の顔を覗きこんでそう言った。
「ありがとう。でも、お父さんのこととか大丈夫なの?」
「お父さんがそうしてこいって言うからね」
母は私の肩にそっと手を載せた。
「ちょっと聞きたいこともあるからね」
私は母の言葉にドキッとした。
「うん。じゃあ、お願いする」
母はにっこりと笑うと
「じゃあ、どこかでご飯でも食べておいで。ちゃんとご飯も食べてないやろう。何なら、沙希ちゃんでも誘ってゆっくりしてこられ」
母の言葉が嬉しかった。
「でも、明日、移植だって言うのに、そんなことできないよ」
「今日は私もついとるし、移植がおわったら、また玲香一人で響生を見ていかんなんのに、1日くらい羽伸ばしてきなさい。いいね?」
母に半ば脅されるようにして、私は病室を後にした。
かと言ってどこかに行くあてがあるわけではなく、沙希にメールをすることにもなぜか気が引けた。
私は、日曜日の人気のない待合室で、携帯を持ち、一人佇んでいた。
響生のこれからのこと、雅弘のこと、そして母が私に聞きたいといったこと・・・。
何もかもが頭の中で交差し合い、整理がつけられない。
私は携帯をポケットにしまい、これからの響生のことを思いながら時間をつぶした。
ブルルルル・・・
ポケットにしまった携帯が、私にメールが来たことを知らせる。
私は慌ててポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出した。
画面を開くと、そこには『五十嵐』と表示されたメールが届いていた。
私は慌ててメールを開く。
”響生はどうですか?僕は明日の手術のために、病院に入っています。先生の配慮?なのか、君達と同じ病院には入れてもらえなかったけれど、今こうして、明日への準備のために、心を落ち着かせています。響生のためにと思っていたけれど、正直、全く怖い訳ではなく、やっぱり少し怖いかな?でも、響生へ僕からできる最初で最後の贈り物だと思っています。だからどうか、僕からの気持ちを受け取ってください。君は、響生をこれからも守っていってください。
それじゃあ、明日の移植が無事上手くいくことを祈っています”
私は雅弘のメールを何度も読み返そうとした。
でも、どんどんと涙があふれ出し、画面がにじんで読むことができなくなっていた。
私は、手の甲でそっと涙を拭い、慌てて返事を送る。
”本当に、ありがとうございます。何て言っていいのか、分からないけれど、五十嵐さんの気持ちを無駄にしないように、響生と二人で乗り越えていく決心をしました。無菌室に入ってからの1週間は、本当に辛くて、私もくじけそうになってしまったこともあったけれど、今はただただ、明日の移植に向けて、祈るような気持ちでいます。五十嵐さんがいなかったら、私は、きっと何もかもを失うことになっていたと思います。本当は、五十嵐さんに頼ることは、私の中ではどうしてもできないことだったのは事実です。ただ、母として、響生を守る為に選ばなければならなかった。それだけは、わかってください。これ以上、五十嵐さんにご迷惑をかけるつもりもありません。ただ、五十嵐さんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
明日、本当によろしくお願いします”
私は、そっと送信ボタンを押し、携帯をポケットにしまった。
これ以上、雅弘に甘えることは許されない。
私は、響生を助けたいというただ一心で、雅弘に連絡を取った。
そして、雅弘はその気持ちを汲んでくれた。
ただそれだけなのだから・・・。




