◆93.次の段階
あれから、聡と優生、そして母も金沢に戻った。
東京に残った私は、響生の検査の結果に一喜一憂する日々を過ごしていた。
ただ、心の支えなのは、時々様子を見に来てくれる沙希の存在と、毎日のように届く、小さな花束だった。
花束は、沙希が顔を見せるようになってから、何度となく届けられるようになっていた。
以前のように、送り主不明の花束・・・。
時々カードが添えられていて、中にはいつもこう書いてある。
「二人で奏でる命のひびきが、いつまでも素敵なものでありますように・・・」
私は、響生が眠っている時間は、届いた花束を見ては雅弘と過ごした時間を思い出していた。
ずっと昔のできことだったような気がする。
これまでの私は雅弘と出会ったことを、後悔していた。
でも、今は違う。
雅弘と出会い、響生をこの手に抱けたことが、本当に幸せだと思える。
今こうしている時間ですら、本当にかけがえのない時間なのだから・・・。
「松本さん?今、お時間いいですか?」
頭の上のスピーカーから、看護士の声が聞こえる。
私は、慌ててベッドから起き上がり返事をする。
「はい、大丈夫です。響生も寝てますから」
「それじゃあ、今、そちらに行きますね」
スピーカーは急に静かになり、廊下から、バタバタと足音が近づいてくるのがわかった。
コンコン・・・
「はい」
「失礼します」
看護士は、そっとドアを開け、中に入ってきた。
「先生からお話があるそうなので、行ってください。私は響生くんをみてますから」
看護士の声が少し、軽く聞こえる。
「お話って?今日はもう検査の結果も聞いたんですけど・・・」
少し動揺した私をみて
「私からは言えませんから。急いでいってください。先生が待ってますよ」
と急かすように言った。
「じゃあ、お願いします」
「はい、わかりました」
私は、慌てて部屋を飛び出した。
一体何の話なのだろう。
最近は状態のいい日も続いているが、今日の医師の話では、まだ油断はできないかもしれないということだった。
このまま何日も、この状態が続いてくれるようであれば、次の段階へ進むことができるといわれたばかりであった。
様々なことが交差するように、頭の中に浮かんでは消える。
ただ、看護士の様子からすると、悪いことを言われるのではないだろうと、勝手に想像していた。
部屋の前に立つと、何名かの話し声が重なるように小さく聞こえていた。
私は、視線を静かに上に向け、ドアをノックした。
コンコン・・・。
「松本です。失礼します」
「はい、どうぞ」
医師の声に導かれるようにして、中に入る。
「どうぞ、おかけください」
私は、すぐ側にあった椅子に浅く腰掛けた。
「お話って何ですか?今日はもう検査の結果も聞いたんですが」
私の不安な顔をみて、医師は慌てたように
「悪い話ではないですから、安心してください。むしろその逆です」
といって、にっこりと笑った。
「そうですが。私、ここでお話があるっていうので、ちょっと緊張してしまいました」
医師は、頭を下げてから
「すみませんでした。実は、骨髄移植を進めようと思います」
私は、医師の言葉に少し驚いたが
「でも、先生のお話では、もう少し様子を見てからっておっしゃってましたから」
そう言うと、医師は慌てたように
「そうなんですが、今、先生たちとも話をしまして、響生くんの場合は、今の状態が、一番いい状態なのではないかという結論が出ました」
私は黙って聞いていた。
「ドナーさんもいらっしゃることですし、今は他の症状もほとんど見られませんから、進めてみようということになったんです。体力的にも、今の状態であれば、大丈夫だと思いますし」
「わかりました。先生にお任せしたいと思いますので、よろしくお願いします」
医師は私の返事を聞くと、移植へ向けての過酷な治療について、説明をしてくれた。
移植までの間の放射線での副作用や、移植後の状態の急変など、起こり得る危険についても話してくれた。
ただ、私の中で、移植に対する不安はあまりなかった。
それは、きっと、雅弘がドナーになってくれると言ったときから、消えていたのかもしれない。
「それで、ドナーさんにはこちらから連絡をと思ったのですが、お母さんのほうからご連絡いただけますか?なるべく早くお願いしたいのですが・・・」
「はい。わかりました」
私はコクリと頷き、医師の顔を見た。
「それでは、来週早々に移植の準備に入りたいと思いますので、よろしくお願いします」
医師は私にそっと頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私はそう言うと、深く深く頭を下げた。




