◆88.無理なお願い
「でも、どうして泣いてるの?どうして僕に話そうと思ったの?ご主人と何かあったの?」
私は雅弘に縋る思いで話し始めた。
「主人には何も言われていないし、疑うことなく、自分の子だと想ってる。可愛がってくれている。ただ・・・」
「ただ?」
そこまで言うのが精一杯でまた涙が溢れ出した。
「大丈夫。ゆっくり聞くから」
そう言って雅弘は私の髪をそっと耳にかけた。
「何か飲もうか?少し落ち着くかもしれないから・・・」
「響生が死んじゃうかもしれない!!」
そこまで言うのが精一杯だった。
「どうしてなの?なんでなの?」
雅弘はわたしの言葉を聞くなり目を見開いたまま私を揺さぶった。
そして私は、ことの経緯をすべて話した。
雅弘は最初のうちはそっとうなずきながら聞いてくれていたが、
しばらくすると目に涙を浮かべ一緒に泣いてくれた。
「僕でできることはなんでもする!!」
「それが五十嵐さんの何かを壊すことになるかもしれない」
「いいんだ。それでもいいんだ」
そう言って、雅弘は大きな声で泣いた。
「本当を言うと、あの日から、あの子のことを考えなかったことはないんだ。離れていても、何かを感じていたいんだ。そして君といつも一緒にいるあの子に少し嫉妬もしていたのかもしれない。でも、あの子は、きみと僕が愛し合ったという偽りのない証。何でもする。僕にできること。何でも・・・」
雅弘は泣きじゃくりながら私にそう言った。
「ありがとう・・・」
「辛かったね。本当に辛かったね」
雅弘の顔がわたしの顔にかさなり少し冷えた唇が重なり合う中でぬくもりを感じた。
雅弘の優しさと愛を感じた。
「響生って玲香ちゃんがつけたの?」
「うん・・・」
私の胸の奥にしまったはずの記憶が蘇る。
「いい名前だね」
私はコクリと頷き
「五十嵐さんがいつも仕事をしながら言ってたでしょ?この部屋で。『今曲を書いているんだ。このひびきどう?いいでしょ?』いつもそう言って私に聞かせてくれた。だから・・・」
「そっか・・・本当にいい名前だね」
「何か、一つだけ五十嵐さんと結び付ける何かが欲しかったの」
私はそう言って、雅弘の胸の中で大きな声をあげて泣いた。
「いいんだよ。泣いていいんだよ。ずっと我慢してたんでしょ?ここでは我慢なんてしなくていいから・・・」
雅弘の優しい声が胸の中の何かをそっと包んでくれているようだった。




