◆84.どん底
あれから1ヶ月が過ぎた。
響生は病院のベッドの上で点滴につながれたままだ。
骨髄移植、さい帯血移植も響生に合う人は見つかっていない。
そして先日、私・聡・優生・母は、響生と骨髄が適合するか検査をしてもらっていた。
「今日は、ご家族の結果が出ますので、後で結果を持ってうかがいますね」
医師は、朝いつものように顔だけを見せてそう言った。
「はい。お待ちしています」
今の響生の状態はずいぶんとよくなってきていた。
小さな体で本当によくがんばってくれている。
ただ、私は医師から一番いい状態で移植を受けるのが望ましいと聞かされていたためか、少し焦りがあった。
今は薬があっているが、響生の状態は日々変わる。
今日がよくても、明日は突然悪くなるということもある。
だから、少しでも早く響生をこの苦しみから救ってやりたいと思っていた。
毎日同じように過ぎていく時間。
母はあれから優生の世話をしてくれている。
聡は、3日に一度くらいは顔を出してくれる。
仕事をすることで、辛いことから逃れようとしているのだろう。
それでも私は、聡の辛い顔を見るよりは随分ましだと思っていた。
11時を過ぎると、母が病室にやってきた。
「響生、今日はどうなの?」
毎回のようにこの言葉から会話が始まる。
「今のところ落ち着いてる」
「それならよかった。明日、お父さんがこっちに来るって言うとったよ」
私は母の言葉に少し驚いてから、ふっと笑った。
「お父さん、一人で大丈夫なの?」
「私もそう思うけど、響生の顔見たいってうるさくてね」
父の気持ちが嬉しかった。
「本当?響生も喜ぶよ。しばらくこっちにいれるのかな?お母さんと離れちゃてて、ご飯とか心配だったし」
「そうやね。でも、お父さんもあれで遠慮してるみたいしね」
父が一人で食事を作り、食る姿を想像すると、胸が痛くなる。
「優生だって喜ぶと思うし、私の都合でお母さんを使っちゃて、申し訳なくて」
「何言うとるの?私は好きでやったことやし、それに、玲香のためじゃないよ。響生のため。優生のため・・・」
母の優しさが、胸に染み込んでくるようだった。
---松本さん!!今いいですか?---
ベッドの上の小さなスピーカーから看護士の声が聞こえた。
「はい?」
---先生からお話があるので、いつものお部屋にきてください---
「わかりました」
私は、深呼吸をして立ち上がる。
「何の話?」
母は心配そうに私を見上げた。
「この間の骨髄の検査結果が出たからって、聞いてくるね」
「もうでたの?大丈夫、響生は運の強い子やから、必ずいい返事きけるよ」
母はそう言うと、私の背中をポンと叩いた。
「じゃ、いってきます」
母はそっと手を振って送り出してくれた。
必ずいい結果が聞ける。
私はそう信じて疑わなかった。
入院してからというもの、響生は辛い治療にも耐えてきた。
神様がいるのなら、きっと見てくれている。
これ以上、響生を苦しめることはしないはず・・・。
私は、廊下の感触を一歩ずつ確かめながら前に進んだ。
「失礼します」
部屋のドアを開けて中に入る。
「お待ちしていました」
医師は、既に席についていた。
「それでは、結果ですが・・・」
医師の声のトーンが少し下がったような気がした。
「まずはお父さんですが、適合しませんでした。そして、おばあさんは、3つ合いませんでした。お母さんと、お姉さんは2つ合いませんでした」
私は医師の話の内容がいまいち理解できなかった。
「ということは、どういうことなんでしょう?」
医師は、大きく息を吸い込んで、それを吐き出すように
「通常、さい帯血の場合は2つまで合わなくても許容範囲内となりますから、移植が可能です。ただ、骨髄移植の場合は、1つまでなんです。なので、ご家族からの移植は不可能ということになります」
私はまたどん底に突き落とされた。
これまで我慢してきた涙が、とめどなくあふれ出す。
「でも、がっかりしないで下さい。ドナーも探していますから、少し時間はかかるかもしれませんが、待ちましょう」
医師は、そう言って私の前に、ティッシュの箱をそっと置いた。
「お母さんの気持ちは本当になんといっていいかわかりません。でも、響生くんはあんなにがんばっているんですから、ドナーが現れると信じましょう」
医師の言葉が風のように私の横を素通りしていった。




