◆7.ささやかな幸せ
夕食の準備を終えた私は、ソファーに座り、テレビの電源を入れた。
何気なく入れたチャンネルでは、音楽番組が放送されていた。
最近、音楽なんて、ゆっくりと聞いている時間もなかった。
しいて言うならば、どこかのお店に入って、偶然に流れてくるのを聞く位だろうか・・・。
(・・・たまには、こんな番組を見るのもいいかもしれない)
私はそう思いながら、画面に視線を送る。
すると、知らないアーティスト達のなかで、一組知っているバンドが・・・。
「LoveMaterial」略して「ラブマテ」
私が、学生の頃にデビューした5人組のバンドだ。
あの頃は、どこに行っても「ラブマテ」の曲が流れていた。
そんな時、私は聡に出会った。
彼らは、今でも第一線で活躍している。
ボーカルの五十嵐雅弘の甘い声が、切ないラブソングを更に切なくさせていた。
もともとは、高校時代の親友の史乃が「ラブマテ」の大ファンで、それにつられるように聞き出した。
熱狂的なファンというわけではなく、聞くのなら「ラブマテ」といった感じだった。
私は、当時の五十嵐の澄ました感じがあまり好きではなく、曲の内容に惹かれて聞いていたと言ったほうがいいかもしれない。
でも、今、目の前の画面に映し出された五十嵐からは、言葉に表せないような優しさを感じた。
内面から現れる、優しさの含んだ微笑。
「なんか拍子抜けしちゃうな」
私は、あまりの変わりように画面に向かってつぶやいた。
(年をとるってこういうことなのだろうか・・・。)
その後も、画面の中で五十嵐は優しい笑みを見せながら、新曲の紹介をしていた。
「今を一生懸命がんばって生きている人の、背中を押すことができればと思って」
そう言って五十嵐はスタンバイに出た。
その時、
『ピンポーン・・・』
家のチャイムが鳴り、私は慌てて玄関へと向かった。
そっとドアを開けると、聡の疲れた顔があった。
「どうしたの?予定より早いじゃない」
「話しあるって?」
私はドアを大きく開けて、聡を迎え入れた。
「ごめんね。そんな急がせるつもりは無かったんだけど」
「たまには早く帰ってゆっくり寝たいし。ここのところ、ゆっくり寝てる暇もなかったしな」
聡は、スーツの上着を脱ぎながら、私の顔を見た。
「玲香の顔みるの久しぶりな気がする」
「なんで?毎日見てるじゃない」
確かにこうして二人で、面と向かって話をすることなんてこの2ヶ月ほど無かった。
「で、何の話?」
聡はクローゼットのドアから半分身を乗り出して、聞いてくる。
「いいの。ご飯食べながらでも」
「あぁ。じゃあ、ご飯頼むよ」
聡は上着をハンガーに掛け終え、静かにドアを閉めると、私を見て疲れた笑みを見せた。
「今日は聡の好きなボルシチを作ったんだぁ」
「そっか。優生も好きだもんな」
聡は天井を見上げて、ポツリとつぶやいた。
「もうすぐ優生から電話が来るはずだよ。聡が出たら喜ぶよ」
「俺のこと、忘れてないか?」
そんなことを言う聡は、優生と変わらない子供のようだ。
「大丈夫だよ。昨日だって聡のこと心配してたよ」
「何て?」
思いがけないというような表情をして、優生との会話の内容を聞きたがる。
「お仕事一生懸命頑張ってるって。でもちょっと疲れてるんじゃないかなって言ったら」
「言ったら?」
「ちゃんとお昼寝しないとダメなんだよって」
聡は私の目を見て、プッと噴出した。
「お昼寝かぁ・・・。優生らしいな」
そう言って、私たちはしばらく笑い合った。
こんな時間を過ごしたのは、どの位前だろう。
私はソファーの上にあった携帯を手に取り、聡に渡した。
「いきなり聡が出たら驚くよ」
そういうと、聡は少し照れながら、私の携帯を受け取った。
私はキッチンで、ボルシチを皿へと移していた。
携帯の音が鳴り響く。
私は聡のほうに目をやり、こくりとうなずくと、聡もうなずき、ボタンを押した。
「優生か?」
「パパだよ」
聡と優生はしばらく楽しそうに話をしていた。
「来週、来るんだよな。待ってるからな」
そう言うと、聡はキッチンに来て私に携帯を渡した。
「後は任せた!!」
携帯を耳に当てると、優生の泣き声が聞こえる。
私との電話では泣いたりすることなんてなかったのに、聡の声を聞いて安心したのだろう。
「優生。今日もおばあちゃんといい子だったんだよね。えらいよ」
「うん」
電話越しの優生は泣くのを止め
「きょうね。おじいちゃんといっしょにおかいものにいったの」
「そっか、いいね」
「うん。ゆういいこだよ」
無理に大きな声を出して話す優生の様子が痛々しかった。
そして、小さな娘に我慢をさせてしまっていることが辛く、胸が痛んだ。
「優生、ママ、明日迎えに行こうか?」
「ゆうはね。おばあちゃんとしんかんせんでとうきょうにいくんだよ」
そういって頑張った。
電話は母に代わり、今日の優生の様子を事細かに聞かせてくれた。
「やっぱり、明日にでも迎えに行こうか?」
「でも、迎えに来ても頑として行かんと思うよ。優生はそういうとこあるから」
母が言ったことにもうなずけた。
優生は聡に似たところがある。自分で決めたことを曲げることをとても嫌がる。
親子なんだから仕方が無いのだろう。
「じゃあ、お母さんに頼んじゃっていいの?」
私は少し気が引けたが、母は
「私はちっとも構わんよ。それに、お父さんのほうが離さんと思うわ玲香のほうが寂しいんじゃないけ?」
と、父にぶつけたが、母も初孫の優生が愛しくて仕方が無いのだろう。
私の心も母にはお見通しだ。
「体、大事にせんとね」
そう言って母は電話を切った。
二人で食べる夕食。
今日はいつもと少し感じが違う。
いつもは黙々と食べている聡だったが
「ところで、話って何?」
「私、外で仕事をしようと思うんだけど、どうかな?」
聡が食べていたボルシチがスプーンから一滴落ちるのがわかった。
「何?突然」
「今日、たまたまペットショップで・・・・」
今日の出来事を聡に話した。
「で、行きたいって?」
「うん」
「優生に淋しい思いをさせないって言うのなら、俺は構わんよ」
「大丈夫だと思う」
「じゃあ、いいんじゃないか」
聡はそう言うと、残りのボルシチを一気にかき込んだ。




