◆65.響生
今日は聡がちょうど金沢に戻っていた。
7月に入り、茹だるような暑さが続いている。
私は、夕方から少しお腹が痛むような気がしていたが、まだまだだろうと変な余裕で夜を迎えた。
それがいけなかったのか、突然の破水で、聡に連れられ、病院のベッドの上にいた。
お腹の子が気を使ってくれていたのか、聡がいる土曜の夜だった。
意識が遠のくほどの強い痛みが私を襲い、雅弘の影までもが私を襲う。
聡は私の手を握り
「大丈夫だからな。大丈夫だからな」
額からは大きな汗の玉が噴出していた。
「聡、私、この子の名前考えてあるんだけど」
痛みが波のように押し寄せては引いていく。
これは、私の試練なのだ。
聡や優生を裏切った罰。
痛みをこらえながらも、自分の犯した過ちを再び思い出していた。
「名前、玲香の好きな名前でいいから。がんばれよ」
聡の手を握り締めることで私の痛みは少し楽になる。
「玲香、痛いか?大丈夫か?」
「がんばるね。早く出してあげるからね!!」
私は、波が来るたびに顔をしかめながら、聡の手を握り締めていた。
「松本さん、分娩室行きましょうか?」
看護士の声で、遠退く意識を呼び戻した。
「私も一緒に行ってもいいですか?」
聡は立ち上がり、突然立ち会うと言い出した。
私が優生を産んだとき、聡は一人、病院の待合室で静かにその時を待っていた。
「立ち会って欲しいんだけど・・・」
私のそんな願いも
「男はそんなトコ、一緒に行くもんじゃないだろう?」
そう言って聞き入れてもらえなかった。
「お父さん、それじゃあ、白衣を準備しますから、それを着てくださいね」
聡は看護士から白衣を受け取り、慌ててそれを着た。
「俺がついてるからな」
それは本当に心強い言葉だった。
私は分娩台の上り、我が子の誕生を後押しした。
「松本さん、もう少しですからね」
医師の声が私を励ましてくれる。
「玲香、もうすぐだぞ、がんばれ」
そして聡も。
「赤ちゃんも苦しい中がんばってっますよ。お母さんもがんばって」
看護士も私を励ます。
何度みんなに励まされたのだろう。
『オギャーオギャー・・・・』
我が子はこの世に生まれてきた。
「男の子ですよ」
医師はそういうと、私の胸の上にそっと彼をのせてくれた。
温かく柔らかい感触の我が子は、可愛い。
「ひびき。生まれてきてくれてありがとう」
私は溢れる涙をこらえることができず、ひびきをそっと包み込むように抱いた。
「ひびきか。そうか。ひびきか!!」
聡はひびきを見つめて、何度もそう言った。
聡の目にも涙が滲んでいた。
私は生まれてきた子に響生と名付けた。
「ここのところの響きどう?」
雅弘と初めて結ばれた日、彼は私ににそう言った。
その言葉がなぜか頭から離れず、いつも思い出していた。
消し去ってしまいたい過去と、これから背負っていかなければならない過去。
私は自分自身を戒める続ける為に、そして私が最も愛した人を忘れない為に響生と名づけたのかもしれない。
「響生か・・・。いい名前だな」
聡は私の手を握り、響生の顔をずっと眺めていた。




