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◆63.別れ

私はホテルに入り、いつものようにドアの前に立っていた。


この部屋に入るのも、今日で最後になる。


今日、雅弘に全てを話せば、二度とここに来ることはない。


雅弘と愛し合ったこの空間が、途轍もなく小さな箱のようになって感じられ、淋しさが込み上げてきた。


ドアを1枚挟んだ先には雅弘がいる。

私が来るのを待ってくれている。


これから残酷な言葉で別れを告げることなど知らずに・・・。


私は胸が熱くなり、雅弘への思いを飲み込むようにして大きく息を吸った。

そして、小さなお腹に手を当てて

「今日でお別れだからね。勇気をちょうだい」

まだ見ぬ我が子に、自分の気持ちを確認した。


『コンコン』


静かなフロアにノックの音が木魂する。


「だれ?」


雅弘は私がこんなに早く訪れるとは思っていなかったのだろう。

「玲香です」

ドアの向こうからバタバタと足音が聞こえ、ドアはすぐに開いた。


「こんなに早く・・・嬉しいよ」

雅弘は、私の手を引き入れ、強く抱きしめた。


私が本当に愛した人。

優しい温もりと、確かな愛を私に与えてくれた人。


雅弘の優しい笑顔を忘れないように、私は雅弘のか頬を両手でそっと持ち上げた。

「もっと顔をよく見せて」

雅弘は私に微笑みかける。

「どうしちゃったの?玲香」

私の大好きな、大好きな笑顔。

目じりの皺一つ一つを愛しく思う。


「ずっと、君に会いたかったよ。ねえ。ここからツリーが見えるから」

雅弘はそういうと窓際へ私を導いた。

「綺麗・・・・」

「一緒に見たいと思ってた。どこにも連れて行ってあげられないし・・・・」

雅弘の手が私の髪を優しくとかしていく。

それがとても心地いい。


「今日は何時まで一緒にいられるの?」

私は言葉が詰まり、何も返事ができない。

「玲香。今日はどうしたの?なんか変だよ」

雅弘は私の肩を抱き、唇を重ねる。

優しい感触で、そっと私を包み込んでくれる。

私は、この感触を静かに唇に刻み込もうとしていた。


それから、二人はお互いの気持ちを確かめるかのように、何度も何度も唇を重ね合った。

そして、雅弘は私の側から離れ、ソファーに座った。

「窓は寒いから、こっちにおいで」

そう言うと、ソファーの空いているところをポンポンと叩き右隣の席に私を誘う。

これは雅弘の『おいで』のサイン。


私は雅弘の隣に座ると、この先伝えなければならない別れの言葉を思い出していた。


「ねえ。こうしているだけで幸せな気持ちなのはどうしてかな?」

「どうして?」

「それは、君を愛してるから」

「君は?」

私は雅弘に同じ言葉を返すことができなかった。

言ってしまえば、気持ちが揺らいでしまう。

「どうしたの?」


・・・・・。


どれだけ沈黙の時間が過ぎただろう。


「私、金沢に帰ることになって、それで、もうこうして会うことはできなくなるの」

こみ上げる涙が私の本当の気持ちを表していた。

「僕のこともう嫌いになったの?」

私はコクリと頷いた。

「最初から、本気じゃなかったの。ラブマテの五十嵐雅弘だったから・・・」

雅弘は私の言葉を黙って聞いていた。


「イヤだといっても、君は聞かないだろう?」

そう言って、悲しさと淋しさを帯びた瞳で私を見た。

「僕は、君の言葉を本心だと思っていないよ。でも、僕が君を苦しめるのなら、それは辛いから・・・」

雅弘の優しさがいつまでも胸の奥に響いた。


「僕が生まれてきたのは君に出会うためだったんだと、勝手に思ってた・・・」

雅弘は私を見て更に続けた。

「君と出会ってから、君のことを考えない日はなかったんだ」

私は溢れそうになる涙をこらえ、雅弘の言葉を黙って聞いていた。


「君がいつか僕から離れて家族を選ぶことも、なんとなく感じてた。でもどうしてこんなに早く?教えて!!」

雅弘はさっと背を向けた。

「それが君の優しさなんだ。僕にはない君の優しさ・・・」

私は何も言えなかった。

雅弘の背中が一回り小さくなったように感じて、思わず後ろから抱きしめる。

これ以上言えば雅弘を余計に傷つけてしまうことはわかっていたから・・・。


私はサイドテーブルの時計を確認して

「あと30分だけ、こうして一緒にいて。お願い」

雅弘は私の言葉に頷いた。

「僕も玲香とただこうしているだけでいい・・・」

雅弘の肩が小刻みに揺れる。

私達は言葉を発することもなく、ただ温もりを感じ合っていた。


雅弘には私の心が見抜かれている。

でもそれを雅弘は黙って受け入れてくれた。

そう、それが彼の優しさ。

そんなところも私が愛した理由なのかもしれない。


ただ寄り添い合うだけなのに、時間はいつもと同じように過ぎて行き、私達は離れ離れになるまでの時間を静かに待っていた。


「もう、行きます」

2人の心とは反対に離れ離れになった体は、喪失感に似た痛みで押しつぶされそうになっていた。


「やっぱり離したくない。どこにも行かせない!!」

身体が動かせなくなるほどに強く抱き寄せられる。


雅弘の目からは涙が溢れ、私の頬にこぼれて落ちた。

温かい涙・・・。


「泣かないで。お願い。どうかわかって」

「わかりたくない」

その言葉は、私の胸の奥をえぐった。


雅弘の手が私の手を掴みそっと絡めあう。

絡められたお互いの指は、もう二度と触れ合うことすらできない。


「雅弘、今までありがとう。本当に愛してた。きっと雅弘以上に人を愛することはこれからもないと思うの。だから、ちゃんと最後は笑顔で・・・」

雅弘は私の口を塞ぐように別れのキスをした。

「もういいよ、それ以上言わないで。わかってる。わかってるよ」

「ごめんなさい」

雅弘と自分自身に謝った。


「いいんだ。いいんだ。君を忘れない。きっとこれからも」

つないだ手が解け、私達はばらばらの人生を歩き出す。


私は鞄から携帯を取り出し、雅弘の掌にのせた。


「これで、本当にお別れだね」

雅弘はそう言うと、ドアを開けて私の目を見つめた。

私は、雅弘の最後の優しさに促され、静かに部屋を出た。


『ガシャン・・・・』


ドアの閉まる音がして、私はふと我に返った。


これで、もう二度と雅弘の優しい温もりに触れることはない・・・。

そうと思うと、涙が溢れて止まらない。

私はドアの前に立ったまま声を上げて泣いていた。

そして、ドアの向こうからも小さくすすり泣く声が聞こえていた。

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