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◆37.罪からの逃亡

駅について時計を見ると、ちょうど7時になっていた。


私は、気持ちを整理するように、ゆっくりとホテルへの道を歩く。


30階のあの部屋は、ここから見えるのだろうか。

彼はもう待っているのだろうか。


様々なことが私の頭の中を交差する。


(彼の顔を見てしまったら、きちんと切り出すことができるの?)


負けてしまいそうになる自分の気持ちを励ますように、アスファルトを踏みしめて前に進んだ。


ホテルのドアが開き、私はエレベーターに向かう。


運良く、エレベーターのドアが開き、一組の男女が降りてきた。

幸せそうな二人の姿を見て、決心が揺るぎそうになる。


私は一人、がらんとしたエレベーターに乗り込み、30階のボタンを押した。

これから私は、彼への思いを断ち切り、別れを告げる。


エレベーターから降りた私は、3001号室へ続くフロアを歩き出した。


部屋のドアの前、私は帰りたい気持ちを抑え、そっとノックをした。


「はい」

彼の声が聞こえる。

でも、この間の声とは違う。

「玲香ちゃんなの?」

「はい」

私の返事を聞いて、ドアはすぐに開いた。


「よかった」

中から姿を見せた彼は、いつもとは違う表情で、さっと私の腕を掴み、部屋の中へと引き入れた。


彼がドアから手を離すと、ドアが自然と閉まりガタンッという大きな音を立てた。


彼は私を引き寄せ、そっと抱きしめた。


「あれが君の本心だなんて思ってないよ」

そう言うと、彼の腕が強く私を包み込む。


「私、もう・・・・」

そう言いかけると

「僕だって怖いんだ。でも、君を失うことはもっと怖い。君を失いたくない」

そう言うと、彼の頭がうな垂れた。


彼は泣いている。

「でも、君がそう決めたのなら、僕はそれに従うよ」

声が震えている。

「君が大切だから、僕の思いが君を苦しめているのなら。君を苦しめたくないんだ」

彼の言葉が痛い。

私にとっても彼は大切な人だ。

その彼を私は苦しめている。

二人の犯した罪から、自分だけが逃げようとしている。


あの時彼は、私たちを共犯者だと言った。

そして、お互いを必要としていると確認し合った。

彼の気持ちを素直に嬉しいと思った。

だから、一つになった。

それなのに・・・・。


「玲香ちゃん、僕のことが本当に嫌になった?」

「・・・・・」

何も言葉が出ない。

嫌になるはずがない。


「どうして何にも言ってくれないの?」

「・・・・・」

ここで私が口を開いたら、何を言ってしまうかわからない。

彼を愛している・・・・その気持ちに偽りはない。

「お願いだから、君の気持ちを教えて」

彼の潤んだ目が近づいてくる。

私は深呼吸をして

「今日、五十嵐さんの家の前を通りました。敬音君が五十嵐さんの帰りを楽しみにしていて、それを聞いてしまって。私は何て事をしてしまったんだろうって、すごく後悔して。だから、もう五十嵐さんには会えないって思ったから。私たちには、守るものがあるから、それをちゃんと守っていかなくちゃいけないって思って」

彼は黙って聞いた後、

「それが僕を嫌いな理由?」

そっと頷く私に

「そんなの理由にならないよ。だって、僕達は、出会ったときから守るものがあったんだ。でも、僕達は、お互いを必要としている。違う?」

返事ができない。


彼の言うとおりだ。

私たちは最初から、守るものがあった。

それを知っていて、私達はお互いの気持ちを伝え合った。

そして罪を犯した。


「もう後戻りはできない。時間も戻せない。君への思いもね」

彼の目を見ることができない。

真っ直ぐな瞳。

私は彼にこんなにも愛されているのに、何て残酷なことをしようとしているのだろう。


犯した罪は消えることはない。


「僕が君を支えるから。だから、嫌いになったなんて言わないで」

彼がどんなに私を必要としてくれているのかが痛いほど伝わる。


私は、彼に冷たい女を演じようと、この部屋にやってきたはずだった。


それなのに、彼がこんなにも私を思ってくれていたことに、今は喜びを感じている。


「僕は、君と、これまで守ってきたものとを、天秤にかけるようなことをしたくない。どちらも大切で、どちらも失いたくない。わがままだけど、これが素直な気持ちだよ」

彼は優しく諭すように私を見た。

「でも君がその重みに耐えられないというのなら、それでもいい。僕は、君を遠くからでも想うよ。この気持ちは押さえることなんてできないから」

彼の本心は、閉ざしかけた私の気持ちを動かそうとする。


「君を好きだと言う気持ちの代償に、僕は家族への罪悪感で押し潰されそうになる。君も同じだって事も良くわかる。でも、僕が君を愛していると言うことが逃れられない真実なんだ」


私はこんなにも強く、男の人に愛されたことはない。


私の中の彼への気持ちがまた一つ大きくなっていく。

「どうして?どうして五十嵐さんはそんな風に素直でいられるの?」

私は我慢していたものが溢れ出し、涙に変わるのを感じていた。

「それは、君を心の底から愛しいと想うから。君のその優しさが好きだから」

「私も好きなの。でも・・・・」


もう私達は、引き返せなくなるほどお互いを求めていた。

私達はこの先、何度もこんな風に壁にぶつかる事があるだろう。

そう、何度でも・・・・。


彼の言葉で、これから先、待ち受ける現実を、二人で乗り越えることを私達は選んだ。

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