◆36.涙のわけ
私はマンションに戻り、夕食の準備を始めた。
何事もなかった、そう自分に言い聞かせながら・・・・。
暫くして、チャイムの音が鳴り、沙希がやって来た。
「お邪魔しまぁす」
沙希はいつものように、一番最初にキッチンに向かう。
「今日のご飯は何かな?」
そう言うと、コンロの上にある鍋の中を確認する。
「カレーライスかな?」
鍋の中では、にんじんとジャガイモがぐつぐつと言う音を立てて煮え始めていた。
「玲香ちゃん、泣いてるの?」
私は、気付かないうちに、泣いていた。
「違うよ。たまねぎ剥いてたから。泣いてなんてないよ」
そう言って、流れてくる涙をぬぐった。
何度ぬぐっても涙は止めどなく流れた。
「玲香ちゃん、それを泣いてるって言うんだよ」
沙希はそう言うと、側にあったティッシュを1枚とって渡してくれた。
「あのね、今日は五十嵐さんとの事をじっくりと聞こうと思ってきたんだよ」
沙希は、もう1枚ティッシュを引き抜き、それを持ったまま私の横に並ぶ。
「玲香ちゃん、私には何でも言って欲しい。力になれるかはわからないけど、気休めにはなるでしょ?」
沙希はこんな風に私のことを気遣ってくれる。
何から話していいのか。
私は、あの日の夜の出来事を、順を追って話していく。
それは、沙希が想像していなかった展開のようで、少し驚いていた。
そして、今日の事も・・・。
「どうしてそんなこと言っちゃったの?」
沙希の目は私を哀れんでいるように見えた。
「おかしいでしょ?だって、二人はそういうことも覚悟して、それでもお互いのこと必要としているから、だから・・・・」
そう言うと、沙希は私のエプロンを剥ぎ取り
「行くよ」
そう言って私の手を引いた。
「どこに?」
「きまってるでしょ?五十嵐さん待ってんだよ!!」
沙希の顔は真剣そのものだった。
「行けないよ・・・」
そう言う私を引きずるように
「ダメ。玲香ちゃんが、もう終わりにしたいって思ったんなら、それでいいよ。でも、五十嵐さんにちゃんと会って話しをしなきゃ」
私を引く手に力が入るのがわかった。
「でも、会えないよ」
「どうして?本心じゃないからでしょ?」
沙希の言葉は当たっていた。
もちろん、あれは本心ではない。
でも、先に進むことが怖い。
聡や優生を失うこともこわい。
でも、彼を失うことはもっと怖い。
だから、そうなる前に終止符を打ちたかった。
彼が私のかけがえのない存在になる前に・・・・。
「玲香ちゃん、こういうのいけないと思う」
沙希はふと立ち止まった。
「きちんと話をして、お互い納得しないといけないと思う」
確かにそうだ。
沙希の言っていることは一番正しい。
「五十嵐さんのこと好きなんでしょ?好きな人にそんなひどいこと・・・・」
私は彼を愛している。
多分、聡よりも。
そんな彼を裏切るような形で別れてしまうことは・・・・。
私はひどい女だと思った。
私は沙希に促され、彼に会って話をする決心をした。
彼に会うことで、私自身の気持ちにきちんとした『THE END』が欲しかった。
「沙希ちゃん。私、五十嵐さんに会って、ちゃんと話をしてくる」
沙希はそっと頷き、駅のホームまで私を見送ってくれた。




