◆34.断ち切る想い
もう彼とは会わないでおこう。
たとえ、お互いを必要としていても、犠牲になるものが大きすぎる。
私は罪の意識に駆られ、自分自身の大切なものを犠牲にしていることに改めて気がついた。
もちろん、彼のことは愛している。
でも、それだけでとってしまった軽はずみな行動。
今なら、間違いだと笑って終わることができるかもしれない。
そう、私は、彼への想いを断ち切る事で、犯してしまった罪から逃げ出そうとしていた。
私は直ぐに、お店に戻り、何事もなかったかのように、仕事をこなす。
あの日以来、沙希は私たちのことを詮索しなくなった。
彼女なりに気を使ってくれているのだろう。
それとも、新しい恋を先に進める為に、それどころではないのだろうか。
気がつくと、今日の仕事を全てこなし、時間は3時を過ぎていた。
「玲香ちゃん、今日旦那さんはお帰り早いの?」
沙希が甘えた声で聞いてくる。
「今日も遅いよ。10時は過ぎると思う」
私の返事を待っていたかのように
「じゃ、今日お邪魔しちゃってもいいかな?」
こんなことを言ってくるとき、彼女は決まって猫のような声を出す。
私には真似できない可愛い声だ。
「いいよ。お店終わったらすぐに寄る?」
彼女はこくりと頷くと
「おつかれさまぁ」
と手を振って見送ってくれた。
今日は何の話なんだろう。
もしかして、あの日のことを聞かれるのだろうか。
それとも、沙希の恋の相談なのか・・・・。
私は、あの日のことを聞かれたら何と沙希に言えばいいのか、そればかりを考えていた。
ふと気がつくと、行きつけのスーパーマーケットの前を通り過ぎようとしていた。
そうだ。夕食は何にしようか・・・・。
沙希が訪れるときは、決まって一緒にご飯を食べる。
一人淋しく食べている私には、それがとても嬉しい。
(・・・沙希ちゃんの好きなものを聞いてみよう)
そう思った私は、携帯を鞄から取り出した。
携帯のランプが点滅し、メールが来たことを知らせていた。
(誰からだろう?)
メールの送信者をみて、私の時間が止まった。
彼からのメールだ。
”玲香ちゃん、元気にしていますか?僕はようやくレコーディングが終わり、明日、そちらに戻ります。君に会いたくて、がんばってきたよ。明日時間を作ってほしい。早く君に会いたい。明日の予定を教えてください。五十嵐”
今日の彼の家での会話が思い出される。
敬音は、彼が帰るのを楽しみにしている。
それはきっと奥さんも同じだ。
それなのに・・・・。
私はすぐにメールを送る。
”五十嵐さん、メールありがとうございます。明日は都合が悪く、時間を作れそうにありません
。奥さんも敬音君もあなたが帰るのを待っていると思います。どうか、早くお家に帰ってあげてください。そして、この間のことは私のいい思い出になりました。どうか忘れてください。松本玲香”
私の中にある彼へ想いを、このメールで消し去ってしまいたかった。
最初から結ばれることのない愛なら、このまま終わらせてしまおう。
それが私にとっても、彼にとっても最良の選択なのだ・・・・。
そう言い聞かせて送信ボタンを押した。
私は、あの日の出来事も、彼の温もりも全てを忘れ去ろうとした。




