◆14.交通事故
今朝も朝から聡の機嫌を伺いながら朝食を摂り、会社に送り出す。
こう何日も同じ調子だと、聡の態度を気にすることも億劫になってくる。
もちろん本心ではない。
どうでもよくなるように努力していると言ったほうがいいのかもしれない。
今日で早朝のお店はお終いだ。
明日から沙希と言う子が戻ってくる。
そして、優生が東京に来る。
私はお店の掃除を済ませ、散歩に出かける。
行き先はあの桜並木。
桜はほとんどが蕾を開き、満開に近づいていた。
昨日は彼に会えなかった。
今日も会えないだろう・・・。
変な期待を持つのはやめよう・・・。
そう思いながら、私は黙々と前を向いて歩いていた。
(・・・満開の桜は優生と見よう・・・・今日はゆっくりしないで早くお店に戻ろう。)
そう思い、歩くスピードを更に上げた。
「玲香ちゃーん!!」
遠くから声が聞こえた。
彼だ!!
彼は、すごいスピードでこちらに向かって走って来て、私の目の前で止まった。
「敬音見なかった?」
彼の息が上がっていた。
「敬音くんですか?ごめんなさい。見てないです」
私の返事を聞くと
「いないんだ。一人で家から出て行ったみたいなんだ」
息を切らしながら、厳しい顔でそう言った。
「ごめん。急いでるから」
そういい残して、彼はまた走り出した。
私は慌てて、ポケットの携帯を取り出して番号を押した。
「店長ですか?玲香です。五十嵐さんの息子さんがいなくなっちゃいまして・・。私も探しますので、ちょっと遅れます」
と言うと、店長は
「それは大変。了解です。とにかく早く見つけてあげて」
と言って電話を切った。
「五十嵐さぁぁん!!!」
私はすでに小さくなっている彼に叫んだ。
「私、こっち探しますから」
私は、彼の進む方向とは逆の方向を指差した。
彼は一旦立ち止まり、私に向かって深く一礼をした。
私は、彼の厳しい顔を思い浮かべながら、まだ慣れない道を進んでいた。
彼が困っている。
なんとか彼の力になりたいという思いと、優生への自分の思いとを重ね合わせていた。
何分探し回っただろうか。
敬音はどこにも見当たらない。
(・・・もしかしたら、もう彼が見つけているのかもしれない)
私は、元の道を引き返し始めた。
慣れない道を無理に進んだからだろう。
私は桜並木への帰り道が分からなくなっていた。
(・・・どうしよう。私のほうが迷子になってる!!)
一旦立ち止まり、ゆっくりと辺りを見回す。
見覚えのない建物ばかりが立ち並び、私は大きな不安に襲われた。
何とか帰り道を探そうと、ふと、後ろを振り返ると、小さな小路に男の子が座っているのが見えた。
「敬音くん?」
私はそっと男の子の方へ向かって歩いた。
「わんわんのおねえちゃん?」
その男の子は、紛れもない敬音だった。
敬音は私の顔を見て、すごい勢いでこちらに向かって駆けてきた。
一人きりでいたせいか、不安でいっぱいだったのだろう。
駆け出す敬音の姿を目で追うと、その先には一台のバイクが走ってきていた。
「危ない!!」
私は、何とかぶつかることを防ごうと、敬音に向かって力の限り走り出した。
(・・・このままじゃぶつかる!!)
バイクの運転手は私の行動に驚いて、慌てて急ブレーキをかけた。
が・・・・。
間に合わなかった。
私はバイクとぶつかり、その場所から3メートル程跳ばされていた。
「いててて・・・・」
敬音は大声で、私の側に走ってきた。
「おねえちゃん!!」
敬音は、半分泣きそうな顔をして、私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ。大丈夫・・・」
私はそう言って、ゆっくりとそこから立ち上がった。
膝と肘から血が流れていた。
「擦り剥いちゃっただけだから、大丈夫だよ」
敬音の頭をゆっくりなでながらそう言うと
「おねえちゃん。いたいよ。いたいよ」
敬音は大声で泣き出した。
バイクの運転手は、一旦バイクを止め、私を見てから
「危ないだろう。おばさん頭おかしいんじゃないの?」
とだけ言い残して、逃げるように走り去った。
(・・・あっ。あの子達!!)
私はハッとした。
敬音を助けることばかりに夢中になって、犬達の手綱を放したままだった。
(・・・どうしよう・・・)
擦り剥いた足を引きずりながら、犬達を探そうとした時
「敬音ぉ!!玲香ちゃーん!!」
途切れ途切れに、彼の声が聞こえた。
「こっちです。敬音くんいました!!」
バタバタと言う足音が近くなり、すぐ側に彼の姿が見えた。
彼は犬達を連れていた。
「突然、みんな走ってたから、捕まえてきたよ」
そう言って私の手に手綱を渡そうとして、手を伸ばした。
「玲香ちゃんどうしたの?」
彼は私の足をゆっくりと上下して見渡した。
「こんなのいいんです。私おっちょこちょいなんで・・・」
そう言って、横に立っていた敬音の背中を押して、彼の前に立たせた。
敬音はまだ泣いたままだった。
「おねえちゃんがね。こうつうじこなんだよ」
敬音はそう言うと彼の右足にしがみついて、再び声を出して泣き始めた。
「敬音、交通事故って何?パパにちゃんと話して」
彼は少し厳しい顔でそう言った。
「おねえちゃんがね、ばいくとぶつかって、じゃんぷしたの」
彼はその言葉を聞いて私の膝をもう一度見た。
「血が出てる」
「ぼくね。おねえちゃんのわんわんにさわりたかっただけなの」
彼は敬音の頭をそっと撫で、
「お姉ちゃんが敬音を助けてくれたの?」
と敬音の前にしゃがんだ。
敬音は黙って頷いた。
「敬音のために、こんな・・・」
と言いかけると、急に私の腕を掴んだ。
「病院行こう。相手のバイクは?」
「私が一方的に飛び出したんです」
私は大きく首を振って彼の好意を断った。
「ごめんね、すぐ病院に行こう」
そう言うと、私の腕をそっと前に引いた。
「大丈夫ですよ。ほんとに」
「そんな訳ないでしょ?」
彼の目が私を凝視した。
「本当ですよ。転んだだけですから」
私は少し痛む手を大げさに振って答えた。
彼が掴んでいた腕が、さらりと解けて項垂れた。
「でも、こんなに血が出てるし、病院行かないとダメだって!!」
彼の目は、いつもとは違って少し怖い目だった。
「僕が一緒に行くから、病院に行こう」
彼は私を嗜めるようにして、何度もそう言ってくれた。
「私、お店にも戻らないといけないし、このくらい本当に大丈夫ですから。それに、五十嵐さんが一緒に病院に行ったら、変な噂とか流れると困ります」
気がつくと私は、少し強めの口調で彼にそう言い返していた。
頑なに拒む私の姿を見て、彼は少し困った顔をして、フゥーッとため息をついた。
「じゃあ、お店に戻ったら、病院にちゃんと行って。心配だから。お願いします」
彼は深く頭を下げてポケットの中から携帯と紙切れと、ペンを取り出し
「これ、僕の番号だから、病院に行った後、結果を知らせて欲しいんだ」
私は彼から小さな紙切れを受け取った。
「お店には僕から連絡しておくから。約束して。ちゃんと病院に行くって」
「はい。約束します」
私はそう言うと、彼の真っ直ぐな目を見つめた。
「じゃ、お店に戻ります」
「ありがとう」
彼はもう一度頭を下げ、今度は敬音に辞儀を促すように、敬音の頭を後ろからそっと押した。




