◆101.不満
私は、無菌室の中で響生の手を握り締めながら、聡と優生そして雅弘のことを交互に思うい浮かべていた。
不器用で、ぶっきらぼうな聡。
私は、聡のどこに惹かれて、今を過ごしているのだろう。
聡と一緒になるときめたのはどうしてだったのだろう。
優生・・・私の可愛い娘。
離れて過ごして、淋しい思いをさせているのに、言葉には出さずにじっと我慢をしてくれている。
その姿が愛しく、切なくなる。
そして、私が愛した雅弘。
無限の優しさで包み込み、私を愛してくれている人。
何もかもが大切で失いたくない人たち。
明日の移植に向けて響生のことだけを考えようと思っていたけれど、今は何もかもが混ざり合い、どうしていいのかさえわからなくなっていた。
母は時々、ガラス越しに私と響生を見つめては、コクリコクリと眠る。
今頃聡と優生は一体どうやって過ごしているのだろう。
私は優生のことを思うといてもたってもられなくなり、無菌室を出る。
「お母さん、ちょっと聡と連絡取ってくるから、響生お願いしてもいい?」
「急にどうした?いいよ、いっといで」
母は、そう言うと、にっこりと笑い、入り口のドアを開けてくれた。
私は、携帯を握り締め、病棟の廊下を走り出す。
優生のことを考えない日はなかった。
けれど、優生の立場に立って、考えることもなかった。
ただ不憫だと思うだけで、それしか私にできることはないのだと、思い込んでいた。
誰もいない待合室の椅子はひんやりと冷たかった。
私は感触を確かめるようにして椅子に座った。
「もしもし」
「おぉ」
聡の声が小さく聞こえる。
「優生どうしてる?」
「優生なら、さっき寝たところ」
聡は、ぼそぼそと小さな声で話す。
「あの、松本のお母さんのこと、さっき家のお母さんから聞いたんだけど」
「そっか・・・。俺はそれでいいと思う。お前は嫌だろうけど、仕方ないだろう」
仕方がない?どうして仕方がないのだろう・・・。
「ねえ、もっと何か方法はないの?優生を振り回してばっかりじゃ可哀想だし」
「・・・・。今のままでも十分可哀想じゃないのか?」
聡の言葉に一瞬躊躇った。
「でも、何か方法はないの?」
「ないね。多分・・・」
聡の言葉が冷たい氷のように聞こえる。
「どうして?もう聡は決めてたの?私に何も相談もしてくれないで、何にも!!何にも!!」
聡は私の言葉にただ、淡々と返事をする。
「お前は、今響生のことでいっぱいだろうし、それで優生に何をしてやれる?できないんじゃないか?だから、仕方ないだろう。優生にも帰りの新幹線の中で話して聞かせたから」
「いつも勝手なんだね・・・。いつも自分の思うとおりに行動しちゃうんだね!!」
私は、自分が何を言っているのかわからなくなっていた。
「こんなときだから、みんなで協力して、乗り越えていかなくちゃいけないって、私はそう思ってた。でも、聡はそうじゃないんだね」
これまでの思いが、次々と聡への不満となって、私の口から溢れ出す。
「もういいか?お前は、今は響生のことをちゃんとやってくれてればいい。響生が戻れるようになれば、元のように戻れるだろうから」
「・・・」
私は、何も言えずただ、聡の言葉を聞いていた。
「優生は、こっちに帰ってから、淋しい思いをさせてきた。家の母親じゃ不満か?お前のところにだって迷惑ばかりかけてるわけにもいかないだろう?」
「・・・」
「それじゃ、俺、明日仕事速いし、お前だって明日響生の移植もあるから、早く寝ろよ。いいな?」
「そんなこと、一方的に言われて、私納得できるわけないでしょ?」
「納得しろなんていってないだろう?しばらく我慢してくれ!!じゃ、切るから」
聡はそう言うと、電話を切った。
私は、かすかに揺れる、非常灯の明かりを眺めながら、声を殺して泣いていた。




