20160828-3
俺はこの道十年目のベテランなんだがブロンティストは何が仕事に悪影響か説明することにしたからそこまでブロンティストが消せてないかもしれない。
まずはブロンティストというとブロント言語をテンプレにするテンプレ使いであった。
俺がブロント言語に出会ったのは2007年に某動画サイトに投稿されていた格ゲーのネタ動画からでそのゲームの1プレイヤーとして「なんだこれは? 意味わからんね」と感じてたいした魅力はなかったんだがこれが妙にクセになるスルメの誘惑の第一歩であった。
俺はラフレシアに誘われる五分の魂の虫みたいにふらふらするめ味の真実を暴くため、ブロントなる単語をググるとどうやら特定一種の個人名みたいで何やら名台詞とやらが並べられている。
それは晒し者の暴露を墓荒らしするみたいな罪悪感が俺の良識を責めるんだが大したダメージじゃなかったしそれ以上の感動と興奮とがかけまわっていた。漫才でいうボケをみる面白さに嘲笑が多分にあったかもしれないが同時によくこんな言葉を繰り出せるなという素直な関心であった。
俺はさらに元の根本を探るべく過去ログをあさり、名台詞前後の会話の状況を知るんだが本人と周囲がおりなすやりとりは毎週土曜日の吉本劇場みたいな番組名のやつ以上の混沌とめくるめく笑いの予感があるからかどっぽりハマってしまった。
これはいいものだと大爆笑し、おれ自身もまたその面白さを身につけたいと思ったからそれから十年、日記形式で素振りの潜在消しの毎日なんだが書きたいときは書いたし書きたくないときはかかないしでその日暮らしをブロンティストなんだがもうやめた。
何故か? PKOを守らず自然と体がブロンティストだからだ。
たとえば最もわかりやすい例をあげるとメールで「おはようございます」といれるすると「おはようごじあます」と化す「よろしくおねがいします」といれたいのに「よろしこうねいがします」と化す。
これだけならただのタイプミスで「ああこいつは自分のタイプ速度の速さをひらかしたいのか入力ミスったまま直してねぇな」ですむし即座に注意と修正なんだが問題はこれらの入力後、日本語修正に気づいてしかるべきなのに「見事なメールだと感心はするがどこもおかしくはない」と判断するブロンティスト感性にあった。
ごく一般的な冷静な感覚でみると文章の異常はあきらかなのに異常が異常と感じられないのである。
小説家のなろうの話をする。
なんかうまいこと死んだら神様が三顧の礼でやってきて汚いヒキョウわざをくれたうえに次の人生が前世の記憶を持ったままウハウハであった。
これはその人の書く小説の設定であるから当然ながら読み手はその設定を楽しむし楽しめそうになかったら読まないだけなんだがごく一般的な冷静な感覚でみると「そんなおいしい話はないよ?」という意見。
テンプレの湯にひたり続けるとテンプレを知らないものとの感性のズレが著しいから当然テンプレ感性のときと普通感性のときの使い分けが必要なんだがテンプレに長く浸かればつかるほどテンプレ感性が普通完成に侵略してきているのだある。
その辺の感覚が自覚できなくなって「ここまでテンプレ」「ここから普通」の区別がどんどんテンプレによって「死んだらチートもらって転生するのは普通だよね?」「死んだら今の記憶を持って次の生が始まるのがデフォ」と普通がいっしゅんどっちだかわからなくなっていた!
これは人生の三分の一をテンプレにささげた側からの意見なんだが用法容量を守って楽しく楽しみましょうというだけあといわゆる点で普通の感性を投げ捨ててはいけない。
俺みたいにテンプレやめなきゃなのにテンプレやめれないんだけど……という事態にならないでいいようにいれたらいいけど俺はやめたいからやめようとするぞ?