プロローグ
俺の人生は俺にとって毒か薬かでいえば、クスリだろう。
それなりに輝いていたと思うし、逆境にもそれなりに耐え抜いてきた。
詩的に言うなら、雨に濡れたアサガオと言ったところだろうか。
知っているだろうか、アサガオは上手く調合すればクスリになる。
しかし、別の調合をすれば毒にもなる。
俺の人生を見る人が見ればこう言うだろう。
「お前の人生はクスリに毒されたアサガオだ」と。
「それ」が起こる5ヵ月前、俺は人生で一番輝いていた。
高校生の頂点、インターハイ。
その決勝戦だった。
降りしきる日光。熱い歓声。見守ってくれるチームメイト。
そして、アイツ。
そんな最高のステージの中で、俺はボールを打っていた。
ネットを挟み、黄色いボールに全てを乗せて打ち合う二人の選手。
「気温36度の炎天下で、激しいストローク戦が繰り広げられています。二連覇を目指す東院の日下部、昨年1年生ながらに頂点に登り詰めた怪物が、今年も登り詰めるのか。しかし、怪物は日下部だけではなかった。聖陵の天才、君代が1年生にして、頂点に手を伸ばしている」
「お互いに凄まじい選手ですね。力、技術、精神力。その全てが高校生の域を裕に越えていますね」
ーーーああ、
自然と笑みがこぼれる。
うるさく声を張り上げる実況や、当たり前の事を並べる解説など耳にも届かない。
ーーーあああ、
相手との実力は伯仲。それはこの記録に残るであろう長さの試合時間が証明している。
ーーーああああ、
ふと見ると、相手の日下部さんも笑っていた。
ーーーやっぱり、テニスは楽しい。
まるで自分を相手にしているかのような錯覚。
こんな幸せな勘違いがこの世にあるのだろうか。
「マッチ ウォン バイ! 勝者ーーーー」
「それ」が起こる2ヵ月前。
「おい、葵。今日は何する?」
放課後、手早く荷物を纏めた俺は幹夫に声を掛けられた。
今日の部活は無いと事前に連絡は受けている。
「悪い。朱を待たせてるんだ」
「おーおー、お熱いことで」
「そんなんじゃねぇよ。それに日下部さんも待ってるしな」
じゃっ、と手を降り教室を後にした。
「また葵は日下部くんの所か」
「あ、先生。会議お疲れ様です。負けた相手の所に通うなんて、葵らしいと言えばらしいですけど」
階段を駆けおり昇降口をでると、朱が待っていた。
しかし、その顔はどことなく不機嫌だ。
「えーと・・・・朱さん?」
「なんです」
「怒ってます?」
「そう見えますか?」
俺、何かしたっけ?
「・・・・・・・・・遅いです」
「へっ?」
「10分も待たされました」
そのぐらいでこんなにふてくされてるのか!?
「えーと、ホームルームが遅くなって・・・・その・・・」
言い訳をしたためか、更にふてくされてしまった。
「スミマセン!」
後輩に頭を下げる先輩。なんともシュールな光景だ。
「クレープ」
「はい?」
「クレープが食べたいです」
財布の中を確認。残金は869円。
「はい。奢らせていただきます」
「こんにちはー」
「お、葵くん。来たね」
「あ!君代くん!ヤッホー」
「ヤッホーです。近正さん」
「やぁ朱ちゃん。今日も綺麗だねぇ」
「あはは・・・・・・・・・ありがとうございます・・・・」
またあいつら。
下手な癖に。
「朱、行くよ」
「あっ・・・はい先輩」
朱の手を引き、日下部さんの待つコートに歩く。
「いつもすみません。先輩」
「朱が謝る必要はないよ」
あの下手くそ奴もが悪い。
「日下部さーん、こんにちはー」
「やあ、葵くん。待ちくたびれたよ」
この爽やかスマイルを常に維持し、全身から王子様オーラを溢れ出させているのが、インターハイで俺を破った日下部真琴だ。
その実力は天下一品。卒業後はプロ契約が決まっているという、真の天才だ。
しかし、本人曰く、
「単に運が良かっただけ」
らしい。
最早呆れてムカつきもしない。
「それじゃあ、始めようか」
「それ」が起きる3日前
俺は家の近くの喫茶店で朱に勉強を教えていた。
「―――そんで、ここにXを代入してだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
どうやら、朱の頭の中には「?」が大量発生しているらしい。
「・・・・・・・・・・もう一度最初から説明するか?」
「うう・・・・すみません・・・・・」
しょんぼりする顔も可愛いな、ちくしょう。
珈琲のおかわりを注文し、本日3回目の説明を開始する。
「先ずはだな――――」
「それ」が起きる3時間前。
俺はいつもように日下部さんとテニスをしていた。
「ところで、君代くん」
日下部さんがラリーを返しながら聞いてくる。
「なんですか?」
ラリーをしながら会話をするのはいつもの事なので、俺も返す。
「榊くんとはもう付き合っているんだよね?」
「はうわ!?」
いきなりの問いかけにボールをこぼしてしまった。
日下部さんは、まだまだ修行が足りないねぇ、とか言いながら、ネットに身体を預けて話しかけてくる。
「え、ちがうの?」
「俺と朱はそんな関係じゃありません!」
「そうなのかい?」
いきなり何て事を言ってくるんだ、この人は!
「それはつまらんな~」
今なんつった?この人。
「それ」が起きる5分前。
「日下部さんと何を話していたんですか?」
「っつ・・・・ゲホ、ゴホ・・」
「・・・・・・・・・先輩?」
大丈夫ですか?と優しい言葉をかけてくれながら、背中をさすってくれた。
「・・・・・・・うん、まぁ・・・ちょっとね・・・」
流石に言えない。
「脚は大丈夫ですか?」
「まぁ、軽く捻っただけみたいだし。少し痛むけど大丈夫でしょ」
さっき、日下部さんのイタズラで、脚を捻ったのだ。
恐らく病院に行く必要は無いだろうが、一応テーピングだけはしておこう。
「これからどうする?飯でも食べるか?」
「そうですね・・・・・では、駅前に行きましょう!美味しいケーキ屋さんが出来たみたいなので♪」
昼からケーキかよ。
朱は甘いものに目がない。それこそ和菓子から洋菓子まで、そのレパートリーは多岐に渡る。
そんな話をしていると、遠くの方でサイレンが聞こえた。
『前の車、止まりなさい。オーイ!止まれェ!!』
お勤めご苦労様です。と、心の中で敬礼。
どうやら、この通りを走っているらしい。どんどんサイレントとおっさんの声が近づいてくる。
その姿が見えてくると、かなりのスピードで走っているらしい事がわかる。
普段の俺なら、何とも思わず、特に意識もしないだろう。
しかし、その時に俺の視界に飛び込んだのは、あってはならない光景だった。
逃走車とパトカーの進路を塞ぐかのように、子どもが飛び出してきたのだ。
五歳くらいだろうか。サッカーをしていて、ボールが車道に飛び出してしまったのだろう。本人は迫り来る車に全く気づいていない。
「え・・・・? 先輩!?」
気がついたら、身体が動いていた。
あしの痛みなどその時は消えていた。恐らくアドレナリンが出ていたのだろう。便利なものだ。
俺はそんな脳からの後押しも受けて、少年のもとへと走った。
車が迫る。人が居るのにも関わらずスピードは全く落ちていない。
寸での所で飛び出し、少年を突き飛ばした。
そして、「それ」は起きた。