【5】潜入の牛(前)
白い肌、形の整った胸、くびれた腰、すらりとした脚……、誠の目の前に、美月の一糸まとわぬ姿がある。
厳密には『一糸まとわぬ』という表現は正しくないかもしれない。頭にタオルを巻いていたからだ。しかし、そのタオルを両手で押さえている姿は、無防備そのものだった。胸から脇の下、二の腕のラインがなまめかしい。
あ然とした表情で美月を見る誠。うろたえる感情も、その『振り』をする気持ちも、吹っ飛んでいた。
「ふうっ……さっぱりした!」
人ひとり入れる間を開けて、誠の隣にどすんと座る美月。丸い胸がふるんと揺れる。
ようやく目をそらし、前屈みになる誠。『本能』が反応してはいけないと、過剰に意識してしまう。目のやり場に困る。視線が泳いでしまう。
「あ……あの……。裸ですけど……」
と誠。形だけでも慌てた振りをした方が礼儀かもしれないと思った。しかし、その『振り』をするまでにだいぶ時間がかかったことに気付いて何だか気恥ずかしくなった。
「ああ……ごめんなさい。何か着た方がいいのよね……」
「あっ……うん……」
「ごめんなさい……。びっくりさせちゃって……。はしたなかったね」
「いや……あの……えっと……」
誠は、どんどん顔が紅潮してくるのを自覚した。ようやく本物の狼狽する気持ちが湧いてきたようだ。
「嫌な思いさせちゃったかな……?」
と、誠を見る美月。誠は、美月から視線が注がれているのを感じたが、顔を向けることができなかった。血液が顔にますます集中していくのが分かる。
「い……いや……嫌な思いじゃないけど、というか……いや……なんか……こっちが恥ずかしいというか……美月さんの方が……えっと……恥ずかしくないのかなって……」
しどろもどろで答える誠。
「う~ん……。私の方は別に……。このまま外に出るわけじゃないし……」
立ち上がる美月。誠の視界に美月の張りのある尻が入ってきた。慌てて視線を自分の足元に向ける誠。
「えっと……文化の違いなのかな……」
と言った直後、
(いったい、何を言っているんだ……)
と思う自分がいる。
美月は、押し入れの収納引き出しから下着と服を取り出していた。
「そうね……。私は、最初の日、誠くんに触ったときの方がよっぽど恥ずかしかった……。いまも思い出すだけでどきどきする……。人に触るって、私の国では特別なことだから……」
とまで言って、美月は、ベッドの上で泣きじゃくる誠を優しく抱擁したとき、胸に感じた誠の熱い吐息を思い出した。下着を身に着けながら、全ての血液が顔に一気に集中するのを感じる。
「あの時は、本当にありがとう……。あれって、美月さんの星では当たり前のコミュニケーションなんだと思った」
とは言いつつも、そこまでして自分を慰めてくれた美月を、誠は、うれしく思った。
「そんな……。必死の思いだったのに……。地球の人と接するの初めてだったし……誠くんを何とか慰めてあげたくて……持っている知識を呼び出したら……いろんな方法が頭の中に浮かんできて……一番確実そうな方法を試したの……」
美月の服を着る手が止まっていた。まだ、下着しか身に着けていない。
「ありがとう……」
と礼を言う誠。美月は続ける。
「……でも、あれって……日本だと……よっぽど親しい仲じゃないとしないって……あとで分かって……。ものすごく恥ずかしくなっちゃって……」
「そんなことない……。ありがとう……。とってもうれしかった……」
「ほんと? よかった……」
と、笑顔で服を身に着ける美月。初めて会ったときと同じようなデニム地のワンピース。似たような服が何着もあるようだ。美月は続ける。
「……ほんとのほんとうに、私の国では相手に触れるって特別なことなの……。初対面の人には、まずしない……。失礼に当たるから……」
と言って、「ふう……」と息をついた。
(ああ……それで……あの時、技術主任は……)
誠が違和感を覚えるほど、うやうやしく頭を下げて額に触れた理由が分かった。
「本当に地球人と同じなんだね。体まで……。まさか地球人が驚かないように……同じような姿に見えているだけってこと……ないよね……」
と、言った直後、
(今度は、何を聞いているんだ……。もう、そのことには触れるべきではないだろ!)
と思う自分がいる。しかし、純粋な好奇心はあった。美月の裸体を目にするまでは、ここまで地球の人間とそっくりだとは思わなかったからだ。今でさえ、異星人が地球人に変装しているとか、地球人に錯覚を起こさせているとかという疑いは拭えていない。
そんな誠の気持ちを察したかのように美月が答えた。
「そうね……不思議ね……。いま確認されているだけでも、生物学的にとってもよく似た『人類』のいる惑星が3つ見つかっているんだけど、なぜ似ているのかという理由は、まだよく分かっていないの……。私たちは、宇宙空間を移動するとき亜空間を通るんだけど、実は異次元の世界なんじゃないかとかいう説や、偶然どの星も近い進化をたどってきたんじゃないかという説とか、あるらしいけど……」
デニムのワンピースを着終えた美月が、何かをポケットに入れた。
「なんか……すごいなあ……。美月さんの現実は、地球人のSFって感じだよ……」
と誠。
「う~ん……そうかもね……」
「アリート星の人にしたら、俺たち地球人は原始人だ……」
「それはね……。絶対そんなことないって断言したい。だって、地球には、『文化』っていう言葉があるじゃない? 私たちの星には、そういう言葉がないの。『文明』って意味に近い言葉はあるけど……」
と言いながら、美月は、ベッドの上に腰を下ろした。誠との間には人ひとりが入れるほどの余裕がある。
話を続ける美月。
「地球には、個性豊かな文化がいっぱいあるじゃない。毎日の生活にだって違いがあるんでしょ? 国によっても、家庭や個人の範囲でも『文化』みたいなのがあるじゃない……。とっても興味があるな……。ただ知っているのと、実際に体験するのでは違うから……」
(家の中が『がらん』としているのも……それが理由かな……?)
美月の話を聞いて、誠はそんなことをぼんやりと思い、こう言った。
「体験か……。じゃあさ、美月さん……。家の中を飾ってみたら?」
「えっ……?」
「いや……俺も詳しくないんだけどさ……。例えば、壁掛け時計とか、ラグっていうのかな……敷物とかさ……、棚とかソファとか……、俺ん家にあるようなやつ……。今日、メシ食べるときに見てみてよ……」
「じゃあ、誠くん。今度、買い物つきあってくれる?」
と、のぞき込むようにして誠の視線に入ってくる美月。誠は慌てて、のけぞるように頭を引いた。
「う……うん。いいよ……」
誠の顔がほんのり赤い。照れくさかったようだ。
「さっ、ご飯食べよっか!」
と、立ち上がる美月。その後ろ姿から、誠は目をそらして、顔をさらに赤くした。丈の長いワンピースとはいえ、腰周りの線は出る。その線に、さっき目に入った美月の尻を重ねてしまう。
「えっと……その……美月さんって大人っぽいよね……」
と、言って立ち上がる誠。次の瞬間、
(俺、またバカなこと聞いているよ……)
と思う、もうひとりの自分がいる。
「そう?」
「いや……あのっ……変な意味じゃなくって……なんか、こう……落ち着いているっていうか……」
「日本の法律だと、私も未成年……」
「えっ……じゃあ、俺と同じくらい?」
玄関へ向かう2人。
「誠くんは、高校生よね……歳いくつ?」
「17……」
「私は、19……」
「えっ、19歳には見えない」
「そう?」
「えっ……いやっ……その……悪い意味じゃなくて……」
と、慌てて言葉を付け足す誠。確かに、さっきの言い方は、悪い意味に言い受け取られかねない。
「分かってる、分かってる……」
と、笑顔で階段を下りていく美月。誠はそのすぐ後ろを歩いている。
「……私の国だと、15、6歳で働きはじめるからかなあ?」
「えっ、そんな早く?」
「うん、地球の『勉強』方法と違うから……。5歳ころから少しずつ知識を頭に入れていくだけだから」
「えっ! 勉強がないの!?」
「ないわけじゃない。頭に入れた知識の引き出し方や、知識の使い方を覚えていくの……。で、だいたいそれが終わるのが15、6……。効率的に知識を身に着けられるから、働く年齢が早いんじゃないかな」
「へえ……。美月さんの星から見たら、地球の勉強方法は、『アナログ』ってわけか……」
などと話ながら、誠の家に入っていく2人。ダイニングテーブルでは、帰宅していた誠の父親が、すでにひとりで食事をしていた。
「父さん、お帰り」
「……お、誠。今日のメシ、うまいな……」
「父さん、先に食べちゃ、ダメだよ……。みんなで一緒に食べようと思ったんだから……」
「ああ、そうか……分かった」
父は、箸を置いた。
「誠くん……!」
と、静かだが少し強い口調で誠を制する美月。誠が、おやっ?という表情で美月を見る。
「それを言うと、誠くんの帰りが遅い日も、何日か帰れないときも、お父さんはずっと待つようになるかもしれないから……。許してあげて……?」
「あっ……そうか……。分かった……」
と、誠は美月にうなずいて、父親の方を向いた。
「父さん、ごめん。さっきのはナシ……。自由に食べてていいから……。食べたいときに食べていいからね」
「ああ、そうか……。そうしよう……」
父親は再び箸を手にした。誠も美月も席に着く。
「オトーサン……あと……。もし、誰かに『どこかに行こう』って言われたら、きっぱりと断ってください」
と、美月が言った。
「ああ……。分かりました……」
と、父は、答えながら、箸で取ったおかずを白飯に載せた。
「それでも連れていかれそうになったら、家に電話してください。誠くんが電話に出なかったら、留守番電話に……。いいですね……」
「ふぁい……。まかりました……」
と、口に物を入れたまま返事をする父。美月は、ポケットから何かを取り出して、話を続ける。
「あと、この腕輪をいつも着けておいてください」
美月は、誠の父に細い腕輪を差し出した。美月がいつもしている腕輪より細い。
口をもごもごさせたままうなずく父。箸を持った手でそれを受け取った。
「さっそく着けていただけますか?」
と美月。父は、美月の言葉に黙って従った。面倒そうな表情は一切浮かべていない。
「美月さん……それ何?」
と誠。腕輪を左手にはめる父の様子を眺めている。
「これ? お守り……。これで、お父さんがどこにいるか分かるようになるはず……。もう、誠くんに悲しい思いさせたくないと思って……」
「ありがとう。美月さん!」
美月に向き直り、頭を下げる誠。美月の気持ちに涙が出る思いだった。
「ううん……。これ、誠くんも着けておいて?」
と、美月は、スカートのポケットから腕輪を取り出して誠に差し出した。
「ありがとう……」
受け取る誠。美月が説明をはじめる。
「この腕輪を額に当てて目をつぶると、お父さんのいる位置と方向が頭の中に浮かび上がるから……」
と、実際にその動きをして見せた。
「分かった……」
と、うなずく誠。腕輪を着けながら話を続ける。
「じゃあさ……。家の戸締まりもきちんとしておいた方がいいね……。人間が『牛』になっちゃうと、鍵、開けっ放しにしちゃうみたいだけど……」
「そうね……。イケットのウコィリクム粒子を吸うと、警戒心もなくなるみたいだから……」
「じゃあ、今度買い物行くときに、合い鍵つくろうか」
「そうね……。私の鍵も誠くんに預けとくね」
「うん……」
誠は、照れくさそうにうつむいた。