【4】共食いの牛(後)
「ヨシ……イイゾ……」
と、つぶやいたのは誠ではない。あの『美青年』、管理官のヨーグだ。豪華なベッドに寝そべり、腕輪状の装置を額にあてながら、目をつむっていた。掛け布団からは、何もまとっていない上半身が、あらわになっている。その胸には、落ち着いた雰囲気の若い女性が、うっとりとした表情で頭を載せている。歳のころは30代前後、いや手前といったところだろうか。もう片方には、歳のころ7~8歳の男の子がうずくまるようにして穏やかな寝顔を見せていた。高級感あふれる大きなベッドに対し、部屋の内装はひどく庶民的だ。
「どうしたの?」
ヨーグの薄く滑らかな胸に頭を載せていた女性が顔を起こした。
「ん……? ちょっと仕事のことでね……」
目を開いて日本語で答え、女性にキスをするヨーグ。女性はヨーグをうっとりと見ている。
ヨーグは、それ以上女性を構うことはせず、自分の腕輪を操作すると、その手を耳に当て、何者かに母国語で指示を送った。
「準備、デキテルカナ……? ウン……。ジャア、ぴんくノ回収ヲ頼ム……」
――空を背景に、追いつ追われつを繰り返す緑とピンクの光の軌跡。色違いの光が互いにぶつかり、交差しながらのびていく。西の黄色い空から、天頂の青い空、東に昇る白い月の前で2本の光が駆けめぐる。時折、ピンクの光線が上下左右に放たれているのが見える。愛のアルダムラの光線だ。
「んっもおおお! うざああああああい!」
上空でピンクの光が大きく球状に広がった。スピードに乗っていた誠のアルダムラが、衝突し、はじき飛ばされる。
「うざあああい! うざい! うざい! うざあああい!」
愛のアルダムラが、自分の気持ちをぶつけるように、誠に向かって何度も光線を撃つ。
ぽん、ぽん、ぽんと、はじき飛ばされる誠。最初の3発が誠に命中した。ダメージはそれほど大きくない。アルダムラから放たれる光線の威力は距離とともに減衰するためだ。つまり、近距離で命中した光線の威力は高いが、距離とともに落ちていき、遠距離で命中した光線の威力は低くなる。
愛が放った最後の太い光線を回避しながら、大きく回り込む誠。
「このっ! このっ! このおっ!」
愛は、なおも光線を放ってくる。
緑の軌跡で弧を描きながら左右に回避し、愛に接近する誠。突然、緑の閃光が陽炎のように揺らめいたかと思うと、愛のアルダムラを猛烈なスピードですり抜けていった。
黒いアルダムラから切り離された脚が2本、空中に舞っている。
〈ドドンッ!〉
次の瞬間、ソニックブームが聞こえてきた。
切り落とされた2本の黒い脚が、ゆっくりと回転しながら、地上に落ちていく。やがて、ピンクの光に包まれ、燃えつきるように消えていった。
愛に振り向く隙さえ与えずに、再びすり抜ける誠。愛のアルダムラの首が宙に舞った。
〈ドドンッ!〉
猛烈なスピードで移動した誠のアルダムラに、ソニックブームがようやく追いついた。
「誠くんのおおお、バガああああああっ!」
黒いアルダムラの全身が、強烈なピンクの光に包まれ、大きくはじけた。
(!!!!!!)
とっさに緑の光をまとい、防御姿勢を取る誠。しかし、握った拳、交差した腕、曲げた膝が、ピンクの光にのみ込まれていく。さえぎることも、押し返すこともできない。
(まだこんなにエネルギーが残っていたのか……。彼女がフルパワーだったら……)
と肝を冷やす誠。アルダムラの表面が真っ黒に焦げていた。
一方、愛のアルダムラは空中で4肢をだらりとのばしている。明らかに疲労の色が濃い。
(アルダムラの粒子が薄くなってる……)
と誠。相手の黒い機体がだいぶ透けている。ただ、人間がおさまっている胸だけは粒子の密度が高いようだ。
(あと1回……もう1回……削れば……)
動けなくなるはずだと、誠は思った。誠のアルダムラが再び緑の光に包まれる。
疲れ切った様子の愛のアルダムラは、誠の出方を油断なくうかがっていた。だが、先に攻撃を仕掛ける余力はないようだ。
果たして仕掛けたのは、誠のアルダムラだった。愛のアルダムラに向かって猛烈な瞬発力で接近する。傘状に押しつぶされた大気の膜に緑の閃光が揺らめく。
「んッ!」
再び全身から強烈なピンクの光を球状に放射する愛のアルダムラ。誠のアルダムラは、その光を浴びまいと、鋭く切り返して上昇する。
「くううううううッ……」
意識の中で歯を食いしばる誠。人間の体内にも粒子が浸透し、ほぼ一体化しているとはいえ、超音速で鋭角に移動する負荷はかなり大きい。
大きく旋回してピンクの光が弱まるのを待つ誠。しかし、愛は誠に向かって何度も光線を放ってくる。
旋回しながら右に左に鋭く切り返す誠。ジグザグ状の緑の軌跡が大きな弧を描いていた。
一方、愛の反撃は長く続かなかった。ピンクの光が小さくしぼんだ次の瞬間、爆発的に加速した誠のアルダムラが、再び愛のアルダムラの左脚を奪った。
(やった!)
すぐに振り向いて愛の様子をうかがう誠。いつでも次の動きに対応できように、剣状に変形させた前腕部を油断なく構えている。
切り落とされた左足が落下していく。ピンクの光の炎に包まれたかと思うと、大気中に消えていった。
その直後、愛のアルダムラがピンクの閃光を発し、光が弱まるにつれて等身大のアルダムラが姿を現した。
(大型化を維持できなくなったか……)
誠は、その小さなアルダムラにすっと近づき、腰から下を両手で優しくつかんだ。
愛に抵抗する気はないようだ。
「ふふっ……捕まっちゃった……。でもうれしい……」
愛の言葉は大型アルダムラ状態の誠にも聞こえてくる。
「まことぉ! だあい……」
目の前を黄色い光が横切った。
目の前にあった雪の塊が一瞬で壊されたような光景だった。きらきらと散るピンクの光が、風に散る雪の結晶にも見える。
頭がない。肩がない。両腕がない。胸がない。誠の眼前にあった愛の等身大アルダムラの上半身が、ごっそりと失われていた。断面からは、ピンクの蛍光色の光が弱々しく出ていた。
〈ドゴオオオオオンッ……!〉
ソニックブームがだいぶ遅れて誠の耳に入ってきた。さっき目の前を横切った飛行物体のものだろう。
――黄色い光の尾を引いて飛んでいる大型アルダムラ。衝撃音の発信源は、これだろう。
他のアルダムラと同じく、身長数メートル。頭部は流線形。胸がたくましく張り出し、腰がくびれている。全身の大部分は白で、ひと回り太い前腕部と膝下が薄紫色。アートノック粒子を放出する箇所には、黄色の蛍光色があしらわれている。形状に若干の個体差があるようだが基本的な特徴は変わらない。
その手には、上半身だけになった愛の『雪の塊』があった。その頭部だけをブチッともぎ取ると、自分のアルダムラの胸に押し込み、残りの胴体部分を手放した。アルダムラの装甲は自由に硬さを変えられ、ある程度の大きさのものなら収納できる。しばらくの間、その胸からピンクの光がちらちらと漏れ出ていた。
「よーぐ様。目標ヲ回収シマシタ!」
と、母国語で連絡する正体不明のアルダムラ。
「ゴクロ~サン」
報告先は、あの『美青年』のようだ。
「生ケ捕リニハ、デキマセンデシタガ、『核』ハ、入手デキマシタ……」
「結構、結構……。野蛮人ヲ相手ニスルト、イロイロト、メンドクサイカラ、ソレガ賢明ダヨ……。ダッテ、生ケ捕リニシタッテ、ドウセ暴レルデショ……」
――空中で静止している誠の大型アルダムラ。低くなった太陽を浴びている。
上半身のちぎれた愛の等身大アルダムラをぼんやりと見ていた。断面のピンクの光が、消えかけの炎のようにゆらゆらと揺れている。
やがて、断面からピンクの光の粒子が湯気のように出てきて女性の上半身の形になった。それが、誠に助けを求めるように手を伸ばしたかと思うと、光を激しく放射した。
ピンクの光に包まれる誠のアルダムラ。断片的な映像とともに、形にできない『どろどろしたもの』が誠の心の中に入り込んできた。
さまざまな色がどろどろと混ざり合いながら、単調な旋律の重低音が頭の中に鳴り響く。
天井から垂れ下がった父親らしき男性の姿。母親らしき女性と別の男性の影。置いていかれる小さな子ども……。幼いころの愛だろうか。そして、高校で誠にほのかな思いを寄せる愛の姿……。
やがて、心の色は黒ずんで限りなく黒になる。しかし、純粋な黒にはならない。濁った黒。純粋さのない黒。
ひどく不幸な生い立ちだった。愛という名前にもかかわらず、一切愛情を受けることなく育ってきた。そういったある種の『念』のようなものが、ピンクの光を通して伝わってくる。
吐き気を覚える誠。しかし、アルダムラ状態の誠は、それを吐き出せない。理由の分からない嘔吐感だけが誠を苦しめる。もしかすると、吐き気ではないのかもしれない……。しかし、不快感であることには変わりない。
〈あたしの人生……何だったんだろ……〉
そんな愛の声が聞こえたような気がしたかと思うと、上半身を失ったアルダムラ状態の愛が、まるでシャーベットのように、さらさらと空気中に溶けていった。
アルダムラ状態の誠は涙を流すことができない。しかし、それに近い感情がわき上がっていた。また同時に、今さらになって彼女の唇の感触がよみがえってきた。
ピンクの光が晴れたとき、鏡のような金属色だった誠のアルダムラは、鈍色に近い、くすんだ金属色になっていた。
誠のアルダムラは、その場でずっとたたずんでいた。足元に広がる街並みの色が、黄色から赤、紫、そして青に変化していく。やがて黒になり、街の明かりだけになった。
大きな流れ星が見えた。火球だ。ほんの一瞬、激しい光をまたたかせて消えていった。
両手のひらを上に向けてみた。何も残っていない。誠の大型アルダムラは、手を軽く握ると、穏やかなスピードで空中を移動し、自宅に向かった。
――ダイニングテーブル。ラップに包まれた大鉢と皿が載っている。
(美月さんの手料理か……)
誠の渇いた心に、美月が水を注いでくれたような心地がした。
ラップが蒸気で曇っていて中身は分からない。浅い藍色のランチョンマットが3枚。その上に小皿や箸が置かれている。
しかし、誠は、ラップの中身よりも、テーブルに置かれていた書き置きが気になった。
日本語がきれいな字で書かれている。
〈自宅に戻っています。帰ってきたら、呼びに来てください。鍵、開けときます〉
『鍵』と『開けときます』の間に吹き出しで『いつもだけど』とも書いてあった。
団地の階段を上がり、美月の家に向かう誠。鉄扉のそばに設けられたガス湯沸かし器が、〈ゴーッ……〉っと音を立てている。
(お風呂かシャワーかな……)
と、ぼんやり考えながら、扉のノブに手をかける。美月の書き置き通り、鍵は閉まっていない。
「おじゃましまあす!」
美月が浴室にいると考えた誠は、少し声を張り上げて家に上がった。案の定、玄関そばの浴室からシャワーの音が聞こえてくる。
誠は、真っ青なカバーの布団が載ったベッドに腰を下ろした。どのくらいの間だったか知らないが、昨日寝ていたベッドだ。
所在なく辺りを見回す誠。殺風景で寒々しい部屋だ。引っ越し間際にほとんどの荷物を運び出したような雰囲気に近い。ただカーテンは掛かっている。真っ青なカーテンだ。
(美月さん……青が好きなのかなあ……)
などと、ぼんやりと考える。
ふすまの向こうに見える居間には小さなテーブルがひとつ。テレビもない。
「あら、誠くん……お帰りなさい……」
声がした方に向いた誠の表情が凍り付いた。
透き通るように白い肌、はじけんばかりに張った丸く豊かな胸、縦に滑らかにへこんだ腹、すっきりとくびれた腰、すらりとした脚……。
美月の一糸まとわぬ姿が誠の目の前に現れた。