【3】惑わしの牛(後)
そして静寂。黙々と食事をする音だけが部屋に広がる。
誠は別の質問をした。
「さっき話した黒いアルダムラ……。あれって、俺たちの仲間なんだよね……」
「うん……。誰のかは知らないけど……あの形はウチの国のものだから……。落ちてきた宇宙船はイケットのものだし……」
「あれは乱暴すぎる……。やめさせられないの?」
「アルダムラを悪用していると判断されれば、何らかの処置は講じると思うけど……。上の方は、そう判断していないみたいね……。地球人同士の問題ってことにされてるのかな……分からない……」
「そうか……。どうやって止めたらいい? 中の人を、なるべく怪我させないで……」
「う~ん、そうねえ……。削るしかないかも……」
「ケズル……?」
「うん……。少しずつ壊して、アートノック粒子を薄くしていくの……。一定の濃度まで薄くすればアルダムラ状態を維持できなくなって、濃度が回復するまでは変身できなくなると思う……」
「う~ん……。どうやったら削れるの?」
「頭、手、足を破壊する……。アルダムラは、すぐに自己修復するけど、その分、アートノック粒子が薄くなる……」
「そうか! 粒子が薄くなれば、エネルギーを増幅できなくなるから、攻撃力も防御力も弱くなって……飛べなくなる」
「そう……」
「ありがとう。今度会ったら、止めてみせる!」
「がんばってね」
笑顔を浮かべる美月。前向きな誠を見て素直にうれしくなった。
――真っ暗な天井。
美月が帰ったその夜、誠は父親と一緒に寝ることにした。かつて母親が寝ていた場所に布団を敷いて寝ている。父親が誘拐されないようにするためだ。父親の寝息が聞こえる。
誠の目尻から涙がこぼれ落ちる。
(だめだ……。やっぱり……思い出しちまう……。苦しい……)
寝返りをうつ誠。涙が鼻の付け根を伝った。
――高校の教室。
窓から穏やかな日の光が差し込んでいる。黒板の前に立っているのは教師。国語の授業を行っているようだ。生徒が座る机には、ぽつりぽつりと空きができている。
その空いた中に誠の幼なじみの席もある。
(誰も気に留めない……。人がいなくなっているのに何も感じない……。ほんとに何とも思っていない……。俺もこんな感じだったのか……)
ぼんやりと考える誠。授業の様子も違う。教師はただ淡々と説明を続けるだけだ。質問はしない。質問するという発想がない。
〈カラカラカラ……〉
教室の引き戸が開く音がした。その方向に向いたのは誠だけだった。教師は、ちらりと見ただけで授業を続けている。
ミニスカートにルーズソックス、袖が長めのカーディガン姿の少女が教室に入ってきた。誠に見覚えのある女生徒だ。しかし、見覚えがあるというだけで、それ以上は知らない。
女生徒がつかつかと誠の席に向かってくる。ほかの生徒は、ちらりと見るだけで関心を示さない。
女生徒は、誠の席の脇に立ち、その右腕を抱えるようにつかんだ。
「渡辺くん。ちょっと話があるんだけど……」
「えっ……」
「こっち来て……」
女生徒は誠の腕をつかむ手に力を込めた。
「なんで……?」
「いいから……」
誠に顔を近づける女生徒。かわいらしい顔をしている。だが、その雰囲気には、若干影があった。誠は頭を引いて自分の顔と女生徒の顔との距離をつくった。
「い、今、授業中だけど……」
「だからなに……?」
と言って誠の机を動かす女生徒。
〈ギイッ……〉
机の脚が床をこする音がした。
「いや……だって……」
「誰も気に留めないから大丈夫……」
女生徒は、誠の方を向いて、その膝にまたがると、背中に手を回し、口づけをした。あっという間のことだった。
目を大きく見開く誠。ふわりとして、あたたかい女生徒の唇の感触が伝わる。
「ふう……」
ため息をついて唇を放す女生徒。誠の目の前には、うっとりと艶っぽく上気し、熱っぽい目をした『女の顔』があった。
「ここで抱かれてもいいよ……。女の人、抱いたことある……?」
と言って、もう一度顔を近づけてくる女生徒。
「ちょ……ちょっ……ちょっと待ってくれ!」
女生徒を引きはがす誠。
「……分かった……。外に出よう……」
と、言って腰を浮かした。
「もうちょっと、こうしてたかったのに……」
と、つぶやいて、誠の目を見つめたまま膝から離れる女生徒。
誠は、立ち上がりながら、さりげなく股間を確認した。『反応』していない。あまりに突拍子もない出来事に驚いたのか、『本能』が働かなかったようだ。
(ふう……大丈夫だった)
心の中でほっと胸をなで下ろす。
「ふふっ」
その様子を見ていた女生徒が、いたずらっぽく笑った。
誠は、笑い声が聞こえた方に顔を向けなかった。それどころではない。
「ほら……みんな見てるじゃないか……」
生徒が2人に注目している。教師も、授業を止め、呆然として見ている。
「ああ……。こんなのただの『風景』だから、『風景』……、気にすることないよ……」
と誠に言うと、女生徒は、生徒全員に向かって恫喝した。
「何見てんの! 勉強しなさい!」
まるで女生徒の命令に従うように、教師は説明を再開し、生徒たちは黒板や机に向かった。
「もう、ここにいる人たち……人間じゃないから……。今あったこと、1日もしないうちに忘れちゃうし……」
と女生徒。誠には彼女が冷酷な笑顔を浮かべているように見えた。嘲笑しているのか、うれしいのか、皮肉なのか、分からない。
「……」
誠は黙っていた。
「行こ……渡辺くん……」
誠の手を優しく握る女生徒。彼女は誠の名字を知っているようだが、誠は彼女の名前が出てこない。
「ああ……」
誠は、こくりとうなずきながら、彼女の手から自分の手をすっと静かに引き抜いた。
かすかに不満そうな表情を浮かべた女生徒。
「ほら、早く……」
と言って、しがみつくように誠の右腕を抱えると、教室の引き戸に向かって歩き始めた。二の腕に女生徒の柔らかい胸がかすかに触れる。誠は、一瞬、右腕を硬直させた。
――廊下を歩く2人。各教室から教師の静かな声が漏れてくる。女生徒は誠の右腕を両手で抱えたまま放さない。
「ねえ……昨日のアルダムラ、渡辺くんでしょ?」
女生徒が切り出した。
「えっ……何で?」
少し狼狽する誠。
「しらばっくれなくても、いいじゃない。別に隠すようなことじゃないし……」
誠の右腕を引き寄る女生徒。誠の肘が彼女の豊かな胸に埋もれた。これが以前の日常なら、誠は大きく動揺したことだろう。しかし、今の誠の心はたいして動かない。逆に、言葉でも態度でも挑発的な彼女に対し、煩わしささえ覚えていた。昨日一日で、あまりに多くの出来事がありすぎた。今は、じっくりと気持ちを整理したい。
「いや……あまりにも直球で聞いてくるからさ……」
「渡辺くんも、私がアルダムラだって、すぐに分かったでしょ?」
「えっ……いや……」
「しらばっくれてる?」
再び腕を引き寄せる女生徒。
「いや?」
女生徒を見返しながら、いぶかしげな表情を浮かべて小さく首を振る誠。今の煩わしい気持ちをそのまま女生徒に見せたつもりだった。しかし、女生徒は、目を輝かせ、ほんのり顔を赤らめている。
「あれっ……。これって……私だけなのかな……?」
「何が?」
「あたし、アルダムラの中にいる渡辺くんが分かったの……。アルダムラの人同士、みんな分かるんだと思ってた……」
「俺には、分からなかったよ……。ってゆうか……」
とまで言って女生徒を指差す誠。
「……昨日の黒いアルダムラ……だっだの?」
やはり女生徒の名前が出てこない。
「オイ! ワタシのナマエを言ってみろ!」
と、おどけた口調で言って誠の体にぎゅっと抱きつく女生徒。誠は足を止めた。しかし、何の感情も湧かない。それは表情にも出ていた。
「えっと……」
とまで言って、沈黙する誠。知っている名字を思い返すが、彼女の顔にぴったりと一致するものがない。
「……ごめん……」
うなだれるように頭を垂れ、誠がぼそりと言った。
「ううん……いいの……。大きな学校だもん……」
女生徒は、自分の頬を誠の背中にぴったりとつけていた。誠の申し訳ないと思う気持ちは女生徒にも伝わっていたようだった。
「私の名前は、アイ。愛情の愛……。覚えておいてね……。この辺りの『人間』は、誠くんとあたししかいないんだから……」
「ああ……」
と言って、誠は頭を起こした。
「……愛さんさあ……」
「なに?」
「どうして、人が住んでいる所に宇宙船を落としたりするのさ?」
「だって……めんどくさいじゃない……」
「めんどくさいじゃないだろ……? ほかにもやり方があるだろ……。だったら、あのとき、どうして邪魔をしたのさ……」
誠の問いに、愛は少し間を置いて答えた。
「……みんな、いなくなっちゃばいいと思っているから……」
「えっ……?」
「みんな死んじゃえばいいと思ってるから……。地球人も宇宙人も……。そう……自分も含めてみんな……この世界全部……消し去りたい……」
「ハアッ!?」
誠は、愛を自分の体から引きはがして向き直った。
「……死にたくない人だっているのに!?」
「あんな、ロボットみたいな人間に、そんな感情あると思う?」
と、愛。
「ある! いや……あった!」
と、すぐに言い切った誠。脳裏に丸い容器に入った幼なじみの顔が浮かぶ。誠は涙を必死にこらえた。
「ふうん……」
素っ気ない愛の返事に怒りがこみ上げてくる。
「どうしてだよ! 地球人が乗っているかもしれない宇宙船を、どうしてあんな乱暴に壊すのさ?」
「誠くんが、あたしのこと、好きになってくれたら、やめてあげる……」
「ふざけんなよ……。俺は本気で言ってるんだ……」
誠の口調には、静かな怒りが込められていた。
「あたしも、本気だけど……?」
「次は、絶対止めるから……」
「誠くん……正義の味方なんだ」
「そうだよ……。だから何だよ……」
「真っすぐなんだね。好きだよ……そういうの……」
愛は誠に抱きついたかと思うと、誠の右手を素早くつかみ、自分の股間に押し当てた。丈の短いスカートは全く障害にならなかった。
「ねえ、あたしを抱いてもいいんだよ……」
誠は、その指先に、生あたたかさと湿り気を感じた。