【3】惑わしの牛(前)
誠が見上げた先に色違いの大型アルダムラが浮かんでいた。黄色い空を背景に輝いている。
身長数メートル。全身がやや光沢のある黒で、随所にピンクの蛍光色があしらわれている。アートノック粒子の光は、ピンク色の箇所から放出されるようだ。
頭部は流線形。胸がたくましく張り出し、腰がくびれている。前腕部と膝下がひと回り太い。形状に若干の個体差がるようだが基本的な特徴は変わらない。
「あれっ? さっき助けたヤツじゃない……」
黒いアルダムラがつぶやいた。若い女性の声だ。
上下に蛇行しながら高度を落としていく宇宙船の残骸が、黒いアルダムラの背後を横切っていく。
誠は、足元を緑の光に染め、空中にいる黒いアルダムラを飛び越えるように高速で跳躍すると、残骸に向かって亜音速で接近していった。このままだと、また住宅地に墜落する恐れがある。
〈ドドンッ……!〉
背後でソニックブームが聞こえたかと思うと、隣に黒いアルダムラが現れ、再び蹴りを食らわされた。
空中で横方向に蹴りだされた誠のアルダムラ。宇宙船の残骸が誠から遠のく。
「おまえ! イケットのアルダムラかあ!!」
黒いアルダムラに向き直る誠のアルダムラ。全身が強烈な緑の光で包まれた。
「ふふっ、そう来なくっちゃ……」
つぶやく黒いアルダムラ。何だかうれしそうだ。
「ぶっつぶす!」
黒いアルダムラに手のひらを向け、自覚できる最大限のパワーで緑の光線を放つ誠。黒のアルダムラは、黄色い空にピンクの軌跡を残して造作もなくよけた。
「っだあああ!」
光線を放ったまま、手のひらを黒いアルダムラに向け続ける誠。黒いアルダムラは、ピンクの軌跡を描きながら縦横無尽に鋭角に移動し、緑の光線をかわしていく。
(あっ……!)
誠ははっとした。自分の発した光線が、遠くに見える緑地を削っていたからだ。住宅に当たれば大きな被害が出る。
誠が光線の放射をやめた次の瞬間、黒いアルダムラが傘状の雲をまとったかと思うと、一瞬で誠に接近し、勢いを落とさずにそのまま蹴り上げた。
「くうっ!」
斜め方向に上空へ飛ばされていく誠。
〈ドドンッ……!〉
ひと呼吸おいてから、誠の耳にソニックブームが入ってきた。黒いアルダムラは、瞬間的に超音速で移動し、誠を攻撃したのだった。
――そのはるか上空、高度約4万メートル。『黒い空』にアタキム国の宇宙船が浮かんでいる。周囲には、地球の丸みが分かる群青色の地平線。眼下には、青みがかった地面が見える。
船内の薄暗い研究室の一画。
「確カニ、スゴイあーとのっくダネ。コレナラ、スグニ、回収デキソウダ」
男が目を閉じたまま言った。かなりの『美青年』だ。男性だが『麗人』という表現がまさに似合う。『麗しの男』だ。
「私トシテハ、2人ガ、ドコマデ延ビルカ、見届ケタイノデスガ……」
白いトンビコートをまとった男性が言った。あの研究主任だ。彼も目を閉じている。2人は、脳裏に映し出されたデータグラフを見ていた。
「アッソウ……」
『麗しの男』が素っ気なく答え、話を続けた。
「緑ノ点ト、ピンクノ点ガ、チョロチョロ動イテイルケド、何シテイルンダロ……。視点モニターヲ解除シテヨォ。主任ィン……」
「いけっとト違ッテ、ワガ国デハ、彼ラヲ人ト認メテルノデスカラ……、アマリ『イイ趣味』トハ言エマセンガ……」
「イイジャナイ。チョットクライ」
「……」
『美青年』の言葉に対し、研究主任は、少し間をおいて答えた。
「ソレデハ、ヨーグ上級管理官ガ、担当ナサッテイル方ヲ、解除シマス」
「ン……? ドッチ?」
「……」
黙り込む研究主任。
「アッ、イヤ……。ボクハ、タクサン担当シテイルカラ……部下ノモ含メテネ……」
「……ピンクノ方デス。他ノ地球人カラ『カナリ変ワッタ人物』ト思ワレテイルヨウデスガ……。彼女カラ、あるだむらを取リ外シマショウカ……?」
「イイ、コレデ、イイ……結構、結構……」
と答えながら、美青年は、
(この若いおっさん、頭硬いからな……。開発停止中のアートノック増幅装置を内緒でつけさせたなんて言ったら、すぐ外すだろう……。上に言いつけるだろうしね……)
と思い、目を閉じたまま、にやりとした。
「イマ、視点もにたーヲ、解除シマシタ」
「アリガトウ、主任……。ンフッ……。サッソク仲間割レカ……。サスガ野蛮人ダ……」
「……」
鼻で笑う美青年。一方、研究主任は何も応えない。
(限界まで戦って、どっちか死なないかな……。回収できるから……)
と、美青年は薄笑いを浮かべている。しかし、それも長くは続かなかったようだ。
「……喧嘩、収マッタヨウダネ。ヨカッタヨカッタ……」
と、自分の気持ちとは逆のことを口にした。
――その宇宙船から4万メートル下の地上付近。
蹴り飛ばされた誠のアルダムラの全身が、緑の光に包まれ、空中で静止した。
(ボディを硬化させて、その表面にエネルギーの膜をつくり、近接武器にすることができる……)
誠が、知識を呼び出すと、前腕部の一部が突き出て剣状に変形した。緑の光の膜をまとっている。
(黒いの……どこだ……)
上下左右前後を見回す誠。しかし、黒いアルダムラの姿はない。ただ、墜落した宇宙船の残骸が地上に激突し、住宅地が炎上しているのは見えた。1カ所だけではない。東西南北に合わせて数カ所、巨大な宇宙船の残骸が地面に突き刺さって、その周囲から炎と黒煙が上がっている。
「はあ……」
誠は、大きなため息をついて、地上に降りていった。
――団地の玄関。何の装飾もない殺風景な玄関。
上がりかまちを挟んで、廊下側にスリッパを履いた美月、たたき側にスニーカーを履いた誠がいる。
「今日は……いろいろと……ありがとう……っていうか……なんていうか……」
誠は頭を下げた。
「ごめんなさい……」
美月が少し上ずった声で言った。目に涙をためている。頭を深々と下げたとき、きらりと光るものが散った。
「……誠くんを巻き込んじゃって……本当にごめんなさい……」
「どうして……何も謝ることないよ……。俺を『マトモ』にしてくれたじゃないか……。感謝してるよ……」
「だって……」
とまで言って、泣くのをこらえる美月。次の言葉をつぐより先に誠が口を開いた。
「美月さんが俺を連れ出さなかったとしても、めぐみがヤツらに誘拐された事実は変わらない……。助け出せなかったのが悔しいけど……」
「でも……づれだして……いなければ……」
とまで言って、美月は、ついに泣き出してしまった。
「……ぎづかずに……済んだじゃない? まごどぐん……ぐるしまずに……済んだじゃない?」
〈は・はっ・はぁ……〉と不規則な息をついでいる。
「……」
うつむく誠。
「ぼんどうに……ごめんなざい……」
美月は、鼻をすすって頭を下げた。
「い……いいんだよ……。いいんだ……。どうにもできなかったんだ……」
うつむいたままそう言った誠の声は潤んでいた。
「じゃあ……」
顔を少し起こして美月の顔を見る誠。
「うん……」
ちらりと誠を見てうなだれる美月。
誠は、鼻水をすすると扉を静かに閉めて出ていった。玄関に金属の扉の音が寂しく響く。美月は、うなだれたまま、しばらくそこに立っていた。
――生活の匂いがする台所。誠は自宅の台所に立っていた。流し台に手をかけてシンクの底をぼんやりと眺めている。
――青い布団カバーのベッド。美月は、畳に膝をついて上半身をベッドの上に投げ出していた。ぼんやりと『ベッドの地平線』を見つめている。
〈ピンポーン……〉
呼び鈴の音がした。
〈ピンポーン……〉
美月を促すように、ひと呼吸おいて呼び鈴がもう一度鳴った。
涙を拭っておもむろに体を起こし、玄関に向かう美月。扉を小さく開くと、その向こうに小さく会釈する誠の姿があった。
「誠くん……」
「夕ご飯……一緒にどうですか……? 美月さんを親父にも紹介したいし……」
「うん……。じゃあ、一緒につくろうか」
美月に小さな笑顔が浮かんだ。
「美月さん、料理つくれるの?」
誠も少し笑顔になった。
「たぶん大丈夫。地球のことも、日本のことも、頭に入っているから……」
「ほんと? じゃあ、買い物に行こうよ。何を食べてみたい?」
「そうね……買い物しながら考える……」
――ダイニングテーブルに並んだ料理。コロッケ、サラダ、煮物、天ぷら、肉団子、シューマイ、刺身……。どれもスーパーの惣菜を皿や器に移しただけの料理。しかし、彩りは豊かだ。みそ汁はインスタント。自前で用意したのは米飯だけだった。
テーブルから少し離れて配膳を確認する誠。
「……結局、惣菜ばかりになっちゃったな……」
と、独り言のようにつぶやいた。
「あの……やっぱり……一緒につくった方がよかったかな?」
誠のつぶやきを耳にした美月が、箸を置きながら言った。
「いや……いいんだよ……。食べたいものを選んでって言ったんだから。料理をつくる手間も省けたしね。いつもカップ麺なんでしょ? 体によくないよ。アリート星の栄養剤みたいのも飲んでいるんだと思うけど……」
「カップ麺、おいしいね……。いろんな種類があるから、楽しくて……。ふふっ」
「はははっ」
互いに笑った。
「じゃあ……いつもウチに食べにきなよ」
「いいの?」
「うん……」
「ありがと……」
――やがて誠の父親が帰ってきた。スーツにネクタイ姿だ。
「ただいま……」
「お帰り……」
「あの……こちら……上に住んでる美月さん……」
誠は後ろに立っていた美月を紹介した。美月はぺこりと頭を下げた。
「はじめまして、美月と申します」
「父の茂です……」
誠の父親も頭を下げた。
――食卓を囲む3人。
「おいしいね……」
と、ささやく美月。
「ほんと? よかった……」
「ふふっ……」
誠と美月がささやく声が聞こえる。父親の反応はない。しかもネクタイとスーツ姿のままだ。
「父さん……」
黙々と食べる父に誠が声をかけた。
「ん?」
「美月さんが、どこの誰かも聞かないんだね……」
「ん?」
父は、息子の言っていることが分からないといった様子だ。
「だから、美月さんがどういう人か気にならないの?」
「ん? うん……」
生返事をして食事を続ける父。
「……俺もこんな感じだったの?」
と、誠が美月に言った。
「そうね……。今、地球にいる人たちは、みんなこんな感じね……。イケットがまいている粒子を吸うと、他人のことが気にならなくなるというか……『どうして?』とか、『なぜ?』って、疑問に思わなくなるらしいの……」
「だから美月さんは、俺を簡単に連れ出せたわけか……」
「……ごめんね。本当に……」
美月は、少し間をおいて答えた。
「もう、そのことでは謝らないでよ……。俺もウジウジしないから……」
「うん……」
「あっ……し、しないように努力するから……」
誠は、自分の言葉を訂正した。言ってみたものの、自分の気持ちを抑えられる自信がない。
誠には聞きたいことがいくつかあった。
「……その粒子を吸うと、他人の言うことを何でも聞いちゃうの?」
「う~ん……そういうわけじゃないと思う……。人間の本能が優先されるから……。でも、はたから見ると、とても素直で、従順で、穏やかな人になるって聞いてるけど……」