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【12】光の牛(前)

「ぼにいいいざあああん! わだじ、だびじなびどおおおおおおうおうおおお……」

 美月が畳にへたり込み、泣き声を上げている。左腕には誠の頭を抱えていた。首の切断面からは出血していない。緑色をした雪の結晶のようになっていて、緑の光がドライアイスの湯気のように湧き出て下に流れている。

 美月は右手を自分のこめかみにあてていた。よく見ると、右手首につけた腕輪状の装置で誰かと通信しているようだ。

『あせれぶ! 落チ着イテ話セ! ドウシタンダ!? 何ヲ言ッテイルノカ、分カラナイ』

 美月の頭の中で男性の声が聞こえる。

「ぼ、ぼ、ぼにいだん……。ばごど……ぐんの……ぐびが……」

 ひっくひっくと涙でむせ返り、うまく話せない。息をつきながら話している。

 美月の話していた相手は研究主任だった。肩書きでなく『お兄さん』と呼びかけたこと、しかも泣きながら日本語を話していることから、美月にただならない事態が起きたと察した。研究主任は美月の実の兄である。

『誰カ、怪我(けが)ヲ、シタノカ!?』

「くっつかないよおおお……。ぐっずかないよおおお……おほおおおおほふう」

『オイ! 誰カ、怪・我・(け・が)ヲ、シタノカト聞イテイル! ソレダケデモ、返事ヲシロ!』

「ぶぅん……」

 美月は、泣きじゃくる子どものような返事をしながら、こくりとうなずいた。

『オ前ノイル場所ハ分カッタ。ソコカラ動クナ! イイナ!』

 通信が切れた。

「ぶぅん……ぶうぶううう……ふぅっううう」

 すすり泣く美月。その傍らには頭のない誠の体が横たわっている。誠の頭部は美月が左脇に抱えていた。両方の断面からは、緑色の光がもやもやと湧き出ていた。たとえるならメロンシロップをたっぷりかけた『かき氷』を逆さ、あるいは横にして、そこからドライアイスの煙が出ているような画を想像してもらうといいだろう。

 美月はひしと、誠の首を両手で抱えた。生まれたばかりの子犬のように、全身を小さく震わせている。

「ぶふっ、ふっふふっ……」

 呼吸が乱れている。

 太陽を雲が覆い、部屋の中が少し陰った。

 誠の頭部の断面と体の断面から湧き出てくる緑色の光が畳を伝ってひとつながりになっていた。しかし、かすかな光の加減で見えるのであって、美月はそれに気づかなかった。ただ両腕と頬でギュッと誠の頭を抱いている。

 やがて、真っ白な光が部屋に差し込んだ。

〈カラカラカラ……〉

 ベランダのサッシが開く音がして、美月が顔を起こすと、そこに実の兄、研究主任が立っていた。

「イッタイ……ドウシタラ……コウナルンダ……」

 と強い口調でつぶやきながら土足で上がり込む研究主任。

「チョット、見セテミロ!」

 と、美月から引きはがすように誠の頭部を取り上げた。検品するかのように、いろいろな角度からじっくりと見ている。

「寝顔ミタイダ……死ンデルトハ思エン……」

 とつぶやく兄の姿を、美月は不安そうな面持ちで見上げていたが、いたたまれない気持ちになったのか、すっと視線を落とした。

 が、次の瞬間、

「いやあああああああッ!」

 血相を変えて畳を這うように、誠の体に抱きついた。

 妹の叫び声に驚き、研究主任が見ると、誠の体が緑色の光の粒になっていた。

「消えちゃイヤああああああああ!」

 悲鳴を上げて必死に引き留めようとするが、もう誠の体に触れることはできなかった。光だけで実体がない。スカスカと畳に手が触れるだけだった。

 しかし、断片的な映像とともに、形にできない『何か』が美月の心の中に入り込んできた。緊張と喜び……。紅潮させて恥じらう美月自身の顔と裸体……。美月は、誠から見た映像を見ているのだと直感した。あの夜の映像だ。なぜか幸福感に包まれた。

 悲鳴は止んでいた。ただ、四つ這いになって呆然(ぼうぜん)と畳を見ていた。

 緑の光の塊が、すうっと誠の頭部の方に移動した。まるで首の断面が緑色の光を吸い込んでいるような画だった。

「オイ! あせれぶ! 行クゾ!」

 四つ這いでじっと畳を見る妹の腿辺りを、立ったまま足でつつく兄。一見乱暴な所作に見えるが、理由があった。

「あせれぶ! コレヲ見ロ!」

 兄に足で乱暴に小突かれ、泣きはらした赤い目を向ける妹。兄が押し頂くように誠の首をかかげているその下に、緑の光が体の形を作っていたのだった。

「急イデ、船ニ、連レテ帰ロウ!」

 ――日本庭園。緑の木々、庭石、池、橋……。そこにヨーグが立っている。腕輪状の装置をこめかみにあて、何かを話しているようだ。急に笑い出した。

「ハッハッハッハ……ウマクイッタヨウダナ……。『最後ノ仕掛ケ』ガキイタヨウダ……。デ、彼ノ頭ト彼女ハ?」

「……ハ? 思考操作装置ガ効カナイ?」

 いらだたしそうに話しながら、壁に左手を突いた。日本庭園はただの映像のようだ。

「ウン……。ワカッタ……。所詮、自作ノ試作品ダカラトイウ、弁解デスカ……。 ジャア仲間ヲ用意シテアゲヨウ……。ウン、君ノ部下ダ……。ワカッタ……。誰カニ回収サセルヨ……。アッ……ソウダ……一応、僕ノあるだむらモ、ツクッテオイテ、クレナイカ……? ソウ……君ノ、自作ノ試作品ヲ、アリッタケ詰メ込ンデイイカラ……。ウレシイダロ?」

 ヨーグは通信を切ると、唇をかみ、鼻から大きく息をついた。

 ――美月のうなじ。そこに、手袋のようなものをつけた女性研究員が手を載せ、目を閉じている。研究員は、美月の兄である研究主任の部下のようだ。

「あーとのっく増幅装置……、機能制限解除設定……、ン? コレハ……知ラナイ装置ダ……」

 部下が美月のうなじから手を放すと、頭の付け根に、楕円形の青い宝石のようなものが見えた。しっかりと埋まっているようだ。

「ナンテコトヲ……」

 研究主任がつぶやいた。

「『問題アリ』ノ試作装置ガ、イロイロト搭載サレテイマス……」

 と、部下が手袋のような装置を外しながら言った。

「ウン……。悪イガ、急イデコレヲ、外シテクレナイカ……」

「ハイ……」

 部下は返事をすると、美月に立つよう促した。

 研究主任は、部屋を出て行く妹の背中を見送ると、ガラスケースのような半円筒形の装置につかつかと歩み寄った。

「ドウダ……様子ハ……」

「胸マデ再生シテイマス……。タダタダ驚キデス……」

 装置を覗き込んでいた別の部下が答えた。

 その半円筒形のカプセルの中には、誠が寝ている。部下の言う通り、頭部から胸の上辺りまでが再生されていた。人間の皮膚に戻っている。それ以外の場所は緑色に光る粒子が体の形に集まり、胸の方に行くにつれて輝きが強くなっている。

「凄イデスヨ……。粒子ガ人体組織ヲ記憶シテイルンデスカラ……」

 と、若い男性研究員が熱い目で研究主任を見る。

「ン……。ダガ、体ガ再生シタトシテモ、息ヲ吹キ返スカドウカ、分カランゾ……。都合ガヨスギル……。本物ナラ、夢ノ技術ジャナイカ……」

 と、静かに言いながら、研究主任は腕を組んだ。

「信ジマショウ、主任! マサニ、不屈……あーとのっくジャナイデスカ!」

 と、熱を込めて語る部下の両手はギュッと握りしめられていた。

「映像ニ収メテイルカ?」

 対する研究主任の反応は冷静だ。

「ハイ! モチロンデス! 見守リマショウ!」

 部下が興奮気味に言った。

 ――青い空、白い雲。高度はそれほど高くないようだ。

 白く平べったい物体がもうひとつ浮かんでいる。そして、白い大型アルダムラ。6体がその飛行物体を取り囲み、3体が飛行物体の下で何か作業をしている。

 ――誠が寝ているカプセル。立ったままそれをじっと眺めている数人の研究員。

 研究員に付き添われて美月が戻ってきた次の瞬間、ひとりの女性が部屋に駆け込んできた。その女性と美月の肩が当たった。

「アッ、スミマセン!」

 女性はとっさに頭を下げ、美月にわびると、研究主任に呼び掛けた。

「主任! 彼ヲ引キ渡セト言ッテキテイマス!」

「ン……!?」

 研究主任が振り向くのを確認して女性が話を続ける。

「取締官配下ノ隊長、以下、9人ノアルダムラガ、ウチノ船ヲ取リ囲ンデイマス……。引キ渡シヲ拒否スレバ、船ヲ落トスト……。船底ニ、粒子爆弾ヲ、仕掛ケタトモ言ッテイマスガ……」

 女性の言葉を聞き、部屋にいた研究員たちは、一斉に研究主任に注目した。

 研究主任は、入り口のそばに立っている美月の顔をじっと見た。

 美月は、不安そうな目を、請い願うような目を、兄に向けていた。組んだ両手を胸に置き、今にも泣き出しそうに見える。

「ミンナ……、船ヲ下リテクレ……。迷惑ガカカル……」

 研究主任の言葉に押し黙る研究員。

 わずかな沈黙の後、研究員のひとりが声を上げた。先ほど熱く語っていた研究員だ。

「イヤ、オカシイデスヨ! 僕、月ノ裏ノ駐在本部ニ確認シマス!」

 と、熱い研究員が部屋を飛び出していった。

(ア……!)

 と、引き留めようとした研究主任に、ある女性研究員が声をかけた。

「主任! 何カデキルコトガアッタラ、言ッテクダサイ!」

「今、君タチガ、デキルコトハ、船ヲ降リルコトダ……。私ノ判断ニハ、私情ガ入ッテイル……。ミンナヲ巻キ込ムコトハ、デキン!」

 と、研究主任は言って、美月の方をじっと見た。

「コレハ、主任命令ダ! 今スグ降リナサイ!」

 研究主任の言葉に、黙ってうつむく研究員たち。

 少しの沈黙の後、研究員のひとりが口を開いた。先ほど、『何かできることは……』と申し出た女性研究員だ。

「分カリマシタ。私タチハ、イツモ主任ノ味方デスカラ……」

「アリガトウ……室長……」

 と、礼を言いながら、うなずくように頭を下げる研究主任。室長と呼ばれた女性研究員もうなずき返すと、

「サア、ミナサン! 船ヲ降リマショウ!」

 と、退船を促した。

 女性研究員に誘導されて、ぞろぞろと部屋を出て行く研究員たち。その中で美月が研究主任に駆け寄った。

「オ兄サン! 私ニあるだむらヲ、付ケテ!」

 (りん)とした表情をしている。気丈に振る舞っているに違いないと兄は思った。

「オ前ミタイナ、オットリシタ子ジャ無理ダ。上カラ許可ヲモラウマデ、船ヲ高速移動シテ逃ゲ切ッテミセル」

 部屋を出ようとする兄。その肩に手を掛け、引き留める妹。

「大丈夫! 今ナラ、戦エル!」

 美月は、頬をこわばらせる涙の(あと)を、手で何度もこすり落とした。

 その姿が、兄にはひどく健気(けなげ)に映った。涙がこみ上げそうになる。

「分カッタ……。ジャア……コッチヘ……」

 と、移動を促そうと、兄が妹の肩に手を添えた次の瞬間、カプセルの中でぼんやりと光っていた緑色の光が激しくまたたいた。透明のケースの中から漏れてくる光は、まぶしく、目を開けていられないほどだ。

「ナッ……」

 兄がつぶやいた瞬間、一筋の光線が透明ケースを突き抜け、天井に穴を開け、そして消えていった。

「オ兄サン……」

 と、つぶやく妹。

「大丈夫ダ。コンナ小サナ船デモ、穴ハ自動的ニフサガル……。オ前ノあるだむら、ドウスルンダ……?」

 と、兄。

「モチロン、付ケテ……」

 自分が尋ねる前に全く見当違いの答えを返してきた兄に、釈然としない表情を浮かべながら、美月は兄と部屋を出ていった。

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