【10】葛藤の牛(後)
真由美の警告は間に合わなかった。緑色の光をまとった誠のアルダムラが、すでに少年のアルダムラを背後から羽交い絞めにしていた。先刻誠が急停止し、両腕を広げたのは、このように少年を捕まえようと考えていたからだった。
「くっそおおお! 放せえええ!」
叫ぶ少年。もがいてみるがどうにもならない。パワーは、誠のアルダムラの方が上のようだ。
「ショウくん!」
少年を助けようと、青い光の尾を残しながら高速で接近する真由美のアルダムラ。誠のアルダムラは、少年のアルダムラに組みついたまま移動し、真由美との距離を取る。
「放せえええええ!」
しかし、少年のアルダムラは何もできない。完全に誠のアルダムラが主導権を握って空中を移動している。
ただ真由美のアルダムラとの距離を取っているだけではない。緑色の光が猛烈に明るくなったり、若干暗くなったりしている。明るくなっているときには、誠の強力なアートノック粒子で少年のアルダムラを削っていた。
少年のアルダムラの表面がちりちりと黒く焦げていき、オレンジの光の粉が舞い散る。
一定の深さまで焼いたところで、アートノック粒子の放出を緩めると、少年のアルダムラがむくむくと元の大きさに戻ろうとする。すると、誠は再び粒子の放出を強め、表面を焼いていく。
少年の大型アルダムラ状態を維持できる粒子は、確実に少なくなっていた。
「うあああんっ! たずげでええええええ!」
泣き声まじりで叫ぶ少年。誠は、心を少し痛めながらも、容赦なく相手のアルダムラの体を削っていく。
「ああああああああああああ! マユだあああん! だずげでえええええええええええ!」
悲痛な少年の叫び声。
「誠くん! やめなさい!」
誠のあとを追う真由美。次第に距離を詰めてきた。
「そうもいきませんよ!」
言い返しながら誠が逃げる。緑の光の軌跡と、青い光の軌跡が、上下左右に付きつ離れつを繰り返す。
「ショウくん待ってて! 今助ける!」
両手から青い『光の帯』を放つ真由美のアルダムラ。その光の帯が誠のアルダムラがまとう緑の光に吸着した。
(!!!!!!)
初めて目にする攻撃方法に動揺する誠。青い光の帯がゴムのように縮んで真由美のアルダムラを誠のアルダムラのそばに運んでいく。
(たぶん……たぶん大丈夫だ……)
一瞬のうちに、そう自分に言い聞かせる誠。真由美のアルダムラの影が頭上に見えた次の瞬間、誠のアルダムラが強烈な光を放った。
「きゃあああああっ!」
ちりちりと表面を焦がしながら、誠の緑の光にはじき飛ばされる真由美のアルダムラ。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
一方、少年の悲鳴は、誠が光を弱めるまでやまなかった。
悲鳴がやんだとき、少年のアルダムラは『等身大』の大きさになって、誠の大型アルダムラの腕の中にいた。アートノック粒子が消耗し、アルダムラの大型化を維持できなくなったのだ。
両手を上げた状態で、ゆっくりと接近してくる真由美の大型アルダムラ。決着がついたという合図だ。
「私たちの負けね……」
真由美の言葉に小さく会釈して応じる誠のアルダムラ。抱えている少年の『等身大』アルダムラを真由美にそっと手渡した。
「また出直すわ……。『あの人』から頼まれれば、だけど……」
少年を受け取りながら真由美が言った。
誠は何も言わなかった。ただ、正直
(面倒だな……)
とは思った。
それを察した真由美が続けた。
「……あの人があきらめてくれればいいんだけどね……。でも……」
「分かってますよ……。大切な人だと聞いていますから……。だからといって、俺は遠慮しませんけど……」
「うん……。私も分かってる……。じゃ……行くね……」
胸に抱えた少年の等身大アルダムラをいとおしそうに見る真由美の大型アルダムラ。
「はい……」
誠がつぶやくように返事をした。
真由美のアルダムラの胸の中にいる少年からの言葉はない。気絶しているのだろうか、それとも放心状態なのだろうか、アルダムラ状態ではうかがい知ることはできない。
ゆっくりと上昇していく真由美のアルダムラ。そして、それを見送る誠。青い光の軌跡は、遠ざかり、空の青と混ざり合い、やがて見えなくなった。
――曲線を多用した天蓋付きの豪華なベッド。近未来的なデザインだが、彼らにとっては当たり前のつくりだ。
そのベッドに『美青年』、管理官のヨーグが仰向けで寝そべっている。腕輪状の装置を額に当てたまま、目を閉じ、母国語で何かを話している。
「ウン、分カッタ……。彼ラニハ、無理ヲスルナト言ッテアル……」
全身裸の状態で、腰には薄手の布を掛けていた。
ベッドの上には、歳のころ20代前半のショートカットヘアの女性も裸で寝ている。ヨーグの部下、ニージャだ。うっとりとした顔でヨーグの腹の辺りに頬を載せている。
ヨーグが通信を続けている。
「……セッカク強化シタノニ、スグニ、ヤラレテ、シマッタノハ、残念ダナ……。ショセンハ浅ハカナ野蛮人ダヨ……。ウン……。回収シテ、次ノ準備ヲ、シテオイテクレ……。ふふふ……はっはっはっは……」
と言って突然笑い声をあげるヨーグ。
「ソウダネ……。女ノホウニハ、用ハナイ。回収シタラ粒子ヲ浴ビセテ放シテヤレ……。子ドモノホウハ、私ガ飼ウ……。船ニ、置イトイテクレ……。ウン……分カッタ……。ジャア、ヨロシク頼ムヨ……」
と言って通信を切り、両手を頭の後ろで組むと、ベッドの天蓋を眺めたまま、女性に話しかけた。
「ネエ……。あるだむらノ安全停止装置、手ニ、ハイラナイカナ……?」
「ムズカシイナ……。管理ガ厳重ダシ……。アタシノチカラジャ……」
と言って弾力のありそうなその胸をヨーグの腹に押し付けるニージャ。ふと何かを思い出したように話を続ける。
「……停止装置ガ、手ニ、ハイッタトシテモ、アノ子ニハ、効カナイカモ……。アノ子、りみったーヲ、ツケテナインデショ? よーぐ様ガ、知リ合イノ研究者ニ頼ンデ、内緒デ、ツケナイヨウニ頼ンダッテ、言ッテナカッタ……?」
「アア……。彼ヲ何トカ、手ニ、イレタクテ……、ウッカリ、都合ヨク、考エテシマッタヨ……。彼ノハ、性能限界試験用デ、旧式ノ、完全埋メ込ミ式ダッタネ……」
「ウン……。規定違反ヲ承知デネ……。悪イ人ダカラ……」
「人聞キ悪イナ……。僕ハ、研究熱心ナンダヨ、ふふふ」
と、ヨーグは天蓋を眺めながら、含み笑いをした。
そして、短い沈黙のあと、ニージャの方を見て話を切り出した。
「彼ノ回収、オ願イシテ、イイカナ……」
甘えた声でニージャの髪を優しくなでるヨーグ。
「ふふ……ソウ言ウト、思ッタ……」
笑みを浮かべてヨーグに顔を寄せるニージャ。
「よーぐ様ヲ、アタシダケノモノニ、デキルナラ……」
と、つやっぽい声で言いながら両手をヨーグの頬に添えると、唇を重ねた。一瞬、静寂が寝室を包み込む。
「ウン……。彼ヲ回収デキタラ、休暇ヲ取ロウ……。ありーとニ、帰ッテ、ユックリ過ごゴソウカ……」
「ホント?」
「ウン……」
再び唇を重ねる2人。互いの腕を背中に回すと、そのままベッドに横たわり、体を絡め合った。
――木のまな板。だいぶ使い込まれていることが色で分かる。しかし、不潔ではない。
〈スッスッスッスッスッ……〉
果物か野菜の皮をむく音が、リズムよく聞こえる。
「あ……」
誠の小さな声が台所に響く。他には誰もいない。ジャガイモをむいていた包丁が誠の親指に当たったのだった。
とっさに自分の親指を見る誠。一見すると何の変哲もなさそうな皮膚から、いくつもの血のしずくが一直線上にプクプクと、にじみ出てきた。
舌打ちして、その指を口のそばまで持ってこようとしたとき、誠は目を見開き、動きを止めた。
(!!!!!!!)
直線状の傷口がうっすらと緑色に光ったかと思うと、見る間に傷口が消えていく。もう、血は出ていない。
(いったい……?)
手にしていたジャガイモと包丁を慌ててまな板の上に置く誠。水道で手をさっと洗い、タオルで拭き、照明を消す。
薄暗い夕方の台所。もう12月も近い。右手の甲を天井に透かしてみる。
(えっ……!?)
ほんのわずかだが、右手全体が緑の光をたたえている。かすかな光で、注意深く見なければ分からない。
手を返して、今度は手のひらを自分に向けてみる。やはり緑色にうっすらと光っている。いや、『光っている』というよりは、中の『光が漏れている』といった感じだ。
左手の中からも光が漏れている。
(どういうことだ……!? 昨日は何もなかったのに……)
左腕の袖をまくってみても、やはりほんのり光をたたえていた。
(アルダムラの副作用か……!?)
と、不安を覚え、台所を片付けはじめる誠。
(メシなんかつくっている場合じゃない……!)
料理をつくるのをやめ、上の階にある美月の家に行ってみることにした。
――近未来的なデザインのベッド。その上に、上半身をあらわにしたヨーグとニージャが横になっている。
部屋の中には熱気が漂っていた。今は、わずかに冷めつつある。
ヨーグの胸に頬を載せているニージャ。うっとりと上気したまなざしをヨーグの顔に向けている。
一方、ヨーグは、情事の直後とは思えないほど、涼しげな表情を浮かべていた。
「僕ノ所為ダケド……、彼ハ強イ……、トテツモナク、強イ……。何セ、イケットノ超大型船ヲ1体デ沈メテイルカラネ……。チョット、ヤリスギダッタト、今ハ後悔シテイルヨ……」
「私……勝テル……?」
ニージャは、ヨーグの体を触りながら、言った。
「勝ッテモラワナケレバ困ル……。君ノアルダムラニ、ソレダケノ性能あっぷヲ、依頼シテイル。彼ヨリ、ズット高イ性能ニナルハズダ。ダッテ、何人モノ、あるだむらノデータヲ、ソノママ搭載シテイルカラネ……」
「ウン……」
「サッキモ言ッタケド、君ヒトリデ戦ワセタリハシナイ。僕ト仲良シノ面子モツケル。彼ラハ、ぷろノ回収屋ダヨ。素行不良ノあるだむらデ、早メニ回収スベキト説明シテアルカラ、快ク協力シテクレルヨ。君ガ采配ヲ執ッテクレ」
「ウン……」
「新型武器モ用意シテオク。隊形ヲ、ツクッテ攻撃スルトイイ。戦イトハ、個デハナク衆デスルモノダカラネ……。アト、モウヒトツ保険ヲ用意シテアル……。彼女サ……。使イ方次第デハ、戦イヲ、カナリ有利ニ進メラレルハズダ……」
「ウン……。分カッタ……」
――呼び鈴を誠が押した。
〈ピンポーン……〉
こもった音が、扉越しに聞こえてくる。
(美月さん……さっきは留守だったけど……もう……帰ってきてるかな……)
と、思いながら、もう一度押す。
〈ピンポーン……〉
人が出てくる気配はない。
(しょうがない……中で待たせてもらおう……)
美月からもらっていた合鍵を使って中へ入る誠。自分の体の変化を一刻も早く伝えたかった。
ひと気のない部屋に明かりをつけると、こげ茶色のちゃぶ台がぽつんとひとつ。昭和の臭いのするこのちゃぶ台は以前美月が下北沢で購入したものだ。
ちゃぶ台の上に右腕を伸ばし、ぐったりと倒れ込むように座る誠。自分の右手の先をじっと眺める。蛍光灯の明かりのせいで、今は緑の光が見えない。
ふと立ち上がり、蛍光灯を消してみる。蛍光灯から垂れた紐の先のように自分の手もぼんやりと緑色に光っている。
(はあ……)
ため息をつく誠。
〈ガチャ……ガチャガチャガチャ……〉
そんなとき、扉の鍵が開く音がした。
(美月さんだ!)
そう確信し、早足で玄関に向かう誠。
果たして、玄関のたたき側に、美月の姿があった。
「マコトくん!」
誠の顔を見るなやいなや、美月は、靴をたたきに放り投げると、誠に駆け寄り、抱きついてきた。
「み、みづ……」
誠は、それ以上言葉を出せなかった。誠の唇は美月の唇でふさがれていた。
(柔らかい……)
誠には初めての感覚だった。頭が真っ白になり、血液が股間に流れ込んでいくのが分かる。
美月の唇は、ひとたび誠の唇を離れ、誠の首筋に触れた。
「あっ……」
自分の意思とは関係なく、とっさに首をすくめる誠。そのとき出してしまった自分の声に顔を赤くした。
美月の唇が再び誠の唇に戻ってきた。
(ンーッ……!)
目を見開く誠。口の中に美月が入ってくる。美月の胸が押し付けられてくる……。全て初めての感覚だった。大人の接吻だった。全身の力が抜けていくような感覚。口と胸、股間を残して全て消えていくような感覚。知ってはいけなかったような背徳感。喜びと不安の入り混じった底知れない感覚から、必死に逃れようとする自分もいる。しかし、自分の両腕を美月の背中に回すことくらいしか、今の誠にはできなかった。




