【1】牛と異星のアルダムラ(後)
部屋の外から様子をのぞいていた研究員のひとりが目を閉じ、脳裏に映ったグラフを見る。
「素晴らしいアートノック値だ。『延びしろ』がありそうだ……」
と、ぼそりとつぶやいた。
部屋にいる誠は、美月に詰め寄るように、その顔を近づけた。
「それって、イケットに誘拐されたってこと!?」
「だ、断言はできないけど……、可能性はゼロではない……と思う……けど……」
美月は誠の血相に圧倒されている。
「どこ! 宇宙船! 敵の宇宙船!」
「えっ……?」
「助けに行く!」
「ちょっ……、落ち着いて……。誠くん……」
美月が腰を上げた。
「落ち着く!? 捕まったら人間は、首をすげ替えられて奴隷になっちまうんだろ!?」
「あせれぶクン、彼ヘノ許可ヲ、私カラモ、オ願イシタイ」
どこからともなく、聞き慣れない言葉が聞こえてきた。アセレブとは美月のことだ。誠は、彼らの母国語、アタキム語だと察した。
白いトンビコートをまとった中年男性が、部屋に入ってきた。
「研究主任……」
中年男性の方へ視線を移す美月。
「彼ノあーとのっく値ノ上昇ニ興味ガアル。事情ハ私カラ君ノ上司ニ話シテオクヨ」
母国語で話す中年男性。誠と目が合うと、誠の会釈に合わせ、自然な動きで頭を下げた。
「美月さん、この人は何て言っているの?」
と、誠。
「誠くんを行かせてあげなさいだって……」
「あっ、ありがとうございます」
誠は、体を男性の方へぴっと向け、頭を下げた。中年男性も浅く頭を下げた。
「マダ知識ダケデ、あるだむらノ、いめーじとれーにんぐを、シテイマセン」
美月は、母国語で研究主任に言った。
「知識サエアレバ、何トカナルダロウ。彼ノ落胆サセテシマッテハ、アマリニモ、モッタイナイ……」
「ワ……カリマシタ」
「彼ニ説明シテヤッテクレ。コレカラ、いけっとノ調査船ニツイテ、ワレワレガ把握シテイル位置ヲ教エル。あるだむらハ、自分ガ身ニ着ケタ知識通リ、素直ニ、ウゴカセバイイト伝エテクレ」
「彼ガ、ワレワレノ母船カラ直接行ッタラ、外交的ニマズクナイデスカ?」
「マズクナイヨウニ処理スレバイインダヨ。タイシタコトジャナイ。ソレモ、私ガヤッテオクヨ」
「ア……ハイ……」
美月は、いかにも【気が進まない】という感じで了承すると、誠の方を向いて説明をはじめた。
「誠くん、今からこの人がイケットの調査船の場所を教える。調査船は、空中で見えないようになっているのもいると思うけど、アルダムラ状態なら見えるから……。アルダムラで空を飛ぶときは、余計なことを考えないで頭に浮かんだイメージに素直に従って……いい?」
「うん」
「ジャア……オ願イマシマス……」
と、美月は母国語で研究主任に言った。
腕につけた細いバンドを操作する研究主任。
「失礼……」
と、母国語で断り、誠が少し違和感を覚えるほどうやうやしく頭を下げると、その指先を誠の額にそっとあてた。
次の瞬間、誠の頭の中にさまざまな映像が入ってきた。直径数百メートルの丸くて平たい飛行体、その飛行体の入り口、飛行体の防御体制、おおよその見取り図……。
誠は、あっけにとられた表情でその映像を受け入れていた。
「じゃあ、ここでアルダムラ状態になってみようか?」
美月の言葉に、誠はわれに帰った。
「あっ……。うん」
と、返事をし、アルダムラ状態になった自分を想像する誠。そのイメージは脳内にすでに植え付けられてある。
しばらくして、誠の全身が緑色の光りに包まれた。そして、光りが弱まるにつれ、白い戦闘用強化服に包まれた姿が現れた。
その姿は、【○○スーツ】を着用した特撮ヒーローを想像するといいだろう。デザインはいたって簡素だ。装飾の類はほとんどない。全身は、頭部を含め、鏡のような金属色。そこに緑の蛍光色と黒が随所に入っている。緑色になっている箇所からアートノック粒子の光が放出されているようだ。また、前腕部と、膝下から足までがひと周り太くなっている。
「うん……。上出来……」
誠の姿を見て、こくりとうなずく美月。何か大切な日に子どもを送り出す母親の目に似ていた。
「じゃあ、そのままちょっと待っててくれる? 小型船を用意して地上に降りるから……」
「いいよ、ここからで……。今すぐ行く」
「えっ……?」
「ここから向かう。出口を教えてよ……」
「ドウシタ? 何ヲモメテイル……?」
2人の様子を見て研究主任が母国語で言った。
「彼ガ、コノ場カラ直接出テイキタイト……」
「イイジャナイカ……。送リ出シテヤロウ……。出撃口ニ案内シテアゲナサイ……」
「……」
美月は黙って誠に向き直り、
「誠くん……。こっち……」
と、自分が先頭になって部屋を出た。
――薄暗くて静かな空間。高さ、幅、奥行きとも、かなり広そうだ。しかし、誠が立っている位置からは正確な大きさは分からない。ただ、いくつもの球体が規則正しく宙に浮かんでいるのは見える。彼らの兵器だろうか。細いワイヤー状のもので係留されているようだ。
「あの……。念のために聞いておきたいんだけど……」
誠の声が空間に響く。
「なあに?」
美月の声も響いている。
「『捕らわれた人間はどこにいる?』って、何て言うの? そっちの言葉で……」
「えっ……? 『スラーつぉ・バらあツぇ・エトゥントゥ?』」
とても、柔らかく聞こえる言葉だ。
「スラー……、えっと……」
日本語と違いすぎて、誠は、聞き返すことさえできない。
「ごめんなさい。イケット語だと『スルアト=ソブ・アル・アトゥセ・エドノッドゥ?』ってなるかな?」
さっき聞いた言葉と違い、今度は硬く聞こえる。
「あの……。もうちょっと簡単なの……ない?」
「そうね……。『スルアト=ソブ・エドノッドゥ!』って言えば、通じると思う……」
「どういう意味……?」
「えっと……」
言葉に詰まる美月。
「意味も一応知っておきたいから……」
と、促す誠。
「……『牛、どこだ!』って意味……」
美月の答えに誠が沈黙する。
「あの……」
「いや、大丈夫。『するあと、そぶ、えどのっど!』……だね」
美月が何か言おうとするのを制して誠が言った。
「『するあと、そぶ、えどのっど』、『するあと、そぶ、えどのっど』、『するあと……そぶ……えどのっど』よし! 覚えた」
つぶやきながら何度か復唱すると、誠は美月の顔を見た。
「そっちは日本語ペラペラなのに、どうしてこっちはアタキム語を話せないの?」
「機密保持の一環……って聞いてるけど……」
「そうなんだ……。まあ、いいや……。行ってくる」
「うん……。私は先に帰って待ってるから……。気を付けてね……。がんばって……」
「うん……」
誠は、こくりとうなずいて円形の扉に入っていった。
――薄暗いチューブ状の通路。直径は数メートル。美月は球状の兵器の発射口と言っていた。通路の奥から、わずかに外光が差し込んでいる。鏡のような金属色をした誠のアルダムラの輪郭が、ぼんやりと輝いている。
外光に向かって走る誠。やがて、階段を踏み外したような感覚に襲われ、真っ逆さまに落ちていった。下り坂だった通路が途中で真下に落ち込んでいたのだった。
空中に放り出された誠の視界に真っ先に入ってきたのは『黒い空』。そして強烈な太陽の光だった。
鏡面加工をしたようなアルダムラの表面に太陽が反射する。そのさまは、小さな太陽がアルダムラの体にもうひとつあるようにも見えた。




