【9】疑心暗鬼の牛(後)
――ひと気のないシーズンオフの公営プール。水が緑色に汚れている。
〈カラカラカラカラカラ……〉
ディーゼルエンジンのアイドリング音が聞こえる。荷台付きの小型クレーン車だ。
クレーン車のそばには、中村豊と田中夫妻が立っている。
クレーン車からは、アウトリガーと呼ばれる『脚』が出ていて、クレーンブームと呼ばれる『腕』も高くのびていた。
クレーンの『腕』の先をたどると、垂れたワイヤーの先に檻がぶら下がっている。大型獣用の罠か何かだろう。その下には緑色に変色したプールの水がある。
檻の中には男性が入れられていた。
こざっぱりとした背広を身に着け、眼鏡をかけている。レンズ越しの輪郭がゆがんでいないところを見ると、ダテ眼鏡のようだ。
檻の中で体育座りをしている。両手両足をガムテープのようなもので縛られているためだ。おびえている様子は一切ない。
男性は落ち着いた声で口を開いた。
「さあ、聞きたいことって何かな……?」
その声の大きさは、〈カラカラカラ……〉と聞こえるクレーン車のアイドリング音でかき消されそうなほどだった。
相手の声がはっきりと聞こえるようにと、檻に近づく豊。
「さっきも言ったが、われわれの知りたいことは真実だ!」
アイドリング音に負けないように大声で言った。
「答え次第で、どうこうしようとは思っていない。だが、嘘はついてほしくない……。その仕掛けも、プールも、単なる保険のためだと思ってほしい!」
豊の言葉に、檻の中の男性は特に何も反応しなかった。質問を待っているようだ。
豊が続ける。
「……『回収』という言葉を聞いたことがあるか!?」
「カイシュウ……?」
豊の言葉に、男性は、いぶかしそうな表情を浮かべた。
男性の反応を見て明の方を向く豊。明は、クレーンブーム(クレーンの腕)の脇に立っていた。
豊は、左手の甲を上にして、頭の高さから、ぐうっと下げる動作をした。『段取り通り、檻を水面ギリギリまで下げろ』という合図だ。
クレーンのレバーを操作する明。
〈ゴオオオオオオオオ……〉
大きな音をたてて檻が下がっていく。檻の底が水面に触れるか触れないかのところでぴたりと止まった。
「ずいぶん乱暴なやり方じゃないか。キミらしくない……」
檻の中の男性は、落ち着いた口調で言った。豊が言い返す。
「君たちの仲間、案内人の回収方法も乱暴だと聞いている。アルダムラを装備した地球人が殺されることもあるという話だが……。仲間には殺された者はいないが、実際に回収された者はいる……。今はもう『ウシ』として生活しているよ」
「ああ……。そういう意味の回収かね……。なるほど……」
「おい! 『なるほど』ってどういう意味だ。やっているのか?」
「いや……。アルダムラを犯罪に使用する地球人がいれば、専門班が安全装置を使って停止させ、キミたちの言うカイシュウを行うことはある……。が、私の知っている限り、殺害するようなことはまずないし、また、理由もなくそういうことを行うはずがないと思っている。だいたい回収なんて……」
と、そこまで言って、男性は虚空を見つめた。思い当たる節があるという様子だ。
「『回収なんて』とはなんだ! 『何か知ってる』って顔をしているぞ!」
語調を強め、明に合図を送ろうと振り向く豊。檻の中の男性は『やれやれ』といった表情で話を続けた。
「君たちの言うその『回収』をすれば、すぐにデータを新しいアルダムラに実装できると思っているようだが、実際には、必要なデータと不要なデータを分けるために、データ内容を検証しなければならない。使用者に悪影響を及ぼすデータもあるからね……。地球人にもデータにも乱暴な、そんなやり方は、アルダムラの改良には、つながらないのだよ。そんなリスクを負ってまで、急いで改良する必要はない。だいたい、われわれアタキム人は、地球人と同等という立場だ。そんな非人道的な方法は取らない」
男性の話を聞いて、豊は明に『クレーンをさらに下げろ』という合図を送った。
〈ゴオオオオオオオオ……〉
大きな音をたてて檻が下がる。体育座りをしている男性の腰まで水につかった。空を仰ぎ、大きなため息をつく男性。しかし、おびえてはいない。『面倒なことになった』という表情だ。
「お・も・て・む・きは、非人道的な方法を取っていないってことだろ!? 裏で何をやっているかは分からないじゃないか!」
豊が大声で追及する。
「どうしたら、われわれを信用してくれるのかね? 仮にわれわれアタキム人の中にそういう者がひとりいたら、全員そういう人間だと決めつけるのかね? 君の理屈だと、地球人は全員こうやって乱暴なことをして……尋問して……異星人が話すことは一切信用しない……ということになるが……? 私は全くそう思ってはいないがね……」
男性の言葉に沈黙する豊。少し間を置いてひと言言った。
「われわれは、安心できる証拠が欲しいんだ……」
「証拠か……。それは難しいな……。アタキム人に一人ひとり聞き取り調査でもするかね? こちらの地球駐在団の責任者と話してみるかね? すぐには難しいだろうがね……。しかも君たちは疑心暗鬼に陥っているようだ。話を聞いたところで信用してくれるかね……」
と、ここまで言って男性は、豊の反応を見た。豊は黙って聞いている。男は続けた。
「確かにアタキム人の一部には、地球人に乱暴なことをしてもかまわないという者がいるだろう。正直なところ、君たちのことを野蛮人と蔑む人たちはいるからね。地球人とアタキム人が全く対等になるのは難しいだろう……。ただ……ただ、私が言えることは、私の上司であるイアタック管理官は、アタキム国の方針に、忠実に、従っているということだ。君のいう『表向き』のことを、忠実に守り、部下にも徹底させている。私の言葉を信用するかしないかは、君ら次第だがね……」
と言って、男性は身震いした。腰の辺りまでつかったプールの水は、服のみぞおち辺りまで染みこんでいた。
――時間は少しさかのぼる。中村豊と田中夫妻が案内人を尋問していた日の朝。
〈ピンポーン……〉
誠の自宅の呼び鈴が鳴った。
扉の『のぞき窓』から外をうかがう誠。見覚えのある女性がレンズ越しにゆがんで見える。鈴木真由美の姿だった。
「はい……」
誠が扉を開けると、真由美は小さく会釈した。
「ちょっといいかしら……」
と、外へ出るよう誠に促した真由美の隣には、歳のころ7~8歳の男の子が立っていた。アタキムの管理官、ヨーグのそばにいつもいる幼い少年だ。
――ブランコ、滑り台、鉄棒、砂場……。団地の公園。子どもたちが静かに遊んでいる。
誠と真由美、幼い少年が向かい合わせに立っていた。
「ある人に、あなたを連れてきてほしいって頼まれたんだけど……」
と、話を切り出す真由美。
「ある人って、鈴木さんの案内人のこと?」
豊から聞いていた話を総合すれば、おおよその察しは誠にもつく。
「そう……。どうする? 私たちと一緒に来てくれるの……?」
「う~ん……」
真由美から視線をそらして考える誠。
(美月さんも絡んでいるなら素直に従おうか……。もともと美月さんがくれたアルダムラだし……)
砂場やブランコで大人しく遊んでいる子どもたちをぼんやりと眺める。
「……素直に従わなければチカラづくでも……って言われてるんだけど……」
誠の返答を促す真由美。誠は、穏やかならない真由美の言葉に対して、
(ここは、映画でお決まりのセリフを言って、探りを入れてみるか……)
という考えになった。
「もし、イヤだと言ったら?」
と、誠。
「ふふふ……。どこかで聞いたような言葉ね……」
静かに笑う真由美。
「……そのときは、誠くんと仲のいい案内人を殺す……って、脅していいと言われているんだけど、どうする?」
と続けた。
「本気なんですか?」
誠は真由美に応じながら、
(美月さんは絡んでいない!)
と確信し、その腹を決めた。
「分かんない……。誠くんの返答しだいかな……?」
「鈴木さんにそんなことできますか?」
と、聞き返す誠。真由美が答える前に幼い少年が高い声で怒鳴った。
「ごちゃごちゃ言うな! マユちゃんができなくったって、オレがする!」
はたから聞けば、かわいらしく聞こえるだろう。しかし、その右手だけをアルダムラ状態にして誠に向けていた。アルダムラのカラーは青だ。
「鈴木さん……、俺には戦う理由なんてないけど……」
幼い少年から真由美に視線を移して話す誠。
「私たちにはあるの……。大切な人のために……」
「ヨーグさまは、オレタチのコイビトだからな!」
真由美に続いて、幼い少年も大きな声で言った。
(!?)
少年の言葉に、誠は、『もの問いたげな』表情を浮かべた。
「この子にとっても、大切な人なの……」
と、その言葉をすぐに真由美が引き取った次の瞬間、少年が等身大のアルダムラ状態になった。特撮ヒーローのような出で立ち。ひと回り太い前腕部と膝下部分が青、その他の部分は白。アクセントカラーはオレンジという配色だ。形状に若干の個体差があるようだが基本的な特徴は変わらない。
オレンジ色のアートノック粒子を浴びる誠。次の瞬間、黒いアルダムラの愛と闘ったときと同じように、頭の中に映像が入ってきた。
――ひと気のない自宅の部屋。その隅で膝を抱えて座る少年の姿。誠にひどい空腹感まで伝わってくる。
こことは別の公園のブランコに力なく腰掛ける少年の姿。その前に男性が現れ、手を差し伸べたところでわれに返った。誠は知らないが、男性はあのヨーグだ。
――少年に続いて真由美も等身大のアルダムラ状態になった。特撮ヒーローのような出で立ち。ひと回り太い前腕部と膝下部分はオレンジ、その他の部分は白。アクセントカラーは青、もう誠が何度も見ている配色だ。
(本当に戦わなければならないのか……)
と、やり切れない思いが心によぎった誠。真由美のアルダムラが放つ青い光を浴びた瞬間、再び頭の中に映像が入ってきた。
――朝早く仕事に出て夜遅くに帰ってくる毎日。ぼんやりと恋愛映画を見る休日。突然自宅に現れた美しい男性。この男性もアタキムの管理官、ヨーグだが、誠はもちろん知らない。
真由美に手を差し伸べる男性の姿。真由美はその手をそっと握る……。
「わかったよ……。その案内人は、本当に大切な人みたいだね……。でも、俺は黙って従う気はない……」
と、静かな口調で言うと、誠も等身大のアルダムラ状態になった。全身が鈍色、アクセントカラーは緑の蛍光色だ。
緑色の光を浴びる真由美と少年。しかし、誠のような変化は何も見られないようだ。
「そう……。残念ね……。じゃあ、戦うしかないということね……」
「俺には、全く割り切れない戦いだけど……。どうして地球人同士で戦わなくちゃいけないんだって……」
「それよりも、大切なものがあるから……。さあ、どこで勝負をつけようかしら、ここだとイヤでしょ?」
「じゃあ、海で……太平洋で……」
「わかった。じゃ、行きましょ……」
と言って、真由美の等身大アルダムラは、カバの形をした遊具に歩み寄り、それを根こそぎ引き抜いた。
カバの遊具を頭上に掲げ、体を宙に浮かせる真由美。それに続いて、少年のアルダムラも宙に浮く。
ゆっくりと上昇していく2人に、誠のアルダムラもついていった。
――70年代のインテリアで飾られた美月の部屋。
〈ピンポーン!〉
呼び鈴が鳴った。
「は~い!」
扉を開けた美月の目に飛び込んできたものは、美月の上司に当たる管理官ヨーグと、以前彼と一緒にベッドで寝ていた女性、ニージャの姿だった。
「ア~イ……」
母国語で挨拶したヨーグが笑顔を浮かべている。その笑顔を不快に思った美月は、目をそらした。




