【9】疑心暗鬼の牛(前)
その後も、美月は、ふと思い出したように泣きだした。特に、話したり、料理をつくったり、誠と一緒に楽しく過ごしたりしているときに、突然そうなる。
本人は、何とかこらえている様子だが、目や声の潤み、鼻水をすする仕草で明らかに泣いていることが分かる。
「美月さん、どうしたの?」
と、誠が聞けば、
「うんん? 大丈夫、何でもない……」
と、首を振るばかり。
「何でもないわけ、ないじゃない……。身内に不幸でもあったの? ふるさとのことを思い出してるの?」
と、誠が問いかけても話してくれない。
「ご、ごめんなさい……。本当になんでもないの……」
と、謝るばかりだった。
(美月さんは俺のことで泣いているんじゃないか? 俺に何か起こるのか? 何か知ってて隠しているのか?)
やがて誠は、そんな疑念を持つようになったが、美月を問いつめるようなことはしなかった。泣いている美月に追い討ちをかけて苦しめるようなことはしたくなかった。
しかし、次の日曜日、誠は美月が泣く理由の小さな手がかりを得た。
――日曜日。海の見える喫茶店。大きな丸いテーブルを老若男女8人が囲んでいる。
中村豊とその妻、息子、娘、田中明と幸子の夫妻、鈴木真由美、そして渡辺誠。女子中学生の佐藤麻衣の姿はない。
〈カチャ……〉
コーヒーカップがソーサーに触れる音がする。豊はカップから手を放した。
「巨大散布船を落とせたの、ウチのチームだけだったらしい……。また後日、作戦があるかもしれないので、そのときは、また、みなさんの協力をお願いしたい」
小さく頭を下げる豊。他の者もうなずいてそれに応じた。
「それより、今日みなさんに集まっていただいたのは、気になることを耳にしたからなんだ。麻衣ちゃんに連絡が取れないんだ。誰か、何か、聞いてるかな?」
豊の問いに沈黙するアルダムラの面々。いぶかしそうに互いに顔を見合わせるだけだ。
「マコッちゃんは?」
「いえ……。なにも……」
豊の問いに誠は首を小さく振った。
「鈴木さんは?」
「いぃえぇ」
真由美は語尾を少し上げて答えると、おもむろに立ち上がった。
「すいません……。今日活動がないなら、私、帰りますけど……」
「ああ、ごめんね、呼び出して……。あとひとつ聞きたいことがあるんだけど……」
「何でしょう?」
「カイシュウ……って言葉聞いたことある? 案内人とかから……」
「カイシュウ……」
「アルダムラの装置を回収するという意味らしい」
「いいえ、別に……」
「そうか……ありがとう……。あっ……この前のおつり……」
「それで……今日の紅茶の分出しておいていただけます? 足りると思いますので……」
「ああ、わかった……」
「それでは……」
会釈をして、豊の子どもや幸子に小さく手を振ると、真由美は席を立った。
〈チリンチリン……〉
ドアのベルの音が聞こえる。真由美が店を出ていった音だ。
「さて……と……。鈴木さんがいない、いまがちょうどいい機会だと思うんだが……」
と、切り出す豊。田中夫妻がうなずいた。しかし、誠だけは違った。
「えっ……?」
と、誠から向けられた疑問の視線を受けて、豊が説明をはじめた。
「僕と田中夫妻は、われわれにアルダムラを与えてくれたイケット人が、善意を装っているだけで、結局われわれを『牛』扱い……実験ネズミ扱い、しているだけなんじゃないかって疑っているんだ……」
とまで言って、豊は誠の表情をうかがった。誠は表情を変えずに豊をじっと見ている。話の続きを田中明が引き取った。
「……まえにな、中村さんとこの話になったとき、鈴木さんがえらく血相を変えてな……。乱暴に席を立ってしまったんだよ。あれはかなり怒っていたなあ……」
「ええ、鈴木さんは向こうの案内人とかなり仲がいいみたいですからね。そういう話は、聞きたくなかったんでしょう……」
豊が言った。
「そうなんですか……」
誠がつぶやくように言った。その視線は、コーヒーカップの中に注がれている。豊が続ける。
「……われわれとしては、互いに利用し合う関係を築きたいと思っていたんだが、その『回収』とやらで、世界中の何人かと連絡が取れなくなっている……。ただ、アルダムラを取り上げられるだけじゃなくて、殺された者もいるらしい……」
とまで言って、豊はコーヒーに口を付けた。説明して口の中が渇いたらしい。説明はさらに続く。
「……こうなったら、アタキム人にもお引き取りいただく方向で世界中の仲間と話し合っている。まあ、まずはイケットのヤツらからだけどね……」
「そうですか……」
と、つぶやいた誠は美月のことを思った。
(俺も……回収リストに……入っているのかも……)
しかし、この場では口に出さなかった。
豊が話を続ける。
「今日の帰り、麻衣ちゃんの実家に行ってみようと思う。住所を聞いてあるから……」
「あっ……俺も行きます……。ついていっていいですか……」
「うん、いいとも……。じゃあ、これから行ってみようか……」
――曲線を多用したデザインで豪華な天蓋付きのベッド。近未来的なデザインだが、彼らにとっては当たり前のつくりだ。
そこに、あの『美青年』、管理官のヨーグが仰向けで寝そべっていた。全身裸で腰に薄手の布を掛けている。
布の下にもう2人いた。
ひとりは、歳のころ20代前半のショートカットヘアーの女性。真由美ではない。別の女性だ。もうひとりは7~8歳の男の子。彼はいつもヨーグのそばにいるようだ。2人とも裸でヨーグにぴったりと寄り添っている。
当のヨーグは、腕輪状の装置を額にあてて誰かと母国語で話している。
「アノ被験者ノ少年ハ、ソバニイルカイ?」
「ソウカ、ソレハ都合ガイイ……」
「コノ前ノ話ダケド……ドオ……? 応ジテクレソウカナ? モウ回収ヲ済マセタ人ハ、ダイブイルンダケド……」
ヨーグは、自分の胸に頬をすり寄せる女性の頭をなでながら話していた。女性は甘えた表情でヨーグの腹を触っている。
「回収シテイナイノハ、君クライダゾ……。彼ハ、10体分以上ノ価値ガアル。研究員ノ間デモ評判ダヨ……。想定以上ノ性能ガ発揮サレテイルッテ……」
「タッタ1体デ、大型艦ヲ沈メタソウジャナイカ……。彼ノあるだむらハ、研究ニ不可欠ナンダ」
「ワカッタ……。イヤ、今度直接彼ニ会イニ行クヨ……。イヤ、モシカシタラ人ヲ送ルカモ……」
「オイオイ、泣カナイデオクレヨ……。僕ガ悪者ミタイジャナイカ……。ジャア、頼ムヨ」
と言って、ヨーグは、額から腕輪を外し、ため息を漏らした。
「フウ……。全ク面倒ナ女性ダ……」
「フフフ、管理官ト、アノ女、アマリ反リガ合ワナイヨウデスネ」
「マア、ソウダネ……。特ニ彼女ノ『兄』トハネ……」
上半身を少し起こすヨーグ。その胸を愛撫していた女性も体を起こした。
「にーじゃ。キミノ担当シタ女ノ子、ヨク素直に従ッタナ。手ナズケ方ガ、ウマインダネ」
ニージャとは、このショートカットヘアーの女性の名だ。彼女が顔をヨーグに近づけた。
「ダッテ、彼女ノ、オ姉サンダモノ……。新シイ装置ヲ付ケテホシイッテ言ッタラ素直ニ聞イテクレタノ……」
と言って、ヨーグに口づけをするニージャ。
「イイ子デショ? コノ子ミタイニ……」
と、今度は幼い少年にもキスをした。
「ヘエ……」
満足そうな表情を浮かべたヨーグは、その様子をほほえましく眺めていた。
――昼下がりの里山。少し黄色味を帯びた青い空。白い雲。低い山に囲まれた狭隘な平地に広がる田畑。田園風景を知らない者さえ、郷愁を誘いそうな風景。日本人の遺伝子に刻み込まれた古い記憶を呼び起こしそうな風景。
そこに、体育座りをして遠くの山をぼんやりと眺める少女がいる。麻衣だ。
「まあいちゃんッ」
背後から呼びかける男性の声に振り向く麻衣。声の主は豊だった。語尾を上げた豊の言葉には親しみが込められていたが、麻衣の表情は乏しかった。
豊の左右には田中夫妻と誠の姿もある。
その乏しい表情のまま、おもむろに立ち上がる麻衣。
「僕らのこと、覚えているかい?」
という豊の質問に、かすかな笑顔でこくりとうなずく。
他の者たちも笑顔でうなずいた。その表情には安心した気持ちも現れていた。
誠のそばに歩み寄る麻衣。何も言わず、両手で誠の右手を優しく握ると、にっこりと笑った。しかし、言葉はない。
誠の方も、何と声をかけたらいいのか分からなかった。ただじっと、笑顔を麻衣に向けていた。
鼻を何度もすする音がする。音のする方をちらりと向く誠。静かに泣いていたのは幸子だった。
「こんな短期間で、『ウシ化』してしまうものなのか……」
と、つぶやく豊。
「ウシカ……?」
明が聞き返す。
「いや……。イケットの粒子がこんなに早く効くものなのかと……」
「そうだね……。意図的に粒子を吸わせて、ここに返したのかもしれないね……」
「田中さん……。ウチラの案内人に直接聞いてみますか……。少々荒っぽくなるかもしれませんが……」
「そうだね……。聞いてみようか……」
「マコっちゃんはどうする?」
豊が誠の方を見た。
「お……おれは……」
と、口ごもる誠。何と答えたらいいか分からない。
「いや、いいんだ。軽率なことはするな。僕たちの案内人と違うからな……。何か分かったら教えるよ。それまではくれぐれも気をつけろ。油断するな」
「あっ……はい!」
誠の手は麻衣にずっと握られたままだった。
――12畳ほどの広さのワンルーム。床はフローリングで整理整頓が行き届いているが、調度品はカラーボックスなどで非常に庶民的だ。
部屋に不似合いなほど豪華なベッドから女性のなまめかしい声が聞こえる。やがて、大きなよがり声が短く聞こえたかと思うと、
「うふふふっ……」
忍び笑いになり、ふと静かになった。
『果てた』表情で仰向けに寝ているのは、真由美だ。胸のあたりまで薄手の布がかかっている。
そのそばで顔を寄せているのは7~8歳の男の子。いつもヨーグのそばにいる幼い少年だ。うっとりした表情で真由美の横顔を見ている。
ヨーグもベッドにいた。体を少し起こした状態で掛け布に入っていて、いとおしそうに2人を見ている。
「ちょっとお願いがあるんだけどいいかな……」
と、日本語で話すヨーグ。優しく甘えるような声で言いながら、真由美の頭をなでた。
「なあに?」
甘ったるい声で返事をする真由美。
「問題のあるアルダムラがあってね……。それを回収しなければならないんだ……。キミも知っている顔だと思うから、キミから説得してくれないか?」
と言いながら、幼い少年の頭もなでた。
「うん」
年齢30代前後の彼女は、思春期の少女のような表情を浮かべていた。
「回収にすんなり従ってくれるといいんだけど、同じ人間だからね……。そうでないこともある。適性というか……そのアルダムラの性格的にね……。そのときには、この子と協力して強制的に回収してほしいんだ……」
「強制的にって……あっ……」
「ありがとう……。察しがいいね……。大丈夫……、今まで回収した7体のアルダムラの性能を集約した試作機を用意するから、そんなに難しくないはずだよ……」
「うん……分かった……やってみる……」
こくりとうなずく真由美。その目は『恋する乙女』という表現がよく似合う。
「いやっ……ちょっと……いまはダメ!」
真由美の表情がもとに戻る。体を密着させていた幼い少年が彼女の胸にいたずらしたのだった。




