【5】潜入の牛(後)
「じゃあ、ご飯、食べよっか……」
笑顔で言う美月。誠も美月も、まだ箸さえ触っていなかった。
「うん、そうだね……」
と、誠。テーブルに目を向けた2人が同時に声を漏らした。
「あっ……」
深鉢に入った筑前煮も、皿の上の焼き魚も半分以上なくなっていた。
「ごちそうさま……」
と言って、立ち上がる父親。自分が使っていた飯茶碗と汁椀を重ねると、箸と一緒に手にしてテーブルを離れた。
わずかに残った煮物を見る美月。さすがに焼き魚は、ひとり1切れずつ残っている。
「料理……めいめいに分けておけばよかったね……。粒子を吸い込むと、こういうことも、気にしなくなっちゃうのか……。煮物、まだ残ってるから持ってくるね……」
立ち上がり、大鉢を手にする美月。別の部屋からテレビの音声が聞こえる。つけたのは父親だろう。
「はい、どうぞ……」
大鉢を置いて、椅子に座る美月。
「ありがと……」
膝に手を載せ、姿勢を正す誠。
「いっただっきます!」
2人は、ほぼ同時に声をそろえて、頭を下げた。
「どう?」
と、美月。やはり、自分のつくった料理は、食べる人の反応が気になる。
「うん、おいしい……。日本の料理、初めてなのにすごいよ」
「よかった。ありがとう」
美月の箸も動き始めた。
黙々と箸と口を動かす2人。
しばらくして、誠が口を開いた。
「そうだ……美月さん……。今日、黒いアルダムラの『ひと』に会った」
「えっ……?」
「高校の同じ学年の娘だった……。何だか知らないけど、戦うはめになっちゃってさ……手や足を削いでいって捕まえることができたんだけど……、誰かに殺されちゃった……」
「殺された……」
美月の箸が止まった。
「うん……。そしたらさ……相手から光に包まれて、それを浴びたら、相手の意識みたいなものが、俺の中に入ってきて……苦しかった……。あれって何だったんだろ……」
と、話しながら、
(なんで俺、こんなに冷静でいられているんだ……?)
という気持ちも、もたげてくる。
(まあ、昨日、今日って、いろいろありすぎたからか……)
と、その理由を自分で結論づけた。気付くと、美月がしきりに鼻をすすっている。誠が向くと、美月は、箸を置いて、その手の甲で鼻先を押さえていた。
「ぼめんね……」
と言って、鼻をすする美月。
「ごの2日で……いどいどあったぼんね……」
美月は、両手で顔を覆った。
次に美月の口からどんな言葉が出てくるか、誠には、だいたいの察しがついた。その先はもう聞きたくなかった。
「たまたま、いろんなことが重なっただけだから……」
と、誠は、美月の肩に手を置いた。
「ひゃっ!」
と、悲鳴のような声を上げ、肩をすくめる美月。
「ごごご、ごめん! ごめんなさい! び、びっくりさせちゃって……。触るのナシだったね……」
慌てて手を引っ込め謝る誠。触った手を下っ腹に押し込めてうつむいた。見る間に顔が紅潮する。
「わ、私こそ、ごめんなさい。変な声出しちゃって恥ずかしい……」
美月も顔を赤くしてうつむいた。父がつけたテレビの音声が聞こえくる。
――日曜日の新宿駅。
〈――こんなのただの『風景』だから気にすることないよ――〉
黒いアルダムラ、愛の『人は風景』という言葉を、誠はふと思い出した。
人通りは多いが、その様子はわれわれが知っているものとは異なる。何より静かだ。
〈ピーーーン……ポーーン……〉
聞こえる音と言えば、改札口の誘導チャイムと靴の音くらい。しかし、多くの人が整然と行き交っている。
「ふう……」
と、小さなため息をつく誠。
(まいったなあ……。とりあえず新宿に来ればいいと思ったけど、『これ』っていう店、見つかるかな……)
と、辺りを見回す。その隣には美月がいる。
「誠くん、どのお店行く?」
と、美月。
「う~ん……。まあ……その辺、ぐるっと歩いてみようよ」
「ふふっ。街の見学、楽しみ」
「見学って……」
ぶらぶらと駅構内を歩く2人。
〈ピーーーン……ポーーン……〉
再び、どこからか改札口の誘導チャイムが聞こえてくる。
誠は、時折、道行く人に声をかける人物を何人か見かけた。最初は気に留めずに通り過ぎていたものの、コンコースの柱の周りに十数人の人だかりができている様子を見て、いよいよ怪しいと感じた。
誠は足を止めた。
「ねえ、美月さん。あれどう思う……。粒子を吸った人が、他の人を勧誘するかな?」
「確かにおかしいね。粒子を吸うと、他人にあまり関心を示さなくなるから……」
「あそこの人たち、イケット人ってことある?」
「うん……。可能性はある……」
「せっかくの買い物だけど……俺……行ってみていいかな……」
「行ってらっしゃい。私に遠慮しないで……」
美月のその言葉を聞いて、じっとその顔を見る誠。しかし、美月の表情はどこか寂しそうだ。
「な……なに?」
誠に見つめられた美月の顔がほんのりと赤くなる。
誠は目をコンコースの人だかりに戻した。誠の顔もほんのり色づいていた。
「ごめん……。俺、黙ってみてられないよ……」
「分かった……。気を付けてね……。街をぐるっと見て回ったら、家に戻ってる……」
「うん……」
と、人だかりの方に行きかけたところで、誠が振り向いた。
「何度もごめん……。あの……合い鍵つくっておいてくれる?」
「うん」
「お金は大丈夫?」
誠は、ポケットから自宅の鍵を取り出すと、美月に手渡した。
「うん」
と、小さくうなずいて受け取ると、美月は、笑顔で誠を見送った。
美月と別れると、誠は、勧誘員たちが自分の方に視線を向けていない隙を狙って、その人だかりに紛れ込んだ。
「それでは、みなさんまいりましょう! こちらです!」
人だかりの中心にいた勧誘員が手を挙げるのを合図に、集団が一斉に動いた。最終的に、人数は誠の目算で20名くらいになっていた。コンコースを行き交う人々は、その集団を気にも留めない。
一行が地下駐車場に誘導されていく。蛍光灯が煌々とともる駐車場の一画に小型バスがあった。
「さあ、こちらにお乗りくださあい!」
と、促す勧誘員。黙って従う一行。誠もバスに乗り込んだ。
バスは、駐車場を出て国道へ。
誠は、車内の様子を注意深く観察していた。載せられた人々は、皆、静かに席に座っている。若者が多いようだ。
(若い人の方が奴隷にするのに都合がいいってことか……)
怒りがこみ上げてきて無意識に拳を握りしめる。
勧誘員と思われる人物たちは、やはり、ほかの乗客と様子が違う。運転席に1人、その隣に1人、最後尾に1人。運転者と隣の人物は、聞き慣れない言葉で談笑をしている。
(間違いない。イケット人だ……)
誠は、確信した。
(いま暴れるか……それとも……もう少し様子を見るか……)
が、問題だ。
そんなことを考えているうちに、バスは、代々木公園の駐車場に到着した。その時間10分足らず。
バスが停車してまもなく、誠の下半身がぞわっとした。窓の外では、周りの建物や樹木が下に沈んでいくように見える。バスが空中に浮かんでいるのだ。
(このまま、宇宙船に潜入しよう)
と、誠は心を固め、シートに深く座った。
――薄暗い空間。
誠がアルダムラになったその日、幼なじみを助けに、宇宙船から飛び出したときのことを思い出す。
バスの乗降口が開いた。
「みなさん、お疲れ様です! 到着しました! バスからお降りください!」
運転席のそばにいた勧誘員の言葉に、皆黙って従っている。誠も人の流れに混ざってバスを降りた。
降り口の前に、瞬間移動装置があった。以前誠が宇宙船に潜入したときと同じような装置だが、つくりが大きい。
(ここが収容所とつながっているのか……? だとしたら、この前、どおりで入り口が分からなかったはずだ)
などと思いながら、イケット人の誘導員に従う。
一定の人数が乗ったところで、
「はい、すみません! 少々お待ちください……」
と、イケット人が腕を伸ばして人の流れをさえぎった。乗客を半分ずつ分けて瞬間移動装置に乗せるようだ。
10人ほど乗ったところで、人々を光に包む瞬間移動装置。その光が晴れたとき、目の前に並木道の風景が広がっていた。
(映像か……。この前と同じだ……)
しかし、映像のわずかなズレや物体の影で、実際にはホテルのように通路が一直線に延び、左右に個室の扉が並んでいるのが分かる。かなり広い空間だ。
「はい、どうぞ。こちらで休んでてください!」
勧誘員が、一人ひとり、あるいは組で個室に入れていく。誠も例外ではなかった。
(へえ、わりと立派じゃないか……)
ぱっと見だが、中はホテルの洋室のようになっていた。淡い黄色の壁に2台のベッド、木製の調度品や家具が備えられてある。トイレや浴室もあるようだ。
室内の確認をぱっと見で切り上げると、扉をそっと開け、その隙間から廊下の様子をうかがう。残りの集団が到着したようだ。
誠は、扉を閉じて廊下の方に聞き耳を立てた。誠のいる部屋を通り過ぎる気配を感じたあと、
〈はい、お2人はこちら……〉
〈はい、どうぞこちらへ〉
〈はい、お入りください〉
と、勧誘員の声が聞こえる。
外が静かになったところで、再び扉を小さく開け、廊下の様子をうかがう。誘拐された地球人は全員部屋に入ったようだ。扉をさらに開いて、顔を突き出すと、廊下の奥に向かって歩いていくイケット人の背中が遠くに見えた。
扉をすっと抜け出した誠の全身が、緑色の光に包まれる。等身大のアルダムラ状態になった。
特撮ヒーローのような出で立ち。鈍色にくすんだ金属色のヘルメットとボディースーツ。そこに緑の蛍光色と黒が、デザインアクセントのようにあしらわれている。前腕部と膝下がわずかに太い。
前方のイケット人は、廊下の奥にある瞬間移動装置に乗ろうとしていた。誠たちが入ってきた方向と反対側の位置にある装置だ。
そのイケット人に猛烈な速度で駆け寄る誠のアルダムラ。背後から相手を喉輪攻めにして、その背中を壁に押しつけた。




