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怪獣狩らないと滅ぶ世界について  作者: ザイトウ
【第一章】死にかけ高校生のリトライ一週目
9/50

・第8話・初任務がなんか雑な依頼ですけど その1

 ヒロインのいない人生、いかがお過ごしでしょうか? 

そんな脳内モノローグに「たかだか異世界に来ただけでモテるわけないよなこん畜生」という独り言で返しながら道を歩く竜樹。格好は退院当時の黒い上下に白いシャツ。

 こう、疲れるたびに状況説明やら解説やら語り口やらの部分が色々とファジーになっていることに対して誰に突っ込むべきか、それはやっぱり自分にだろうかと悩みながらも溜め息を吐き出すばかりの昼下がり。脳内会話も絶好調な状態で今日も平常運転の異世界ライフである。

初任務にしては少々難易度の高い依頼に対し、彼は一人、町を進んでいく。

 依頼は護衛任務。某貴族を数日間護衛することが仕事。三食昼寝付きの生活に甘んじていた日々も今日で終わりということらしい。オーロックから手渡された資料を手にしたものの、番地やら住所がまったく解らない事に今更気付く。

 仕方なく地図を確認して依頼先へ向かうこと数十分、商業地区と貴族街の境界線近くに位置する家を前に、顎を数度搔く。

「すいません、オーロック隊長の指示にて参りました。お取次ぎを願えますか?」

到着までの間に考えていた口上を守衛の方へ披露するが、胡乱げな視線で一瞥されるのみ。何の反応も示されないままだったのだが、もう一度同じ口上を繰り返す。

「すいません、近衛兵団隊長オーロックの指示にて参りました。お取次ぎを願えますか?」

そして無視される。

 住所と家屋の特徴は再三確認しているので間違いないはずであるが、守衛と思しき中年男性は門を開かないどころか興味なさげに無視する。職務怠慢どころの話ではない。

 それでも、一応は待ち、反応がないことを確認したあとに喉あら肺を通る空気を意識し、周辺の酸素を枯渇させるつもりで音もなく深く吸い込む。


「頼もうぅ!どなたかおられるかぁぁぁぁぁぁぁ!」


空気自体が罅割れるのではないかという音量で大喝を発する。鉄製の門扉が暴風に煽られたようにガタガタと激しく揺れ、こちらを無視していた守衛が眼を見開いてひっくり返る。

 お忘れの方もおられるかと思うが、竜樹のスキルである《咆哮》である。相手の威嚇のみならず、使う人間によればこんな真似を行えてしまうらしい。

 周辺が騒がしくなるのを横目に、何の反応もないことに嘆息する。

「………お邪魔しました」

さっさと引き上げようとした竜樹は、踵を返す前に屋敷から駆け出してくる執事らしき男を視界の端に捉えた。



「守衛の無礼については私、執事長のグレンダールが代わってお詫びさせていただきます。事前に通達は行っていたはずなのですが、少々、お手違いがあったようで」

「こちらこそ失礼しました。少々礼儀に欠けた真似をしてしまいましたがご寛恕を」

「そんな。こちらこそ失礼致しました」

老齢の男が幾度も頭を下げる。どこまで真実かはさておき、いちいち目くじらたてるつもりもない竜樹は適当に応える。ぼんやりしたまま考えていることといえば「そういえば自分は何語を喋っているのだろう?」とか「何か喋りや言い回しが妙に嚙み合わない時があるが、それは自分の物言いがおかしのか、翻訳能力が変なのかどちらなのか?」とかといった意外とくだらないことくらいである。

 あとは屋敷の中で歩いた歩数や外観からの部屋の位置をついでに記憶していく。

 最近、自分が職業的に何に属すのか竜樹にとってもよくわからなくなりつつある気までした。

 ぼんやりしているうちに屋敷の主、護衛対象の下まで案内される。青い花の髪飾りをした少女ということだが、正直美少女との出会いくらいあってもいいんじゃないかという期待はある。

「お嬢様、護衛の方がいらっしゃいました」

「通して」

そのまま案内された部屋に入る。既に尻尾は何時でも抜刀可能な位置にたわめてあったが、幸いにも攻撃を受けることはなかった。

「あ、竜樹ちゃんおひさ」

「………お前かよ」

羽ペン片手に髪をかき上げた美少女。どうも新たな出会いという願いが叶わなかった。

白衣姿のアルグレンテことグレ子は、資料から顔を上げるとほつれた前髪の間から、疲れた眼を向けてくる。眼鏡にもそのままにされた指紋の跡がちらほらあり、これは疲れていると傍目にも解った。

「とりあえず座れば?」

「いや、まぁいいならいいけど」

なんとなく拍子抜けした気分のまま向かいの椅子に腰掛ける。護衛は護衛なので隠し武器の二つや三つの場所を確認はするものの、周辺に人間の気配がないことを確認のうえ、警戒度を下げる。

「こんなところで何を?」

「こんなところって、人の家になんてこと言うのよ」

「王宮に住んでないのか?」

「ここか怪獣病のとこだし王宮にはあんまり。んで、そっちはどう? ムシャクシャしたからとか言って暴れたりしてない?」

「毎回毎回、人を何だと思ってるんだ一体」

「んー、いや、怪獣病の人間には必ず聞いてるので。習慣?」

そういえばと遅れて思い出す。この理知的な少女は、怪獣病の研究と罹患者への支援を何故か行っているということを。

「気になっていたのだが、何故、怪獣病の人間の保護を王女が?」

「いや、それは諸々の色々なしがらみやら利害やらが累積決算な感じで」

「要約すると?」

「んー、きっかけは姉がね、怪獣に襲われて怪獣病になったから。六年くらいまえ」

衝撃の告白ではあったものの、そのくらいの理由はあるかと何処かで竜樹も納得する。

 怪獣による被害が拡大したのがその頃、5、6年前からで、その為に岳山領国と大河国との間での戦争が休戦に到る。

 当初は罹患者から病気が拡大しないか含め、国内への不安や懸念が広がらないように現国王、

グレ子の乳、いや父が隔離施設を作った。その際、第二種感染者としてグレ子の姉もまた怪獣病に蝕まれてしまう。

「怪獣病の特徴として、身体能力などの向上に加えて、精神面でのバランスが崩れるってのが、その頃に解った第一の研究成果」

攻撃性、異常性が高まり、第三種などは大半が社会生活を行えない状態への精神状態の悪化。第二種の人間は比較的に攻撃性や破壊衝動に関する異常行動は少なかったが、それでも、発作に近い形で暴れることが増える。そしてグレ子シスターは突如として失踪する。

「まぁ、感染症として怪獣病患者から他所へ広がらないことは解ったし、姉についてはおとっつあん宛てに何か手紙でも残してたみたいで捜索されることもなかったとかあったわけで」

ただ、姉の苦しみが記憶に焼き付けられた妹は、なんとかできればという思いから、怪獣病患者の保護を率先して行って今に到るという。

「姉想いなんだな」

「本当にそう思ってる?」

「いや、全然」

ぼりぼりと顎を搔く竜樹は「それだけで国からの支援まで出ている理由としても薄いからな」と付け加えて座り直す。

「正直、あの施設の警備にあたっていた人間の格好と、今までの話でな」

「んじゃ、予想をよろ」

「怪獣に対する戦力だろう?」

竜樹の言葉に、文字を書き連ねていた書類から顔を上げ、実に嫌そうな様子でグレ子は顔をしかめる。

「タッキーって妙なところで頭がいいから困るわー」

「変なあだ名つけるな」

羽ペンを置き、ティーポットから注いだ紅茶を口にしたグレ子は、冷めた液体で喉を潤し話へ戻る。

「ま、正直その通りよ。怪獣と戦うと感染者が増える。感染者が増えると国が滅びかねない。だったら、感染しない方法か、感染しない存在がいる」

「感染しない方法はあの全身鎧だな。特にあの黒い全身鎧みたいな肌を一切露出させないものなら近接戦にも対応できる。あとは、既に感染しているうえで安定している怪獣病罹患者なら使えるかもしれないだろうな。感染済なので怪獣病の影響は出ないと予想しているのだろう?」

「ほんっとに、あんた元の世界で学生だったの? 察しがよすぎて正直きもちわるい」

「ほんっとに、そういう言葉遣いに適切さのないお前は王女なのか?」

「マジよ。どマジで大マジよ。マジカルでラジカルよ」

「………お前の話し方を聞いていると、自分の言語野の調子が悪いんじゃないかって気がしてくるんだよな」

言語については異世界に来たというのに意思疎通に困っていない段階で、なんらかの不思議パワーで解決されているものと諦めてはいるが、相手にあって自分にない分野の言葉や概念あたりも、なんかファジーな感じで翻訳されてるっぽいことが不安要素である。

 例えば魔術に関する説明や理論は、聞いている時に魔術的な流れや要素のことを「念動力」とか「オーラ」といった単語に置き換えられているようであるが、ニュアンスや表現によってころころと内容が変わるし、オーロックなどは同じ単語や言い回しで喋っているはずなのに、場合や状況によって変な形で竜樹は理解してしまうので、そのうち齟齬がでないか心配なわけである。

 とにかく、それなり以上に有意義な会話を出来たことにある程度の満足は得た竜樹だが、その耳朶へ届いた奇妙な音律に全身の筋肉がぴくりと動く

「護衛対象に警戒したってことを悟られるような予備動作って二流らしいわよ」

「今後の参考にはさせてもらう。で、仕事の時間らしいが」

所持技能の《咆哮》や《振動操作》の副次的な効果か、音に関する鋭敏な把握能力を駆使し、足音と速度から人数と接近する相手の情報を割り出す。

 足音は一つ。踵の高い靴を履き、足音が軽いことからおそらく女性。歩行速度は速く、振動にブレがないことから恐らく戦闘従事者、それも軍人か護衛の類の職業についている人間の可能性が高い。

 だんだんと知識や判断能力が上がっているのか偏っているのか微妙に困る部分が特化し始めているが、有用ではあるのだからそこらへんは素直に感謝しておこうと結論付ける。

 ただ、屋敷に入る前後にも戦闘に関する騒ぎもなかったことから、侵入したか、もしくは正規の訪問者かもしれない。

「女性一名。背は俺と同じか少し小さいくらいでやや小柄、身長に比して足が長くて多分髪も長い。真っ直ぐこの部屋に向かっているようだが」

「あ、それなら多分、私の部下だわ」

あっけらかんとしたグレ子の回答に徒労感が肩へのしかかる。

「肩透かし極まりねぇなおい。いや、一応警戒は続けるけど」

グレ子と話していると途端にやさぐれ気味になる竜樹。

中学校の教室のダベり的な雰囲気に流されないよう注意を払いながらも、部屋の前で止まった足音に対し、隠し武器を探るために後ろ越しへ手を伸ばす。護衛中は諸事情から軽々しく尻尾は使えないので、腕力と魔術が主になるが、精々がオーガくらいにしか勝てない自分だと、倒せない相手に無駄死にするオチが想像できてすごくこわい。

 蘇生魔法とかなさそうな気もするし、一発アウトは世の理だ。

「お嬢。そろそろ出らんと遅刻するばい」

何か、聞いたことのある訛りと共に扉が開いた。

「げ、なんか見覚えばある顔やね」

飾り気のない給仕服姿の少女、確か、なんとかという名前だった日焼けした肌の彼女の名を脳内から探り当てる。目元を覆うアクセサリじみた黒い外殻と共に。

「じらおさん」

鯨尾(くじらお) 妃佐子(ひさこ)っち名乗ったやろうもん。言い辛いんやったら妃佐子でよかちも言った」

「失礼。一度聞いただけで覚えられるほど記憶力がよくないもので」

「ふん」

ツンデレというより純度百%のウニが如きツンツン具合を披露したじらお、ではなく鯨尾 妃佐子は、同じ怪獣病隔離施設で会った人間で、初見で喧嘩を売ってきたちょっとお転婆な龍墜出身のおんなのこである。

「んで、この地味で無個性な阿呆はなんしてここにおるとですかお嬢」

「すいません南雲(なぐも) 竜樹(たつき)です名前忘れてて本当にごめんなさいって」

さりげなく罵倒が混じる中で、嘆息する竜樹はことごとく無視された。

「あー、そういや同じ施設だから顔知っててもおかしかないか。竜樹は今日からの護衛役。軍務卿にお願いして借りたの」

「貸し借りって、猫の子じゃないんだからその表現は」

「あー、まぁ、盾くらいならなるやろうし、いいんじゃなかですか」

「はいはい盾ですよ護衛ですから」

半ばなげやりな竜樹に対し、鼻で笑った妃佐子は手早く革鞄に荷物を詰める。

「はい、そっちの書類もいるっちゃろ? お嬢、ちゃっちゃ着替えりい。男は外」

「今後の予定とかまだ聞いてないのだが」

「だまれ地味男(じみお)。壁のシミのつもりで外にじっとしときぃ。終わったら呼んじゃあけん」

「………」

ついに竜樹は無言のまま行動する。もうなんか不憫。

 仕方なく壁を背に歩哨代わりの役割をやっていると、窓の外、建物の前に馬車以外の乗り物が用意されていることに驚く。見間違えでなければそれは四輪駆動の内燃機関搭載のアレのようであった。

「自動車?」

「何? 知ってるの?」

タイミングを見計らったように部屋から出てくるアルグレンテに対し、その格好が瀟洒なドレスに切り替わっていることに気付き一歩退く。足首まで隠す裾の長いそれは、楚々とした所作へ切り替わったアルグレンテの猫かぶりっぷりに思わず細い眼を僅かに見開く。

「感想は?」

「すごく驚いた」

「うわ、モテなさそうな発言」

「その通りだよ畜生。生まれてこの方モテたことねぇよ」

不機嫌な竜樹に対し、何が楽しいのか「にこー」といった顔で笑うアルグレンテ。竜樹に対してご機嫌で肩を組む。哀しいことにヒールの高い靴を履くとアルグレンテの方が視点も高い。

 そして、後に続く妃佐子が旅行鞄のような大きなものを手にすると、ぱたぱたと忙しく走っていく。

「ちょっと車の確認してくるきお嬢はそっちのと一緒に来くるんよ! 地味男は命をかけて守ってね」

「いい加減に地味男は勘弁してください。マジで悪かったから………」

「ふん」

相変わらずのツンデレ具合にヘコまされながらも先に言った妃佐子を追って二人は玄関へ向かう。荷物一つ持たずに隣を歩く竜樹に対し、長い裾をさばきながら同じ速度で素早くアルグレンテが並ぶ。

「そういや、このあとの予定を聞いてないんだっけ?」

「情報漏洩に対する対策か知らないですが、最低限の武装だけで随伴しろ、と」

「まぁ、それくらいはさすがにね」

「しかし、こんなに野放しでいいものか。王女の護衛が新人の、しかも異国の人間って」

「大丈夫大丈夫。私もけっこー強いし、あと、任務始まる前に、腕輪つけられたでしょ?」

「あ、そういえば」

手首に張り付くような何かの革で作られた腕輪。表面には焼印で黒い紋様が描かれている。

「それ、任務に違反する行為を行うと呪いで装着者を殺すから」

「………野放しの理由は理解できたが、それは言って欲しかった」

軽く背筋が強張ることを感じながらも、溜め息一回で何とか持ち直す。一度殺されかけると色んなところがタフになってきたことをここでも実感する。

「呪いが発動する条件は?」

「今回だと主に私の死亡ね。ま、それさえ気をつければ大丈夫よ」

「じゃあ今回の予定は?」

「ま、それは車に乗ってからにしましょか」

そう言って屋敷を出たまではよかったが、途端に妃佐子の怒声である。話の展開が雑過ぎないか心配になってくるレベルである。

「だから! 車の運転手がおらんちどういうことね!」

叫びの内容に対して、額を汗で濡らす先程の執事、グレンダールが事情を必死に説明している。

「ですので、王宮でトラブルがあり、予定していたものがただいま馬車を手配しておりますので今しばらくお待ちいただきたいのです」

「誰の横槍ね! さっさと口割らんとくらしあげるぞ!」

「わたくしとて納得しているわけではありません。ですが、王宮が手配した予定の人間であるということは」

「知るか! 王様だろうが大臣だろうが首根っこ捕まえてぶちのめすだけっちゃ!」

「初任務からハードル高いなおい」

何度目か解らない溜め息を堪え、荒く鼻息を吹き出し深呼吸。

 車の形状を確かめ、その状態を確認する。

 形状はクラシックカーのそれに近く、昔、某アニメで怪盗の三代目が乗っていたものを想像させる。何かの革で作られた幌に金属性の窓と扉、ノーズが長くエンジンらしき直列のピストン機構が半ば露出している。運転席を見るとこちらも竜樹の知る車のそれに近いようだ。ハンドルに幾つかのレバー、あとはフッドペダル三つ。ただし、初見の機械を動かせる自信はさすがにない。

「あぁ、それなら私が運転するから」

そして有能かつ多才な第三王女がここでも大活躍である。

「な、なりませぬ! 王女が運転するなどそんな!」

「車ではないと間に合わないので。危ないので下がってください」

にっこり笑顔のアルグレンテの威圧に慌ててグレンダールが引く。

 慌てて荷物と共に後部座席に乗り込む妃佐子に続き、運転席に乗り込んでスタータらしきレバーを引き絞るアルグレンテ。低く唸り声を上げる内燃機関らしきエンジン音の振動に伴い、車の車輪が僅かに軋む。確認するとタイヤもまた、何かの革を重ねたもので固められているが、今にも発進しそうな車に、遅れて竜樹も乗り込む。

 金具を引いたら開くあたりも元の世界の車と一緒で助かった。

 狼狽する執事を置いて車が爆音を上げる。車輪の回転と共に景色が置き去りにされていき、久しぶりに味わう疾走感に驚く間もなく町の門を突っ切った。

慌てた様子の兵士が敬礼をして見送る。

 止められないどころか敬礼で見送りの時点でやはりお偉いさんなのかとしみじみと納得する竜樹。そんな彼は、今更に目的地もろくに聞いていないことを思い出すのだが、色々なところで妙に残念な少年である。

「ところで何処へ!?」

ロードノイズで遮られそうになり声を張り上げながら尋ねる。

「大河国! ちょっと国王代理でお話し合いな感じ!」

「………それ、車で何日くらい!?」

「街道通って二日かな!」

難易度ハードどころかルナティック手前であることに気付いた頃は手遅れ、街と外の境である門は、はるか遠くに流れ去っていた。

 助手席で諦めモードに入るまで数秒、木々の間を抜ける固められた傾斜角の凄まじい道の上、バウンドした車体が急降下に近い速度で山を下り始める中、奥歯を必死で噛み締め、身体の大事な部分がふわりと浮き上がるのを感じて腰を引く。

 世はまさに、大後悔時代の幕開けであった。



 時代は戻って昨晩。オーロックの私室にて任務を承って数分。資料の確認やら謎の腕輪の装着など、あれよという間に話が進んでいく。

「それは『制約の腕輪』で、任務の不履行や明らかな逸脱に対して発動する。軽微なものであれば単純な痛み、任務の明らかな失敗ともなればそれ相応の報いを受けることになる。気をつけるのだな」

「肝に銘じます」

戦々恐々、初任務で随分な脅しだと溜め息を吐きたい気分ではあったものの、素直に革製らしき奇妙な腕輪をつける。途端に肌に張り付くようにがっちりと手首に固定され、なにか、心臓まで鷲掴みにされたかの恐怖をゆっくりと押し殺す。

「さて、今日までの訓練での話だが、戦闘技能については及第点としておこう。ただし、周辺地理への習熟に未熟な部分が散見される。地図は常に持ち歩くようにしておけ」

「はい」

「あとは魔術に関して幾つか言っておこう。現在、地属性に関して才能があるようだが、おそらくそれは後天的なものだ」

「いや、そう言われても、何が原因でそんな才能が?」

「言われずとも解っているだろう。怪獣病だ」

「あー、まぁ、なるほど」

「動きを見ていたところ、後天的な地属性、あと闇属性とは別に、おそらく風属性が本来的にお前の適性だろう。ただ、まだ研鑽は不十分で今のところは使い物にならないがな。魔術として利用できるのは地属性のみと今のところ考えておけ」

「はい」

「念の為にこれらを渡しておこう。この羊皮紙は『収納の巻紙』といって、いわゆる冒険者鞄と呼ばれる収納用アイテムの一種だ。道具などを大きさも重さも気にせず収納できるが、持ち運びが簡単な代わりに容量が少ない。詰め込める道具の数は所有者の魔力依存で、多くとも十か二十といったくらいの数だ。鎧や食料でも詰めておけ。それとこれも」

次々と出てくる道具に眼を白黒させる竜樹。オカン級の気遣いに嬉しいやら感謝したくなるやら色々と対応に困る。

「な、なにから何までお世話になります」

「気にするな。ただ、一つ覚えておけ」

対面のオーロックは常と変わらぬ蛇じみた無機質な表情でこちらを見る。

「生きて帰って来い。それと、お前の行動の全てが軍務卿の面子や近衛兵団の誇りに直結するものだと忘れるな」

「………はい!」

オーロックという尊敬すべき強者に認められたのが単純に嬉しく、感情を込め返答を返した。



そう言って送り出されたあの夜から明けて現在。

「おろろろろろろろろろろ」

「いや、そりゃ初めて乗ったのであれば、まぁ、解るけど」

吐瀉物の処理をしている車酔いメイドの背中をさすっていた。

 ままならないのは仕方ないが、森の中途でこんな撒き餌のようなことして大丈夫なものかと悩む。ただ、出てしまうものは仕方ないのだが。なにやら草むらから酸っぱい匂いが敏感な嗅覚に届くものの、女性のこういった姿を見て興奮する性癖はなく、ただ物悲しい気分で我慢した。

 なんだろうこの異世界ライフ。

「ねー、ちょっと竜樹ちゃん来てー」

「あーはいはい」

 車の傍で地図やら資料を確認しているアルグレンテに答え、妃佐子の背をポンと叩いてその場を離れる。車のボンネットに行儀悪く腰掛けたアルグレンテは、見ていた地図、大河国首都までの街道を指指し、竜樹へ視線を向ける。

「ね、襲われるなら何処だと思う?」

「いや、襲われる予定あんの?」

「まー、色々な諸々で、なんかけしかけられてもおかしかない状態なんで。一応警戒」

「いや、戦力たった二人でそんなこと言われても」

ちなみに妃佐子もきっちり勘定されている。彼女は彼女で王女への護衛としてきちんと訓練を受けたそうだ。元農民とはいうものの、喧嘩っぱやく怪獣病で腕力も平均以上であることを考えれば期待はできるだろう。

「だいじょーぶ。そのたった三人っていう少数で高速移動している以上、大掛かりな襲撃はできないもの」

「その高速移動の所為で、約1名使いものにならなくなってますが」

「うん、それは予想外だけどね」

「マジかよこのパープリン」

「いや、さすがにパープリン呼ばわりはないと思うんだけど。で、どう思う?」

地図を見て確認。街道の流れを見る。

山岳地帯の比較的に標高が高い場所に首都のある岳山領国から山の裾野から離れ大河の傍へ首都のある大河国までは、曲がりくねった山道を通り、裾野から川沿いの街道を通って幾つかの街を経由し、王都へ到着する。

「王女パープリン、これ、二日で着けるのか?」

「誰が王女パープリンよ。山道さえ抜けてしまえばあとは単なる速度の話だから半日もいらないもの」

「にしても、山道に関しては視界が悪く待ち伏せだけでなく魔物に襲われる危険性がある。アタリのつけようがないし、そもそも道が一本である以上、どこだって狙える」

「後ろ向きねー。もっとアクティヴな意見とかないの?」

「んー、ちょっと待ってくれ」

服の内側に手を入れると『収納の巻紙』を取り出す。くるりと丸められた紙の留め紐をほどくと、内部に描かれていた魔法陣が明滅し、所有者の魔力に反応して中から一つの道具を吐き出す。

 平面から三次元から飛び出してくる様子にアルグレンテが思わず仰け反った。

「なにそれ?」

「先輩からの餞別、っと間違った」

何かの部品に混じって出てきた銀色の缶を巻物の中へ戻す。残った道具を組み立てと、何か、楽器らしき造形の品が出来上がった。

「丸く円状に描かれた魔術式の部分がえらく細かく書いてあるわね。何かの儀礼術具?」

「いや、ヴィスラ女史曰く、それを元に簡易化したもの、とか」

道具の造詣が三味線に似たものになる。

 ただし全ては白い金属製。胴にあたる金属板を重ねたものに青い刻印で円形の魔術式が刻まれ、竿にあたる部分持ち手の先に糸倉、左右に取っ手が幾つか伸びた頭の部分がある。青い刻印で刻まれた円形の魔法陣に手を当てると、淡く青白い燐光が蛍のよう立ち昇る。

 さて、この道具についてだが。

「音を出せる魔術具で『なんとかの銀楽器』だったような」

「貰ったアイテムの名前忘れたの?」

「うん」

呆れ顔のアルグレンテだが、律儀にも話を進めてくれる。

「ちなみにそのアイテムで何が出来るわけ?」

「音が出ます」

「ん?」

「好きな音が出ます」

「んー?」

「れ、練習すると音楽が奏でられるそうです」

沈黙。いや、ついには胃液しか出なくなったのか、後ろから喉を鳴らすようなメイドの声が聞こえた。

「せ、説明しよう! この道具と怪獣病で得たスキルを組み合わせると、音から周辺の状況を探ることができるのだ!」

場の雰囲気に抗うようにどこぞの特撮番組じみた説明口調で語る竜樹に対し、その筋の方がゾクゾクし過ぎて法悦の彼方に旅立ってしまいそうな冷えた視線でアルグレンテは睨んでくる。

「それで、そんな大きな音を出して相手にも気付かれないの?」

「いや、待ち伏せならどっちにしろだし、場所さえ解っていればカウンターがとれる」

「………いいや、とりあえず、やるだけやってみて。たかだか音くらいなら、試してみるだけならもんだいないだろーし」

「うん、許可が出た。それじゃ、あっちのメイド連れてくるから車のエンジン頼む」

離れていく背中を眺めつつアルグレンテが溜め息を吐く。

彼女にしてみると、竜樹の気分なのか機嫌なのか、ノリで喋っているような歳相応の様子と、夜の闇に紛れるようにして敵へ土の塊を相手にぶつけていた姿が妙に一致しない。流れに流されるように近衛兵団へ放り込まれていながら、命をヤスリ掛けするような状況に追い込まれながらもこの仕事から逃げ出そうとしない。

何か変な気がするがその正体が掴めないのだ。

こう、甘いものを食べようとしたら酸っぱかった、といったような。

考えている自分としてもよく解らないので早々にアルグレンテは思考を諦めた。

 後部座席に放り込まれた妃佐子となんとなく呼吸をしていない気もするが、アルグレンテも竜樹も気にしない。先人は「気にしたら負けだ」という名言を残している。

「けど、音ってどんな音を?」

「簡単に言えば、ロックです」

「え?」

「耳を塞いでおいた方がいい」

例えるならば、全力でFコードを劇場用スピーカーとアンプを数珠繋ぎにして轟かせたような音が弾かれた瞬間、両手で耳を塞いだアルグレンテは、世界が終わる刹那が訪れるのを幻視した。

その日に発生した衝撃波と爆音超過の大轟音で、飛行していたドラゴンが気絶したとかしなかったとか、国の騎士団がすわ停戦の終わりかと騒ぎになったとか、まことしやかに噂が流れたりしたのだが真実は定かでない。

「竜樹は全力でそれ使うの今後禁止」

「ふ、フルボッコとかひっどい」

 異世界に弾けた新たな音楽の萌芽に対して実に穏当な抗議が行われた。ちなみに、音から周辺環境に潜む敵対者を探り出そうとした試みについては、山中に響き渡った轟音が後半言うを一発で探り出し、人サイズの存在の有無くらいは拾い上げることに成功。街道沿いにまともに動いている者はいなかった。いや、いなくなった、らしい。

生命の鼓動がない人影とか、死体が見えない所に転がっているのかよと想像した時点で少しブルーになった、

「ま、襲われないと思う」

「今すぐ護衛交代して欲しいわー、何考えてんのか一個も解らないわー」

走り出した車の後部座席では、何か普段からは想像もできないほど穏やかな顔をした妃佐子が、微動だにしないまま空ろな眼を宙へ向けていた。瞳孔は開ききったままで、自発呼吸の有無は不明な状態のまま。

 本当に大丈夫かそろそろマジで心配な様子である。死ぬな妃佐子よ。そろそろ王女らへんは異常事態に気付いてもよい頃だ。竜樹は下手をすると「ここらへんに埋めていきますか?」と冗談か本気か解らないことを言いそうだから、とにかく頑張れ妃佐子。



 山岳部街道沿いにある山林の中、道を見下ろせる高所に伏せた人影はぴくりとも動かない。全ての音が意識の彼方、彼岸の果てに飛び去っていくことしばし、日が中天に差し掛かる頃にやっと思考能力を取り戻していた。気絶とも昏倒ともつかぬレベルで頭の中身が現実と切り離されていたのであるが、その原因については未だに判然としない。

「な、なんだったんだあの音は」

手にした銃をショルダーホルスタの中へ戻し、樹木へ背を預けるようにして座り込む。

その拳銃の正体を知るものは銃の所有者に向け畏怖と敬意を示すであろう。

銀の銃。それはあらゆる防御や妨害を拒絶し、いかなる相手にも等しく弾丸を撃ち込む裁きの印。そしてその銃の携行を許されるのは、法制統合国(ほうせいとうごうこく)の象徴で司法特務官ことハイドマンという存在のみ。

それは法制統合国の最強戦力を意味する。

 その銃による射撃に対し、いかなる遮蔽物、防御措置は全て無意味となる。その弾丸はあらゆる魔術的、物理的な防御を突破し、対象となった相手に弾丸を撃ち込むことのみを追求された最強の武器の一種であるのだから。

 魔弾とも綽名される必中の死を掻い潜る方法がないわけではないが、時に王すらただ一発で殺す必滅の弾丸である。生半可な真似では無効化などできはしない。

 そんな人影が、嘆息と共に立ち上がる。

「しかし、これでは後手に回ることとなるな」

独白を聞くものはいない。ハイドマンを象徴する灰色のコートをなびかせ、人影は立ち去ると、あとに残されたのは静寂のみである。その静寂の原因、森の魔物だの魔獣だのを軒並み一撃で黙らせた王女達は、既に遥か遠くへ走り去っている。

 状況があまり宜しくない方向へ転がり始めたのは、この時からかもしれない。


次回は2014/10/13 0:00です

前回の投稿ミスで10/4の予約投稿に失敗

マジで失礼致しました(陳謝)

10/12、10/13の二話連続になります

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