・第6話・異邦人ではあるものの
夜の雑踏を歩いていると思考ばかりが延々と繰り返される。異世界に飛ばされた人間というのは飛ばされた最初に何を考えるのだろうかと想像してみた。
特筆すべき技能があればそれに寄って生活の糧を得ていくのだろう。
異世界の知識を生かせるだけの下地があればそれに頼るのだろう。
翻弄されるだけの運命があればそれに立ち向かうのであろう。
省みて自分はどうなのだろうかと竜樹は悩む。病気に蝕まれたというか、病気で変異してしまった身体を抱えて、馴染めない生活に放り込まれて、やりたいことややれることが異世界で増えるわけでもなく鬱屈していく。
そもそもが対人スキルやら展望を考える能力やらが欠如しているのだ。どこに居たって結局は生き辛いのだろう。半ば諦めの境地である。大体、異世界で巧くやっていく為の技能というのは、戦闘スキルごときでどうかなるものでもないだろう。
応用の利く技術の一つでもあればいいのだが、残念ながら器用さの欠片もない。機転の利く方でもないので、場当たり的な思考をこねくりまわして今日もまたやり過ごしたのだから。
ラウンドオーガにしたところで、考えてみればこちらの能力を理解したうえで妥当な対象を選んだのだろう。鎧の隠しポケットに押し込んだ皮袋の重さが命と等価だと思うと、はてしなくうんざりした。
嫌だ嫌だとどこの世にも満ち溢れる世知辛さに悪態をつきながら街の中を彷徨う。それでも街の慌ただしさに少しずつ気分は高揚し、音楽の聞こえる方向を目指していると、開いた扉からつんと香辛料の匂いが鼻へ届く。扉の前で数回足踏みするも、若干のやけっぱちさと共に中へ飛び込んでいた。
むっとする人の温度と料理の匂い、そして酒場と思しき場所の中央、お立ち台のようなところでは妖艶な美女が音楽に合わせて舞い踊っている。ベリーダンスだのサンバだのとも違う、剣舞や神楽舞に似た独特のステップと流麗な動きを重ねる舞、あと弾む胸元に視線がうろつかせながらも開いていた椅子に腰を下ろす。
「いらっしゃい。注文は?」
若い女性店員が、タイミングを見計らっていたように声をかけてくる。
「こんだけで、肉料理を何かと酒以外の飲み物」
皮袋から掴み出した銀貨を二枚並べる。
「酒以外なら山葡萄汁の冷水割り、あとは肉料理ってんならマダラサイの煮込みとホロドリの串焼きなんかでどうだい?」
「あぁ、貰えるだけ山盛りで頼んます」
「あいよ」
相場も解らないが、銀貨であれば足りないということもないだろうと待つ。お立ち台というかステージでは、拍手と共に踊り子が場を後にすると、別の人間がハープらしき楽器を手に弾き語りを始めた。
「はいおまち」
早くて素晴らしく量の多い香辛料過多の料理がテーブルに並べられる。
まずは鳥の腿肉らしき巨大な肉の塊が表面で脂を弾けさせながら濃厚な香辛料と焼きたての香ばしい肉の匂いを強く発散している。
その次に、どろどろに濃く煮込まれたこれもブロック肉のような分厚い塊が幾つも浮いている大皿に盛られた大量の赤い料理。
その他、硬そうな黒パンを二つばかりおまけされ、ジョッキサイズの山葡萄の冷水割りが最後に置かれる。晩に喰った五倍はあり、一家の食卓が二日は賄えそうな量であった。
「しかし銀貨二枚とは豪勢ね。なんか狩りにでも成功したの?」
「まぁ、ちょっと」
幸いというか、残念ながらというか、怪獣病の罹患以降で、満腹になったことはあってもそれで食べられなくなるということはなかった。それに、昼の狩りによる影響か、夕食を食べたというのに十二分に腹は減っていた。
燃費の悪い身体である。
鳥肉にかぶりついた途端に、口の中いっぱいに香辛料の強い刺激と甘くさえ感じる肉汁の熱さが広がっていく。噛み締めるたびに厚く歯ごたえのある肉から旨みが染み出し、手を休めるのも惜しいくらいの速度で平らげていく。
煮込みもまた絶品で、七味に似たピリリと痺れるような刺激がアクセントとなり、香草らしき強い香りと共に、猛烈に汁が食欲をそそる。黒パンをひたして汁の一滴も残らないように噛み締める。
食べても食べても飽きない。もう自分が火力発電所にでもなった気分である。
散々に食べ尽くし、ジョッキサイズの山葡萄の冷水割りを一気に飲み干すと、さわやかな甘酸っぱさに料理の後味も綺麗に流れ、非常に満ち足りた気分で食事を終えた。
何か、小難しい話を考えていた気もするが、腹が一杯になれば大抵の事はどうでもよくなるものだ。踊り子さん綺麗だし音楽で楽しいし、何かいい気分。
もう、腹が減って機嫌でも悪くなっていただけだと一人納得する。精々が腹が満ちたら消える程度の悩みだったのだ。
最後の山葡萄果汁の冷水割りが好みだったので、一杯おかわりした。
これで安眠もできそうだと、竜樹はゆっくり体から力を抜く。
「お味はどうだった?」
「ものすごく美味しかった。ご馳走様でした」
「へぇ、そりゃよかった」
料理を褒められて嬉しかったのか、女性店員が頬を綻ばせる。チェーン店のファミレスとは違ったレベルのフレンドリーさだ。
満腹で気分のよい竜樹は、店の雰囲気にもほだされ、人見知りを要因に発生する忌避感を我慢して多少の会話にも付き合う程度に度量が大きくなっている。あとは店員が可愛い子であったりという現金な理由もあったりしたのだが。
そんな時、店のテーブルで騒ぎが起きた。
「離しなさいよ!」
「んだよぉ、ちょっと付き合うくらいいだろぉ」
見た瞬間、短く固まった。
ゴロツキという表現の他が思いつかない武装した風体の悪い男が数人、そしてその一人に手を掴まれた先程の踊り子。テンプレートというか王道極まりない展開に、思わず唖然とする。そしてとある衝動が少しずつ膨らんでいく。
すっごい乱入したい。
なんかこう、助けるとか助けないとか関係せずに単にあれにまざりたい。個人的にファンタジー世界に少なくない憧を抱く竜樹は、1、2、3、4と総計四人の風体の悪い男達を指差すと、嫌そうな顔をしている店員へ短く確認する。
「あの人達は、この店とは無関係?」
「うん。多分、流れの冒険者。あんまり大事になりそうなら自警団を呼んどかないといけないんだけど」
「あ、そりゃよかった」
あとから解ったことが幾つかある。
態度の悪い冒険者は、大半が実力を伴わないからこそより弱い相手を見下して手を出そうとする者だということ。特に酒場で暴れたり面倒を起こしたりする人間の類は、場合によっては食事代すら踏み倒すほどのごろつきまがいで、悪質化すれば冒険者証を取り上げられることも少なくない。
その彼等に対し、スキルレベルが低いとはいえ『隠形』のスキル持ちである竜樹が動く。さらに不意打ちに近い攻撃を加えたものだから、相手は察知することも叶わず、ましてや反撃する暇もなかった。
後ろから一人を殴り倒し、尾が二人の首筋を蠍が如く一突き、残った一人が反応するより先に顎へフックが突き刺さる。
四人が床へ崩れ落ち、起き上がらないことを確認。
「じゃ、ごちそうさま」
「あ、うん、え?」
何があったのか解らず呆然とこちらを見送る女性店員を置き去りに逃亡。
顔を覚えられないよう、夜の道をさっさと竜樹は駆け去っていった。
助走なしの跳躍で楽々と二階の窓へ飛び移る。散々に飲み食いしたので腹も満腹でいい気分なのだが、そういえば勝手に外出してよかったのかと思ったが、たかだかちょっとお夜食を食べに行ったくらいで問題にはならないだろうと楽観したまま寝た。
翌日。
元々眠るのが早い時間だったことと、怪獣病の影響か、眠りの浅かった竜樹はゆっくりと身体を起こした。革鎧は脱いでいたものの、手首で銀色の腕輪が鈍い光を反射する。すっかり忘れていたが、冒険者として登録した際に発行された身分証明書兼、技能確認可能なアイテムで『冒険者の腕輪』というそのままの名前をした腕輪に触れる。
「読み出し(リーディング)」
呪文を唱えると腕輪のスリットから薄い金属製の板がレシートのようにくるくると飛び出してくる。薄い金属板の表面に描かれていた魔法陣が僅かに明滅すると、表面に見慣れた日本語で何かが表示される。
『南雲 竜樹 qあwせdrftgyふじこlpあばでれぶぞ』
ステータスと呼ばれる数値は、なんでか文字化けしていた。
「………何故?」
どう考えても怪獣病の影響としか思えないものの、どうしよもないので普通に諦めた。
指示された時間は朝の鐘が六つなる頃。おおよそ朝六時くらいだろうか。真新しいシャツとスラックスらしきズボンという格好に着替える。下着は紐で縛る形のトランクスのものが用意されていたのでそれを下に履く。
朝起きたら見知らぬ女性に声をかけられた。
「あんら、まんずよう眠れたか? ちょっこす待っとれ。今飯さ用意すっから」
「あ、ありがとう、ございま。す」
ごめん、言語野がついにこの世界のものに対応できなくなったのかと誰にでもなく謝る。というか、自分は何故謝ったのだろうかと混乱しつつ竜樹が座る。
「イフバルティカは出身が北で訛りがある。聞き取れない時は彼女にそう伝えて欲しい」
竜樹の危惧に対し、続いて現れた蛇顔ことオーロックさん、否、オーロック氏の言葉によって疑問は即解決された。
「あの、他の方は」
「シュゼンとイゾルテは昨夜から仕事だ。まだ帰っていない。ヴィスラはこの時間はまだ寝ている」
名前はまだうろ覚えであるものの、あまりに特徴が極端だったので脳内でそれぞれの外見と名前を合致させるよう思い出す。
イゾルテは背の高いやや顔立ちのはっきりとした少女、いや、外見的には美女。シュゼンをマウントですごくたくさん殴打していた。2m前後の長身で、胸元といい腰といい、女性的な部位はほとんど凶器に近い。体型そのもののスケール感が異なり、褐色の肌に黒い紋様が描かれた体躯は何か異民族の文化を感じさせた。緩く波打つ茶褐色の短い髪と朱色の眼が特徴的だった。
ヴィスラは昨晩に大泣きしていた少女である。長く編み込まれた銀髪を束ね、灰色に近い白い肌はやつれたと表現したくなるような痩せた少女で、年齢は二十代前後だが、もっとか弱く幼く見える。たまに怯えた表情でこちらを見ていたので、そんなに怖いのかと若干ながら竜樹は落ち込んだ。
朱善はあれである。寺の小僧で細身で首が怪獣病で鱗のように硬化している偉そうな喋り方の男。最初は中学二年生が罹患する別の病気かと思っていたが、単に文化的か性格的なものか、とかく変な男である。あとは昨日ものすごく殴られていた。
そういった諸事情ともかく、朝はイフバルティカ嬢による味噌汁とごはん、めざしの朝食が振舞われた。本当に味噌汁とご飯であったあたりで驚いたが、食文化の多様性はよくよく思い出せば病院の時からである。しばらく異世界と気付かないレベルの味だった。
結局、ご飯を三杯食べ終わったあとからその日の修練が始まった。
修練。修行とか訓練とかの意味合いを多分に含んだそういったもので、思わず「モンスター倒すとレベルアップとかしないのですか?」とか馬鹿げた質問をして「技術は理を知り鍛錬を経て業とするものだ。実戦に勝るものがないのは事実だが、理屈や技術を知らず使えるようなものはない」とオーロックに諭された。
《インパルス》、《インパクト》取得時も、実際に技を披露してもらったことで理解した。打撃の延長線上で突然に樽が吹き飛んだことに対して物凄く驚いたのと同時、なんとなく、身体の中心部から拳の先へ力の流れが通ったことを感じた。
それをオーラや念力、魔力といったもので表現すべきものらしいことくらいしか解らない。
不定形のエネルギーとはなにやら怪しげだが、広義で言えば電気に始まり原子力に放射能、または空気に気配にそれこそウィルスまでも知らなければ解らないという意味では一緒だろう。有象無象の全てを司るという意味では分子や原子の運動的なミクロレベルなことから星の運行までマクロレベルなことまで、知っているから理解しているつもりになっているだけ。
なら、習うより馴れろ、で構わないだろうと一人竜樹は得心する。
「私は教師でも教官でもない。まずは好きに打ってくるといい。スキルを使っても構わないので戦ってみよう」
絶対に初回の負け確定イベントだ。
場所は軍務卿の屋敷権、近衛兵団宿舎の併設された敷地の奥、修練場である荒れた広い敷地で、残念ながら他所からの乱入や別イベントへの連携はなさそうだ。吹っ飛んで屋敷の中に飛び込んでラッキースケベ発生などは期待できそうにはない。
そういった予測に対して残念さはあるものの、それはそれで簡単に負けないように足搔こうという意地くらいはある。道着らしきごわつく上下に着替えた竜樹は、広い庭の中、足元を何度か確認すると同時に拳を地面へ振り下ろした。
「ほう」
感心したような声で地面を打ち据えたインパクトの余波、吹き上がる土砂に対して動じた様子もないオーロック。そのまま土砂で視界を遮った状態のまま追い被さるように頭上からインパクトを連打する。
気付けば左腕でも使えるようになっていたものの、威力はやはり右腕に劣っていた。
砂塵ごと相手を打ち抜こうとするも、砂煙を割って進み出るオーロックの方が先んじた。
認識は出来たが避けられなかった。
顔と腹に数発の打撃を叩き込まれた竜樹は、それこそレベルが違う相手に対して自分如きがどれだけ無力なのかを思い知ることとなった。
初戦を終えてのオーロックの感想は簡潔である。
「奇襲の機転は評価に値するが、相手を見失えば迎撃に動かれた時に対応できない。その点はまだ考えが足らないようにも思う」
非常に手厳しい言葉が返ってきた。
結局、その後何度も行うもまったく歯が立たなかった。基本的な技量が違い過ぎる。スキルでさえ当たらないうえに、死角から尾で攻撃しても、何の予備動作もなく軽く避けられてしまう有様である。
そして、武器を用いて攻撃を試みようとした際には、自分の怪獣病に付随するペナルティまで判明した。
「まさか武器が使えないとは」
装備した武器を使おうとすると途端に武器が壊れるという怪現象が発生した。発生タイミングは主に武器が敵、またはその敵が持つ武器に触れた途端にガラスのように壊れるのだ。
これは剣や槍、複数の武器を試しても共通していた。唯一、壊れなかった武器は、俗に言う魔剣、強い魔力を帯びたオーロックの所有物のみであった。その後も検証したところ、この『武器弱体化』とでも言うべき現象は、幾つかの法則によってペナルティを発生させていた。
まず武器の利用時に発生する。隣接戦などにおいて竜樹が武器を使った攻撃、または防御を行った際に使用していた武器が破壊された。これは一部の盾にも発生が確認され、攻撃に転用可能なものは大半が該当すると思われる。
例外は武器そのものの強度が一定以上、それこそ魔剣などの特殊武器である場合や、籠手や小型の盾など、主に防具に該当する類だと弱体化しないらしい。
加えて、攻撃や防御の瞬間に触れてない場合や、または武器に該当しない物品などは特に問題ないことも確認された。
「意外となんとかなるな」
結果、相手に物をぶつけるという非常に問題のある攻撃手段を取得するに到った。
「しかしこれは」
オーロックが難しい顔で惨状に唸り声を上げる。
攻撃や防御の瞬間にさえ作用しなければいい。なら、攻撃する瞬間に手を離してしまえばいいという実に単純な理屈を実践してみたものの、投げつけられるもののレベルが常人と違う為にかなり恐ろしい状況になった。
元々の腕力が腕力なので、試しに通常の片刃剣から始め、長柄のバトルアックスから大型の両手剣、しまいには全力であれば神殿の建造に使われる石柱、エンタシスと呼ばれる類まで投げ飛ばせることを確認。
「命中率は七割といったところか。投げる武器を選ばない状態でこれとは正直驚きだな」
後日スキルを確認したところ『投擲術』なるものの取得に成功しているのだが、そこらへんはまたの話としておこう。
とかく、たかだか怪獣病ではこの世界で無双するにはあまりに力不足であることを知った。
「さて、現状では戦闘に支障が出るな。少しばかり鍛錬を重ねておこうか」
的となった石柱が叩きつけられた岩や両手剣で半壊した光景を他所に、あまりにクールガイ過ぎるオーロックの指導の下、それはそれは素晴らしい訓練が行われる。
怪獣病のおかげで身体的な素養に優れているはずの竜樹だが、オーロック曰く『軽い組み手』と表現された戦闘訓練によって、打撃投げ技極め技に果ては奇妙な波動による遠距離攻撃まで加えられたうえで全身が泥汚れで真っ黒になり、昏倒寸前になるまで続けられた。
「さて、それでは午後は休息と自己鍛錬とする。仕事の参考になるような書籍も何冊か用意した。本はイフバルティカに預けてあるので、動けるようになったあと受け取りにいきたまえ」
たったの数時間で半死半生の状態の竜樹に対し、軽く食前の運動とばかりに汗一つかかなかったオーロックは、軽い柔軟運動だけでさっさと引き上げていった。
完敗どころではない。軽く心が折られた。
いやもう異世界に来て突然に体育会系の世界である。インドア系引き篭もり未満の人間にはあまりにハードルが高過ぎる。どうすればいいというのかと悶々と考え、どこかに逃げ出せないかなどと後ろ向きかつ非常に格好の悪く考えていたものの、素直にぐったりと庭で寝そべって休憩していたことがよかったのか昼前には精神も含めて普通に回復していた。
「………すごいぞこの身体」
空腹になった時点でくよくよとした悩みを横に置いて、昼飯をもらおうと裏口から居間へ向かおうとするあたりのバイタリティというか単純さというか、変な打たれ強さもまた竜樹の才能だと思われる。
「こら! そだら汚い格好のまま上がるやつがあるか! 裏の井戸で洗え!」
などとイフバルティカから叱られ、押し付けられたタオルらしき布と上下の着替えと共に裏口の近くにある井戸へ戻ると、冷えた井戸水を使って身体を拭うと、今度は許可を貰って台所へ入ると、狭いテーブルで向かい合い、二人して食事を囲んだ。
深い琥珀色の液体に野菜の練りこまれた肉団子。不意にお正月の雑煮を思い出した。
「いただきます」
「あーい。おあがりなんせ」
イフバルティカの妙な訛りに既に馴染んできた気がするのもさておき、醤油に似た味わいの汁を啜りながら団子をぱくついていると、ほとんど鍋一つを空にする勢いで食い尽くす。
「ごちそうさまです」
「はい、おそまつさま。にしてもえらい食べたべな。うん。そんじゃ預かっとった本さこれだもんで、渡したかんな」
「あ、どうも」
急がしそうなイフバルティカは、皿と鍋をあっという間に洗い、気付けばもう居なくなっている。余所者をほとんど野放しにしている現状について疑問はあるが、さりとて、指針も目標もやりたいこともあるわけではない。
仕方なく受け取った本を手に取り、縁側でページを捲った。
「ん?」
頭痛と共に文字がぶれる。一瞬、午前の疲れが出たのかとも思ったが、数秒、視界を定めようと眼を細めたり目元を押さえたりしていると、象形文字としか見えなかった模様の羅列が、何時の間にか日本語として認識されている。
いや、異世界で日本語って、何故?
そういった疑問はともかく、竜樹は資料を読み漁る。
資料はスキルを主として技能の取得方法や概要が記載された『技能大全』に新聞、色々な技術を記載された『テクニカフォーマル』なる雑誌のようなものがバックナンバー含め三冊。技能大全は辞書そのものといったハードカバー本で、新聞は、日本と比べれば厚く紙の硬い印字読み辛い粗雑なもの。テクニカフォーマルは、ペーパーバックに近いイラストと文字で構成された新聞より紙質がよい程度の冊子。
相変わらず技術レベルが未だに解らない。製本技術だけをとれば西洋の活発印刷初期か、その手前のようでもあるが、考えてみれば活版印刷か、手刷りかも自分では解らないような気もすると竜樹は唸る。
一先ず、新聞から内容を読む。経済欄というか、なになに商会だのうんたら貿易だのの記事から内容が始まることにうんざりするが、情報が得られるだけでありがたい。
岳山領国首都近郊で土砂災害。山林の一部を巻き込み広範囲で地崩れが発生し、近隣に生息していた魔物が首都近郊に接近する兆候を見せており、警戒が必要。一部の大型魔獣、ラウンドオーガやタイラントウルフに加え、ラプトルの群れも確認されている。首都住民は特にラプトルなどへの注意を呼びかけられている。
大河国、岳山領国間で、本格的な和平交渉か。ディラン国王主導による外交団と大河国王位継承権第一位にあたるアーセナル・グラン・ディートリヒ王子との会見が今月末に予定されており、交渉次第では大きな進展が見られるだろう。
怪獣被害の増加に対して、諸王国領各国による対策ギルドの新設が決定。学術公国、法制統合国が主体となり、学術公国からはゴーレム《シーレーン》と《タルカス》、法制統合国からは装甲服と魔術式猟銃などの提供が予定されている。提供される装備などの詳細は現在伏せられているが、戦力の一極集中については軍事的な影響も懸念されている。
軍事バランスに自然災害とどこの世界でもあまり変わらないものらしい。怪獣の影響によるものか、随分と世界は平和になっているようだが。気にかかったことの一つとして異世界からの転移者については一切の情報がないことだろうか。情報統制なんて単語も思い浮かぶものの当人達でさえ明確に気付いていなかった部分もあるし、わざわざ吹聴することでもないので知られていないだけか。
あとは、当の怪獣に対する情報が紙面を読み勧めてもあまり被害の全容や様子がかかれていないことは若干不思議ではあった。こちらに関しては確実に情報を制限しているように思う。
衣食住足りて、これといった欲望もなし。異世界の方が平々凡々とは何の皮肉か。
テクニカフォーマルは技術誌もどき。一般人の水準に合わせているのか、内容は簡潔で複雑な解説はない。内容は先程のもの、怪獣対策ギルドに提供された装備についてが主だった。
コートに四次元式幾何学縫製で金属と魔獣の筋繊維を編み込んだ強化服だの、古代遺跡からの発掘品を量産したものだの、錆びず飛び回る弾丸を放つ銃だの、ビックリドッキリメカ過ぎる。
途中で見るのに疲れたものの最後に技能大全を確認はする。
そして困る。
スキルとか技能ってこうスキルパラメータから取得したスキルポイントを割り振って色々と取得していくものだと思っていたものの、何の躊躇いもなく剣術スキルの一文が『○○を六十体狩る』から『剣聖以上の人間に認可を受ける』といったある意味で常識的な内容が記載されていた。
「萎えるなー………」
枯れても腐っても最近の青少年である。早々に異世界の厳しさに挫けた。
ちなみに《インパクト》の場合だと取得条件は三つ。
一つ目は衝撃系のスキル発動する瞬間を観測。
二つ目は一定以上の腕力を有す。
三つ目は体術系、衝撃系スキルを一つ以上所持。
このうち、一つ目はオーロック氏による実演による《インパクト》の直撃にてクリア、二つ目の一定以上の腕力は怪獣病罹患によって取得した身体能力向上でクリア、三つ目は異世界入り当時から取得していた『振動操作』と『咆哮』、『戦闘技術修練(極)』によって余裕でクリアしていた。ちなみに《インパルス》も似たような条件である。
この時点でも十分に優遇されているのだが、かといって某ゲームや某漫画のような二周目かよこの野郎とツッコミが入るレベルのチートさと比べると確かに弱いが、それこそ高望みにもほどがある。そこそこ人数の居る異世界人の一人であるだけなのだからもう少し謙虚であるべきだとは思う。
ただ、オーロックの怜悧な横顔が脳裏を過ぎった瞬間、そういったグダグダ感に浸っている気分でもなくなった。叩きのめされての負けにヘラヘラできるほど人間出来ていないし、腹の奥に溜まっているいまいましさを我慢し続けるのも性に合わない。
深呼吸。
思ったよりも根性が座り始めたのはオーロック達の指導によるものか。悔しいけど、いや悔しいからか、やたら往生際悪く負けに抗ってみようと立ち上がる。
「………小さなことからコツコツといってみるか」
そして使えるものから練習を開始。
練習を始めた地中移動は既に膝まで沈み込む。
侵蝕は黒い紋様がメートル単位で広がるように変わりつつある。
新しく取得した《インパクト》と《インパルス》は微調整をこなせるよう進歩を続けた最中。
「よし」
そうして鍛錬を始めようと試しに正拳突きを放ってみたところ、間違って《インパクト》を発動したことで縁側の柱が一本折れた。
ものすごく怒られた。
次回は2014/10/01予定です