・第4話・そして夜に目覚める
硬いベッドの感触には馴染んだものの、腰の尻尾によって仰向けに寝辛くなった最近。とはいえ、厚さも硬度もある程度の収縮や変化が可能な尾であるので、最近は平気な顔で眠れるようになった。
そんなある日、肌に触れる空気が「なんとなく違う」ような気がして、竜樹はベッドから身体を起こしていた。鼻の奥に空気がざらざらと触れていくような感覚、経験のないそれを記憶から類似したものを探そうとしていると、不意に破砕音が聞こえた。
窓を開いて跳び出すと同時、壁の突起に尾を絡ませ、二階の高さから地面へ飛び降りる。施設の場所は山の中腹にあり、隣接している他の建物などはない。あとは木々の密度が高く、動物も少ないような山々が左右に広がっているのみ。
建物の表側に回る。人の気配の多さに草叢へ身体を伏せると、建物の前から続く街道への荒れた道を上り、幾つもの馬車が停まっていた。
幌から飛び出してくるのは、軽装、赤い革の胸当て、なめし皮と厚手の服を組み合わせた上下で全身を固めた統制のとれた一団、兵隊らしき人間達。周囲は大きなランタンのような照明で煌々と照らされ、ちょっとした安眠妨害の域である。
全身鎧を主とする施設付きのメンツとは様子がまるで違うが、そのうち、やたら豪奢な馬車から一人の人間が下りてきた。
なんというか悪人顔。スジモノの親父とか言われても違和感のないレベル。岩石に目鼻をつけたような厳つい顔をしており、軍服らしきかっちりした桎梏の服装に撫で付けた髪が物々しい。齢は四十か五十といった壮年男性。対面には施設から出てきたアルグレンテ、通称グレ子と付き従う護衛らしき見覚えのない黒い全身鎧が姿を現す。彼女達へ焦点を合わせると声まで聞こえてきた。今の聴覚はどれだけ高性能なのだろうかと若干うんざりさえする。
「これは軍務卿、夜分にどうされました?」
「失礼しますアルグレンテ様、ここに不穏分子が潜んでいるとの報告があり調査に参りました」
グレ子が発した丁寧な口調に驚愕したことはさておき、軍務卿と呼ばれた相手は大仰ともとれる動きで両手を広げる。
「御足労いただき恐縮ですが、生憎と、ここは病院ですよ。一般的に言えば怪獣病とも呼ばれている感染症の方達を隔離、保護している場所です」
「そうですか。では、不穏分子、反逆者の有無を調べても何ら支障がないでしょう?」
「この施設の管理、運営の全権を王命にて拝借している身としては軍の立ち入りを許可することはできません。なにより、患者の中に二次的な感染症の引き金となりかねない者がいないとも限りませんので。どなたであれお引き取りを願います」
「ふむ、埒が飽きませんな。私が直参していることから察してはくれませんかな」
「察しろとは何についてで? 申し訳ありませんが私には解りかねます」
雲行きが怪しくなってきたのは二人の雰囲気からも明らかである。
施設に戻るか検討する中、首筋から頭頂まで何かが迸る。
感覚野に訴えかける緊急信号に、視線を暗い山々の中へ向ける。
山林から気配を殺し近づいてくる人影が約十数名。頭の中で暗殺者とか草とか鼠とか忍とか隠密とかといった単語が過るものの、咄嗟に声を上げた。
「グレ子! 山の中から接近する人間がいる! 数は十以上で武装は不明!」
思ったより大きな声に建物の中が騒がしくなる。どうしたものかと竜樹は草叢からグレ子を見ると、鋭い眼差しで軍務卿と呼ばれた男を見据える。
「まさか軍務卿」
「はい。おそらくは」
主語のない会話で意思疎通を図るなんてことはやめて欲しい。そう思ったものの、異様に鋭い直感による判断のもとにあの軍務卿と呼ばれた人物と襲撃者が別口だと思考ルーチンが弾き出す。何か頭の中に追加のプロセッサが埋め込まれているような勘の良さだが、全て某特撮ヒーロー的なゴルなんとかの仕業ならぬ怪獣病の仕業だと割り切る。
影から跳び出してきた人間に対して、竜樹は這うような姿勢から第三の手こと手足より敏捷に動く尾によって一撃を見舞っていた。
首筋へ一撃、繊細な力加減による正確無比な『打撃』は、一瞬にして襲撃者の意識を刈り取っている。
咄嗟に斬らず打ち据えた判断については褒めて欲しい。人殺しなどという寝覚めの悪い行為は不必要な限り遠慮したかった。
ただ、必要になったら殺すのかという問いに今のところ答えはない。考えないようにしている。
とはいえ多対一という状況による不利は否めない。正直な話だと無理。
そう判断すると同時にタイミングを合わせて飛び込んでくる三人による襲撃を尾で牽制して後退。施設の前側まで逃げると、入れ替わりに黒い全身鎧が大刀を構えて敵を薙ぎ払う。
この黒い全身鎧の恰好は何時も見ているものと違う。完全に密閉された造形。頭蓋の形に合わせて作られたヘルメットに似た飾り気のない兜に、筋肉の形そっくりの形を複層の装甲部分。しかも他の全身鎧と最も違うのは、内側にアンダーウェアやライダースーツじみた革か何かの素材が繋ぎ合わされ、肌を欠片も露出されないようにしているところだろう。
意図と状況を考えるとこれは試作で、下手をすると自分達に向けられる類のもの。
しかも、鎧を着ている人間からは何故か血の匂いがする。ただし、血の量から察すると古傷が開いた程度の僅かなもののようではあった。他に思い当たるレベルだと月の。あっ。
妙な直感がここでも発揮されたことに思わず頭を抱えたくなる。そこは知りたくなかった。いや、高校一年生くらいなら常識レベルだから知らないとは言わないが、そういった事情に精通したいわけでもない。
そんな愚考の間にも剣技は冴え渡り、一方的に相手を戦闘不能にしていく。黒鎧に対し回り込もうとする襲撃者に対し、足元に落ちていた石を投擲して嫌がらせをする。素人が木の生い茂った山林に石ころ一つ投げても牽制どころか嫌がらせにしかならないのは当たり前だが。
だが、そういった竜樹の思惑を怪獣病は上回ってしまう。
よくよく見ると、石と思って投げたのは岩のサイズだった。よくよく確かめると、狙いに違わず木々の隙間を抜けて岩が襲撃者の胴体に減り込んでいた。なんというか、だんだんと自分が恐ろしくなってくるレベルの能力である。
そのくせ岩がなくなると地面を素手で抉り、握りしめた土を固めて躊躇いなく投げつけるあたりがこの男、えらくえげつない。岩と違い直接的な威力は劣るが、着弾したさいに破裂して顔や目に当たれば悲鳴を上げて倒れるのが逆に恐ろしい。
駆け付けた軍務卿の手下、というか赤い武装の軍隊が構えた頃には、気配のあった襲撃者が全て、そこらに倒れ伏していた。言っては悪いが黒鎧を迂回して別の場所から侵入すればよかったのではとも思った。
ただし、その場合はもれなく施設の中で待機している兵士たちのバイオリンが何かを発射していただろうことも気付いている。どれだけ対応が早いのだこの施設の職員。今日何度目かの驚きに竜樹は溜息を漏らす。
「貴様、怪獣病か?」
「見ての通りですが」
女性にしては低い声での誰何に両手を上げつつ肯定する。勿論、右腕は黒い外殻に覆われたものを。尾は既に隠しているが、念のために先端を腹の前に合わせておいた。後ろから振りかぶるとおそらく黒鎧の剣速に適わないことは先程の戦闘で理解している。どれだけ早いんだあれは。
「どうしてこんな場所に居たのかは後にしよう。援護、感謝する」
「それほどでは。とりあえず、今日はなんでこんなに騒がしいので?」
「さあな」
押し殺した呻き声を漏らす散々な状態の襲撃者達が運ばれていく。明りの下でその姿を確認すると、覆面に暗緑色の上下と、どこのお約束だろうかと失笑を禁じ得ないものであったのは文化の違いか実用性の問題か。
かといってギリースーツのような森の妖精チックな葉と枝にまみれた服装でないだけまだネタ的にはセーフだとは思う。いや、セーフ云々は竜樹目線のあまりに不適切な視聴者目線によるものからだが。
とにかく、襲撃者が捕縛されたことで事態は一応の収束を向かえたらしいことは解る。ただし、やたら鋭い視線で竜樹を睨む軍務卿の様子といい、傍から離れない黒鎧といい、何かやらかした感があるのは今更であったが。
「竜樹君、ちょっとこっちに」
駆け寄ってくるマツコ、ではなくグレ子の呼び出しに対し、黒鎧に腕を掴まれながら出頭というか護送というかとにかく強制連行されていく。彼女の周囲には剣を携えた蛇のような顔の薄気味悪い男によって、黒鎧よりも多くの人間が地面に倒れ伏していた。
恐ろしいな異世界。
平静ぶった表情の裏側で「畜生、名前とか既に把握されているよな入院して一週間近くになるし」などと考えていることは欠片も表に出さないポーカーフェイスを駆使し、竜樹はせっせと自分への罵倒とうかつな行動への反省を心の奥に隠す努力だけを続けた。
とはいえ、警戒されることについてはやむなしと諦める。
岩の直撃を受けた襲撃者一名が、残念ながら捕縛後即救急搬送的扱いを受ける光景を目撃したので、自身の能力がこの世界的にも平均から逸脱しかけているっぽいことを、反省する様子はなく竜樹は受け入れた。
黒鎧にひったてられて移動した先は、施設の会議室らしき場所だった。
ちなみに円卓を囲む席関係だが、上座というか部屋の奥側に護衛か参報か副官は知らないが、顔立ちのよい三十路前後でオールバック、定規のように真っ直ぐな姿勢をした蛇じみた眼光の男が緊張する竜樹を射竦める。
その反対、扉側に近い位置にグレ子嬢が座り背後に黒鎧。未だ腕を掴まれた状態で竜樹も立ったままだった。
「アルグレンテ様、この部屋は」
「防諜については安心してくださって結構です。それで、本日の襲撃に関して、軍務卿はどの程度の情報をお持ちで?」
「軍のタカ派ですよ。残念ながら」
単刀直入な言葉に軍務卿ももったいぶる様子はない。貴族や偉い人というのは弱みを重箱の隅やら窓枠の埃の如く突っ突き合うものだと思っていたのだが、そこらへんは軍関係者だからかこの二人だからかは今のところ不明。
「タカ派といっても、大河国との停戦交渉からたったの二年の状況で、再戦だの侵攻だのあまり面白い冗談をおっしゃるはずもないのでは?」
二年前まで戦争していたという状況を頭の中にメモをとり、同時に、自分は壁紙の一枚というイメージのまま微動だにしないこととする。正直、これ以上の悪い目立ち方は遠慮したい。
「現状だと主戦派だったトラウトロ大公も国力の低下からそういった話はされません。我々軍部としても、いたずらに兵を損耗するのは許容できるものではないし、怪獣などという災厄じみた化け物が出る状態では悪手に過ぎます」
「その状態で動いたのは誰です?」
「おそらくラクルト侯爵でしょう。軍需で潤った資産の大半を、領地開発に注ぎ込んでいたそうですが」
「あぁ、屋敷が抵当に入る状態だそうですね。まさかそれが原因でこんな真似を?」
「怪獣討伐には各国が多額の報奨金を提示しています。あわゆくば、怪獣病の人間をけしかけて討伐し、その利益を充( あ)て込みたいのでしょう」
「わざわざ盗賊ギルドか何かから襲撃者を調達するくらいなら、それを利息にでもあてればよかったのでしょうに」
「はい。ただし、そこに居るような若者を見てしまうとあながち馬鹿げた手段だっとは私も思わなくはなりましたが」
うん、やらかしたわけだな。どうも、軍務卿とやらには知られるべきではなかったらしい。
心中で溜息を吐きながらも顔色一つ変えないように竜樹は努力する。もっとも、あの蛇じみた男といい軍務卿という相手といい、そこらへんのハッタリくらいは既に看破されている気もするがせめてもの虚勢くらいは維持したい。
「彼も怪獣病で?」
「はい。病の進行からか深夜徘徊を繰り返し、女性と見れば下半身の関係を要求しようとし、時に言葉は通じず暴力的になりがちになっているという痛ましい患者です」
どんだけこき下ろされているのだろうとは思うものの、竜樹は表情を消したまま存在を消し続ける。
対して軍務卿と呼ばれた相手は、溜め息混じりに姿勢を崩す。
「アルグレンテ様、さすがに今回に関してはリカルト大公や陛下に話す際にはこちらも配慮します。そう警戒されずとも結構ですよ」
対するグレ子もその言葉を境に能面じみた表情を苦笑いに変えていた。
「お気遣い痛み入ります。軍務卿もこの間の地下闘技場での戦闘実演にも足を運んでいただいていたとは思いますが、あの時や今夜にもご確認いただいたよう、彼、南雲 竜樹君のような一部の重度感染者、第三種と分類している人間は異能や変異した部位を利用し、戦いに秀でた才能を発揮する人間も散見されます。ただ、現状では怪獣被害や風評から国民感情が悪い方向に暴発することも心配ですし、能力がないのと同時、外見上の変化がないものも居るので、異端審問じみた差別や混乱も怖いです。できれば、ある程度の成果が用意できるまでは今後も秘密裡に進めたいのですが」
「なら、近衛や旅団、あとは諜報部に枠を幾つか増やしましょう。戦力が増えるのであれば私も文句はありません」
「すみません。軍務卿にも本格的に増やす段階になるまで話せずに」
「いえ、慎重なの素晴らしいことですよ。今回も、相手方が施設の実情を掴みかねたからこそ、あのような中途半端な規模で失敗したのでしょうし」
「そう言ってもらえれば幸いです」
何か、話がうまくまとまっている様子はよいのだが、嫌な予感しかしない。さて、この施設から解放されたとして、今後はどうすべきかという点をもうそろそろ考えておくべきだと思う。剣と魔法の世界ということであれば、戦闘能力を有効に利用し、冒険者という手段もあるのではないか。いやいや、それとも、体力があるというのならもっと安全に農民やら工房やらに職を求めるのもよいかもしれない。
ちなみに、途中から現実逃避でしかないことに残念ながら気付いてはいる。グレ子が言い出すか軍務卿が言い出すかはともかく、やたら察しのいい竜樹としては、美人で優しい上司が居ることを祈るばかりであった。
「それで、彼についてですが、うちで引き取らせてはもらえますか?」
「軍務卿ご自身が? まさか直属の?」
「はい。あの察知能力と急場の機転はうちに欲しい人材の要件に合致しています」
美人の上司という儚い希望はどうやら潰えたようだ。この悪人面のおっさんと蛇顔のおっさんが身元引受人兼雇い主となるのか。
「さて、小僧。自分の立場は解っているか?」
立ち上がり、竜樹の目の前に立った軍務卿は、背丈といい横幅といい顔といい、ゴーレムが歩いているような様相で、今は凄味のある笑顔を浮かべていて下手をしたら泣きそうな気分であった。
「断ると、いろいろな人に迷惑がかかりそうなことだけはよく解りました」
「そうだな、ではそんな賢明な小僧に忠告しておいてやろう、アルグレンテ様をグレ子と呼ぶのはやめておいた方がいいぞ」
「ちなみに理由は?」
「この方はこの国の王女だ」
絶句。
それこそ青天の霹靂どころかピカソの『ゲルニカ』を生で見たレベルでの衝撃である。こんなどこぞの令嬢の皮を被った真正マッドサイエンティストの王女なんて誰得ですか?
「竜樹君」
「………はい」
「今後もグレ子とよんでくれちゃってもいいけど?」
「どっちが演技なのか本気なのかを小一時間問い詰めたいのですが王女様」
「うん、こっちの方が素に近いっちゃー近いかな」
「自分で言ったんだからずっとグレ子って呼ぶからなこの野郎」
「うん。けど公式な場で呼ぶと打ち首だけどねっ」
「もうやだこの女」
「アルグレンテ様は少々お戯れが過ぎますよ。小僧、三食は保証してやるから励めよ」
「もうなんでもいいです」
うすぼんやり涙目の竜樹に対し、意外と優しい眼の蛇顔の人は気の毒そうに慰めてくれる。
肩に乗せられた手はひんやりしていたものの、人の優しさと人の悪意が身に染みる日だった。
次回更新は2014/09/27予定です