・第六話・弱り目に祟り目
軋む金属フレームのベッドに息の荒い美女。その単語だけ聞けば多少は色気のある状況だ。
「すまぬ」
「いいから」
「………すまぬ」
「いいから、寝とけ」
とはいえ、現実はそういったものではない。むしろ何をしているのだろうかと正直悩む。
要約すると蜥蜴シめた翌日、緑仙が風邪をひきました。
朝に地下にある浄化槽だの格納庫の話だのを聞いていたのだが、ゆっくりと、それこそ空気が抜けるように壁へ寄りかかると、そのまま床にへたりこんでしまった。慌てたハルペとは相対的に額に手を当てて熱を測って早々にベッドへ運んだ。
体格的に矮躯というか小柄な竜樹には難しいのではないかと思ったが、一週目ボーナスのおかげで難なく運んでしまう。地獄の訓練に耐えたのは伊達ではなかったらしい。
そのまま黴臭い布団に放り込んで、底の深い金属製の皿だの浄化槽から持ってきた水だのを用意して看病を始めたのだから妙なところで面倒見がよいものだと感心していた次第。ともかく、今日は地下格納庫の探索は中止と相成った。
色々と聞いていない話やら聞いておきたい話やらがあったのだが。
施設の来歴だの機兵だのの話など、とかく、この世界にとっての異物の意味を知りたかった。
とはいえ、さすがに病人を問い詰めるのは良心が咎めるし、急ぐものでもあるまい。
リミット二年だけどな!
そして今は給湯室らしき場所で乾燥した麦らしきものでオートミールもどきを作っている。
なんかもう、変に家事スキル高いよなこの男。
『女子供といえ、結構優しいよな』
「病気の時に一人って、心底辛いぞ」
『………ごめん、マジで茶化すようなこと言ってごめん』
竜樹ってば片親で幼少期からずっと一人暮らしなみに孤独な生活を送ってきたのだった。
そりゃあ人との関わりが面倒にだってなるさ。
ともかく、彼女の個室へ戻ると廊下でハルペが寝こけていた。
コイツもコイツで何時までここに居るつもりなんだか。
適当な部屋からとってきた毛布をかぶせると、緑仙の部屋へ入った。
ぼんやりとした視線を天井へ向ける緑仙。その額に置いた布を再び水で冷やし直す。
「なんぞ、目付きの悪いおっさんの天使が見える………」
「あぁ、元気になったら覚えておけ。水飲めるか?」
歪んだ金属製のヤカンから水をコップへ注ぐ。
ここって異世界だったよなーとか疑問がまたわきあがってくるが、あんまり騒げる状況でもなし、黙って肩の上で置物のよう動きを止めておく。
「おかゆを作った。食べろ」
「男の方に看病されるなど面映いが、それとはまた別に、起き上がるのも辛くての」
「支えよう。いいか、起こすぞ」
背中に手を差し入れ、ゆっくりと力を加えて体を起こさせる。
痩せた身体に胸元に重たい錘まで乗っかっているのだからそりゃあ起き辛いだろう(ゲス顔)。
無論、口には出さない。空気が読める鴉ですから。
汗に濡れた褐色の肌に、上気した顔。やヴぇエロいです。竜樹さんだって同じ感想を抱いているだろうけどさすがのポーカーフェイスでスルーしているようにしか見えない。いやいや谷間とか華奢なボディラインとかそそるところが幾らでもあるだろうに。
そんな思考は本体に洩らさず、湯気を立てるオートミールもどきを口へ運んでいく竜樹を眺める。ゆっくり、時間をかけて一皿を食べさせると、うとうとと意識を手放した緑仙を寝かせ、音も立てずに退出した。
『どんな感じ?』
「医者じゃないのでなんとも言えない。ただ、明らかに体力が落ちている。食料事情だけでなく、元々が不健康なところに俺達が入り込んだという環境的な変化もあったのが原因だろうとは思う。風邪を引く理由としては十分過ぎるくらいか」
『いや、ちょっと見ただけでそれだけ把握するのとか軽くヒいた』
「素人なりにな」
鼾をもらすハルペを回収して一階奥の個室、ハルペが寝泊りしている部屋に搬送。寝ぼけ眼の彼女へ沸かした紅茶でもてなす。毛布にくるまって暖かい紅茶を口へ運んでいたハルペであるが、前髪が鼻先でもくすぐったのか、可愛らしいクシャミと共に紅茶をこぼしかけた。
「お前は森に戻らなくていいのか?」
「あんな変なのがうろついているうちは戻れないもの」
「そうか。ま、こちらは暫く居座るつもりだ。風邪っぴきを放置するわけにもいくまい」
「変なところで面倒見がいいわね」
「打算だって。打算」
「そう?」
「そうだよ。とにかく、心配しないでいいから部屋で寝ておいた方がいい。二人も風邪ひきがいるとたまらん」
「………やっぱり面倒見がよい気がする」
そういったハルペの言葉を背に、竜樹は扉を閉めた。
ハルペと別れた竜樹は、そのままライフル担いで地下へ下りた。昨日のトカゲの状態確認と周囲の探索である。一応、竜樹より先に俺が偵察を行っていたが、危険性は特になし。
まず、モール・リザードの死体はまだ腐敗を始めるような状況ではない。ただし長く放置するのは危険だろう。適当に捌いて保管するなり焼却するなりは考えた方がよさそうだ。
次に、周辺の部屋。部屋数そのものは上層と同じほどで、精々が部屋の数は八つか九つといったところでどの部屋にも物資が詰まっていた。
利用方法不明な機械部品も多々あったが、腕のように見えるものや銃のライフリングらしきもの、または、何か魔法陣と思しき図形が刻まれた鉄板などからカバーをかけられた工業機械など。
そして部屋の奥にやたら頑丈で巨大な貨物用リフトがあった。工場などに設置されているまさに昇降機といったもので、大型トラックが何台も並んで停車できそうな広さの乗り場が鉄製の枠で囲まれただけのシンプルな構造である。
『やたらとデカいな』
「下に何があるんだろうな、これ」
『やっぱり、緑仙が言っていた機兵ってやつじゃないの?』
「話だと3mくらいの大きさだろう? にしては大きすぎないか?」
『小隊単位で上下するならこのくらいは必要だろ?』
「それもそうか?」
何か納得がいかないようだが、そこらの懸念はわからないでもない。
どれだけ注意を払っても警戒しても奇襲されかねないのが異世界のお約束。
単なる施設内の探索にライフルを担いでいるあたりで察して欲しい。
ともあれ、話し合いの結果として一度下りてみようという結論に。
「下ろすぞ」
『気ぃつけろよ。事前情報ゼロだからな』
轟音と共に貨物用リフトが降下を開始。
乗降速度は遅いが、振動がほとんどなく下がっていく。
降下時間は長い。
上階の明かりがどんどんと遠ざかっていく中、不安と共にライフルの安全装置を動かす。
ロックのON、OFFを動かすつまみしかない安全装置の目盛りを慎重に合わせると、短く息を吸い込む。
呑まれるな。飲むな。
かつての竜樹の師、オーロックの教えである。
気を呑まれるな。呼吸を飲むな。である。
気を呑まれるというのは、臆すな、威圧されるな、怯むなという気組みの意。
呼吸を飲むなというのは、息遣い一つで相手に予兆を晒すことへの戒めの意。
要はビビんな、平気な顔してろ、である。
しかし、短く息を吸い込んだ瞬間の異臭に眉根を寄せる。
次の瞬間、自動的に点灯していく壁の証明に照らし出されたものに続けて絶句した。
半数が壊れたまばらな照明の下、照らし出された光景。
濁ったブラウンとレッドが一面に入り混じった死闘の跡は異臭を伴う鮮烈な様であった。
床に散らばった鋼の人型はどれもまともな形を保ってはいない。機兵と呼ばれていたであろう無機質な亡骸達は、視線の先、リフトと反対の壁側、開いた巨大な穴を中心にまるで花のように広がっていた。
『これ、何と戦ったんだ? って、おい、竜樹、どうした?』
「少し、気分が悪くなっただけだ」
『………耐えられるか?』
「あぁ。我慢できる」
トラウマの再現か。
あの蹂躙された戦場に、この光景は確かにそっくりだった。
それでも、奥歯が軋むほど食いしばって耐える竜樹は、哀しみとは違う、胸を焼く別の感情を顔に浮かべながらも必死に堪えている。
俺には、その感情の正体は解らなかった。
やがてリフトが停止する。床まで随分と距離があったが、どうもリフトのフレームが歪んでいるらしい。一息に床へ飛び降りると、赤と茶色の色合いの正体を靴裏で知った。
粘液質な液体はオイル、赤みを帯びた液体は血と思しきもの。
「血?」
『人も居た、のか?』
「誰かが片付けたか、それとも」
『解らないが、ここにはこれ以上のものはなさそうだ』
「そうだな」
体育館か、それとも球場か、そのくらいの広さの空間には動かない機兵を残し何も残っていなかった。緑仙が言っていた大型の機兵が格納されている場所は別にあると考えた方がいいだろう。
「とにかく戻ろう」
『だな』
結局、この場所で何かあったかは解らないまま、一人と一匹は地下二階を後にした。
晩飯普通に作っている竜樹さんって男前。
おっさんくさいとか思ってごめんとか思いつつも、用意されたおかゆもどきを啜る。
いやクチバシだとすっげぇ難しい。
だるそうな緑仙を助けながら食事を済ませると、そのまま水差しの水を足して再び寝かせる。
まぁ相変わらずエロい様子であったが、病人に無体するほど(以下略
とかく、施設の把握と探索に再び時間を費やす。そういえば食事時に探したのだがハルペの姿が見えなかった。
地下一階、部屋の一つに本棚を見つける。
古びた表紙の活版印刷らしき書籍がかなりの冊数詰め込まれていたが、題名を確認してみると『帝国陸軍年報』から『機兵運用導入手引書』、さらに『戦術概略』といったものが並んでいる。
「いや、マジでこの施設って」
『まぁ、異世界から丸ごとポンだよな。帝国って意味合いがどうも違う』
「あぁそうだよな。あれだろう。大日本帝国的な」
『デスヨネー』
話し合いの結果に互いに納得しながら書籍を手に取る。
ただし、鳥の格好ではそういったことは通常は無理だが、初戦は仮初の姿である。鳥の姿から二本ほど触手を展開し、一冊の本を掴む。掴んだのは『占星術初級』と書かれたもの。
しかし、高等数学らしき数式混じりの謎の技術体系によってまったく理解できなかった。
これならこの世界の魔術式の方がなんぼか楽である。
………魔術式?
『なぁ、本体?』
「なんだ分体?」
『あのカタコトお嬢さんに教えてもらった魔術式、練習だけでもしとこうぜ』
「ん、そうだな」
厭なもんだな、と溜め息を吐く。
緑仙を助けたのも善意だけじゃないと思うと、なんだか、自分が汚い人間に思えて。
あ、そういや俺、そもそも人間じゃねぇや。
おあとがよろしいようで。
適当な本を盗難、ではなく借用したうえで、どこで読むかと思えば緑仙の部屋。
寝息をたてる彼女を横目に、分厚い本を二冊ばかり積んで読書開始。
「………放置はどうにも良心が咎めて」
ツンデレなんて男がやってもきっついだけだってーの。
ともかく、俺と同じなにか後ろめたい気分がして、それをなんとか拭い去りたいと来た訳な。
ほんっとに妙に堅苦しいのを除けば思考がまだまだそっくりだな。二人で一人分というより、二人で二乗倍といった具合に、もっとパワーアップしたいもんなのだが。
同じ人間が二人居るってだけじゃ、あのうさんくさいミスターアドミラルが俺を生み出した意図とは違っているだろうし。
うん、やっぱあの男? って丸々信用できるはずもないし。
心の負担軽減ってだけなら精神制御とか色々ありそうなものだったし、表面上の理由とは別に、なんか裏だの言っていない計画だのがありそうだったよなとは竜樹とも話し合った話。これについても結論なんざ出ないだろうと早々にうっちゃったけどな!
にしても、だ。
『なぁ、竜樹、ちょっと真面目な話いいか?』
棚に乗った格好で声をかける俺に対し、竜樹が本から視線を上げる。
「なんだ?」
『ま、真面目な話っつっても、軽い感じで聞いてくれりゃあと思う』
「そうか」
『つってもな、ま、今後についての話だ。正直、どうするつもりだ?』
「そうだな。まず、緑仙の知恵と、あと、この施設の戦力を一部でも譲ってもらえないかと思う。対価なんて魔術知識と世情への理解程度だが、それでも悪い話ではないだろう。異世界に一人っきりの状況に協力者が増えると考えてもらえれば、尚良い」
『んで、次は?』
「戦力を得て安全に移動ができるようになれば一先ず学術公国を目指そうと思う。正直、前回は時間がなかったとはいえ知識が足らなかったことも落ち度と思っているし、少しばかり、見ていた範囲が岳山領国だけじゃ狭すぎたようにも思う」
『つまり、この施設でやることも、施設から出てやることも、知識やら火力やら、とにかく怪獣を潰せるだけの戦力拡充が規定路線なわけか』
「そのつもりだ。何か異論が?」
『異論ってわけじゃないけど、んーつーかさ』
ま、いい具合に思考も暖まってきたので、そろそろ本題を出す。
『ま、言いたいことは一つ』
「もったいぶるな?」
『俺もそう思う。で、言いたいこと、まぁ聞きたいことでもあるが、ぶっちゃけお前、本当に怪獣を倒したいのか?』
「は? 何を?」
『いやいや、だってさ、アルグレンテもメオも、死んだのは前の世界でのことだろ? この世界で救ったって、そいつらはもう死んでんだし』
「………意味が解らないな。じゃあ、一回死んでいるからもう一度死ねと? 救えるはずの相手を見捨てろと?」
『いやいや、そこんところからちょっとばかり不思議なんだが。あのアドミラルって、何処まで信じられる? あの怪獣の所為で世界が滅んだって言うけど、それで? この世界でも同じことが起きるってのか? あとは同じことが起きたとして、同じ結末になるのか?』
「それは同意見だが、仮に起きたとして、その時に力がなければどうする? また諦めるか? それが厭で二年前にまで戻ってきたというのに」
『いや、あの時は場に流されて、ってのが俺的にはあったけど。つまりだ』
一拍。
『つらくないのか? こんなことをずっとやるつもりなのは』
その言葉に竜樹が黙る。
考えあぐねるように口元を覆い、呼吸を隠すように音もなく唇を噛み締めていた。
「いや、たぶん、きつい、とは思っている」
『それでも?』
「それでも、だ。後悔したままだと、もっと、ひどくつらい」
『そうか』
杞憂であることを喜ぶべきか。それとも、そこまできつい感情を抱え込もうとしている竜樹を諌めるべきであるのか。人生経験どころかソイツの劣化コピー程度でしかない自分にはどうにも判断がつかなかった。
ただ、それでも執着や固執でないのだから、あとは気構え次第だろう。
安心しておくか。
「おろ、ろろろろろろろろろろろろ」
『………台無しだぁ』
「言っている場合か。洗面器かたすぞ」
体調不良で嘔吐する緑仙の看病に動き出す竜樹。
ほんっとに、異世界で何してんだろうなコイツ。
次回は2/13 20:00予定です




