・第7話・妖精パワァ怖い
夕飯の香り漂うとある住宅。
この閑静な住宅街で交通事故起こったばかりなのに警察がまったく来ないのが現状ですけど。
表向きの平和に対し、そこはかとない不安が徐々に心に蔓延っていく。
身体能力の向上から『遠見』や『鷹の眼』とでもいうべき異能、そして、町内の平和の乱れ具合。知らなかったとはいえ、危険が背中の数cm後ろを這い回っているような状況を看過し続けられるほど精神的なタフさもない。
ストレス社会の怖さに思い悩むものの、解決策が今の所ないことを思い出して溜め息。
不意に、今まで存在を忘れていた妖精を確認する。腰のポーチの蓋を開くと、中のスペースで昼寝を続けているアランヤタを見つけて安堵した。
なんとなく、非日常に対する恐怖が少なく済んでいるのはこの小さな存在の影響が大きいように思う。
そのまま物思いに耽りつつも食事の用意をしていると、家の電話が突然鳴り響く。
何事かと思い電話をとると、そこからは聞きなれた担任教師の声が聞こえてくる。
日曜の夕方に何の話やらと思いつつ質問を返すと、つい数時間前に駅前で事故があったらしい。予備校や私塾も多いあたりであり、近隣の生徒に緊急連絡を行っているという。実際に数人の生徒が被害にあっており、負傷から病院に運び込まれた人間もいるという。
事故の話を聞いていると、どうもファーストフード店でガス爆発があったとか、昨日の今日で火災事故という単語に厭な予感もしたが、お子さんも居る担任教師を巻き込むことの危惧などから当たり障りのない返事だけで電話を終えた。
確実に、日常からネジが外れていく。
昨日の格闘美少女の能力といい、本気になった瞬間、異能で人は殺せるだろう。
だが、対抗策がない。RPGならアイテムの一つくらいどっかで入手を。
「あ」
カセットコンロの火を止め、慌てて二階に駆け上がる。すっかり忘れていたが、この黒服セットに加えて、昨日の謎のショルダーバックで持ち出した品々があった。
慌てて軍用と思しきゴツゴツとしたバックを手に居間へ戻ってくる。あまりに慌てていた為に、ソファーでいびきをかいていた九薙嬢に拳骨を見舞っていた。
「起きろ!」
「にゅえい!?」
何か面白い悲鳴を上げる九薙嬢を他所に床へ荷物を広げていく。悲鳴に気付いたのか何故か泥汚れのついた瀝青ちゃんも戻ってくる。
ナイフはベルトのポーチに放り込み、小型の懐中電灯やライターも同じく放り込む。水や非常食を横に置き、かよく解らない道具と無視していたものを引っ張り出していく。金属製のローラーのようなものや、真っ赤な液体の入った試験管のようなものなど、具体的な利用方法は不明なもの。それに腕輪手袋と面頬。
「これは何か知っているか?」
口調が多少荒くなっているがそこは勘弁願いたい。
「えーっと、ってそれ妖精銀!?」
突如としてこちらの手にしていた赤い液体がひったくられる。隣で真剣な顔をした瀝青ちゃんが試験管の固定金具を外す。液体の中身をタンブラーの中にぶちまけると、赤く濁った液体の中から何かの塊が取り出された。
繭を思わす不定形の金属の塊。
銀色の存在に対し、庭側も何か騒がしくなっていた。
「何処でこれを?」
九薙嬢の質問とぎらつく瀝青ちゃんの視線に口元を引きつらせながら応える。
昨晩の話をする間にも、何か巨大な容器で銀色の塊が密封され運び出され、残されたローラー上の機械や面頬、腕輪に関しても注目が集まる。
「それで、これは何?」
ローラーのような円形の回転部分がある機械を確認する九薙嬢へ九薙ちゃんが詰問。ケースらしき円筒形のパーツを外すと、ローラーというより海釣りにでも使うような電動リールじみた機械製品が姿を現す。
「あぁ、これは単なるワイヤーアンカー?」
言葉尻が疑問系だったのは何故なのか。
「それとこっちは面頬の裏に儀礼象形図がびっしり。これ、異能媒体だ」
厭な単語が三つも四つも一度に発される。理解できない説明あるだけですごく不安。
「とにかく、面頬はともかく、このワイヤーアンカーは単なる器具であって、これといって特別な意味はなさそうだけど」
そう言う台詞と共に手渡された射出用の小型アンカーが搭載されたワイヤーアンカーという機会を見る。これを使って高い建物から降下したり、ビルの谷間を跳び回ったりするのだろうか。
しかし、意識の焦点が機械に当てられた瞬間、奇妙な出来事が起こる。
まるで見えない手に持ち去られたよう、質量や重さが手の中から消え去り、何時の間にかワイヤーアンカーは影も形もなくなっていた。
手の中や周囲に飛び散るのは青い燐光。
手品のようにワイヤーアンカーが消失した事実に驚きを隠せないが、今度は機械の兵隊が消えた時とは違っていることがある。
何かが見えた。それは青白い女の手のようなもの。
幽霊が泥棒でもしたのかと自問自答していると、九薙嬢が数瞬までワイヤーアンカーを握っていたこちらの手を両手で握り締める。
「まさか、今の」
何か思い当たることがあるのかと彼女を注視するも、次の瞬間には空ろな表情の九薙嬢が床へ寝転んでいた。
「………あー」
大事なところでこのジャンキーは!?
思わせぶりな様子をしたあとにタイミングを計ったように床で動かなくなる九薙嬢。
無理矢理起こそうかとも思ったが、下手な刺激をして暴れ始めたりするのも困ると、仕方なくソファーへ戻す。
「ごめんなさい、晩御飯は先に食べてて」
瀝青ちゃんが乗り込むと同時、庭から残り一台となっていたワゴンが走り出す。
残された庭では半壊した花壇からレンガが一つ転がっていく。
いっそ眼に見える敵が居てくれた方がどれだけマシなのかと愚痴をこぼし、すっかりぬるくなってしまった鍋に再び火を灯す。
何時の間にかの静寂。気付けば一人で鍋を暖める自分。
振り回され続ける今への苛立ちより、奇妙な寂しさに疲労感が募る。
何をしているのだろうと残念な気分がした。
しかし、そんな思考が突然の轟音に破られる。昼間に聞いた車の衝突音そのものの音に慌てて外へ向かう。脳裏には見送ったばかりのワゴンが浮かぶ。
そして予想通りに惨事が広がっていた。
慌てて表の道へ飛び出せば横転したワゴンが電柱を曲げている。
だが、その傍らに立つあの異形は何だ?
よく冷静である、冷淡である、卑怯であるという指摘を受ける。隣の家に住む幼馴染の馬鹿に。だが冷静に見えるのは無関心や無気力の別名で受動的な人間であるということ、卑怯というのは後ろ向きなだけ。それらのうち、冷静という指摘を受けた理由が無関心というより単なる思考速度の遅さが問題だと気付く。
真っ赤な人型、全長3m前後、長い腕が地面へつき、顔は頭蓋骨に赤い皮膜が張り付いたような恐ろしい容貌で表意は蛇を思わす細かな鱗で覆われている。出来の悪い特撮との相違点を挙げるとすれば、生物としてのリアリティがその存在から放たれているということだろう。
口元から漏れる蒸気じみた吐息、敵意ある視線。
うーん吐きそう。気絶したい。
そのくせ、ワゴンの中が心配でたまらない。自分は一体どうしてしまったというのか。
困った。どうも、あの年上のお嬢さんが無事か確かめたいらしい。
拳固でどうにか出来るかどうか?
他に選択肢を思いつかないあたりが残念だが、四の五の言っている余裕もない。駆け出した勢いのまま赤い異形へ突進する。
振り回されるよう遠心力と共に放たれる長い腕での攻撃、軌道を潜り右足をスライディングの要領で刈り払う。しかし、どれだけの重量があるのか電柱に直撃したような鈍い反発を受け、足首を捻りそうになりながらバックステップ。
いや、これは無理だった。
鈍器や凶器程度ではどうともなる気がしなかった。兵器か武器が必要なレベル。
振り下ろされる腕から必死で逃げる。横倒しのワゴンの影に隠れると、長碗による連打に襲われる。いや、突然激しすぎるだろ。
咄嗟に跳び上がり、ブロック塀を越えて他人の家の敷地内に着地。向上した身体能力に救われた形だが、即座にブロック塀が破砕される。
着地と同時に駆け出していたことで難を逃れたが、打撃範囲が壁の破砕範囲を広げていく。何か申し訳ない気分にはなるが、攻撃目標がこちらに逸れたことだけでも儲けだと思っておこう。その間に隣家の庭を皮切りに家々の裏を逃げる。
ひとまずアパート裏手の換気扇の傍へ逃げ込む。
だが、車の陰に隠れただけで何故あんなに攻撃が苛烈化したのか。一撃で仕留められないから攻撃を激しくしたのか。
否、車の陰だったから困ったのか。
思いついた瞬間に『鷹の眼』を使う。
思考の間にも能力を行使。離れた視界が一気に舞い上がる。姿のない鳥が頭上を羽ばたくよう自身から離れた場所を視界が捉える。。まずは簡単に現状を再確認、赤い異形は破砕した壁から隣家の庭を睥睨しているが、何を思ってか再び道へ戻っている。
そこで一度動作が止まると、今度は軽い足音が聞こえてきた。
女子高生が一人駆け込んでくる。
それに連動して赤い人影が動き出し、彼女を守るよう周辺を警戒する。
その動作は今までの力強くも動作の一つ一つに継ぎ目のあった緩慢さなどが消え、肉食獣を思わす獰猛で瞬発力を有した危険なものに変わる。
「あれか」
さすがに事情をよく理解していない自分でも獣と女子高生の関連性に気付く。おそらくあの異形は何らかの形でスカートからむっちりとした太股を晒した女子高生が使役している存在で、指示を出す為には距離的な制約に加えて彼女に目標が見えてなければ正確に攻撃できない。
つまりそういうことだ。
相手が人間とわかればこっちのものと、卑怯者特有の余裕が出てくる。いや、異形が無力化するわけでもないことに気付いてすぐにテンションが下がるが。
大廻で彼女達の背後に回りこむと、逃げた時と同様に壁を飛び越え、車のドアを引き剥がしていた異形の後ろ、無防備に背中を晒していた女子高生へ跳び込み様の蹴りを見舞った。
「邪魔!」
彼女の言葉と共に緑色の光が散る。
さながら蛍の群れが散開する様に多数に飛び散る光の粒を基点として、点と点が線になって線が描く円形が幾つも生まれる。連なり半球型の壁となって彼女の周囲に形成されていくと、それに攻撃が防がれてしまった。
ゴムタイヤじみた硬く強い反発力をもって打撃を防ぎ、衝撃波を伴う反発力に対して全身が痺れる。
舌打ちしたくなる気分だ。チート極まりない仕様にクレームもつけたくなるが、不満を洩らすより先に着地より先に壁を蹴飛ばして後ろへ移動。
そこへ再び長碗による打撃が続けて振ってきた。攻撃の鋭さが増したうえ、下手な特殊能力よりも正攻法を重ねてくるクレバーさが憎い。加えて、壁が消えた瞬間に今度は半透明な手、浮遊するガラス細工じみた存在が襲ってくる。
魔法か手品か知らないが、とかく驚き技能のオンパレードである。
腕の速度は長腕に比べれば遅いものの、その手が触れた場所、アスファルトの路面がガラスのように砕け散る異常な破壊が行われた。
だから工業建材やら道路資材やらを簡単に壊せるようなものを未青年が振り回すな危ないだろうが! と叫びたくなる。
後ろへ下がり破壊されたブロック塀の破片を投擲。それも再度展開された壁に弾かれた。
決定打がないことが悔やまれるが、そんな悩みも突如として開いたワゴンの後部ドアによって解決される。コートをはためかせた瀝青ちゃんが快速高速超加速で女子高生に接近、依然として構築されたままの粒子壁へ金属ロッドを振り下ろす。
結果は実に驚きで、粒子壁を切り裂き、金属ロッドが女子高生の側頭部へ打ち抜いていた。
どれだけ重たい一撃なのか瞬時に昏倒する女子高生。
時間稼ぎが精々だったとはいえ、瞬く間に緑の粒子へ還る赤い異形を横目に、同じようにワゴンから顔を出した数人が重火器を抱えて周囲を確認している。横倒しの車内であんな用意をしていたのかと若干呆れさえした。
ともかく、今回もまた能力の覚醒といったイベントもないまま終了。
「大丈夫、怪我はない?」
怖い顔でこちらの様子を確認する瀝青ちゃんに身体を触られる。
くすぐったさと気恥ずかしさに逃げたくなるが、視線を逸らして「大丈夫です」とだけ応えた。その間にも数人がかりで横転していたワゴンが元に戻された。車が頑丈なのにも驚きだが、数人で元に戻す手際にも驚く。
細い指先が全身をまさぐる感触に身もだえしないよう我慢していることしばし、のほう何か柔らかい感触が腹に! 腹に! などと葛藤に耐え続けなんとか解放される。
「貴方は家にいなさい。いいわね? 交喙はガレージに彼女を隔離」
「了解」
「はい。いってらっしゃい」
額に青痣を刻んだ瀝青ちゃんからの念押しに頷くも、再びどこかへ向かって走り出すのを無力感と共に見送る。自分が住んでいる場所も、日常も侵食され、それでいて誰かに助けを請うしかできない今。
拘束された女子高生と交喙さんと呼ばれた女性がこの場に残されたのは何故ですか?
そこのところを説明して欲しかったが、ともかく特殊能力もポーチに押し込んだ妖精が飛び回るだけの現状では協力のしようがないのも確かだが。あんな肉体を変化させたり、異形を使役したりする異能が欲しいです安西先生。
フラストレーションだけが溜まる。
何かできそうでできない、か。そんなもの日常でも同じ感想を抱いている気もした。
鍋は吹き零れる前に九薙嬢が無言で食べ始めていました。
お父さん、俺は今日も放置されています。というか、アンタが最初に家庭問題を放置しているあたりから問題だと思うのだが家庭裁判所とか真剣に検討した方がいいですか?
結局、ガレージから戻ってきた護衛の交喙さんを加えて、三人で晩御飯を食べました。
なんだか暴れた所為か身体が重たく、そのあとは早々に部屋へ引き上げました。
変化に気付いたのは眠った数時間後だっただろうか。
腹の奥から湧き上がり、背筋を駆け巡って脳を焼くような強い衝動が全身を貫いていた。眼球の奥に灼熱が生じたしょうな強く激しい苦痛を前に、飛び起きて息を吐く。
熱い。
全身の構造が置換されていくかの違和感が広がっていく。全身の筋肉が流動し、背中から突き抜けた骨が外気の中へ植物や翼のよう広く大きく広がっていくような錯覚を伴う圧倒的な感覚の拡大化。鋭敏な皮膚感覚が、脆弱な聴覚が、繰り返される呼吸が、部屋全体の様子を暗がりを見通す視覚と共に、見えない範囲も知らない場所も含めて把握していく。
脳髄を内側から突き破る爆発じみた情報量の増加に意識が幾度となく遠ざかり、消え去る寸前で強い衝撃が頭蓋を叩いて引き戻される。
視覚が飛び去る。透明な鳥に連れ去られるよう遥か遠くの夜空を見ている。慌てて眼を閉じ、全身の感覚に集中する。握り締めた拳から骨が軋む音すら今の自分には聞こえる。喉の奥から込み上げる吐き気を押し殺した瞬間、臓腑が爆発するような衝撃が落ち込んでくる。
広がる、収縮する、爆発する、収斂する。
獣になっていくようであった。人でなくなるようであった。
全身の感覚が倍化したようで、風の揺れを感じるだけで皮膚が引きつる。腕の本数が三本、いや四本はあるように感じる、足が今の倍の長さと倍の太さを要すような体感覚の拡大は止まらない。
鋭く息を吸う。理性と本能が逃げ場を求めている。頭の奥に残る冷静さが血の駆け巡る身体が、暴走を察知していた。
窓を開き飛び降りる。二階の自室から跳ね飛んだ瞬間、全身に叩きつけるよう強い風が突き上げた。全身を包む風の感触に身体を委ねると、見えない一対の手が風の流れに溶け込むよう指先を、皮膚を、神経を、身体の外側に身体の感覚を広げていく。手に握った刀の先端にまで神経を通わせる感覚に近いのかもしれない。
気付けば、視界が捉えていた場所、夜空の中を身体が急上昇していた。
しかし、暴風じみた上昇気流は突然消える。
「え?」
そのまま地面に叩きつけられると、当たり前のように意識は吹き飛び気絶した。
次回も三月中の更新予定です。予定です




