・第6話・朝食と事情聴取がセット料金
卵かけご飯にダシ醤油、刻み葱。味噌汁まで用意してもらって至極最高です。
大根の浅漬けを齧りながら二合近くご飯を食べたあたりで自身の体調が普段とは違うことを再認識する。身体のシステムが組み変わったようにすら感じるほど身体が軽い。試しに『眼』 を使ってみた。
拡大と透過、遠大な風景の先へ収束する視線が像を結ぶ。
朝の空気の中、町を見下ろす視界は鳥のそれに等しい。
妖精の影響なのだろうが、視界の広さに思わず背筋が寒くなる。
しかし、透過だけ使えればエロいことに使い放題なのに。使い放題なのに。
いや待て、現状でも女子更衣室とかそういった場所を覗き放題なのではないかとも思うが、どうも屋外しか視界に捉えることができないらしい。熟達すればもう少し阿呆な使い方が出来るのかもしれないが、どうも疲れるので試すのはここまで。
視界を室内へ戻すと、湯呑みに注がれた緑茶を啜った。
朝のニュースでは大通りでの暴行事件だの、不審火だのの心温まるエピソードが流れ、腹のくちた自分が角砂糖を齧る黒妖精をぼんやり見ていると、物凄い形相(当社比3・5倍)の威圧に晒された九薙女史の顔が青から白へ変わりつつあった。
「話の要点としては」
瀝青さんの言葉は、どれも重たくはたで聴いていても怖い。
「この子を被験者にして妖精の苗床にしたのね?」
「………はい」
わぁ、すごい厭な単語が幾つも聞こえた。今にも気絶しそうな九薙女史も心配だが。
しかし何も口を挟まず、黙って緑茶を啜り続ける。
「この街の馬鹿騒ぎに火を注いでいる相手を刺激することになるのよ。単純な処罰じゃ済まない可能性があったということは?」
「解っては、います」
深い溜め息を吐き出す瀝青さんの口元には煙草、火こそつけないが、今にもフィルタを噛み切りそうな様子だった。
そのまま黙り込む二人に対して、角砂糖を食べ終わった黒妖精の口元をたたんだティッシュで拭いていると、火のない煙草を咥えたままの瀝青さんから説明が呟かれる。
曰く、発端は大学の研究チームによる稀少金属の加工実験。古い断層から発見された鉱物を調べていた段階から、妖精などの特異な存在の研究や異能力とでも言うべき特殊技能の検証へと推移していったのは、実験途中に発見された希少金属の一部から異常な特性が発見されたことからだという。
陸自の協力を得て行っていた実験は、演習場敷地内で発掘された特殊な化合銀を媒体とした生化学的な合成実験に端を発する。
まず化合銀と一種の錆によって有機的な構造体、金属細胞とでも言うべきものが生成できることが判明し、ほぼ同じ頃、化合銀の鉱脈の中に、化石じみた奇妙な異物が発見される。
朽ちた木に似た、溶けた金属似た、およそ現存するあらゆる『何か』と異なる60cm前後の人型。人間のミニチュア模型のようでありながら、骨格と思しき部位の肩甲骨から背骨の半ばまでの構造が違う。幾つかの細かな骨が複雑なアーチ状を描き軟骨で接続された背中は、何か、背中より面積の広い面を支える為の土台にあたる機能を有していた。
そこから妖精と呼ばれる存在が再生され、研究は新たなステージに進む。
そう思われていた実験は突如として凍結された。
凍結に至った経緯は瀝青ちゃん達にも開示されておらず、真相は不明。
上役は知っている可能性があるが、彼女達に指示されたのは、流出した妖精関連の技術と異能者への対策に対するものという話。
あ、何かいいな。瀝青ちゃん。今後の呼称はこれでいこう。
それより、話を聞いている間にも思ったが、そういえば自分の考え方が少し変わっているような気がする。変質というほどではないが変遷といった形で少しばかりオープンに、もう少し的確に表現すると阿呆になったような気がする。
女性に抱きつくとか状況が状況とはいえセクハラ気味過ぎてどんな状況判断でやったのだろうかと振り返っても不思議だ。不思議だが役得だったのでそこらへんは単純に喜んでおこうと思う。
さて、話は元に戻るが、研究を監督していた研究チームの人間が失踪。そのうえ、研究所に保管されていた化合銀、研究凍結当時には『妖精銀』という仮称で呼ばれていたものも持ち出されていたという。
加えて採掘場だった演習場の一角も爆破により崩落、再採掘も現状では不可となっており、持ち出された研究成果や鉱石の回収、先程説明された異能者対策に現在も陸自特務部隊が動いているという。
「センスないネーミングですね」
「部隊名を決めた人間に言って欲しいな。とにかく、追うに足る事情がある」
「ちなみにこの人がその部隊の副隊長。対外的には副主任って呼び方だけどね。陸自特務部隊ってのも公的にはナイデスヨーってことになっている。」
九薙嬢の説明に辟易しながらも納得はする。
謎の特殊能力。素手でコンクリートを壊した格闘美少女と、遠い空間を見る自身の眼。
あの能力が妖精一体につき幾つ付加されるのかは不明だが、どれだけ社会に対して迷惑なものかは定かでない。それは関係者である陸上自衛隊さんも動いてしかるべきだろう。子供同士の能力のやりとりなんてミクロな事態では済まない。
そういった能力の発生源の一つである黒妖精は、話に対して我関せずのまま、人の頭をよじ登っている。
「それで今、実際に活動している妖精は四体、そのうちの一体が異能を広めている状況」
ん? んん?
いきなりじょうきょうについていけなくなっている。
言われた言葉を脳がスルーしていたのだが、ゆっくりと脳内で繰り返す。
行動している妖精は四体。
そのうちの一体が異能を広めている。
広めている?
「いや、じゃあどのくらい、いるので?」
「数十人、くらい?」
「疑問系はやめてください」
何だその能力者バトルの様相。
いや、人数が主題ではない。そもそも連中に何故自分が狙われたのかが正直解らない。
「妖精をつれていたから」
ちょっと待て。
こめかみを押さえながら、人の頭に半身を埋め、ぱたぱたと足を動かしていた黒妖精をつまき上げる。
今までの話とこれがどう繋がるというのか。
「妖精は適性のある人間としか契約を結べない。そして妖精一体でどれだけの影響力があるかは今話した通り」
すごく厭なことを説明されている気がする。
じゃあその異能者、妖精憑きとかに狙われるの? 俺が? マジで?
「残念ながら」
引き篭もろうか本気で悩んだ。目の前にぶら下げていた黒妖精をテーブルに降ろし、今後について頭を悩ませてみる。
どうしようという単語が頭の中でぐるぐると解決策を見出せずにループを描くが、途中で強制停止。
大事なところが省かれてしまっている。
何故、妖精憑きとやらが増えているのか。
何故、妖精憑きが狙われているのか。
「理由は不明だけど、能力者同士で勢力争いをしている、らしい」
理由は?
「不明。そもそも、何かと戦う為に、勢力争いが激化している、らしいということまでしか解っていない」
何かと戦う為?
解らないが、武力衝突で勢力争い、そこに影響の出る別口の妖精使いは潰しておきたい、というところなのだろうか?
「………そもそもなんで俺、妖精憑きにされたの?」
「………臨床実験?」
「うわー、殴りたーい。ぶっ殺したーい」
「いやだってしょうがないじゃない! いまのところ異能は消すことはできるけど、妖精憑きに関する情報がやたら少なくて、今のまんまじゃもしもの時に対応できないじゃない! それに備えて何が悪いのよ!」
「逆ギレじゃねぇか」
完全に被害者でしたありがとうございます。
側頭部に何かごつごつした鉄の塊を瀝青ちゃんによって押し付けられて強制的に沈黙させられた九薙嬢はほっておくとして、どうにも判断材料が足らない。
守勢に回っているとおそらく不意打ちで殺されかねない。だけど情報が足らない。
胃の痛くなる状況である。
まぁ、それはこんな能力使えば下手をしなくとも殺し合いになるのか。
連鎖する不安に眉根を寄せるが、分類すると結構簡単な話か。
政府は妖精使い、そして異能者を鎮圧したい。
異能者達と妖精使いは、その干渉を退けたうえで、何かの奪還合戦を行いたい。
そして第三勢力。激しく勢力争いするほど危急の相手ってのは何だろうか?
関わりたくないが、関わらないままだと命が危ない馬鹿がここに一人。
どうなんだそれは。
「それで瀝青ちゃんは何故この家を拠点にしていたので?」
何故か知らないが二人同時に吹いていた。
何かが喉に詰まって咳き込む二人に対し、何かマズいことでも聞いたのかと反応を待つ。
「瀝青、ちゃんって、ぶ、ぶぼぶ」
九薙嬢が悶絶する中、瀝青ちゃんの眼に危険な輝きが宿ったのは錯覚だろうか。
というか、その殺意は誰に向けているのでしょう?
しばし瞑目したのち、瀝青ちゃんが口を開く。
「………再婚云々の世間体に関する嘘は謝罪しておくけれど、この家に居座ったのはトイレの異物の所為よ」
石細工の腕を今更に思い出す。あれが発端といえば発端だった。
「先程の話であった妖精の原型と同じ空間から発掘されていた遺物。どういった原理かは妖精と同じく不明だけど、水のある場所を一定の法則性によって転移していた。回収の為にその確率がもっとも高かったこの近辺に網を張っていた」
「法則性?」
「とある条件に加え、一定以上の水量のある地下水脈が流れている場所の上」
「水? 何故?」
「言ったはずよ。理屈は解らないと。そして、そこら中に勝手に転移するあれは、触ると危険であり、なんとか回収するはずだった」
「危ない? 何が?」
「簡単に言うと妖精憑きになる適性を得るのよ」
理屈は解らない。だが今日の夜に証明はされている。
謎の隻腕の話を続けても事情が一つとして改善できそうにない。よし、次。
「能力はどうやって使えば?」
「え? 使えない?」
すみません九薙嬢、質問したのはこちらなのに何故そちらが驚かれるのでしょうか?
「以前に話を聞いた妖精の適合者は、手足の延長で意識せずとも使えるって」
皆がみんな、そんな力があると思うなよ畜生。
能力者としても中途半端なことを理解するわけになったのが非常にイタかった。なんか特殊能力がぱぱっと使えるものだと思い込んでいたのに。
そうは言うものの、再思考したところで昨日ですらあれだけの緊急事態でありながら能力的なものは一切発動していないことを再認識することになるだけ。
座禅か何かをして何かを閃めくまで待たないといけないのであればやっぱり引き篭もるべきか。むしろ、この状態で何をやれというのか。
よし。
とりあえず考えるのにも疲れたので、若干多めに食料などを買出しに行こう。
別に現実逃避したわけではないけれども、そもそも二人も人間が増えているのだからちょっと食材が足らないだろうし。別に現実逃避したわけではないけれども。
結論が出たことによって行動指針が定まった。
「すいません。買出しに行くので何か具体的な対策があったら原稿用紙1枚にまとめておいていただけると助かります」
「………そうね。とにかく、新旧含めて情報は整理しておくから。遠原、貴方も自分のアパートに一度戻って荷物を引き上げてきなさい。監視はつけるけれども、ある程度の自由は私の裁量の限り保障するわ。それに、査問前に切れても困るだろうから」
「う」
言葉に詰まる九薙嬢の顔は強張っていました。
切れるという単語に昨日の夜の悪夢が脳裏を過ぎる。スナック菓子より気軽に大量の錠剤を摂取することにはそこはかとない不安を感じるのだが。
「ねぇ」
そんな不安の塊、立ち上がった九薙嬢か声がかけられる。
「ん?」
「番号、交換して」
「あ」
それが心配からであることは、さすがの自分でも気付いた。
心苦しい思いと共に「お世話かけます」と小さく呟くと、僅かに顔をしかめた九薙嬢が素早く番号を口にした。
そのまま自身のスマホから折り返して電話がかかることを確認すると、番号に『九薙嬢』のネームをつけて保存。瀝青ちゃんの番号は既に知っていたのでスルー。日曜日の朝だというのに憂鬱な気分のまま真新しい黒の靴へ爪先を突っ込む。
昨晩に着替えた黒の上下のうち上着を脱いだだけの格好で外へ出ると、六月の後半、未だ梅雨の抜け切れていない空気がやや肌寒く感じた。もう数日もすれば夏の熱気も感じられる季節ともなるだろうが。
歩きながら考える。で、一応の結論が固まってくる。
飯食って、今日は部屋で何時も通りインドア生活して、明日は学校に普通に行く。
元々、妖精をつれていたことを顔バレしているのは昨日の女だけだ。それも昨日は戦闘中に顔を撮られた様子もなく、今後彼女に遭遇しなければ自分のことを妖精使いだのと察知する人間はいないだろう。
さすがに妖精の気配を察知できる能力者が居るなどということであれば終わりだが、そこは考えないことにする。考えたら負けだ。
言い聞かせている時点で負けている気もした。
昨日今日でイベントが連続していておつかれ気味です。
将来の義母が実は再婚嘘でしたとのネタバレといい、妖精さんがなんか見えるようになりましたという事情といい、やたらめったら処理能力超過の異常事態が快速列車並みの車両数で通過中。
やけに品揃えが悪くなっていたスーパーから食材をビニール袋四つ分ほど買い漁り家に戻る。冷蔵庫の整理や掃除を行い、昼前に茶を啜っていると、家の扉が遠慮なく開いた。
「うっひょー! ヒトの家に突撃昼ごはんー!」
もちつけ。いや落ち着け。
足音荒く入ってきた九薙嬢がダイニングのソファーへダイブする。あぁ、また摂取量を間違ったのではないかと心配こそすれ、残念ながら打つ手はない。監視役に随伴した黒服の女性が何故か憔悴した様子だったので席を勧めて茶でもてなした。
こちらの短い髪を小さな手で編んでいる黒妖精すら誰も気にしなくなっているが、日常の侵食される速度が恐ろしい。
曇りがちだった朝の天気から昼を前にして空は透き通るような青空に変わっている。うららかにすら感じる日差しの中、狭い庭では謎の搬入作業が行われていたりもするが、父に電話したところ「申し訳ないが協力してくれ」と頼まれた。
瀝青ちゃんとの関係性も不明だが、父は一体どういった人間なのだろうと若干悩む。
そんな一家の主の言葉は尊重しようとは思ったが、正直、昨日の夜に捕縛されたのと同じ黒服姿の人間が宅配業者の格好をした人間と一緒に謎の駐屯地を形成しているのがすごく不安ではある。
あと、何時の間にか家の中に知らない人間が二人居座っているだけでも実は不安。
片方はソファーでクロールしているジャンキー、片方は、クールビューティといった感じの小柄だが身長の半分以上が間違いなく足というような八頭身体型。
そして八頭身の彼女に何か見覚えがあるのだが、だとすると昨晩の襲撃者の中に居たのかもしれないのであまり思い出したくない。痛めつけられた記憶を楽しむような異常性癖はない。
しかし。昨晩の襲撃の中で覚えているものといえば。
黙考から結論に至り、思わず口をついて出そうになった「伝線」という単語を飲み込む。
一人でダメージを受けている間にも、謎の搬入作業が終わり、ガレージと思しき建物がこの短時間で形成されていた。ヒトの家に何を作ってやがるのかと思わないでもないが、ただで物置を施工してもらえたと思えばそこまで嫌がるものでもないかもしれない。
「平和だなぁ」
そう呟いた瞬間、家の表で強烈な破砕音が響いた。シャッターを巨大なハンマーで歪めたような壮絶な多重奏に対し、頭痛を堪えながら立ち上がる。いや、頭痛の理由は編んだ髪を手綱代わりに掴む黒妖精の所為だった。
というか、そろそろこの妖精に名前をつけようと思う。いい加減に黒妖精という呼称で認識するのが面倒くさくなっていた。
頭の上から腕を掴んで引き剥がすと、目の前にぶら下げた相手に宣言する。
「よし、ブラックな。黒いから」
鼻を足裏で踏まれた。というか、この足を覆う黒い皮膜は一体どんな材質でできているのだろうかと疑問に思うものの、問題はそこではなく名前がなにやら不服だったようだ。
「じゃあ黒妖精のままで」
蹴られる。
「どうしろっていうんだ」
玄関に歩きながら悩む。扉の外では黒服の方々によるものか、住宅街に似合わない喧騒が起きていた。
「ならアランヤタ」
ぴたりと動きを止める。適当に言った名前なのだが、気に入ったらしい。
そりゃよかったと思いながらも、あとはカンジナバルやユラングなど、適当な名前だったら候補だけで二十は軽く披露する予定だったが。どっからか電波を受信したような名前だが反論は受け付けない。
そう思いつつ飛ばないよう腰のポーチへ手早くアランヤタを押し込むと、留め具を嵌めると同時に扉を開く。そこには予想通りの交通事故が発生していたが、大型のSUVが見慣れないスポーツタイプの大型バイクを押し潰していた。
自宅のブロック塀も巻き込んで。べっこりと。
即座に警察に電話しようとした次の瞬間、飛び掛ってきた人影に驚く。しかし、昨日の格闘美少女に比べれば速度は劣っており、そういった経験もあってか初撃に対して右フックによる反撃まで返す。
突進の勢いのまま右頬にストレートが吸い込まれ、速度を殺しきれなかった下半身に引っ張られるようスライディングするような姿勢で庭の方向、物干し台を巻き込みながら転げまわっていく。
ステンレス製の物干し竿はこの間新調したばかりなのだが、そういったことを言っている場合でもないようで。
「110、110」
即座に三桁プッシュでコールを待つ。しかし繋がらず画面を見たらアンテナがゼロだった。
最悪の展開でしたどうしよう。
仕方なく庭方向へ逃走すると、襲ってきた十代半ば、聴取に対して「ムシャクシャしてやった」と言いそうなヤンキー感を醸し出す相手が捕縛されていた。後ろ手に回された両手の親指が結束用バンドで固定されると同時に曲げられた両脚がビニール紐で縛られている。手際の良さに若干の恐怖を感じながらも、続けて金属製のバトンのような凶器を手にしたチームが玄関側へ向かうと、続け様の悲鳴と共に更に捕縛された若者が3人ほど追加。
いや、なにこれ的な話だが、数の暴力って本当にすごい。
何か、それぞれ片腕が黒い機械鎧のような部品に包まれている若者や、両腕に奇妙な紋様が蠢いている若者が、なすすべもなく拘束されていくのだから特殊能力ってその程度なんだなとは落胆した。
黒服TUEEEEE。
そして、蠢く赤い紋様が腕にある若者には白い樹脂性の手錠、機会鎧らしき装備をした若者には真っ黒なケーブルによって拘束が追加され、そのまま庭へ搬送されていく。
気付けば全てが終わっていた。
活躍のチャンスどころか、自分の能力に気付くような重要なシーンが発生することもなく、どこからか駆け付けた黒いワゴンへ男達が放り込まれ、同乗した黒服数人のチームと共にワゴンは走り去っていく。
SUVもまた、キーがついたままだったから、別の黒服によってどこかへ乗り去られた。
残ったのは破損痕があるブロック塀と、ご近所の視線一つない状況。庭では黒服達が潜めた声でどこかに連絡をとったり何か装備の準備を始めたりと何かの準備を始めている。
アランヤタが髪の中に着地するのを他人事のように認識しながら、ほんとうにおいてけぼりですありがとうございますと心中で情けなく呟く。
しかも三時間後にはブロック塀が直されていました。正直、妖精使い云々の肩書きがあろうと、自分は特に必要でない気がした。
夕食の用意の為に白菜を洗っていると、家の扉が開き瀝青ちゃんが帰宅。気絶しているのか眠っていたのか定かでなかった九薙嬢を一瞥し、ダイニングテーブルの椅子へ腰を下ろす。
「おかえり。晩御飯は鍋だけど」
「………いつもありがとう」
なんかほっとする会話。
ただし相手が他人で美女と思い出した途端に、これって同棲? とか思い浮かぶあたりが思春期。
「いや、結局、そっちのやら、外の人やらはどうすれば?」
「外は外で用意を始めているから気にしなくていい」
そういえば飯前にコンビニに出掛けた際、棚の弁当がごっそり消えていたような。
なにか申し訳ない気持ちを感じながらも鍋やら大根やら肉を用意していると手元の資料に眼を通す瀝青ちゃんが難しい顔のまま煙草を口元へ運ぶ。
それを平手で叩き落とす。
「吸うなら外」
「ごめんなさい、吸わないと集中できないの」
「吸うなら外」
短いやりとりの間にこちらの拒絶を察したのか観念したのか、瀝青ちゃんが縁側へ出て行く。
家族というか同居人との関係性に悩むようになるとは人生予想外に過ぎるが、とあることに気付き思わず叫ぶ。
「やっぱりこれって同棲っぽい!」
がこんと縁側から誰かが足を踏み外した音がするが、女性が二人居る時点でそんな甘酸っぱい話でないことに思い至る。やっぱり単なる同居とかシェアハウスとかいうものだと思う。
「しかも女性がたくさん居てハーレムだなー」
などと思いつつ自分の家なので単純にホームステイと呼ぶべきかもしれない。
とかく、なにやら庭が騒がしい中、鍋を火にかける。
どこぞの誰かが「戦場でご飯を炊ぐのは誰か」という話を言っていた。昔の足軽さんは兜を鍋にかんぴょうやら味噌、生米で雑炊まがいのものを作っていたというから、男が飯を作る文化もそう新しいものではない。
そう思いつつ炊飯器のコールに応えて蒸らし時間を計算。十分後には飯が喰える。
何かソファーからいびきが聞こえてきたので毛布をかけると、庭で何かの話し合いが始まっていた。
次回も三月中予定です




