・第4話 ・だから何で人を巻き込むのかコンチクショウ
工場の通用口を思わす場所から外へ出る。時間が正確なら夜の十時か十一時頃であり、事実として外は真っ暗な夜の闇に包まれていた。冷たく湿った風に身震いしている暇もなく、周囲へ視線を巡らせながらアスファルトを靴裏で蹴飛ばす。
周囲の光景は小学生時代に行ったことのある自動車工場に近いものを感じた。無機質でシステマティックな空間は、サイロを思わす円柱状の建物が幾つも並んでいる。牧場の施設部分と工場の生産ラインを混在させたような光景は、どこか不思議な様をしていた。
大柄な体躯は見失うことがなくて助かるが、縦幅と比べ横幅は思ったほど大きくはない。どころか胸や尻ばかり注視していたことから気付くのが遅れたが、単純な体躯でいえばむしろ華奢なのではないか? それと、身長は確かに高いが、180㎝はさすがになさそうだ。
あ、さっきの厚底のパイルダーオフか。
筋肉質ではあるが、それとて女性としてはレベル、これは彼女を先行させる状況について再考すべきではないかと足を早める。
遠く、複数人の声と気配は今だ近付いてくる様子はない。何か揉めているような様子はあるが、背の高い遮蔽物が多いここからでは確認することはできそうにない。
だが意識が遮蔽物の先へ向いた瞬間、突然景色が変わった。
まるで顔に望遠鏡かヘッドマウントディスプレイを被せられたような唐突さで景色が入れ替わる。コマ送りの映像の1シーンを飛ばされるような間断を挟み、視界が正常化した時には今までとは別の景色が映し出された。
映像は鮮明だが不鮮明だ。何を言っているのか自分でもわけがわからなくなっているが、煌々と白く照らされる光源によってうまく映像を捉えられていないのだと気付く。
瞳孔が収縮するより鋭敏に景色は修正される、SUV系、要は四駆だのAWDだのと呼ばれる背の高い車に加え、やたらごついワゴン車が数台並び、その周囲にばらばらと人影が立っている。ぱっと見た限りでは学生服やパーカーなど、自分と同年代の人間のようである。
ただし、そんな人間が一度に校外で集まっているといえばヤンキーだのチーマーだのと呼ばれる関わりたくない趣味思考を持つ相手しか思い浮かばない。そういった人間達が警備員らしき数人の男に制止され、何事かを問われている。
音のない景色の中、立っていた一人と視線が合ったように感じた。赤い髪に銀のピアスをした痩身の青年。切れ長の瞳がこちらの視界、いや、こちらの存在を認識したような感覚。
慌ててその場から離れようと意識する。途端に光が消える。
無意識に捉えた映像は、意識的な思考によって元の光景に引き戻されていた。脳内にあるスイッチを切り替えるように思考を動かすと、まるで呼吸や歩行と同じくらいの容易さで身体に馴染んでいた。
恐ろしいとも思う暇もない。一瞬だけ呆けたものの、慌てて前を見据え直す。呆けた時間も視界を奪われた時間もほんの数瞬であったらしく、前を走っていた九薙女史の背にぶつかることなく慌てて立ち止まる。
「別なのがいる」
その言葉の真意はつかめない。ただ、施設を囲むフェンスの先、草木の生い茂った林から身を隠すよう、立ち止まった彼女は建物の壁を遮蔽物とし暗闇の中へ眼をこらしている。
一体何が。そう口に出す前に、自分達が走ってきた方向、やけに明るい場所で鈍く骨まで痺れる重低音が轟いた。銅鑼を叩き割ったか金属を潰したことを想像させる異様な音に背筋を強張らせてしまい九薙女史の動きに遅れた。
慌てて彼女の背に続く。
いや、正確には続こうとした。
見上げた九薙女史の頭上にはその身体へ飛び掛るよう何かが降下する姿。反射的な反撃として無意識が狙い定め、意識の焦点があった時、身体の内側から圧力が生じて波打つ血流が指先へ収束していく気配を感じた。
どうする俺。
そんな他人事じみた思考が脳裏を過ぎるくらいには何故か冷静だった。
「なんか出ろ!」
イメージはファイアボール。某有名アクションゲームの方でなくRPGの方の。
思いついた言葉が心底情けないがそこは勘弁願いたい。
まぁ実際には指先から何かが出てくることはありませんでした。ホルスターから飛び出した黒い妖精が人影の顔面に命中しただけでも十分っつたら十分だが。
結果として相手の攻撃を防いだのだからツッコミは受け付けない。
顔に張り付こうとした妖精を振り払う女性を横目に九薙女史を背にする格好で庇う。
だが、それを予想していたかの速度で相手は動く。しゃがみこんでいた女性が立ち上がると共に蹴りを放っていた。踏み込むと同時に蹴りを肩で受けるも、軌道を変えてブラジリアンキックと呼ばれる膝を支点として蹴りの軌道を変えるという高等技が披露され、鎖骨の上へ爪先が振り下ろされる。
寸前で軸を外し、掌底で相手の足を横から払い除ける。こんな高度な格闘を自身が認識していることに混乱しながらも、鋭い右フックをバックステップでかわした。
しかし、退いた事がマイナスになる。
膝の溜めだけで全身を捻り、一直線に拳が放たれる。軽い跳躍にしか見えない動作で、全身が弾丸の速度で女性の姿が眼前へ迫る。
「どわっじ!?」
「ぐふっ!?」
身体を勢いよく曲げながら回避。背後に庇っていた九薙女史ごと横へエビのような動きで打撃を摺り抜けたものの、勢いを保ったままの彼女は建物の壁面へ突撃し。
コンクリートを一撃で粉砕した。
度肝を抜かれるとはこのことだ。正直、妖精の精製過程を見学した時の比ではない。
目算で身長160cm前後、小柄な部類に属す女性の拳撃が重機を使わないと壊せないような施設外壁を砕いている光景。あれが人間に向けられれば内臓破裂どころか拳が身体を貫通する猟奇的な光景が展開されること間違いない。
恐怖で全身が強張り、膝が震える。鼻水と涙が出そうだがそちらは我慢できたようだ。
逃げよう。
即座に決断し即断に決定。
「………逃げんの?」
その様子を察してか、粉塵の中から顔を出した女性がこちらを見据える。
ホットパンツにチューブトップ、パーカーという軽装、だというのに傷だらけのハーフブーツと拳に巻いたフィンガーレスのグローブが妙に馴染んでいてやたらに怖い。そして褐色肌の体型は見事なトランジスタグラマー。うん、それはまさにトランジスタグラマーである。オノマトベ的な表現だとボン!キュっボンっ、といったものである。
小柄だが見事な八頭身。パーカーの奥に隠れた顔は多分美人。
思考の半分が現実逃避なのは解っている。だが、自覚しているのであれば多少まともなのだろう。
無闇に軽い身体に感謝しつつも、先程の体当たりによってか地面の上でぐったりしている九薙女史を担ぐ。
米袋が如く肩に乗せた身体は妙に重量感があったものの、肩にあたるやわっこい感触で相殺。むしろ役得だが喜んでいる暇はなさそうだ。一挙動での間合いは先程の打撃から予測して2、3m範囲内は瞬間移動じみた速度で飛び込んでくる。単純な逃走をしても追いつかれるのがオチだが、あと一手が足らない。
普段の何割増しで動けているかは解らないが、謎の格闘美少女が相手では無理ゲー極まりない。ピンチに覚醒するのがヒーローの条件だろうが、ピンチに泣きが入るのが一般人。足裏でにじりながら下がっていると、背中に硬い感触が当たる。
「下に、落とすから」
背後から囁かれる小さな声に応えるよう背後へ大きく跳躍する。同時に踏み込んできた格闘美少女の足首のあたりへ弾んだ金属缶が命中し、彼女がよろけた瞬間に瞼越しでも届くほど強い光が弾けていた。腕のブラインドがなければこちらの視界まで灼けていた。
夜に閃光手榴弾とかこの人は加減をしらないのか本当に。
しかし、顔を押さえる美少女とは違ってこちらの視界は明瞭。膝が抜けるか股関節が外れるのではないかという勢いで逃げ出した。
フェンスを前にして肩に担いでいた彼女を腕で抱え込む。そのままハンマー投げの要領で5m近いフェンス越えの大記録を叩き出していた。
「ん、にゃ!?」
フェンスの上に慌ててしがみついた九薙女史を追って蜘蛛並の動きでよじ登る。夜に溶け込む黒いジャケットのおかげか、足音こそこちらに近付きつつあるものの、こちらが発見された様子はない。
「無理無理おりられるわけないじゃない!」
「急ぐんで!」
しがみついた九薙女史を引き剥がすと同時にフェンスを蹴飛ばし三角跳び。地面へ着地すると同時に再び駆け出した。どうしよう、人一人抱えてあんな高い場所から着地したのに下半身が無事だ。足首一つ捻っていないが、やはり何処かおかしくなっているのだろうか。
そこまで考えている間に額へ何かがぶつかる。
どこに居たのかあの黒い妖精が額に直撃したうえ髪の毛に掴まる格好で頭に身体を乗せてきた。この生き物の行動原理も不明だが、とりあえずきちんと重さがある。いや、よくよく考えればあの格闘美少女にも命中していたのだから、きちんと質量を備えている。俺の幻覚ではなさそうだとちょっと安心。
暗い林の中を枝を掻き分け九薙女史の手を引いて走る。
何処へ向かうのかも解らないが、木々の幅が広い場所を選んで走っていく。
走っている間に頭に浮かんだのは匂いを探るという原始的な方法。土の匂い、葉の匂い、そして水の匂い、鼻の奥に染みる独特の感覚に従い、荒れた地面を避けて可能な限りの速度で走る。
緊張に呼吸がひきつる。吐いて吸うという動作だけで辛い。足元の革靴は何らかの加工がしてあるのか、枯れ枝を踏み潰し花々を蹴倒してどれだけ走ろうと傷一つない。それをこの暗闇で確認しているのだから、視界もやはり鋭敏に過ぎるよう思う。
血を混ぜて呼び寄せて、人の形に拵えて。
あの光景が不意に過ぎるが、思考に拘泥している暇もない。
足場に僅かな傾斜を感じた刹那、目の前の光景が開けていた。
水と機械。有刺鉄線込みのフェンスに囲まれた浄水施設は、人の気配も乏しく無機質な駆動音に支配されている。人間がいないことは好都合だが、一般的に浄水場とも言われる公共の設備である以上、よくよく考えれば入る手段が思い浮かばなかった。
徒労ですか?
「っは、はぁ、こ、はぁ、ころ、す、気?」
そう思っていると、背後から怨嗟混じりの激しい呼吸音が聞こえた。ぼろぼろで全身に枝や枯葉、蔦の絡んだ格好の九薙女史が今にも倒れそうに肩で息をしていた。
必死に過ぎて彼女のことを忘れていた。慌てて枯葉を手足から払い落としていると、くしゃくしゃのシャツからほつれたボタンを引き千切った九薙女史がきょろきょろと周囲を見回す。
「施設の出入り口、どこ? いや、そのまえに何処にいるの?」
視力の差か、手を左右に振り回す彼女の手をとる。手首と掌が慌てて掴み返され、今更に思い出した掌の柔らかさに顔に血が昇るのを自覚した。
施設の出入り口傍まで誘導すると、小さなIEDライトを使って地面を探る九薙女史。そのうち取っ手のついた円形の蓋、マンホールに似たものを動かしたかと思うと、中へ迷いなく飛び込む。
「入る時に閉めて」
指示こそされたがどうすれば閉まるのか解らない。足先で内部に階段があることを探り、着地と同時に扉の内側についていた取っ手を握る。すると勢いによってか、円形の扉、いや蓋がぼ元の位置に戻っていく。ガチャリと施錠らしき金属同士が嚙み合う音と共に、周囲を完全な暗闇が満たす。夜の闇と違ってまったく周囲が見えない状況で、足先の感覚だけで床を確かめながら下りていく。
混乱と恐怖で泣くか漏らすのではないかと怯えながら下りる。
やがて段差がなくなったことに気付くと同時、暗かった場所が人工的な灯りによって照らし出された。コンクリートで形成された狭い通路であること、等間隔で並ぶ蛍光灯の中に九薙女史が居たことに心底安堵した。
「あとは、この通路の先から出られるから」
それはいい、非常に素晴らしい。
歩き出す彼女の後ろに続くと、やっと一息つけたと安心。便器が破れていたところから妖精なんてものが精製され、そのうえで謎の集団やら戦闘美少女から逃げ出すという一連の珍事も、やっと打ち止めのようだ。
「それで」
はい、何か?
「何故、私を助けたの?」
おいこら目の前で自殺されたら普通にトラウマになるから。
「………本っ当にごめんなさい」
いいえ。
なにかしょんぼりした九薙女史を引き連れて通路を出る。本当にテンションの上下おかしいなこの人。あの薬に頼るのやめた方がいい気がするが、テンションがボトム状態だと屋上ダイブしかねんからな。どっちかというとこの人そのものが怖い。
今度は本当にマンホールの蓋だったが、力任せに押し開けると夜空が頭上に広がっていた。新鮮な空気を全背骨まで吸い込むよう深呼吸し、冷たい空気の感触を内臓に感じながら大きく吐き出す。
そして、街の明かりが存外に近くなっていることを確認すると、短い思考のうえ。
「よし、帰るか」
頭のうえで小さな寝息をたてる妖精ごと全てを棚上げして帰ることにした。
全部が面倒臭いので明日でいい。明日から本気出す。
そう結論を出し九薙女史を振り返ると、彼女はぼんやりとした視線のまま背後を振り返っていた。
遠くでは燃え上がる赤い光。距離からして謎の施設位置と合致するようであったが、明日の一面になりかねない火災だ。燃え移って山火事にでもならないのか心配であったが、誰かが通報するだろう。
そう思い再び彼女を見た瞬間、空ろな表情をしていた彼女が不意に崩れ落ちる。
「ちょっ!? なっ!?」
慌てて支えるも、ぐたりと倒れこんだ彼女に意識は無かった。
驚きより先に困る。そこらに捨てていくわけにもいかず、かといって警察などに届けるのもあの火災を見た後ではどこか躊躇われた。どこから自分もまたあんな争いに巻き込まれるのか解ったものではない。
舌打ち一つと共に、素早く彼女を背負う。
夜の闇に紛れるよう路地を選んで逃げ去る間も、何が楽しいのか妖精は人の襟首にぶり下がり、左右に身体を振り回していた。
もう勘弁してくれ。
その願いは通じそうに無いが、走る足だけは止めないようにした。
そして背後で爆発音。
振り返った視線の先では、巨大な何かが咆哮を上げている。
想像上であれと一致するのは多くない。
余所の星からの侵略者か、それとも。
「………怪獣?」
トカゲに似た何か。人に似た何か。
よくよく見てもさっぱり解らない巨大なシルエットが、再び爆炎に包まれる。
盛大な黒煙が晴れた時、そこにあった姿は唐突に消えていた。
わけがわからん。
そう思うものの、考えるだけ無駄だと逃亡を再開した。




