・第10話・初任務が以下略 その3
軍服に似た服を着た女性がたくさん並んでいる。マスゲームを思わす整頓された並び順のまま微動だにしない姿は異様だが、更なる異常は彼女達の顔立ちがほとんど同一のものであることだろう。同じ金型で製造された人形を並べているような光景。
「《シーレーン》第一分隊! 構え!」
号令に合わせて瞬時に彼女達が構える。どこからか、というよりどうやってか不明だが、腰の位置から巨大な固定具が現れると、身体の各所、服の表面で金色の糸が輝き、ほつれた糸が絡みつくように固定具へ繋がると、服の表面から突如として金属の塊が現れる。
「四次元縫製。とある天才錬金術師が生み出した技ね」
「………その人って手とか足とかが銀色だったりします?」
「知ってるのー? 確かに両腕に銀色の籠手をつけているのが特徴だけど」
貴賓席の一つ、演習場を眺める椅子へ座る正装のアルグレンテの背後に立つ竜樹は軍服に似た黒い服、近衛兵団の正装で付き従っている。
竜樹達が大河国に到着し一夜明け翌日。
面倒な外交の云々を省いて早々に今回の訪問理由、怪獣対策の戦力がお披露目されていた。
怪獣被害の増加に対して、諸王国領各国による新設された対策ギルド『怪獣の檻』の結成を明後日に控え、関係国の代表者が集結。主体である学術公国、法制統合国がゴーレムや装甲服、魔術式猟銃など、提供装備が一挙に公開されたわけである。
現在目の前で一糸乱れぬ動きを行っているのは学術公国の用意したゴーレム《シーレーン》が二分隊編成で予備戦力含め系30機。隣接主体の《タルカス》とは逆に、遠距離での砲撃を念頭に置かれている為、アルグレンテの説明した四次元縫製技術とやらで重武装化された砲戦仕様。
「んで、キサコちゃんどう?」
「二日酔いでスガホーが面倒見てまーす」
「ダメっ子ねぇ。車に酔ってお酒に酔って」
「うちは残念とダメっ子とハイパフォーマンスの三人娘で構成されています」
「とりあえず残念が私だとすれば給料さっぴくわよ護衛」
「あんたに給料貰ってねーでーす」
「うわ、殴りたいこの能面男」
喋っている間にも準備が完了する。両肩に担がれた四角柱にしか見えない金属装置。表面に刻まれた溝が魔術式を発動し、二人の会話中に指示された場所へ照準が定められた。
「第一分隊! 掃射!」
甲高い魔術式機関の駆動音と共に生成された氷柱弾が殺到する。
標的にされた岩塊の表面が炸裂した氷柱が岩を砕く。広範囲が雪原を思わす氷だらけの場所に激変していた。
「続いて第二分隊用意!」
今度はガトリングのような武器が金色の糸が刺繍された場所から引き出される。
そしてそれは実際にガトリングだった。円形に配置された銃口が回転し、鉛玉が風を貫いてひゅんひゅんと飛んでいく。
「あー、そうか。相手が怪獣だから銃なんて使えるのねー」
「え? 銃って一般的じゃないのか?」
アルグレンテ曰く、遠距離武器として有用であるはずの銃だが、この世界では一部の勢力を除いて利用していない。
その理由の一つが錆を引き起こす魔術の影響。弓であれば鏃が錆びるだけではあるものの、銃などという精密な道具が錆びてしまうと使い物にならないし、この魔術を使われると広範囲の銃を一度に使用不可にされてしまう。錆を防げるような金属を使うと高額となり数の用意ができない。
それでも、狙撃や魔術を遮断する結界などを含めて運用すれば効力を発揮もするのだが、対人戦については一般化しなかった。魔術師という高性能な移動砲台が用意できるのが異世界であり、ある意味で工芸品扱いされているようだ。それに狙撃すら一定以上の技能をもつ人間は避けるし、ならば大砲を用意しようとしても、この世界は条件さえ揃えばスキルとして様々な能力を習得でき、わざわざでかい装備をえっちらおっちら用意するなど徒労と思われているそうだ。
戦場の移り変わりが速いことが常識であるこの世界では根つかなかったそうだ。
ちなみに四次元縫製や収納用のアイテムなどを使えば大砲の運用も問題ないのではないかと思われるが、四次元縫製は門外不出、高価なアイテムボックスを戦場で幾つも用意するのも無駄、そもそも、火薬の用意や管理、運用の専門職を育成するのもまた難しく、考えてみれば敬遠されて然るべき理由が幾らでもあるのだ。
科学しかない世界の常識が通用しないことに思わずカルチャーショックを受けるが、そもそも、元の世界とは技術も文化も世相も異なっているのだから、なんとかできることとできないことがある。
「けど、モンスターに対してなら有効でしょう? 国境防衛にだって」
「反乱の芽になりそうなものを配るの? それに下手な武器だと魔術具用意した方が安くて楽よ? あと、普通は冒険者や兵士で十分だもの」
「あー、まぁ、それもそうか」
兵器より兵士の命が安い。ここらへんも思考の差異だろうか。
そんなやりとりをしているうちに入れ替わる。今度は巨躯、金属製の人型達が大剣を構えて演舞を始める。人間に似せていた《シーレーン》とはコンセプトがまるで違う。胴体に半ば埋め込まれた頭部に、寸胴な胴体から手足の生えた造形。ブリキのオモチャじみた人間の倍近いサイズのボディ、30体の巨人達は揃って剣を振り回す。
一糸乱れず剣を構え、振り、立ち位置が戻される。
「で、街に着いて以降、襲われる確率は?」
「ほとんどゼロね。私を殺しても岳山領国に影響ないもの。むしろ、大河国の看板に傷がつくのがオチだろうし。正直、この観覧席に座っている限りは貴方もいらないレベルよ?」
さて、現状に到った経緯だが。
大河国の首都に到着にてお役御免だったはずの竜樹であったが、残念ながら引き継ぎ役が揃って居ないという状況だった。迎えに来た朱善は、眼の下が真っ黒に染まるぐらいの隈が刻まれており、今にも倒れる寸前という状態だった。
彼が洩らした「うん、あのデカ女がいません。我が体力ゲージはブラックアウト寸前である」という台詞も厨毒加減が弱まっている状態で、喋り方どころか態度も説明も適当な朱善は、伝達事項を伝えたうえで本当に昏倒。メイドさんにゴミか何かのように引き摺られて運送されていくあたりが不憫であった。
朱善の説明が適当だったので仔細は不明だが、巨女ことイゾルテ嬢が引き継ぎ役ではあったらしいものの、不在は本当だそうで竜樹の続投が自動的に決まった。
その任務というのが現状行われているこの出し物期間の王女護衛。怪獣討伐ギルドの立ち上げに伴う戦力の公開と関係各国による外交の為、このアルグレンテ王女もわざわざ関係のよろしくない大河国にお出まし願っているのだが、彼女を守る為の護衛適任者が現状竜樹しかいないとか人員不足にも程がないですか近衛兵団。
「そういえば俺がいないと一人でずーっとあれ見てるだけになるからそれもダルくないですか?」
「うん、そう考えるとすっげぇダルいのは確かね」
演舞も終わり、ゴーレム達が引き上げていく。
入れ替わりに巨大な鎧を着込んだ人間が行進してくると、マスケット銃似た長大な銃を手に発砲を行っていく。
「それじゃ大体見たから引き上げよーかね」
「アルグレンテ姫、よろしいのでしょうかぁ?」
「いいって言っているでしょ。あと、適当な敬語とかすっごい違和感あるからやめて」
「了解」
早々に引き上げる二人を他所に、巨大な鎧、蒸気を吹き出す装甲服の実演に会場では歓声が上がっていた。
お披露目会場というか展示場というか、とにかく、派手な催しものが続く演習場から二人は離れ、街を歩く。来賓用に用意された宿に戻るにも早い時間であったので、観光も含めてぶらついている次第である。そんなんでいいのか護衛役。
大河国はその名の通り、領地の傍を大河が流れている。岳山領国やその他の国からの川が合流して大河国を流れるこのガンジス大河となっているという。ガンジス大河と聞いた時点でなんとなくネーミングの元がこちらの世界と同じ出身者とは解ったものの、思わず「センスねぇな」と呟いてしまったあたりは仕方ないだろう。
そのガンジス大河のある大河国と、岳山領国が何故に水資源で揉めているかというのが不思議なくらいだが、問題は水量ではなく、水質の有用性が論点であるという。そこだけ聞くとなんのこっちゃな話だが。
岳山領国は領地を流れる川に水門を設け、一定量の水を農業用水などの為に確保している。その水門によって水源から多量の養分が含まれている水が制限されてしまうと、下流に位置する大河国の作物の質と量がその影響が出る。
結果、下手をすれば飢饉に繋がるのではという危惧から始まった争いが今も続いているという。水門の数は五つほどあるのだが、現在は岳山領国管理のもと閉ざされているものが四つ、残り一つが下流の為に常時解放されている門になる。
その影響による国内の穀物生産量はご想像の通りに低下中というわけだ。
現在は諸王領国家圏の各国からの貿易物資があるとはいえ、諸王国領の各国家は聖王国や帝国に比べれば地力に劣り、さほどの余裕があるわけではない。かといって戦争をしたらしたで国の財政に響くものだから、そこらへんのバランスからこの数百年戦争を繰り返して現在の休戦に到っている。
「それで、どうするグレ子?」
「んー、そっちの呼び方のほうがやっぱ馴染むわー。ま、とりあえず掘り出し物探しに行こうよ」
礼装から簡素な旅装に着替えたアルグレンテは、腰に短杖を差し、外套を纏っている。フードまで備えた完全装備の彼女に合わせ、竜樹もまた黒い全身革鎧姿に換装済である。
「とりあえず冒険者ギルドにでも? 素材やアイテム、一部の使い方が解らない遺跡からの発掘品なんかも扱っているらしいが」
「それいいわね。よしけってーい」
連れ立って大河国首都ガンガーの冒険者ギルドを目指す。
首都ガンガーの冒険者ギルドは酒場の併設された前時代的な様相をしていた。山岳国は事務所のようなこじんまりとしたもので、酒場などは場所が分けられていたようだった気がするなと竜樹が薄っぺらい記憶を探る。
両開きの扉を開くと、途端に喧騒が耳に飛び込んでくる。騒がしさに辟易するものの、何か質の違うざわめきに眉をひそめる。ヘッドギアの下、隣のアルグレンテと視線を交わすと、人の集まっている騒ぎの中心を迂回するように野次馬に混ざった。
「げ」
「あ」
竜樹の呻き声とアルグレンテの呆れ声を共に、集団の中心を見る。
片方は神経質そうな髪の薄い中年男(おそらく貴族)を中心とした傭兵らしき男達の集団で、片方は白い外套を見に纏った男前。ただ、その男前さといい無精ヒゲといい、後ろで束ねたぼさぼさの黒髪といい、何か見覚えのある外見をした誰かが、華美な服装の美女を背に庇っている。
「その女を引き渡してもらえないかね? こちらとて暇ではないのだ。手荒な真似も本意ではないので早く終わらせたいのだ」
小太り中年貴族は、何かテンプレじみたやりとりを始める。
「事情によるな」
咥えていた煙草に火を灯し、さも気だるそうに呟く男前。なにあれカッコいい。
「彼女は私の後妻でな。ちょっとした行き違いで家を飛び出してしまったのだよ。さ、ロゼッタ、戻りなさい」
悪人顔ではないものの、地味な容貌の端々から傲慢な様子が感じ取れる相手に対し、男前は肩を竦める。
「で、お嬢さんはどうする? 依頼なら安くしておくが」
「わ、私を守ってください! あまりお支払いはできませんがお願いします!」
「承った。あぁ、正式な依頼はあとで窓口を通してくれ」
両腕に嵌った腕輪が緑に輝く。魔力による発動光、無詠唱による魔術式の発動を前に、傭兵達の間で動揺が奔る。
「お、おい。あれって奇術師ウィシオだろ?」
「あ、あぁ、魔術も当てずに相手を倒すって。あんなの、数で太刀打ちできるもんじゃねぇぞ」
ウィシオと呼ばれた男の構えに腰の引けた傭兵達が躊躇いつつ剣を抜く。冒険者ギルド内での刃傷沙汰に、周囲の冒険者達は興味深げに距離をとり、職員達は非常時に備え武装を用意始めている。
「………君達、報酬に見合った程度には働いてくれないかね? 今後に差し支えることになるよ?」
「ッチ! てめぇら女に傷をつけんなよ!」
リーダーらしき男の指示に男達が構えようとして。
続けて崩れ落ちた。
「なっ! お前等!?」
「へぇ、お前は無事か? そりゃ残念だったな」
「な、にを?」
無形の弾丸、緑の色彩を帯びた風がリーダーの顔へふわりと触れた。その瞬間、リーダーは音もなく崩れ落ちた。
「終わりだ。そこな御仁はとっとと帰ることを勧めるが?」
「っ! 後悔しますぞ!?」
踵を返す中年貴族を他所に、歓声が上がった。やり口こそ不明だが、傲慢な貴族を追い返したことに周囲から賞賛が降り注ぐ。
「あれ、何やったか解る?」
「さわりくらいは。ま、丑雄さんしか無理っぽいが」
人に囲まれた男前、丑雄を他所に、二人は奥に設置されたアイテム屋へ向かった。
「やっぱり日本って国から来た人はどっかおかしいわねー」
「なにその感想。つーか人の国の評価が正直酷い」
「いや、ちょっと客観的に自分を省みて欲しいわよマジで」
「………最近、ちょいちょい俺が影響を受けているのか俺の影響を受けているのか解らなくなっているような気がしますがグレ子さん」
「人間関係ってそういうもんだってば。とりあえず掘り出し物ゲットよ」
「あーはいはい」
丑雄との再会イベントをスルーしながらアイテム屋の店先を眺める。
そういえばと緑色の液体が満たされた小瓶を竜樹は手にとった。ファンタジー世界御用達の謎アイテム筆頭、ポーションとの初邂逅である。
「これをかぶると回復するって本当か?」
「まー、初級ポーションで軽傷、中級で失血死の可能性がある外傷、上級で命に関わる重傷まで治るそうよ。あと、欠損した身体を再生するにはまた別の種類の薬を使えばなんとかなるそうよ。使ったことないけど」
「うわー、ありがたいのかありがたくないのか。すごい怖い話聞いたような」
「はいはい、そっちのカップル。一応説明しておくけど、正確には部位欠損に必要なのはポーションではなく再生剤ね。覚えとかないよ恥かくわよ」
店番をされていた冒険者ギルド所属の女性店員の言葉に二人が顔を向ける。
「カップルじゃないですけど、値段的に言うと再生剤って幾らぐらいですか?」
ちなみに値札によると初級ポーションが銅貨20枚、中級が銀貨2枚、上級ポーションは店頭に並んでいなかった。
「上級ポーションが店売りで銀貨60枚、再生剤が金貨2枚。ただし、店売りはほんとどないわね。帝国や聖王国の冒険者ギルドでたまに売ってるけど、基本的には専門店で少し値は張ること覚悟で買わないと無理ね」
「へぇ、そうなの。ちなみになんか店先に並んでいない掘り出しものとかあるかしら?」
「まだ値札も貼ってないガラクタでよければこんだけ」
箱で出されたうさんくさい品の集まり。明らかに値段のつけられないようなガラクタの山に対して、意外と楽しそうに二人が顔を寄せる。
「お、面頬あるぞ。これは?」
「銅貨2枚」
「あ、この腕輪って幾ら?」
「銅貨1枚」
「じゃあ、この金属部品は?」
「銅貨5枚」
一抱えほどのガラクタを背負い鞄へ詰めると、二人は満足そうにその場を後にした。
大河国港湾。目の前に広がる景色に対し、短く呼吸を吐き出した。鋭く激しい擦過音じみた呼吸と共に、甲殻に包まれた腕の中で筋肉が軋む。全力を発揮する為に筋肉の構造が若干の変形を行い、全身を巡るオーラが全身を熱く熱を発する。
「結界の呪文で自衛してくれ。すぐに片付ける」
「初めての護衛っぽい仕事よ。がんばれっ」
「護衛対象がそこらへん茶化すとかどうなんだろうおい」
護衛1名対、厳ついトロルの一団。
「貴様に怨みはないが、後ろの女に用事がある。邪魔をするなら五体満足とはいかんぞ」
格闘着に似た荒れた衣服を纏う隻眼のトロルがこちらを睥睨する。2m以上ある彼等は、竜樹と比べれば倍以上の大きさである。
「断る」
「そうか」
逡巡はない。掛け声一つなく動き出したトロルの一団は雪崩れのように押し寄せる。
「はっ!」
同時、拳を地面へ垂直に振り下ろした竜樹が瞬時に《インパルス》を発すると、囲い込もうとしたトロル達の足が僅かに止まった。その隙をついて衝撃を防御用の魔術式でいなしたアルグレンテを抱えて一気に駆け出した。
「ぬっ!? 追っ!」
隊長格の男が「え!」と言葉を続けるより先に、見事な俊足を発揮した竜樹の姿は既に彼方に消えていた。ほとんど瞬間移動じみた移動能力であるが、歩幅に合わせて固められた地面が削れている様子から、単純な脚力によるものだと理解し隊長格は呆れ混じりに呟く。
「背後を囲むのが遅れたことが仇となったか。しかし、見事な逃げっぷりだな」
「言っている場合ですかい隊長! 追わなけりゃイカンでしょう!?」
同じく格闘着じみた服を着たトサカじみた髪型のトロルが叫ぶ。対して隻眼のトロルは早々に踵を返していた。
「無駄だ。単純な移動速度ではおそらくかなわん。その旨を報告して終わりだ」
「………またうちの評判が悪くなっちまうなぁ。義理だけ果たすだけって、そんなんばかりじゃないですか」
「元々気に食わん依頼だったからな」
既に駆け出した際の土煙も消え、彼等の背中は影も形もない。
「依頼主はよっぽどの阿呆だな。護衛任務中でもなけりゃこちらが全滅しかねんぞ、あんなもの」
加減された《インパクト》の衝撃で囲もうとした複数人のトロルがたたらを踏んだのだ。
自重とて人間の二倍から三倍はあるトロルに対して牽制をかませるなど、それなり以上の技量だ。
そうぼやきながらも、残った片目に戦意を漲らせたトロルは笑っていた。
人間やめてもう一ヶ月近くなるかぁなどと感慨にふける竜樹。跳躍の距離はラウンドオーガを倒した時より倍近く増加し、ほとんど空中を泳ぐように進んでいく。風を切って建物の屋根から屋根へ跳び去っていく。そして隠形の効果によるものか、その姿を捉える人はいない。
「っと、到着」
足音も小さく着地。
大河国でも有数、現在は王命にて貸し切られているものの一つで『マハのねぐら』という名の高級宿に到着。華美な装飾から竜樹は思わずラヴなホテルですか? と口にしそうになったが自粛したような外観である。
抱えていたアルグレンテを下ろすと、眼を見開いた彼女はぴくりとも動かず棒立ちのままで動こうとしなかった。
「………あれ? 戦闘は?」
ようやく搾り出したような声に、適当な竜樹の声が応える。
「逃げたけど?」
「………なんで?」
「護衛対象をわざわざ危険に晒す必要がない」
「いや、うん、そうだけど、えー?」
あまりの状況に認識が追いついていなかったらしい。仕方ないとばかりに竜樹が手を引いて行く。
「怪我しなかったの?」
「逃げたからな」
「そうだよね」
「そうだ」
「んー?」
足が止まる。
「じゃ、よかったんだ」
「そうだよ」
再び歩き出す。
「戦わなければそっちの方がいいのかなぁ?」
「さぁ? 殺しておけば今後の危険は排除できたかもしれないし、殺さなかったからこそ怨まれなかったのかもしれない」
「うーん」
「はいはい、部屋着いたよ」
「あれ?」
竜樹の言葉に何か腑に落ちない内容を感じながらも彼の後ろに続く。
扉の鍵を古めかしい巨大な鍵で開くと、部屋は広く、幾つかの部屋で構成されている。その部屋の中では回復したのか妃佐子が洗濯物を分けていた。男物は竜樹のみだが、女性物は宿の従業員に区別はつかないからだろう。
「あ、おかえりなさいませ。どげでした?」
「んー、あとは明日の怪獣討伐ギルド『怪獣の檻』結成における各国の援助物資やらの摺り合わせが終われば帰れるかな」
「で、結局大河国に着いて以降にこれでもかとはっきり襲われたけど、相手に予想は?」
「え!? お嬢が襲われたち本当ね!?」
「んー、ついさっき襲われたのよ。そんで、状況から言うとあの人のバックね今回の件って」
「あの人って誰のことで?」
「ほら、怪獣病の隔離施設襲った一団居たじゃない? あれを手配したラクルト侯爵って人が居たんだけど、その人が実はあのあとすぐ死亡していて」
「いきなりキナ臭くなったな」
「で、その人の後ろに居るらしいのがトゴノウ将軍って話なんだけど」
「将軍って、軍務卿とはまた別に居るの?」
「まー、そこらへんは色々あってね」
岳山領国では、過去に国の屋台骨が傾くほどの異常な軍事拡大路線を行ったことがあり、その戒め、横領といった不正の横行や極端な軍事拡大への歯止めを担う存在として軍務卿という地位が生まれた。
いわゆる内部監査役とSPを兼ねた役柄にあたり、要人警護を軍務卿配下の近衛兵団が専任で行うことによって貴族階級における私設戦力の増強防止と、護衛時に内部監査も並行して確認することで有力者によるクーデタを防ぐ意味合いを担っているとか。
「で、その近衛兵団の運用そのものに反対し、尚且つ自衛名目で戦力を保有しているのがトゴノウ将軍」
「そんなの、王命なりでやめさせればいいだろう?」
「戦力に冒険者を使っているのよ。つまり、冒険者へ依頼して護衛を行ってもらっているという名目だから、私的な戦力と判断するには差し支えがあるのよ。冒険者ギルドの運営方針に口を挟んで関係を悪化させるのも今後に差し支えるし」
「なら、武力介入でなく監査を明言のうえ屋敷の立ち入り調査なりなんなりすれば?」
「やってるわね。とっくに。それで失敗している」
「そのせいでまた近衛兵団への風当たりが強くなるわけか」
「ま、だいたいそんな感じ」
「そのうえで、ここまで執拗に王女を狙うわけは?」
「戦争の再開理由にしたいのでしょうね。主戦派の親玉だし」
「ろくでもないな。にしても、水問題については大河国に戦争の理由はあっても、岳山領国としては水源さえ守れていれば問題ないはずだろう? こちらから開戦する理由なんて欠片もなさそうだが」
「大河国は水源を押さえられると農業に問題が出るけど、ウチは停戦以降、貿易の出入り、河川側からの輸入が制限されるのよ。ま、一種の報復なわけだろうけど。特に、お金持ちが大好きな高いお酒や食材なんかがね。そこらへんであれば対外的にもそこまで悪くは言われないだろうし」
「たかだかその程度で?」
「ま、他にも輸出そのものに幾つか問題が生じるのは確かね。岳山領国から輸出している鉱石の類で獲得している外貨も減るし、また戦争ともなればジリ貧って考えているのかも」
「王女様はそこらへんは?」
「んー、正直、そこまでは危険視はしてないけど。一部の鉱石は主な産出国がココだけのもあるし、水路が塞がれても、ある程度の商人ともなれば空路や陸路でなんとかするだろうしね」
「運べる量も、魔術具なりアイテムでなんとでもなると?」
「まぁね。けど、そういった事情とは別に、将軍は早めに戦をしてでも取り戻したいものがあるかもね。ま、真相は謎だけど」
「ふーむ」
そんな二人の会話を大人しく聞いていた妃佐子は、驚きに目を白黒させながら竜樹を見る。
「………それにしても、こげな難しか話ばできるなんて、馬鹿坊主も馬鹿ち言えんごたあるな」
「あ、そうよね、考えてみればタツキって頭いいよね。普通に話してたから意識してなかったけど、一応、私ってば王女として真面目に教育受けてきたつもりなんだけど、貴方ってば、ふつーに話してたわよね?」
「そうか?」
ちなみにこの世界の識字率は意外と高い。竜樹などは異世界人特有のチート能力で意識していないが、現在、世界的に使われる文法や言語は比較的に似たものであり、会話については訛り程度の差異しかない。これも、文明の形成における初期段階から各所を移動できる技術、魔獣などの使役や、魔術によって異様な発達を遂げた航海術や飛行技術によって、文化の根幹に共通した部分があるからだろう。
ここらへんはTVの普及で訛りが減り、会話に支障がなくなった現代日本に近いのかもしれない。
さて、言語的なものは別として、名前や簡単な文章を書くくらいであれば農民で可能な者は多い。特に諸王国家圏は、文化的に過度な発達を遂げた二国、学術公国と、統合法制国による影響が大きく、ある程度の計算まで特別な技能ともされない。
そういった環境と比較しても日本で育った平均的な人間である竜樹は、ある程度の見識を持った人間と認識される。前述したTVやネットによる広範囲の情報を一度に得られる環境から発達した広い視野に科学知識や常識、あとは日本人としての国民性をごくごく普通に発揮するだけで、控え目だが博識で良識ある人間と思われる。
これはある意味で元の世界でも一緒だ。日本人は自身の自制心や理性を正しく理解していない節があるが、自販機が町中に設置され、列に誰に指示されることなく並ぶような人種は日本人くらいである。銃社会云々とはまた別次元で隔絶した社会性といえよう。逆にその所為で主体性の欠如や現実に対す認識力の希薄さが出てきてしまうような欠点があるあたりもまた事実だったりもするのだが。
「ま、とりあえずタツキが頑張ってくれれば私はなんとかなりそうだから全力で頼むわね。うん、丸投げとかすごい楽でいいわー」
「いや、まあ仕事だしな」
ワーカーホリック傾向があるのもまた日本人的だが、そういった普通さに隠された諸々、何か、どこかの価値観が妙にちぐはぐな感が竜樹にあるが、そこらへんはアルグレンテもまだ掴みかねている。
「じゃ、暫く離れていいですか王女殿?」
「いや、いいけど。キサコちゃんいるし」
「お嬢、ちゃん付けはやめて欲しいっちゃけど」
「ま、ちょっと息抜きしたら戻るんで」
そう言って竜樹は部屋を出て行く。
高級宿『マハのねぐら』屋上。普段は洗濯物が並んでいる物干し竿も空だ。宿泊客の総数が少ないからだろうが、軽く運動するには十分なスペースがある。
「一つ、衝撃系スキルの発動回数が千回超」
片腕を引き、腰溜めに構える。拳を中心にオーラが渦を巻く。
「一つ、魔術を素手で叩き落したことがある」
衝撃系スキルを使う時に行う動作を一つ省く。拳風に巻き込むオーラが拳を中心に収束。
「一つ、魔術と体術を同時に使える」
青い気配が拳から放たれた。ビー玉サイズのオーラの塊が突如として加速すると、音速の壁を易々と突破して彼方へ消え去った。
「………おおう、できちゃったよ」
いきなり『波動弾』スキルを竜樹は取得した。
いや、正確には『波動弾』を取得した、だが。
「RPGやっているつもりで格ゲーやっているような気がするなぁ」
そしてやっていることはよくよく考えるとお使いクエストオンリーである。メインクエストとかなにそれ美味しいの? 状態である。というか、竜樹にしてみると、主目的のうち衣食住を早々に手にしてしまっているのでモチベーションがそこまで上がらない。
戦闘技能については戦わなければ生き残れないという何処の朝八時枠だという状況からせっせと戦ってきた。むしろ、一般的な高校生とかもう少し根性なしでいいと思う。
「よし、帰ろ………」
警戒アンテナが警報を脳内に叩きつける。建物の正面玄関に集まる多数の人間の気配に音も無く屋上を後にした。
「今日は大忙しだな」
走ってばっかりだ。
仁王立ちのメイドに怒鳴られるっていくらのプレイですか?
「せからしか! まりかぶるまでぼたくりまわされたかなかったら素直に帰りぃ!」
要約すると「うっとおしいぞ小便洩らすまでブチのめされたくなかったら素直に帰れ」という実に素晴らしい脅し文句であるらしい。褐色訛りメイドの罵りに若干名の男達が新境地に目覚めそうになっているあたりが世も末だと思う。
「おい女ぁ、いいからそこをどけって。あとで可愛がってやるからさぁ」
軽装の革鎧、品質は良、動きは同質。同じ訓練の気配。
汚れた外装に無精髭の外見からは想像し辛いが、おそらく兵隊。
急速に思考が切り替わる。十数人、そのうち背後の二人が前方の人間をカーテンに剣を抜こうとしている。用心深いがこちらに気付くのが遅い。
竜樹が踏み込むと同時、左右から妃佐子を囲い込もうとしていた外側の一人が抜刀。
オーロックに比べるとあまりに遅い。それだけ時間があれば沈む。
「おヴぉっ………!?」
腹に一撃。スキルを差し挟む隙はなくとも拳で済む。続けて男の胴体を抱え込んで一気に投げ飛ばす。二人目が男の体重で押し倒されるのを足場に、背中、壁と跳躍し、拳で顎を打ち抜く。もちろん加減していたが、片手が外殻、片手が籠手で覆われている以上、立派で凄い凶器である。
構える妃佐子の視線を横目に着地の勢いで前進し、踏み込んで拳を打ち抜く。
元々多対一という環境と室内、剣という得物の組み合わせが悪い。しかも、相手が密集している間に接近できたことまで加わればあとは身体能力によるゴリ押しでなんとでもなってしまうから怪獣病はおそろしい。
ボクシングというより拳法の技に近い拳の骨で芯を叩き割るような打撃。一撃一殺が叶うのは大体が腕力のおかげで、一歩一歩が影を置き去りにするような滑らかさはオーロック氏の教えの賜物。
機械的ですらある前進と排除。はたで見ていると腕をぶんぶんと振り回しているだけにも見えるが、一撃で一人が周囲に蹴散らされていくのだからブルドーザーか何かかと錯覚しそうなレベルだった。
そのまま過半数が打ちのめすまでは無双に近い有様だったが、そこまで幸運には恵まれない。籠手を壁に銀光を防ぐと、抜刀の勢いに押され軽く背後へ下がる。
残り二名。話しかけていた男達の後ろに控え、迷わず剣を抜こうとしていたうちの一人。
「護衛役が化物とはな。逃げんなら追わんぞ」
「黙れ死ね」
相手の反応など待たない。喋っている途中で発動準備は終えていた。
練り上げたオーラから《パルス》を発動すると、続け様の衝撃波の乱れ打ちに二人が揃って体勢を崩す。そのうえで額をそれぞれ一撃し、反撃に構えていた二人を即座に黙らせた。
容赦が無い、というより、ここまでくるとあまりに相手側がお粗末過ぎた。奇襲の手際から竜樹のワザマエに気付いてもよいはずだが、結局、余すことなく叩きのめされるまで理解しなかった。
敵が弱いことは喜ぶべきだろうが、特に不完全燃焼だった妃佐子などは舌打ちまでやっていた。
「おい竜樹、この宿でるき、王女が荷物まとめるのば手伝っちゃりぃ」
「やっぱり宿の人間もグルだと?」
「ここまでされて気付かん方がおかしか」
「それもそうか」
珍しいことに夜逃げの準備を始めた際にアルグレンテの下着を竜樹が掴んでしまうというようなラッキースケベ展開があったものの割愛。だってアルグレンテも「いやーん。しばき倒すわよん」とか棒読みしただけで即座に用意を再開していたのでスケベ展開と呼ぶのも憚られそうだったので。
かくして男達を放置した三人は、車に跳び乗りさっさと別の宿へ移動した。
ん? なんか忘れてね?
なんだかすっかり忘れられていたスガホーであるが、買い物途中のところをきちんと回収された。そこらへんはほとんどアルグレンテの功績である。竜樹はともかく二日酔いの看病してもらったうえに、酔い醒ましの薬まで買出しに行かせていた妃佐子が忘れているあたり業が深い。いや、普通に謝ってはいたが。
宿の人間への説明や交渉とか全て妃佐子に丸投げして新宿のソファーに寝転がる竜樹。そう考えると護衛役としての仕事もあんまりに手を抜いているように思うものの、彼なりに仕事はこなしている。
「んで、どう?」
大きなトランクの中身を確認しつつアルグレンテが尋ねる。
「反応は特に。わざわざ銀楽器出したけど大丈夫そうだ」
寝転んだまま銀楽器の魔法陣に手を載せた竜樹が応える。銀楽器から高周波を発生させ、音の反響や共鳴を聴覚で解析し、能動的に周辺環境や人間の行き交いをチェックしてのけた竜樹は、怪獣病の能力に振り回されることもなく解析完了と共に聴覚のレベルを引き下げた。
こういった調整が可能なあたりでも人間やめてる感が半端ないが。
「それにしても偉い人は大変ですね。商売敵に命を狙われることがあるとは想像もできません」
事情の一旦を「豪商の娘グレ子が商売敵に狙われている」という非常に端的でアバウトな説明で内容を伝えた竜樹であるものの、今のところスガホーがそれを疑っている様子はない。
「というか、正直超めんどくさいわね。タツキ、ちょっと主犯絞り上げて親元皆殺しにしてきてよ」
「無理だ。どうせあの兵隊崩れ達も依頼者の情報なんて詳しくは知らないだろうし。精々が尻尾切りに使われて終わりくらいの弱さだった」
「さらりと恐ろしいことをおっしゃられますね。この方も」
身の無い話し合いの間に妃佐子も戻ってくる。メンツが揃いはしたものの、基本的に専守防衛が主であるので要警戒とだけ周知されただけ。反撃に動くだけの戦力の割り当てもなく、割り出すには少しばかり人間が足りない。そう竜樹が納得している間にも、三人は女子会的な会話に華を咲かせていた。
初恋云々の話に内容が切り替わったあたりで早々に竜樹は逃げ出した。
「ちょっと失礼をば」
「何処行くのー?」
「他のメンツに連絡とってきます」
宿を変えたことについてと、襲撃を受けたことについて別件で動いている朱善達に連絡をとろうと魔術式の書かれた便箋を取り出す。
手早く宛先として並んだ名前のうち朱善の綴りに丸をつけ、裏面に内容を日本語で記載する。ありがたいことに共用語にあたる筆記にも問題ないのだが、同時に、日本語で書いてしまえば朱善を除いて例え手紙を入手しても基本的に読めないという念の入れ様である。
「っしょ。じゃ、頼む」
開いた窓から便箋を投げる。くるくると回転する便箋が形を変えたかと思うと、折り紙のように鳥の形へ変形し何処かへ飛び去っていった。
指定された相手に手紙が自動で飛んでいくという素敵な魔術式で、アイテム名を便箋鳩。余談だが、魔力がなくとも使えるものをアイテム、魔力を発動に必要とするものを魔術具と呼ぶことが多いそうだ。ただし、例外もやたらあるので一般的に、という但し書きは必要だそうだが。
さて、状況については一回目の襲撃のあとにアルグレンテが行った説明を鵜呑みにすべきかを若干疑問視している。嘘をついているとは思っていないが、ただ開戦の理由としてアルグレンテを殺そうとする点について、若干腑に落ちない。
だからといって、現状から他の理由に思い当たるものもない。
「結局は要警戒、というだけか」
残念ながら怪獣病では思考力までは強化されない。メンタリティや推理力についても補正の一つくらいかかってもいいような気はするのだが、異世界人補正も怪獣病補正もそこらへんは変にシビアである。
結局、日が暮れて夜会が始まるまでさらなる襲撃はなかった。
あと、買い出しから料理、ベッドメイクまで、細々とした家事を妃佐子より勤勉に行うスガホーについては、ないがしろにされっぱなしな現状をそろそろ怒ってもいいと思う。
そういった点を迂遠に尋ねてみたものの「自分がお荷物であることは理解していますから」とやんわり気を遣われた。菩薩レベルの包容力に嫁にするならこういった女性がいいと心底竜樹は思った。
素直に冒険者になっておけばよかった。あの時に強制イベント気味だったとはいえ、近衛兵団への勧誘を蹴ってフェードアウトしていればこんなストレスを味わうことなく済んだであろうにと竜樹は後悔をする。
革鎧から黒の上下にシャツという格好のうえ、蝶ネクタイことボウタイまで締めた。格好こそ着慣れたものだが、スガホーによってジャケットにアイロン掛けまで行ってもらっていた。ちなみにアイロンは熱した鉄板で皺を伸ばす類のものである。熱源は魔石ではなく釜の米津で暖めてあるもので、意外と手間がかかる。地球の電気式に比べても尚、頭が下がる思いである。
中学の学生服はクリーニングではあったものの、父親の背広にアイロン掛けしていたのは竜樹自身だったので、日本を思い出して少しばかり切ない気分になった。
考えの最中も、襟元やシャツの位置を直し、ベルトを締め直す。
用意が出来ると途端に憂鬱になる。社交界という単語に付随する七面倒な場所に端役とはいえ参加しなければならないというだけでも嫌だ。
アルグレンテの護衛として随伴して周囲を警戒。外交を邪魔せずに影のよう付き従うとか無理です。考えてみれば戦闘以外の訓練とか一切していません。始終オーロックさんに斬り殺されそうになっていました。
「スガホーさん替わってください」
「無理です」
菩薩もこういった時だけ簡潔なお答えです。すいません禁忌制約の解呪可能な人間とかきちんと朱善にも頼んでいるんで許してくださいと竜樹は必死に謝る。
「ほら、いーから早く。会場までは演習見た時と同じで馬車が迎えに来るんだから、あんまり遅れると体裁悪いんだからもう」
「先に頼む、すぐに追いつく。それじゃいってきます」
「はい、お気をつけて」
アルグレンテに急かされ彼女に腕を差し出す。女性と腕組みして歩くなどという体験に思わず体が強張るが、脇腹を肘でつつかれ意識的に力を抜こうと努力する。
玄関には瀟洒な馬車。待っていた妃佐子が扉を開くと、アルグレンテの手を引き乗り込む。
「お嬢、急いじゃりぃ」
「はいはい」
最後に妃佐子が乗って扉が閉められると、軽い鞭の音と共に馬車が走り出す。
硬い車輪の感触に背中を座席へぶつけるも、すぐに動きが安定した。
「はぁ、緊張した」
「初々しい反応して喜ばれるのって女子だけよ?」
「王女がいらんこといわんでよろしい」
かくして馬車は会議場へ向かう。
夜会。豪勢な催しとして国力の誇示が行われると同時に社交場としての側面を持つ非常に難解な場所。このあたりの認識は残念ながらこちらの国でも同様のもののようだ。とはいえ、主役は王女である為、基本的に無言で佇んでいれば問題ないあたりは安心だ。
大河国の国王が開会の言葉をうんたらかんたら述べたあとは、おほほうふふといったドレス姿のご夫人と正装でぴしりと決めた紳士達が世間話というと語弊が生じるような社交を繰り返している。
短慮な自分では政治家と貴族は難しそうだなと一人納得しながら、アルグレンテの背から着かず離れず護衛を続ける。今まで声をかけてきたのは大柄な顎の割れた神父やら、金髪をなでつけた男装の麗人といった変り種を除けば、それに、太ってたり太ってたり太ってたりする大河国の貴族が主。やたら太めが多いのなとか思っているが、そこらへんは国ごとに顕著な感がある。
まず岳山領国。王女以外にも数名の貴族が参加しているが、着ている服は軍属でもないだろうに、角ばったいわゆる学ランに似た服装の人間ばかりだ。大河国と比べると若干引き締まった印象が強いのも意外だ。
対して大河国は、やや派手な服装な人間が多い。男も金属製のアクセサリを少なくとも一つ、多ければ三つも四つも指輪がごてごてと指を飾っていたりと華美な印象が強い。あとは、全体的に女性はふくよか、男性は太鼓腹が多いよう感じる。
あとは、服装が前衛的、ともすればどこぞの学校の制服じみた服を着ているのが学術公国。比較的に若年層、それも竜樹と変わらない年齢の男女が多く、国の運営にも学術機関が直接関わっているというあたり異質だ。
他にも法制統合国は裾の長い服やコートに似た外套がフォーマルとなっているのが珍しい。他にも、帝国や聖王国も騎士団の人間が来ているそうだが、会場を見た限りでは仔細は確認できなかった。
ただ、若干名、足音が極端に床を擦る音が少ない人間が居ることには気付いた。足運びから正規の剣術とやらを習っていると見るべきかと判断を下す。
竜樹がこの数週間で学んだのは、体術に関してはオーロックの無明流、魔術に関してはヴィスラから教授されたヴィスラ流魔術式と、オーロックから習った岳山領国流魔術式など。
まず無明流は、抜刀術や斬撃といった斬ることに特化した剣術に加え、身体操作術を主眼においた体術を統合した実戦武術である。簡単に言うと、総合格闘技というより、古流武術の方がイメージに合致するだろう。いわゆる戦場で相手を戮殺せしめることを主としており、多対一だの一撃必殺だの、物騒な技がとにかく多い。
その中でも、武器を振り回せず素手での戦いが主になる竜樹に関しては、遠距離攻撃の迎撃や中距離攻撃に対応可能な衝撃系スキルを主に覚えさせられたうえ、組み打ちの中でも打撃について教えを受けた。ちなみに、剣術は基礎、その他の無明流の教えにある幾つかのスキルの取得方法も一応は習った。
そして魔術。これはヴィスラ流と岳山領国流。ヴィスラ流は短縮詠唱や無詠唱で広範囲攻撃や即時発動の攻撃のみならず、地属性魔術式における初級ながら用途が豊富な幾つかの製造系魔術式までこの短期間に取得することができた。以前も使っていた《圧製》と《焼成》については彼女から教わったものである。
このあたりは過酷極まりない実戦訓練のみならず、教えるということに対する経験、教師としてのヴィスラの才能に寄るところも大きいだろう。
「うん、おぼえないとつぎはしぬよ?」
泥と煤にまみれた竜樹の頭上からかけられたあの時の言葉。感情が抜け落ちているのではないかという言葉で続けられる理論に対し、必死で脳内に刻み込んでいく恐怖と焦り。そういった過程はともかく、教師としてのヴィスラの才能によるところも大きいだろう! 実戦訓練のみならずそれが理由だろうさ! そう思いたい!
対して岳山領国流魔術式は、若干地形変化や気候に影響を与える魔術式が多いものの、比較的に一般的、四属性から聖と闇、無まで網羅したごくごく通常の魔術式である。何かの属性に特化した印象は少ないが、中級までの魔術式が比較的に取得しやすいといった特徴があるらしい。こちらからは戦闘中に多用していた《砂塵幕》と《砂礫波動》は岳山領国流である。オーロックの使っていた《黒弾》も同じく岳山領国流であるが、もう一つの《闇精霊の即売界》はヴィスラも知らないとのことで、どこの流派や国の魔術式かは不明。
余談だが無明流の《陽炎天》は魔術式では勿論ない。なので、魔術無効などの効果の影響を受けないのに、形のない相手や遠くまで攻撃が届くある種のチートじみた技である。一応、奥義などに近い高位の剣術スキルであるのだが、待機時間なしで発動させているオーロックは、こちらの世界基準としてもどこかおかしいらしい。
そういった魔術的な技術であれ身体的な技術であれ、スキルや魔術式を会得するに到る過程で培った経験が、それまでに気付けなかった事柄、鋭敏な五感と、不随する直感で拾っていた情報からの判別能力も格段に上がっている。
いうなれば手動で照準調整していた大砲が、FCS搭載の高度な電子戦対応の戦車になったぐらいの進歩である。このあたりは周囲どころか本人も正確に理解していない為に、認識としては「あれ? ちょっと空間把握能力レベルアップしていないか?」くらいだったりする。
さておき、夜会もそういった物騒な能力が発揮されることなく終わりを迎えつつあったのだが、不意に額の奥、空気の揺れや微かな物音を本人が認識するより先、直感的な閃きに似た感覚が頭頂から首筋まで奔る。
竜樹が流れるような動きでアルグレンテを庇うと同時、会場を飾るステンドグラスの一枚が一瞬にして破砕された。
陽動。会場の男が二人動いた。
一人がアルグレンテへ向かってくるのと同時、もう一人が別の人間、長身で甘い容貌の青年に迫る。
舌打ちする間もなくテーブルを飾っていた料理の空皿を掴む。フリスビーの要領で手首だけの振りを使い相手の進行方向へ音もなく投擲すると、青年を狙おうとしていた男の側頭部へ人込みを縫って直撃。
その間にも視線は既に目の前の相手に定めている。スキルを使うと外交問題になりかねない厄介な状況ながら、相手も状況は同じである。
単純な体術のみであれば、怪獣病罹患者に常人は勝てるはずはない。
豪奢なドレス姿のふくよかな女性の影から男が接近。しかし、襲おうとした瞬間にはアルグレンテを庇う竜樹が手刀を振り上げていた。
「チェストぉ!」
垂直に振り下ろされた手刀が防御しようとした男の肩口から叩き込まれ、庇った腕ごと圧し折る。床へ全身を叩きつけられ、骨の折れる鈍い感触と共に男の姿は交通事故そっくりの惨状となった。
加減はしていたが死んでいないことを祈ろう。
「え? ん? 何が?」
「下がれ」
状況を読み込めていないアルグレンテを背中で押しながら壁際まで下がる。拳で軽く壁を叩き、反響から壁の反対側に人間や仕掛けがないことを確かめると、そのままステンドグラスを割った相手に視線を向ける。
巨体だ。怪獣ほどではないが昼に会ったトロルよりもさらに大きい。
頭部の左右から伸びる捻れた双角に、熊のような体型、顔立ちは異国の面、元の世界でバリ島のお土産として見たバロン面に似ていた。ただし舌は出ていないバージョンという違いはありそうだが。
ググって比較したいような気もするが、生憎とウィキも検索もない世界だ。残念ながらその点は諦める。
全身を紺色の剛毛に覆われ、その上から胴鎧をまとった巨人は、長い両腕を振り回すように拘束しようとした大河国の兵士を牽制、さらには、不用意に槍を振るった一人を地面から引っこ抜くようなアッパーで吹き飛ばしていた。
やたら強い。というより、かなり強い。
前進してくるその巨体と速度を前に、数人の貴族が魔術詠唱をしようとして舌打ちした。魔術に関しては会議場全体が無効化の設置アイテムで阻害されて使えない。残るのは体術や武術系のスキルだが、残念ながら兵士を除いて儀礼剣さえほとんどが身に帯びていない。
「はぁっ!」
それでも果敢に攻めるのは軍服姿の美女だ。肩に引っ掛けていたコートが風に舞い上がり、その下から弾丸のように飛び出した肢体が、床に落ちていた槍を拾い様に突き出す。兵士の所持していた簡素で質素、刃の小さな短槍は、赤いオーラに覆われ巨体の心臓へ。
しかしバロン面もさるもの。竜樹の心中でそんな名前をつけられた巨人は、床を転がり奇襲を躱す。動きこそ一級品であるものの、美女軍人が続けて放つ乱れ突きも会場のテーブルを盾に使われ直撃しない。闘い馴れたバロン面と訓練に馴れた軍人という差だろうが、続いての技が悪手だった。
「っく!」
槍の穂先を大きく振り上げる一種の溜め斬り攻撃。一般的な《スラッシュ》系の技だが、テーブルをわざわざ斬る必要はなかった。おそらく槍での戦いを優位に進める為に広い場所を確保しておきたかったのかもしれないが、その間にバロン面は攻撃を構え終えていた。
突き出される拳からオーラが変換される。
竜樹も得意とする《インパクト》が真正面から美女軍人に命中。
槍を盾に構えるも、安物の鋳造品には荷が重かったようで、槍が砕けると美女は吹き飛んで言った。南無。
入れ替わりに突進してきたのが牧師。あの顎の割れた巨漢。
両拳にセスタス、鋲の打たれた革帯で武装した男が正面から拳を放つと、防御に構えたバロン面の体が僅かに浮いた。
どれだけの威力なのか牧師パンチ。
出番がなさそうなことに若干安心していた竜樹だが、それもまた短い夢。
開いた扉がやたら大きな音を立てる。
「全員逃げたまえ! ソイツは怪獣病だ!」
会場の扉を突き飛ばすようにして現れた同僚、朱善の言葉に思わず引きつる。しかも、同じ怪獣病であるはずの朱善だが、その体は細かな傷だらけで、服は血の痕でまだら模様の有様。
「ボオォォォォォォォォォォォォォッォ!」
そしてその言葉がバロン面に最後の決断をさせてしまったらしい。
その瞳が鈍く輝いたかと思うと、その体が僅かに震え、一回り近く膨れ上がる。
「ぬ、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
顎割れ牧師が振り回した腕に防御ごと吹き飛ばされる。十年くらい前のバトル漫画並みの速度で飛翔した牧師は、壁を突き破って見えないところへ叩きつけられる。
「………朱善、護衛頼めるか?」
駆け寄ってきた同僚に対し、竜樹がジャケットを脱ぐ。皺になってしまってはもったいない。
「行くのかね?」
「いや、まぁ、できるかどうかやってみるだけだが」
一歩踏み出し構える。みしみしと両腕に力を込めると、人間の外見をした左手と、甲殻に覆われた右手がそれぞれ筋肉を軋ませる。朱善が能力を使えば迎撃できる可能性は高いが、あの蛇では会場への被害が大きくなるだろう。
「何か考えでも?」
「うん、腕力でなんとかしようと思う」
騒然とする会場の隅で、短い沈黙がひしひしと痛い。
「なんか聞いてごめん」
「マジで謝られても困るから。とりあえずグレ子、逃げとけ」
「え、嫌」
端的な拒否の言葉に対し、もうなんか彼女だけ引っ張って逃げちまうかと真剣に考える。
「いや、あのさぁ、こっちで戦うのって、少なくとも安全に逃げるまでの時間稼ぎ的な」
「いの一番に逃げたら他所の国に舐められるもの。国の誇りと私の安全の為になんとかして」
「マジか」
護衛ってなんでこんな大変なのだろう?
そういった疑問を飲み込むと、仕方ないので走り出す。
人型として眼が正面についている特性上、視界はどんなに広くとも180度の±20。
音もなく気配も置き去りに跳躍。壁を足場に跳躍。天井を足場に跳躍。僅かな靴底の汚れを壁に刻みながら、三次元的な動きで巨人の死角をぐるりと迂回するようなラインを《隠形》スキルと共に駆ける。
そして左側頭部方向からふわりとバロン面の足元に着地、そしてしゃがみこんで脚へ組み付く。
で。
「………っ!」
全身の筋肉に液体金属が充填されるイメージ。鋼できた骨が油圧で駆動させるイメージ。
そのまま全身を振り回すように遠心力を発生させると、破れた窓の方向へ投げ飛ばした。
うん、単に投げ飛ばした。
どこぞのゴーレムに披露したのと同じレスリングのリフトに似た見事な投げ技。
暴風と共に空中へ投げ出されたバロン面が、一瞬だけぽかんとしたように見える。
そのうえ、空中で身を捻り着地に備えようと準備する胴体へ剛速球的な速度でテーブルの太い一本脚が叩きつけられ、頭から下へ落ちた。
あれは痛いだろう。
そしてその間にも竜樹は立ち止まることはなく、会場の前庭、前にある大きな噴水やら近代的なガス灯の並ぶ場所へ飛び降りたかと思うと、たちまち引き千切られた樹木とガス灯と石造が連続して投擲された。
体勢を立て直すどころか状況すら理解していないままバロン面の太股に折れたガス灯の先端が突き刺さり、膝をついた瞬間に太い樹木が丸ごと顔面に激突する。
そのまま意識を手放したバロン面は、ごとんと地面の上で昏倒していた。
気まずい沈黙が会場全体に満たされる。
帰って来る時はきちんと扉から戻ってきた竜樹は、多少の汚れた格好のまま玄関を抜け階段を上って朱善が開いたままだった扉から二階の会場まで戻ってくる。今回は隠形スキルも発動させていなかったのだが、アルグレンテの傍へ戻ってくると同時に声をかける。
「ただいま戻りましたー」
「………うそん」
なんか呆気にとられているグレ子さん意外にかわいいな。とか思う竜樹の傍で「ないわー」といった表情の妃佐子がしかめっ面で料理満載の皿を手にしたまま首を左右に振る。
採り皿に頼まれた料理を盛り付けて戻ってきたら状況が終わっていれば誰だってそーなる。彼女だってそーなる。
かくして。
謎の襲撃騒ぎは腕力で解決された。
すごいな。
次回は10月下旬予定です
詳しいものが決まったら追記予定です
今後の展開については何かご意見あればお待ちしております
ノープランな状況でございまして <(。_。)> モウシワケナイ
ちなみに感想についてはお時間なく返信難しい状況です
返信の仕方を覚えてから対応させていただけたらと思います




