06
「流石に隊舎を使うわけにはいかないでしょう」
──と、サヤカの身を案じながら俺に言ったラルフが手配した宿の位置を確認し、後を任せて昔馴染みの鍛冶屋に預けていた剣を受け取ったその足で、多くの傭兵が集う酒場へと向かった。
仕事を求める傭兵が集まる酒場は幾つかあるが、その中から特に目的の人物が好みそうな店の位置を頭の中に思い浮かべる。効率よく回れれば良いのだが、そのいずれもが対極の位置に点在しているのではそうもいかない。尚且つ、極力最低限に留めるようにしなければ、余計な憶測を働かせる者も現れるだろう。
別に俺が傭兵達に接触すること自体は、特に不自然だというものではない。仕事柄雇うこともあれば、時には紛れている情報屋を使うこともあるのだ。
(しかし…)
サヤカの件は勿論だが、それ以外の事情も手伝い、今回ばかりは慎重に選ばなければならない。
最初の一軒は空振りだった。
二軒目には情報屋がいたが、大したものは得られなかった。時間的なものを考えれば、あと一軒が限度だろう。
だからその三軒目で欲しかった情報を手に入れることが出来たのは、ある意味幸運だとも言える。
俺が来るのを待っていたと言った酒場の店主は、同じ情報をあと二人に渡したと小さな声で最後に付け加えた。
一人はサヤカの件に絡んで必要だとしている人物で、一人は森の向こうにいるはずの人物だ──とも。
「来ているのか?」
まさかその人物のことまで聞けるとは思ってもいなかった。
「二日ぐらい前にな。ヤツなりに色々と調べているようだったぞ」
「そうか。他には何か言ってなかったか?」
「…あぁ、そういや伝言を預かってたな」
「どんな?」
「『五日は待って欲しい』だとよ。詳細はハウエルに渡すとも言ってたな」
「ならば待つよ」
目の前に出されたままになっていたグラスに口をつけ、中を空にすると新しい酒が注がれる。
「ただ、もう一度姿を見せるようだったら、あまり派手に動くなと伝えておいてくれ」
ただでさえ面倒事を抱えている最中なのだ。これ以上は御免被りたい。
「わかった。それと、お前さんのもう一つの目的のルークだが、予定通りならば、どんなに早くても戻りは夜中だな。報酬の受け取りがあるから来るはずだが、それがいつになるのかまではわからんよ」
「間に合わなければそれまでだ。その時は諦めるさ」
再び空にしたグラスに更に酒を注ごうとする店主を止めて、金貨を渡して酒場を出た。
その他にも幾つかの細かい用事を済ませて宿に戻る頃には既に空は暗くなり、小高い丘の上から見える灯りは遠目からも目立っていた。
この分ならば、例えサヤカが外出していたのだとしても迷うことはないだろう。と、ふと、彼女が寝泊まりする部屋を見ると、窓から灯りが洩れていることに気がついた。
あれだけの疲れを見せていたのに、まだ起きているのだろうか。そうなのだとすれば見た目よりも体力がある方なのかもしれない。
一度部屋に戻り、明日以降のことをサヤカに伝えるべきかと思案を巡らせながら宿の階段を上がった先で、俺に気づいたらしいグエンと目が合った。ラルフの指示を受けてサヤカの護衛に当たっていたのだろう。そうであるのならば、今はラルフが外の警戒に回っているはずだ。
「変わったことは?」
「特にありません」
昼間サヤカに接していた時とは違い、恭しい態度で答えるグエンに「畏まらなくて良い」と言うと、そうはいきませんと即答してくる。これもラルフの教育の賜物なのだろうと思うと苦い笑みが浮かんでくる。
「ただ、サヤカ様に極度の疲労が見受けられます」
「無理そうか?」
「休めば元気になると本人は言っていましたが…」
事務的とも聴こえるグエンの声に、多少の親しみが混じっていることを感じ取る。この数時間の内にサヤカと打ち解け合える何かがあったのだろう。
「まだ起きていると思うか?」
僅かに洩れる部屋の灯りに目を向けてグエンに問うと、わからないと肩を竦めてみせた。
「さっきまでは起きているような気配がありましたが…」
「そうか。ここは俺が代わろう。お前も少し休め」
「えっ、ですが…」
俺の提案に納得がいかないといった顔を見せるグエンに、明日以降の予定について彼女に話しておきたいと告げると、渋々とではあったが従うことに同意をみせた。
それでも「一時間だけですからね!」と釘を刺していくグエンに早く行けと右手を振って答え、隣の部屋に入るまで見送ってからサヤカの部屋の扉を叩いた。が、返事はない。
(やはり寝ているか)
念の為にもう一度、しかし今度は控え目に叩き、返事がないことを確認してから極力音を立てないように扉を開いてみれば、案の定、静かな部屋のベッドの上で小さな寝息を立てるサヤカの姿を目にする。
ラルフやマーサが言うように、馬での移動には限界がある。そしてそれを知りながら、サヤカが反論しないのを良いことに、彼女の体力を遥かに超えた限界を要求しているのだ。その分だけ疲れが溜まるのも無理はない。
余程深い眠りに落ちているのか、俺に気づかぬままで起きる気配を見せぬサヤカに小さく息を吐き、毛布の上に倒れ込むようにして眠る彼女の細い体を抱き起こし、ベッドの上に横たわらせて灯りを消した。
* * * * *
やっぱり疲れている時って、ふかふかのお布団で寝るのが一番だと思う。
昨日、悪いことを訊いてしまったとうじうじしていた私を見兼ねたグエンが宿の人にお願いして、少しだけ早目の夕食を用意してくれた。そしてお風呂を借りてさっぱりしたことで気分は盛り返してきたけど、その代わりに一気に疲れが出たらしくて、気がついたらベッドに潜り込んでいたらしい。
いつの間にベッドに入ったんだろう? まったく覚えてない。
いつまでも覚えてないものを考えてても仕方がないと起き上がり、身支度を整えてから部屋を出て一階まで降りて行くと、昨日の昼に見たのと同じような姿勢で椅子に座るシキを見つけた。
手にしている何かに目を通しながらカップに口をつけるシキに、声をかけてもいいのかと立ち止まって悩んでいたら、ふと、その視線がちらりと私の方に向けられたのだ。
「そんな所に突っ立ってないで、こっちに来たらどうだ?」
…なんだよ、気づいてたんならもっと早くに言ってくれよ。
「好きで突っ立ってたんじゃないもん」
むっとしながらも言われた通りにシキの正面に座ると、それから程なくして目の前にパンとスープが用意された。昨日まで出されていた量と比べると少ない気もしたけど、丁度良い量だったからワリと助かった。昨日みたいな量を出されていたら残していたかもしれない。
私が食べ終わるまでは黙っていたシキだったけど、最後のお茶に口をつけた頃にシキが見ていた物をテーブルの上に広げて私に見せた。それはまたしても地図だったらしく、昨日見たものよりも少しだけ縮尺が大きいように感じる。
「今居るラシュがここになる」
と、やっぱり昨日と同じように指差して、スッと指先を動かした。手袋をしていないシキの指はすらっとしていて綺麗だと思う。って、今はそんなとこ見てる場合じゃない。
「今日目指すのは、このラシュから南東の方角にあるイーリスという街になる」
「イーリス?」
「カシュミールとの国境から王都までの中間辺りに位置する街だ。ただ…」
シキは一度そこで区切ると、右手を口元に寄せて、何かを考え込むような仕草を見せた。どうしたんだろう?
「ただ?」
「…距離的なもので言うと、一日でイーリスに向かうのには無理がある」
あー、うん。それは地図からでも予測出来る。明らかに距離ありそうだもんね。
「それで?」
「夜が更ける前に、途中にある教会まで行ければとは思っているが、最悪は野営を組むことになる」
それでも構わないか? と、目で問われた。
この世界のことを知らない私に、選択肢などはないと思う。それしか方法がないと言うのならば従うしかない。
それなのに、それを私に確認するってことは、つまり、
「何か問題があるの?」
と、いうことになる。
私の問いにシキは少しの間をおいて、小さく息を吐いた。
「本来ならばもっと安全な道を通るべきだし、必要ならば馬車を用意することも出来る」
「その“安全な道”ってどこを通っているの?」
少し身を乗り出して地図を覗き込んだら、シキの指が一本の街道のような場所をなぞった。
「この道は一般的に使われているもので、要所に小さな村や宿場町もある。警備も強化されているから、野党に遭遇する可能性も極めて低い。通常であればこの道を使ってイーリスに向かうのが一番安全なのだが、それは同時に、大きく迂回するということにもなる」
「シキが考えているルートって、どこ?」
「ここだ」と、別の場所をなぞるシキの指先を追う。確かにその道を使った方が、イーリスという街に着くのが早そうだった。
「この道って?」
「主に資材の運搬や緊急時に使われる道だ」
「緊急時?」
「王都からこのラシュに向かうのには一番早い道なんだよ。もっとも、足場のことなど一切考慮せずに森を突っ切るというのならば別だけどな」
「そんなことが出来るの?」
「不可能ではないが、最低でも方向感覚がしっかりしていなければ難しいだろう」
そう説明するシキの声を聞きながら、何度か自分の指で二本の道をなぞって考える。
シキの言葉の端々には「急ぎたい」という意思が混じっているのに、それを今、何かの理由で変えようとしている。だとしたらその原因は。
(多分、私だ)
私に負担をかけないようにするために、一度決めたことを変えようとしているのだ。
(それは嫌だな)
これじゃ、ただのお荷物だ。これ以上の迷惑は、なるべくならかけたくない。
「シキはこの道を使いたいんだよね?」
緊急時に使うと言っていた道を指してシキを見ると、少しだけ難しい顔をしていた。この人はどうしたいのだろうか。
「…無理にとは言わないが、そうだな…」
地図を広げたテーブルの上を右手の人差し指で何度か軽く叩き、それをやめたと思ったら、今度はとても深い溜息をつかれた。なんで?
「予定よりも早く着く分には問題ないが、遅れるとあいつがどう出るか…」
「あいつ?」
「ユウナ」
「あ」
そうだった。お姉ちゃんを忘れてた。確か昨日、帰りのルートを指定したって言ってたっけ。
「…もし予定よりも遅れたら、お姉ちゃんはどうすると思う?」
「俺よりもお前の方が想像出来るんじゃないか?」
あっさり訊き返された。この人、本当にお姉ちゃんのことわかってるなー。
「シキの中では、別の道や馬車を使うっていう考えはなかったんだよね?」
「一応は考えたけどな。ユウナが大人しく待っていられるような人間だったら、そっちを選んでいたと思う」
あの人にそれは無理だろうなー。
それにもし逆の立場で、私が待たなければならない状況だった場合、お姉ちゃんがこんなことになっているって知ったらやっぱり飛び出したかもしれないって、あれ?
じゃあ、もし、知らなければ…?
「ねえ? 何でお姉ちゃんに私のことを知らせたの?」
知らなかったら急ぐ必要もないわけだし、いくらお姉ちゃんでもおとなしくしていると思うんだけど。
「…頼まれてたんだよ」
私の素朴な疑問に対して、どことなく憮然とした顔でシキは呟くと、脇に避けていたカップの中身を飲み干した。
「頼まれた?」
「今のユウナには、そう簡単に城から出られない理由がある。だからその代わりにと、比較的に動きやすい俺やラルフ達にお前の捜索を頼み込んだ」
お前に気づいたのもラルフだしな。と言われ、一昨日のことを思い出す。
そういえばあの日、シキはもっと別の呼ばれ方をしてなかったっけ?
それに、他にも何人か居たと思ったけど、あの人達はどうしたんだろう?
「『私がここにいるのだから、絶対にサヤカもいる』」
私の思考を遮るように続けられた言葉にはっとする。余計なことを考えてる場合でもなかった。
「…とも言っていたな。ユウナが現れてからの四年間、俺達が出掛ける度に言い続けていたし、見つけたら知らせろとも喚いていたから、それを無視するわけにもいかないだろう」
ああ、だからか。
この人にはお姉ちゃんの気持ちを無視することが出来なかったんだ。案外良い人なのかも。
でも、お姉ちゃんのその妙な言い分は一体どこからきてるんだろう。それこそ“絶対”なんてあり得ないと思うんだけど。
あー…、でも、お姉ちゃんだしなー…。
「どんなに急いでも、イーリスからは一歩も出るなと伝えてはあるが…」
「…うん、多分、無理」
私の返事に「はぁ…」と息を吐くシキに心の中で謝りながら、これからのことを考えるとやっぱり急いだ方が良いと思えた。
だってお姉ちゃんがおとなしくしているとは思えない。だとしたら、シキの中で出来ているプランに従った方がいいはずだ。
「シキが言ってる教会まではどれくらいかかるの?」
「移動手段にもよるが、順調に進めば日が暮れる前には着けるはずだ」
「じゃあそれでいい。馬車もいらない」
地図から離れて椅子に座り直し、カップの中に残っていたお茶を飲みながらそう言ったら、シキは窓の外に顔を向け、「そうか」と短く答えただけで他には何も言わなかった。