04
とぼとぼとと歩く私を連れてシキが入ったお店の中には、様々な色で染められた布とかが並べられていた。街道からはちょっと離れた場所になるらしく、さっきまでの人の多さと比べれば静かな方だと思う。
「おや、シキじゃないか!」
そのお店の奥から出てきた布の束を抱えた女の人がシキに気づくと、すぐにそれらを脇に置いて私達の傍にやってくる。
「久し振りだな、マーサ」
「まったくだよ。どれくらい振りだっただろうかねぇ」
「確か市が立った日以来だったか? 何度かラシュには来ていたが…」
「別に構わないさ。あんたにも仕事があるからね。それよりも、そのお嬢さんは?」
「サヤカだ」と、シキに紹介されてぺこりと頭を下げると、マーサと呼ばれた女の人がじっと私を見てから笑った。
「ああ、この娘がそうなのかい」
えっと、そういう言い方をするってことは、誰からか私のことを聞いていたってことになるのかな?
「あの…?」
「あんたのことはユウナ様から聞いていたよ。あの方も最初はここで服を揃えたんだ。おいで」
おいでーって、ちょっと待って? 今なんて言った?
「……え?」
問答無用で私の手を引いて行くマーサさんと、右手をひらひらと軽く振ってにこやかーに私達を見送るシキの顔を見比べつつも、なんかスルーしちゃいけないような気がした単語を聞いたような気がしたんだけど、あれー…?
「ユウナ様は青が似合う方だけど、あんたは赤が似合いそうだね」
赤? 赤なんか着たことは(多分)ないよ? じゃなくてっ!
「その…」
「どうせシキのことだ。移動は馬だろ?」
「あ、はい」
「だったら動きやすい服の方が良いね。背も少し高いようだから…、うん、これなら似合いそうだ」
……と、矢継ぎ早に服を選んだと思ったら、更にお店の奥の方に引きずられて行く。
「ああ、靴も必要だね。その靴よりはこっちの方が良いかな」
と、これまたパパッと選ばれたと思ったら、個室らしい部屋にそれらと一緒に押し込まれて、
「とりあえず今はそれに着替えておいで。その間にもう少し選んでおいてあげるよ」
シャッ! と勢い良く目の前のカーテンを閉められた。
そのあまりもの勢いに呆気に取られて反応しきれなかった自分にまたしてもへこみつつも、とりあえずは着替えを優先しようと思い、小さく息を吐いた。
* * * * *
まずは一式だとでも言わんばかりの品物をサヤカと共に奥へと押し込んだ後で、まだ足りないと他の服を選び始めたマーサだったが、それも一段落ついたのか、ふと店先に居る俺の方に顔を向けた。
「城に帰るんだろう? 何日を予定しているんだい?」
こういう時のマーサの判断は的確で、特にああだと指示しなくとも動いてくれる。訊きたいこともあるのだろうが、今は触れないようにしているようにも見受けられた。
「レイリーズ経由で考えているから、早ければあと三日から四日ほどだろうな」
その場所の名を告げた一瞬だけマーサは手を止めたが、それもすぐに動き出す。
「そんなに急ぐのかい?」
「ユウナの行動が読めなくてね」
苦笑混じりでそう告げると、マーサは「確かに」と笑った。
「あの方は相変わらずなのかい?」
「毎日懲りもせずに城の中を走り回っているよ」
そして毎日同じだけの説教を受けていることなど、とてもじゃないが言えないのだが。
「元気なのが一番さ。…話を戻すけど、どうしてもレイリーズ経由じゃなければならないのかい?」
サヤカに渡す品物を揃え終わったのだろう。マーサは俺に近付くと、僅かに声を潜めた。
「急ぐ理由があるんだよ」
「…まぁ、あんたの立場を考えれば、あまり長く城を空ける訳にもいかないのだろうけどねぇ…。だけどあの娘の事を考えれば、馬車を用意することも出来るだろう?」
確かにマーサの言い分にも一理ある。その方がサヤカにとっては一番安全で、そして確実な手段でもあった。
だが馬車を使うとなると、そこにはどうしても発生する問題点がある。
その内の一つは人手になるのだが、これについてはそれなりの腕前の者を雇えば済むだけのことで、商人達の護衛に慣れた傭兵が多いこの街においては事欠かないだろう。だから問題はもっと別のところにあるのだ。
「馬車の手配自体はすぐにでも可能だが、その馬車に俺やラルフ、それにグエンが同行している理由まで用意するのは流石に無理だな」
いざという時には馬車が邪魔になる。最悪は捨てなければならない。
「それに、この辺りでサヤカの存在を公にすることもなるべくならば避けたい。カイルやユウナのお陰で“妹”の存在が知れ渡ってはいるが、それが誰なのかまではまだ判らないはずだ」
ちらりと店の奥を覗き、まだサヤカの姿が見えないことを確認してから更に続けた。
「幸いなことに、ユウナよりもサヤカの方が色素が薄い上に、早い段階で自身の状況も理解出来ている。印象さえ変えてしまえば、彼女がユウナの妹だと気付く者もそうはいないだろう」
だが、それでもまだ万全ではない。あくまでも確率的にというだけで、他にも手の内は用意しておくべきだ。
「そこでだ。マーサ、最近ルークを見なかったか?」
「ルークなら五日ぐらい前にイーリスに──ああ、なるほど。そういうことかい。ルークなら安心だ」
(イーリスか)
俺達が次に向かおうとしている街がそのイーリスだ。
「行き違いにならなければ良いが…。戻りは何時になると?」
「イーリス側からの護衛だと聞いてるから、早けりゃ今日の夕方には戻ってくるんじゃないかねぇ。伝えておこうか?」
「頼む。俺の方でも酒場を当たってみるよ。言いたいこともあるしな」
そこまで言い終えた時、奥から出てくるサヤカに気付いて口を噤んだ。
* * * * *
マーサさんに「似合う」と言われた服は肌触りが良くて、さっきまで私が着ていた制服とは比べ物にならないぐらいに動きやすかった。一緒に渡されたブーツみたいな靴も同じで、強度はあるっぽいのにとても軽い。一体どんな素材で作ったらこういうのが出来るんだろう。
「良く似合っている」と、私の全身を一通り見回した後で小さく頷き、微妙に満足そんな声で感想を述べたシキには「ありがとう」と返し、私が持っていた制服と靴を受け取りながら「やっぱり間違いじゃなかった」と笑うマーサさんにも同じようにお礼を言う。
「今回は二日分の服を用意しておいたよ。足りないものがあったらイーリスでシキに買ってもらうといい」
「イーリス?」
「次に向かう街だ。ラシュよりも物価的なものは多少上がるが、その代わりにラシュにはないような物が出回ることも多い」
シキの話を聞きながらマーサさんから荷物を受け取っていたら、あっという間に横から伸びてきたシキの手に持っていかれた。どうやら持ってくれるらしい。こういうちょっとしたさりげないトコがなんかくやしい。
「いつまでこの街に居る予定なんだい?」
「明日の朝までだな。それ以上は譲れない」
譲れないってなんのことだろう? 何か約束でもしてるのかな?
「それと代金は──」
…って、そうだ! すっかり忘れてた!
「お、お金は…?」
シキを遮ったつもりはなかったんだけど、恐る恐ると訊いた私にシキとマーサさんが意外なものを見るような目を向けて、そして気にするなと同時に笑いながら言われた。
「俺の方でどうにでも出来るし、マーサもそれを心得ている。だから“いつも通りに”と言おうとしていたんだよ」
あ、そうですか。心得ていらっしゃるんですね。ということは、シキさんはよくこちらのお店をお使いなんですね。でもこちら、明らかに女性向けな品揃えですよね? あ、はい、つっこまないコトにしておきます。後がコワイので。
「…何か誤解してるだろう?」
はい? 誤解ってナンデスカ?
今度は呆れたような目で私を見るシキに「そんなことは…」と答えたら、盛大な溜息をつかれた。
「ここは母上が贔屓にしている店なんだよ」
「へー」
そうですか。ははうえ……母上? 母上ってお母さんのことだよね? 普段は聞き慣れない呼び方だったから一瞬悩んだよね。
そういえばさっきは「様」とかっていうのも聞い、た……。
「ああ! そうだ!」
「今度は何だ?」
うるさいと続けたシキに構わずに、
「優奈『様』って、なに?」
と、問い詰めた。
「どうして? なんで『様』?」
私の様子にマーサさんが呆気にとられているのが見えたけど、今はそんなことどうでもいい。あ、いや、よくないけど、けどっ!
「どうしてと言われても…。特にこの街ではそれが普通なんだよ」
「普通って、なんで?」
「それは…」
何か言いにくいことでもあるのか、シキの視線が逸らされた。そんなシキに代わって口を開いたのはマーサさんだった。
「ユウナ様はこの街の恩人なんだよ」
「恩人?」
「四年前に色々とあってね。それともう一つ。『様』と呼ばれるのはユウナ様だけじゃない」
「?」
「本当ならばシキもそう呼ばなければならない立場の人間だ」
「えっ? それって、」
どういうこと? と続けようとしたら、私の後ろの方からワザとらしい咳払いが聞こえたことにびっくりして振り返る。
「お取り込み中のところを申し訳ありませんが、」
………えっと、確かあなたがラルフさんでしたっけ?
「宿の手配が済みましたので、そろそろ向かって頂けると有り難いのですが」
すみません、笑顔なのに目が笑ってないのはこわいですごめんなさい。
あ、そのちょっと後ろで、グエンさん? が引きつった笑顔を浮かべてる。ああ、やっぱりこわいんだね…。
「手間を掛けたな」
でもってシキは動じないとかすごいなー…。
「サヤカ、他に必要な物はないか?」
「服以外で? 急ぐ物は多分ないと思う」
「そうか。マーサ、騒がせて悪かったな」
マーサさんは「困った時はお互いさまだ」とシキに答え、また遊びにおいでと私に笑顔を向けた。
最後にもう一度お礼を言ってから背を向けたシキに続いてラルフさんが歩き出し、グエンさんが私を促すような仕草を見せて私の少し後ろについてくる。そして小声でラルフさんと何かを話すシキの横顔には、お店で見せたような雰囲気など既に残されてはいなかった。
さっきまでに比べると遙かに大人の顔をしていたことが少しだけ寂しいと思う反面、シキという人が“そういう人なのだ”と理解する。
多分彼は、普段から人を使うことに慣れている人だ。
例えるのならば会社の上司とかアルバイト先の主任だとか、とにかくそんな感じの人なのだろう。
そんなことを考えながらシキとラルフさんの背中を見ていたら、ちょっとだけシキの方が背が高いことに気がついた。身長、どれ位あるんだろう?
「疲れてはいませんか?」
「え?」
大体これぐらいかなー? とか考えていたらそう訊かれて、いつの間にか私の横に並んで歩いていたグエンさんの顔を見上げた。この人も背が高いと思うけど、前を歩く二人ほどではないようだ。
「ずっと黙っていらしたので。宿に着いたら、少し休まれてはいかがですか」
ああ、そうか。私のことを心配してくれたんだ。わるいことしたな。
「ちょっと考え事をしてただけだから大丈夫。ありがとう。あと、グエンさん?」
「グエンで結構です」
「じゃあ、グエン。敬語はいらないから、普通に喋って」
いつまでもそう堅苦しい話し方をされても息が詰まるし、それに普段は様付けで呼ばれているらしいシキとだって普通に話してるわけだから申し訳ない気になる。何よりも私が慣れないと告げたら、少し困ったような顔を見せてちらりと前の二人に視線を流し、小さく頷いてから私の方に碧の瞳を向けた。良く見ると整った顔をしている。そういえばラルフさんもだ。かっこいいと思うもん。
「わかった。その方が気も楽だしな。何を考えていたんだ?」
「あー…、大したことじゃないよ」
まさか「身長のことを考えていました」とはとても言えない。
あ、ちょっと不信に思われてる感じ? どうしよう。何か話題を……。
「──あ、そうだ! グエンには妹がいるんだよね?」
「シキ様から聞いたのか?」
よし、話題そらし成功!
「うん。どんな人?」
「普段はおとなしいけど、いざという時の決断力だけはあるヤツだよ。エリシアっていうんだ」
「何歳なの?」
「十八だ。お前の一つ上だな」
おー、シキの記憶力は確からしいな。素晴らしい。
「根が真面目なヤツでさ、手を抜くことを知らないし、完璧にやり遂げようとするんだよ。よくユウナ様に『肩の力を抜け』って言われてる」
「へー…。いつもお姉ちゃんと一緒にいるんだよね?」
「それがシアの仕事だしな」
シアって言った時のグエンの声が、少しだけ優しいものになる。それがエリシアさんの愛称で、そして今のグエンの表情がお兄ちゃんとしての顔なのだろう。
「エリシアさんとお姉ちゃんは同じ仕事をしてるの?」
「………」
あれ、なんだろう、この反応?
「グエン?」
グエンの反応が返ってこないことを不自然だと思っていたら、うーんと唸りながら「違うな」と零した。
「シアは、ユウナ様の部下…ってことに、なるのか…?」
私が不自然だと感じた反応は、ただ単に言葉を選んでいただけらしいということが判明したけど、私、そんなに難しいことを訊いたっけ?
「部下?」
「多分、お前と俺達の感覚が違うんだよ。だから、例えるのならば“部下”になる、かな? とにかくシアは“そういう仕事”をしているってことになると思う」
そういう仕事ってなんだろう? それがわからなければ話にならないんだけど、これ以上グエンを悩ませるわけにもいかない。それにシキも「会えばわかる」って言ってたしね。細かいことはその時でいいや。
「じゃあグエンは」
どんな仕事をしているの? と続けようとした時、
「今夜はこちらに泊まって頂くことになります」
と言うラルフさんの声に遮られて、そこから先の会話を続けることは出来なかった。