表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編集

夏の記憶

作者: 東条カオル

悲恋ものです。バッドエンドですので、苦手な方はご注意ください。

 私が生まれた1950年、故郷は軍事政権の支配下に置かれた。物心ついた時には、すでにカバジェーロ将軍の独裁体制が確立しており、私の生まれ育ったフェロルの街でも陸軍の軍人が我が物顔で歩き回っていた。私の青春時代とは、そんな時代であった。


 そんな青春時代。1968年の夏の終わりのこと。私は恋をした。




 未だ夏の暑さが抜けきれない9月の初頭、俺が通うフェロルの高等学校(バチジェラト)にも新入生がやって来た。大学進学を控え、勉強に打ち込む生徒が増えてきた俺たちの学年も、新しい後輩の顔を一目見ようと浮き立っていた。


「エルベルト、お前も新入りを見に行かないか?」


 自分の席で勉強をしていた俺に、陽気に声をかけてきたのは親友のミケルだ。こいつもまた浮き立っているお調子者連中の一人らしい。


「見て分からないか? 俺は今、勉強をしてるんだ」

「勉強なんていつでもできるだろ。さあ、行こうぜ」


 遠回しに拒否しようとした俺の手を掴み、ミケルは無理矢理に俺を連れて行った。こうなってしまうと逆らうだけ時間の無駄だ。俺は大人しく手を引かれるがままに新入生の教室へと向かった。


「噂によると、すごく可愛い女の子が入ってきたらしいんだ。どんな子なのか、興味ないか?」

「別に」


 わくわくしながら聞いてくるミケルに対して、俺はそっけなく答える。興味がない、と言えば嘘になるが、かと言ってわざわざ勉強を放り出してまで見に行くようなことでもない。同じ学校の生徒なのだから、嫌でも顔をあわせる機会はあるだろう。

 俺がそう言うと、ミケルは心底呆れたようにため息をついた。


「お前って本当につまんねぇ奴だな」

「お前がお調子者なだけだろう」


 何度も繰り返された会話。言葉だけ見れば仲が悪い、と思われるかも知れないが、俺たちにとってはいつも通りの、日常の光景に過ぎない。

 きっとこれからもこんな日常が続くのだろう。軍事政権下で出世できるのは、軍人かコネのある奴だけだ。そのどちらでもない俺たちは、そこそこの職業で、少し窮屈な生活を送る以外の選択肢はない。

 だが、それも悪いことじゃない。「祖国と自由(PYL)」みたいに、軍に逆らうような真似さえしなければ平和な一生を送ることができるのだ。退屈で起伏がないけれど、安全な生活。俺の目指す生活はまさにこれだった。


 そんなことをぼんやりと考えていると、いつの間にか新入生の教室の前に着いていた。見知った顔の奴らが新入生の顔を一目見ようと教室の前に集っている。男が多いような気がするのは、やはりミケルが言っていた「可愛い女の子」とやらを見るためだろうか。


「くっそぉ……。俺の身長じゃ見えねぇ! おい、エルベルト、お前なら見えるだろ。例の女の子、見つけられないか?」


 自慢じゃないが、俺は同学年の生徒の中では背が高い方だ。少し背伸びをすれば人垣の上から教室の中をのぞくことができる。だが、例の女の子、と言われたところで顔を知らなければ判別しようがない。


「顔も知らない女の子がいるかどうかなんて分かるわけ――」


 不自然に言葉を途切れさせた俺を、ミケルが不思議そうに見ている。


「おい、どうした? いたのか?」


 肩をつつきながら聞いてくるミケルに、しかし俺は答える気にならなかった。

 教室の中央、席について本を読んでいる少女。彼女の美しさに、俺は目を奪われていたのだ。腰あたりまで伸びた茶色い髪。横顔しか見えないが、くりっとした大きい瞳と高く真っ直ぐな鼻は、彼女の美しさを容易に想像させてくれる。

 しばらく見惚れていると、業を煮やしたミケルが俺の肩を揺さぶった。


「エルベルト! 見えたのか?」

「あ、ああ……。多分、彼女じゃないかな、という子はいたぞ」


 俺がぼうっとしながらそう言うと、ミケルは悔しそうに唸った。俺はそんなミケルをよそに、再び彼女を見つめる。しばらくそうしていると、人垣が徐々にはけていき、ミケルも教室の中をのぞけるようになった。


「おお……! あの子だ! あの子に違いない。すっげぇ可愛いぜ!」

「……」

「エルベルト? ……ははぁん。さては、あの子に一目惚れしたな?」


 からかうようにミケルがにやにやしながら尋ねてくる。普段なら殴り飛ばすところだが、彼女に見とれている俺はそんな気にもならず、彼女を見つめたまま頷いた。にやにやしていたミケルが、ぎょっとしたのが視界の端に見えた。


「お、おい、マジかよ。やめとけって。お前は確かにそこそこな顔立ちだけどよ、彼女にはさすがに釣り合わねぇぜ」


 答えずに彼女を見つめ続けていると、ミケルは呆れたように肩をすくめ、先に戻るぞ、と言って教室に帰っていった。

 まだ何人かの生徒が残っていたが、先ほどよりはまばらになっている。そんな中で教室のただ一点を見続けていれば目立ちもするだろう。周囲の目線が気になり始め、そろそろ戻ろうか、と思ったその時、彼女が顔を上げ、こちらを見た。自然に目が合い、見つめ合う形となる。どうすれば良いか分からず、硬直していた俺に対して、彼女は首を傾げながらも、笑いかけてきた。


 その明るい笑顔に、俺は恋をした。




 彼女に一目惚れして一週間。俺は彼女との会話のきっかけすら掴めなかったが、友人たちの噂話である程度の情報を手に入れることはできた。

 彼女の名前はカリサ。父親はフェロルを含むグラウス県の官僚であり、フェロルの住人の中では裕福な家庭の出身だ。授業態度は良く、授業中の様子を見る限りでは成績も上の方ではないかとのこと。趣味は読書で穏やかな物腰だが、不思議と親しい友人はいない。

 俺が知ることができたのはこの程度だった。このことをミケルにつらつらと述べると、奴は気持ち悪そうな顔で俺を見てこう言った。


「お前、実はそういう奴だったんだな」

「どういう意味だよ」

「はっきり言って気持ち悪い」


 ずいぶんとはっきり言ってくれる奴だ。それでこそ我が親友、と思い、反論しようとしたところで爆発音が響いた。とっさに教室中の生徒たちが伏せる。距離は、近い。しばらくそうしていると、銃を持った国家憲兵(グアルディア・シビル)の隊員が教室に入ってきた。


「全員、怪我はないか? 今日の授業は中止、帰宅しろ。ただし、爆発はアルカラ通りの交差点で発生した。家がその付近にある生徒は指示があるまで待機するように」


 皆が立ち上がり、帰り支度を始める。一方、俺の家はアルカラ通りのすぐそばだ。待機しなければならない。家にいるはずの母さんが心配だが、どうしようもない。


「エルベルト、先に帰る。大丈夫だ、心配するなよ」


 ミケルが真剣な表情で俺を慰めてくれる。俺は礼を言って、帰るミケルを見送った。そして教室から人がいなくなったちょうどその時、待機を命じられた生徒は、職員室隣の教室に集まるよう放送が流れた。自分の荷物を持って、歩いて行く。

 指示された教室の中には、完全武装の憲兵が数人と銃を持った――持たされた先生たちがいた。生徒の姿はない。どうやら一番乗りだったようだ。知り合いの姿はないので、適当な席に座って鞄から本を取り出す。


「失礼します」


 しばらく本を読んでいると、涼やかな声が教室の扉が開く音と共に聞こえた。そちらの方を向き、思わず俺は硬直してしまう。目の前にいたのは、彼女――カリサだった。目が合うと、彼女は初めて会ったときのように、にこやかに微笑んだ。


「隣、良いですか?」

「あ、ああ」


 広くない教室ではあるが、席は他にもたくさんある。彼女がわざわざ隣に座るという状況に、俺の心臓の鼓動が速度を増した。この機会に、何とか会話してお近づきにならなければ、と思うが、何を話せば良いのか分からない。

 しかし、ああでもないこうでもない、と悩んでいた俺に、なんと彼女から話しかけてきた。


「本、読むの好きなんですか?」

「え? あ、ああ。外で走り回るよりは、本を読んでる方が好き、かな」

「私も同じです。……あっ、自己紹介もせずに失礼を」


 自己紹介などされなくても知っている、と言いそうになる口を慌てて閉じる。互いに自己紹介をして、俺は本を机の上に置いて彼女の方を向いた。


「先輩の家もアルカラ通りの近くなんですか?」

「ああ。アレバロさんの電器屋は分かるかな? あの隣の家だよ」

「えっ? 私の家もアレバロさんの隣です」


 思わぬところで接点が見つかる。まさか一目惚れした女の子の家が一軒挟んだ隣とは。


「じゃあ、帰るときは一緒に帰ろうか。せっかく近くなんだし、女の子一人だと危ないし」


 口走ってから後悔する。初めて話す女の子相手にしては、性急すぎた。引かれたか、と思ったが、予想に反して彼女は笑顔だった。


「良いんですか? うれしいです。最近物騒で、ちょっと不安でしたから」


 心の中で歓喜する。初めての会話で、ここまで接近できるとは思っても見なかった。


「――はい。はい。了解しました」


 二人で話を続けていると、不意に兵士の一人が無線で誰かとの交信を始めた。通信が終わると、その兵士が俺たちの方を向く。


「アルカラ通りの安全が確認された。お前たち、もう帰って良いぞ」

「はい。ありがとうございました」

「あっちにはまだ陸軍もいる。ピリピリしてるはずだから、余計なことはしないようにな」


 軍の威光を背景に、我が物顔で闊歩する軍人は憲兵からもあまり好かれてはいないようだ。礼をして、カリサと連れだって教室を出る。


 放課後、誰もいない校庭を抜けて家路につく。小高い丘から見える街の風景は変わらないが、いつもと違うのは、隣に女の子がいることだ。緊張のあまり、何を話して良いか分からずに黙りこくってしまうが、不思議と気まずさは感じなかった。

 しばらく歩くと、爆発の現場が見えてくる。盛大に吹き飛び、今も黒煙を上げているのは陸軍の通信所だ。周囲には銃を抱えた軍人が大勢いて、手当たり次第に聞き込みをしている。


「こっちから行きましょう。兵隊に絡まれちゃう」


 彼女が俺の耳元でささやく。陸軍の兵士に聞こえないように、という配慮からだったのだろうが、彼女の良い香りや吐息を感じて、胸が高鳴った。動揺が表れないように必死に顔を引き締め、脇道に入っていく。

 ものの数分で俺たちは家の前にたどり着いた。


「じゃ、俺の家ここだから」

「はい。……あの、先輩」


 彼女が何かを言いたげにこちらを見てくる。


「何かな?」

「もし良ければ、明日から一緒に学校行きませんか?」


 彼女の方からの誘いにどきりとする。しどろもどろにならないよう、心を落ち着かせながら了承すると、彼女はうれしそうに微笑んだ。


「良かった。じゃあ、また明日、ですね」

「ああ。また明日」


 こうして俺は、カリサと登下校を共にするようになった。登下校を共にする、というのは、ささいな接点かもしれない。だが、相手は不自然なまでに友人を作ろうとしなかったカリサだ。彼女の一番近くにいるのは、学校の生徒で言えば俺だろう。

 俺とカリサの距離が縮まっていくのは当然のことで、恋人関係になるのも無理のないことだった。


 カリサとの恋愛は、互いに内気な性格というのもあってとても穏やかで、ある意味退屈なものだった。だが、そんな恋愛も悪くない。

 退屈で起伏のない日常に、新たに加わったカリサという女の子との退屈な恋愛。俺はこんな日常がいつまでも続いていくのだろうと信じていた。


 あの夏の終わりの日までは。




 カリサと出会って一年が過ぎようとしていた。バチジェラトを卒業し、隣町の大学への進学を決めた俺は、相も変わらず平凡な毎日を送っていた。

 カリサは相変わらず友達を作らず、暇さえあれば本を読んでいる。そんな彼女を連れ出そうと、あの日の俺は彼女と待ち合わせをしていた。待ち合わせ場所はフェロルの駅前だ。


 進学が決まったことを学校の恩師に報告した後、駅へと急ぐ。少し遅刻だ。丘を降り終わり、駅前まで続く大通りに入ろうとしたところで、凄まじい爆音が聞こえた。目の前の大通りを爆風が吹き抜けていく。

 慌てて大通りへ出ると、フェロルの駅前が激しい炎に包まれ、黒煙を上げていた。駅前には血塗れで倒れている人や、助けを求める人の姿が見える。


 何が起こったか分からず、俺は呆然と立ち尽くす。ふと何かを忘れている気がした。そもそも俺はどうして駅に向かっていたのか――


 気づいた瞬間、俺は駆けだしていた。駅から逃げようとする人の波に逆らい、どうにかあと200メートルといったところまでたどり着く。


「おい、君! ここは危険だ、下がりなさい!」

「あそこに、あそこにカリサがいるんだ! 通してくれ!」

「馬鹿を言うな! 救助の邪魔になるから下がれ!」


 憲兵の制服を着た男が俺の行く手を阻む。それを振り切ることはできず、俺はその場にへたり込んだ。


「しっかりしなさい! 今、救助隊がこちらに向かっている。まずはプロに任せるんだ」


 俺の様子を心配したのか、俺を押し止めた憲兵が肩を掴んで優しく語りかけてくれる。だが、放心状態だった俺はそれに答えることができなかった。

 消防隊が到着し、消火作業が始まる。救助隊も負傷者の救出を急いでいたが、小さな爆発が相次いでなかなか思うようにいっていない。


 俺は火が完全に鎮火するまでの長い時間、憲兵に支えられながら呆然と駅前を眺め続けていた。




 1968年8月28日。フェロルの惨劇と呼ばれたこの事件は、百人以上の犠牲者を出してバレンシア全土に衝撃を与えた。テロ組織PYLが犯行声明を出し、これを受けてカバジェーロ将軍は陸軍を動員した厳しい弾圧を行った。

 フェロルの惨劇では遺体が確認できない犠牲者も数多く、私の恋人――カリサもその一人だった。カリサの葬儀で、彼女の両親が沈鬱な表情をしていたことを今でも覚えている。


 私は大学進学を取りやめ、陸軍士官学校に入った。カリサの仇を取るという思いがあったことは否定しない。当時、PYLとの戦闘は内戦と言っていいほど激化しており、陸軍の戦死者も増加の一途を辿っていた。

 そんな状況の中、士官学校をそこそこの成績で卒業した私は、陸軍の一員としてPYLとの戦闘に従事するようになる。自分で言うのも何だが、私には軍人としての才能があったらしく、1975年の終わりには戦功を評価されて大佐にまで昇進し、フェロルを根拠地とする第28軽歩兵連隊の連隊長に抜擢された。

 求めていた退屈で起伏のない安全な日常とは程遠い、死と隣り合わせの毎日。だが、私はそんな刺激的な生活でこそ生きているという実感を得られていた。


 そして、1976年8月、夏の終わり。エスクリバー空軍少将の演説をきっかけに、私の軍人としての生活の終わりが始まったのである。




 フェロルの小高い丘、かつて私が通っていた学校の跡地に作られた駐屯地の一室で、私は執務に励んでいた。PYLとの戦闘は激しさを増す一方であり、民間人も巻き込む戦闘に対して、国民は軍事政権への不満を募らせている。

 私を始めとする第28軽歩兵連隊に対する、フェロル市民の目線も冷たかったが、私は自分こそが国民の守護者であると信じて疑っていなかった。


 ラジオでは十年以上前の曲が流れている。妙な選曲だな、と不審に思っていると、突然曲が中断した。ラジオの故障を疑い、席を立つ。すると、アナウンサーの緊張した声が聞こえてきた。


『ただいまから、臨時放送を行います』

「臨時放送だと?」


 妙な話だ。軍の上層部が進めていたという、PYLとの和平交渉がまとまったのだろうか。


『私は、バレンシア空軍第1航空団司令、空軍少将のエスクリバーです。私は国民の皆さんに真実を伝えなければならないと思い、この場にいます』


 それからのエスクリバー少将の演説は、私にとって衝撃的なものだった。


 フェロルの惨劇はPYLによる犯行ではなく、弾圧強化を目論んだ陸軍の自作自演である――

 このほかにも、大小含めて二十件もの自作自演テロがあり、全ては陸軍の支配体制を維持するための陰謀であると言うのだ。にわかに信じられることではないが、さらに衝撃的な出来事が私を待ち受けていた。


『かような陸軍の犯罪的行いを看過することはできない。私は国民の守護者たる軍人として、陸軍に対する反乱を宣言する!』


 現役将官による反乱宣言。陸軍の犯罪行為を暴露すると共に行われたこの宣言は、瞬く間にバレンシア全土を混乱の渦に叩き落とすこととなった。後に言う、バレンシア内戦の始まりである。

 当初、私はこの反乱は限定的なもので、すぐに鎮圧できるだろうと考えていた。しかし、国民はエクスリバー少将の宣言をきっかけに、長年にわたる軍政への不満を爆発させ、先を争うように反乱軍へと身を投じ、PYLと空軍を中核とした反乱軍は勢力を拡大。

 環太平洋条約機構(PATO)の支援もあり、わずか一年で政府軍は敗北を喫したのである。


 政府軍の一員として、PYLの弾圧を指導した私は反乱軍に捕らえられ、軍事法廷に突き出されることとなる。そして、私はそこで懐かしい顔を見ることになったのだ。




 内戦後に設置された軍事法廷の目的は、政府軍高官を抹殺するところにあったと私は考えている。事実、軍高官の多くはまともな弁護もないまま死刑判決を受けており、判決後は速やかに処刑が執行されている。

 私は高官と言えるほどのポストではなかったが、実戦部隊の長として弾圧の陣頭指揮を執っていた経歴がある。軍事法廷において、死刑を言い渡されるだろうことは覚悟していた。


 衛兵に連れられ、私を裁く法廷へと入る。裁判官の席にいたのは、高校時代の親友、そして軍に入ってからは連絡を絶っていたミケルだった。驚きが隠せない私に対して、ミケルは平然とした様子で着席を命じる。


「被告人は着席を」


 その冷たい声色に、私はミケルとの友人関係が終わっていたことを痛感させられた。彼にとって、私は高校時代の旧友ではなく、軍の名の下に虐殺を指導した憎き犯罪者なのだろう。

 諦めと共に、私を無視して進む裁判を傍観する。見事なまでに、私の介在する余地はなく、私は一方的な糾弾を受けるばかりで弁護人も異議を唱えようとはしなかった。


 死はとうの昔に覚悟している。早く裁判が終わらないか、と投げやりな気分になっていた私の前に、最後の証人が現れた。


「次、証人は前へ」

「はい」


 その姿に、私は思わず立ち上がった。衛兵が警棒で私を殴りつけて席に着かせるが、そんなことも気にならないほど、私は動揺していた。


 私の目の前にいる証人は、紛れもなくカリサだった。九年前の夏の終わり、フェロルの駅前で陸軍が仕掛けた爆発事件に巻き込まれたはずのカリサが、どうしてここに。

 混乱する私を尻目に、カリサは私の犯罪行為について、あることないことをつらつらと述べていく。


 呆然としているうちに裁判は判決へと進んでいた。ミケルが判決文を読み上げる。内容は、とても簡素だった。


「判決。被告人は死刑」


 ミケルが閉廷を告げ、私は衛兵に連行される。だが、どうしても諦めきれないものが一つだけあった。


「待ってくれ! カリサ、カリサなんだろう? どうして君がここに!」

「早く連れて行け! 次の被告人が待っている」

「カリサ!」


 後頭部を殴られ、意識を失う。最後に見えたのは、カリサの悲しげな表情だった。




 気づいたとき、私は牢獄の中にいた。牢獄はフェロルの警察署にある留置所を反乱軍――新政府が接収して使っているらしい。周囲には誰もおらず、静寂がこの留置所を支配している。


 法廷に現れたカリサ。あれは一体どういうことだったのだろうか。彼女はフェロルの惨劇で死んだはずだったのではなかったのか……?

 死の寸前になって、このような事態に惑わされるとは思っても見なかった。しばらく悩み続けていると、不意に扉が開く音がした。足音も聞こえる。誰かが留置所に来たようだ。


「……久しぶりだな、エルベルト」

「ミケル……」


 やって来たのはミケルだった。法服に身を包んだ彼の姿は、どことなくやつれているように見える。


「お前の名前を裁判リストの中に見つけたときは驚いたよ。まさかお前が軍に入ってたなんてな」


 フェロルの惨劇の後、私は誰にも行く先を告げぬまま士官学校の門を叩いたのだ。両親とも長く連絡を取っていない。


「ミケル、お前は――」

「俺の両親は軍に殺されたよ。PYL掃討作戦に巻き込まれてな。お前が指揮する部隊が、俺の両親を殺したんだ」


 思わず絶句する。確かに、PYLの掃討作戦の際には少なからぬ民間人の犠牲者も出た。だが、それは国民のためと信じて行っていたのだ。それがまさか、旧友の両親を死に追いやっていたとは……。


「俺の両親だけじゃない。お前の両親もテロで死んだ。このテロは、軍の自作自演だったそうだ」

「そんな……」

「お前は軍の犯罪行為に加担した犯罪者だ。お前はもう、昔のエルベルトじゃない。軍の犬、エルベルト・ビエルナ大佐だよ」


 それだけ言うと、ミケルはきびすを返して帰っていく。と、階段の前で立ち止まり、振り返ることなくこう言った。


「もう一人だけ、お前に面会者がいる。その人と会った後、お前の処刑だ」


 去って行くミケルと入れ替わりに入ってきたのは、カリサだった。あれから九年、カリサはより美しく成長していたが、特徴的な大きな瞳が懐かしさを感じさせた。

 カリサは私の牢獄の前まで来て、悲しそうに微笑んだ。


「……先輩、お久しぶりですね」

「カリサ、どうして君が……。いや、生きていてくれてうれしいよ。だけど、どうして……」


 言葉が続かない。どうしてあの爆発に巻き込まれなかったのか、どうして連絡してくれなかったのか、どうして法廷で私を糾弾したのか――


「フェロルの惨劇の直前、父が私を家に連れ戻したんです。ここは危ないからって」

「君の父上が……?」


 パズルがカチリとはまったような、そんな感覚があった。


「そうか。君の父上は県の高官だったな。そして、あれは軍の自作自演だった」

「ええ。父は知ってたんです。だから、私は連れ戻された」


 カリサは見たこともない沈鬱な表情をしている。


「元々、私の父はそういう汚れ仕事に携わっていました。私はそんな父が恥ずかしくて、誰かに知られたら嫌で……」

「だから君は友人を作ろうとしなかったのか。ならどうして私に話しかけてきてくれたんだい?」


 そう。私が彼女に一目惚れをしたのは事実だが、話しかけてきたのは彼女の方からだった。つじつまが合わない。

 そう言うと、彼女は一瞬だけむっとした表情をして、すぐに悲しそうな表情に戻るとこう言った。


「一目惚れ、だったんです。教室の外から、私を真っ直ぐに見つめてくれた先輩の目に」


 思わず言葉に詰まる。気恥ずかしい思いもあったが、それ以上に彼女の悲しげな表情が気になって仕方がなかった。


「……フェロルの事件の後、どうして連絡してくれなかったんだい?」

「それは――」

「――PYLの構成員になったから、かな?」


 カリサの顔が硬直する。軍の暗部に関わっていた父を嫌い、そしてその謀略を目の当たりにした彼女が反政府組織に身を投じるのは不思議なことではない。軍事法廷で証人として現れた時点で、反乱軍と何らかの関係があることは明らかだった。

 カリサは私の言葉に応えることなく、話を続ける。


「先輩が軍事法廷に被告人として出廷すると聞いて、嘘だと思いました。優しかった先輩が、民間人を巻き込むような弾圧作戦を指揮するはずがないって」

「私は、民間人を巻き込んででも、PYLを殲滅することが国民のためになると信じていた。それが私にとっての正義だったんだ!」


 カリサが生きていることを知っていれば、私は軍になど身を投じたりはしなかった。そうすれば、私がミケルの両親を殺してしまうことも、反論の許されない裁判にかけられ、死刑を宣告されることもなかった――!

 激情に駆られた私は、鉄格子を掴んでカリサに詰め寄った。だが、カリサは瞬き一つせず、悲しい笑顔のままでこう言った。


「私がいけなかったんです。私が先輩に話しかけたりしなければ、先輩をこんなところまで巻き込むことはなかった。ごめんなさい、先輩」

「そうじゃない、そうじゃないんだ! 君のせいじゃない。私が勝手にしたことだ。君が死んだと勘違いして、仇を取ろうなんて考えた私が馬鹿だったんだ!」


 そんな顔をしないでくれ、間違いだったなんて言わないでくれ、私の思いは本物だったんだ――


 言葉にならない思いを抱え、黙りこくる私たちの下に、終わりを告げる憲兵がやって来た。


「セニョーラ・エストラダ、そろそろ時間です」

「……」


 カリサが一歩引くと、憲兵が扉を開ける。死刑執行の時間だ。


「カリサ、私は君を――」

「――さようなら、先輩」


 私の言葉を遮り、カリサは別れを告げて去って行く。彼女の姿を見たのは、それが最期だった。




 1977年8月。バレンシア各地で開かれた軍事法廷において、およそ五万人とも言われる軍人が死刑を宣告され、その半数が処刑された。フェロルの街においても軍事法廷が開かれ、この街に駐屯していた第28軽歩兵連隊所属の軍人を中心に、十五人に死刑が言い渡されている。


 第28軽歩兵連隊の連隊長だったエルベルト・ビエルナ大佐の名前も当然その中に含まれており、公文書館に保存されているビエルナ大佐の死刑執行命令書には、死刑判決を下したミケル・フェラールの名前と共に、死刑執行の責任者である、バレンシア新政府のグラウス県特務行政官カリサ・エストラダの名前が記されていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ