第二話 屋敷と人殺し ②
長いとも短いとも言えない微妙な船旅の後、三人は対岸で待ち構えていたリムジンに乗った。黒塗りのリムジンは対岸の街を外れて緩やかな坂を上り、やがて鬱蒼と木々の生い茂る獣道の中を走っていた。その間、ゾフィーはどこかと連絡を取っていた。恐らく、残された親族の所に報告をしているのだろう。
「ワァオ」
そして暫く走った後に目の前に見えた物を見て、ダニエルが思わず感嘆の声を発する。
それは見るも立派な二階建ての洋館だった。焦げ茶色のレンガ造りの外装をしており、二階正面の扇状に出っ張ったテラス部分以外は、全体的に直方体の形をしていた。そして主流となったコンクリートジャングルに逆行するその古めかしい外観からは、ある種の威圧感と荘厳さが滲み出ていた。
「これは凄いな」
「こちらはゼオン様が所有されていたお屋敷の一つです。今日から暫くの間、お二方にはこちらでお過ごしして頂きます」
「こんな立派な所に僕たちだけで?なんだかもったいない気がするな」
「その心配は無用だ、ダニエル。ここには俺たち以外にも誰か泊っているようだ」
「え?」
ダニエルとゾフィーが揃って首をかしげる。ゴードンが無言で、屋敷正面の一角を指さす。そこには今ダニエルたちが乗っているのと同じ、黒いリムジンが停めてあった。
身長の倍はあろうかというドアを開け、大ホールに出る。そこは一階と二階をぶち抜いた吹き抜け構造になっており、真上には巨大なシャンデリアがつり下がって煌々と明かりを灯していた。一階部分には左にドアが一つ、右にドアが二つ付いており、正面には二階に続く階段があり、二階部分はシャンデリアを囲い込むように、木材で足場が構成されていた。そして木板の上に赤い絨毯が敷き詰められた二階には、左右に一つずつのドアがあった。
その一階部分。階段前で待ち構えていた先客を見て、あり得ない物を見るような目つきでゾフィーが叫んだ。
「ダリア様!ジリー様!」
ゾフィーの声に反応し、赤いドレス姿の女性と黒いスーツ姿の男性がゆっくりとこちらに近づいてきた。女性の方は茶色の、ウェーブのかかったロングヘアを持ち、吊り上がった目や薄い唇から怜悧な印象を感じさせた。化粧気は無く、目尻や口元にはいくつか皺が刻まれていた。男性は栗色のふわりとしたショートヘアで、女性とは対照的に顔つきは柔和で、まだ若さが見えた。
「キャプテン・スクリーム様に、マックス・キッド様ですね?私はゼオン・H・トレイルの妻の、ダリアと申します。今回は私どものご要望に答えていただき、誠にありがとうございます。大したものはありませんが、解決までの間、どうぞこちらでくつろいでいってください」
ダニエルたちの二歩前で立ち止まり、ダリアと言った女性がにこやかにそう言って深々と頭を下げる。するとゾフィーが彼らの間に割って入り、怒り半分、困惑半分でダリアの方を向いて言った。
「あの、ダリア様?」
「あらゾフィー。どうしたのかしら?」
「どうしたのではありません!なぜこのような所にいらしたのですか!」
「夫の遺産を狙う連中を片づけてくれるヒーローたちの姿が見たくなってここに来たのよ。何か問題あるかしら?」
「大ありですよ!」
ゾフィーの後を引き継ぐように、ダニエルが一歩前に出て言った。
「この屋敷に盗聴器が仕掛けられていないとは考えられません。もし奴らが僕たちの存在に気づいて奇襲をかけてきたら、どうするつもりですか?」
「ご安心ください。自分の身くらい、自分で守れますわ」
「いや、そう言う問題では……」
「五月蠅いぞマックス・キッド」
ゴードンが胸ポケットから取り出したサングラスをかけながら、きっぱりと言い放った。
「そうなる前に俺たちが向こうに出向けばいいだけだ。それで終わる」
「簡単に言うな。じゃあ聞くが、連中が今夜にでも襲ってきたらどうするつもりなんだ?」
「俺たちがこいつらを守ればそれでいい。お前もそれでいいな?」
そう言ってゴードンがゾフィーの方を向く。その迫力に圧されて、ゾフィーが力なく頷く。そしてそれを見たダリアが両手を叩いて嬉しそうに言った。
「それは頼もしいですわ!私達も極力気をつけますので、もしもの時は宜しくお願いしますわ」
「ああ」
無関心に言い放って、ゴードンが一人で左側のドアの方へ歩き出した。
「おい、どこに行く気だよ?」
「この屋敷の間取りを確認してくる。襲われた時に道に迷ったんじゃ話にならん」
「なら、地図はいりませんか?今手元に持っているのですが」
黒スーツの男――ジリーが純粋な好意からそう言って、スーツの内ポケットから長方形の紙片を取り出す。ゴードンは立ち止って後ろを振り返り、いらん、と言ってドアの向こうに消えていった。
「すいません。ゴードン――キャプテン・スクリームは、単独行動が専門なんですよ」
すぐさまダニエルがジリーに対してフォローを入れる。対するジリーも怒り一つ見せずに、涼やかな顔でダニエルに言った。
「いえ、こちらこそ、要らぬお節介を焼いてしまったようで。まったく思慮が足りず申し訳ない」
「そんなことありませんよ。悪いのはあいつの方なんですから」
「ジリー、客人に気を使わせてどうするのです」
ジリーの横で、ダリアが目を細めて咎めるように言った。その人さえ殺しかねない眼光の鋭さにダニエルが一瞬すくみあがっていると、その様子に気づいたダリアがすぐに表情をほぐして言った。
「ああ申し訳ありません。お客様の前でこの様な姿を見せてしまって――ゾフィー、マックス・キッド様の屋敷の中をご案内して差し上げて」
その言葉に、ゾフィーが恭しく礼をしてダニエルの前に立つ。その顔は既にメイドとして仕事をする女のそれだった。
「ではマックス・キッド様。この屋敷の中をご案内しますので、私の後について来て下さい」
「あ、ああ。うん。宜しく頼むよ」
その仕草や雰囲気の変化に戸惑いながら、ダニエルがゾフィーの後について行く。そして彼女の誘導に従って右側手前のドアをくぐる時も、ダニエルの脳裏にはあの時のダリアの目がはっきりと焼き付いていた。