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第一話 ②

 ゴードンが捕まった、その翌日。早朝。

 ダニエル・クーパーは、足に鉄球をつけたかのような重い足取りでその道を歩いていた。

 そこは街の南東にある、寂れた感じのする緑一つない住宅地で、道路と歩道の境界には街灯が規則的に配置されていた。

 両側にはコンクリート拵えの二階建ての建物が不規則に並んでおり、家々の間にはゴミを詰め込んだポリタンクが放置されていた。その蓋の上の一つで、でっぷり肥った猫が横たわりながら呑気そうに欠伸をしていた。

 朝早くということもあり、ダニエルの周りには人影はほとんど見えなかった。家々は静まりかえって生活の匂いは無く、無音に包まれていた。少し肌寒い風が足元を通り過ぎ、空しい音を立てて周囲の砂利や埃を掃き飛ばす。その情景は、まるでこの世から人間が消え去った後の世界を見ているかのようだ。

 そんな表向きは死の街と化した場所を、ダニエルは藍色のスーツの上に茶色のトレンチコートを羽織り、死者の行進を一人で実践するかのように背を丸めて黙々と歩いた。


 目的の家は、そんな住宅地の一角にある二階建ての一軒家で、白い外壁と赤さびた扉が印象的だった。窓は二階部分にしか見えなかった。

 ドアの横にあるインターホンを押し、暫く待つ。するとそこから軽い感じのする男の声が聞こえてきた。

「はい、どちらさまで?」

「ダニエルだよ」

「やあ、ダニエルか!ダニエルならダニエルだと言ってくれればいいのに。今ロックを外すから少し待っていてくれたまえダニエル」

 そう言ってインターホンのマイクが切れると、ガチャリと、扉の奥から鍵の外れる音が聞こえてきた。そして半開きになった扉の向こうから、パーシー・デクが歯を見せて笑いながら言った。

「やあダニエル。ダニエルじゃないか!詰る話もあるだろうが、とりあえず中にはいりたまえ。寒かろう」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 パーシーの家は、外見よりもずっと綺麗だった。玄関と一続きになっているリビングには赤い絨毯が敷かれ、その中央に向かい合うようにソファとテレビが置かれ、両者の間にテーブルが配置されていた。左奥には本棚と二階へ続く螺旋階段が、右奥にそれぞれは風呂、トイレ、台所に通じる廊下があった。そしてリビングのソファの上に、ダニエルとパーシーを引き合わせた張本人が寝っ転がっていた。

「彼は相変わらずだな」

「ゴードンを責めないでやってくれ。彼は家も持たずにこの世の悪と戦っている、孤高のヒーローなのだから!」

「君の資産を食い潰している男でもかい?」

「金など問題ではない!なぜなら今より二年と八カ月と十五日後には、大いなる悪魔ベベデが降臨し、この世を破滅に導くからだ!」

「……病院に行った方がいい」

「だが彼が活躍すれば、それだけ破滅の期限は延びていく。彼こそ至高の存在なのだ!」

 ダニエルを無視し、まるで自分のことのようにパーシーが自信満々に言い放つ。そもそもゴードンは、数年前に家賃滞納でアパートを追い出されており、その結果としてこうしてパーシーの家に転がり込んでいるのだった。今も家賃など払っていない。

 洗濯も料理も出来ず、字さえまともに書けない。自活能力皆無である。だが彼はそれを全く気にしていない。それでも悪を潰せさえ出来れば、他のことなどどうでもいいのだ。

 そしてダニエルがパーシーと知り合ったのも、ゴードンがさも自分の家のようにここを作戦会議の場所として指定したからであり、目の前に居る変人から事の真相を聞かされた時、ダニエルは相方のその傲岸不遜さに開いた口が塞がらなかった。

「まったく、君も君だ。どうしてあんな男を何年も住まわせていられるんだ」

「それを言うなら君だって同じことだ。どうして彼のような変人と何年も友人でいられると言うんだ?あの正義狂いの変態と」

 ダニエルの追及に対して、自分のことを棚に上げてパーシーが勝ち誇ったように言ってのける。お前も同類だろうとダニエルが言おうとした時、ソファに横たわっていた男がゆっくりと起き上がった。

「うるさいぞ。おちおち寝てもいられない」

「君という男は……」

 こちらを見ようともせずに言い放たれた遠慮を知らないゴードンの言葉に、ダニエルは憤慨する気も起きなかった。まったく、なぜ自分はこんな男と友人になどなったのか?今でも信じられなかった。

「何だ、ダニエルか。やけに騒がしいと思ったら、お前がいたのか」

 やっとゴードンが首だけ動かしてこちらを見る。そしてなんでここにいるんだと言外に告げるゴードンに、ダニエルがむっとして言った。

「ああそうだよ。朝早くに君が解放されたと聞いたから、こうして様子を見に来てやったんだ。少しくらい歓迎してくれてもいいんじゃないか?」

「……ああ、そうだな。すまない。要らぬ心配をかけた」

 ダニエルの言葉に対しそう言ってゴードンが立ちあがり、素直に頭を下げる。人一倍善悪に敏感な彼だからこそ、自分に非があった時は真っ直ぐにそれを認めて謝罪をする。その素直さこそ、ダニエルの知る彼の長所の一つだった。尤も、それが他人に発露した所をダニエルは見たことが無かった。

「ふふん、やはりゴードンは常識を弁えているな。それこそ後の神ならぬ世で生き抜くための秘訣の一つだ。ダニエルよ、君も見習いたまえ」

「君こそ彼を見習って少し静かにしたらどうなんだ?誇大妄想もいいが、あまりそういうことを声高に言わない方がいい」

「妄想ではない!僕の言葉は、すべて真実なのだ!なぜなら僕の言葉は、そう、僕が夜ベッドの中に入った時に――」

 パーシーが得意げに話し始めた時、不意にインターホンのブザー音が室内に鳴り響いた。視聴者二人の意識はすぐにそちらに向いたが、演説者はそれに気付くこと無く、言葉を通して自身の世界に入り浸っている。

「――僕だって、最初は夢か、たちの悪いいたずらかと思った。しかしその閃光は次第に強さを増し、それと同時に、僕の頭の中で何か鐘の音のような音が響いてきたんだ!」

 変態な友人の論説を勤めて受け流しながら、ゴードンが顎で扉を差す。ダニエルがため息交じりにドアの側まで近づく。

「どちらさまですか?」

「――『ハザナエルだ』」

 ドア越しからか弱い女性の声がした。

「あの、私トレイル家でメイドをしております」

「トレイルですって?」

「光の中から声がした!」

「ゾフィーと申します」

「『私は天使だ!』」

 ダニエルが黙ったまま、親指だけを立てた右手をゴードンに見せそれを百八十度捻る。ゴードンが頷き、直後に鈍い音が部屋の中に響く。何かの倒れる音。

間。

 やっと静かになった。軽くなった気分でダニエルが言った。

「ゾフィー、さん、ですか?今日は一体、どのような御用件でこちらに?」

「はい、あの、実は、こちらに伺えば、この街のヒーローに出会えると聞いたので」

「サインならお断りですよ」

「ち、違います!今日は、大切なお話があって来たんです!」

 インターホン越しに女性が声を荒げる。どうしたものかとダニエルがゴードンを見る。好きにしろと言わんばかりにゴードンがパーシーを抱え、無言で二階に上がる。

「とても、とても大切なお話なんです!私の勤めている家が大変なんです!助けて下さい!」

 ゾフィーが縋るように言ってくる。そしてそれ以上に、ダニエルはトレイルという言葉が引っかかっていた。ひょっとして、彼女の『勤め先』は――。

 好奇心が打ち勝った。ダニエルが言った。

「――わかりました。詳しい話は、中で聞きましょう」


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