第六話 LD ⑥
「おい待て、いきなりそんなこと言われて、俺たちが信じるとでも思ってるのか?」
「待ってくれキース刑事。それを言い合ってても埒が明かない。今はそれが成立しているものとして話を進めよう」
ダニエルが食い下がるキースをなだめるが、当の本人も釈然としないのか渋い顔をしていた。
「一つ質問していいかな?」
「はい、構いません」
「もし、もしだ。もしそんなことが出来たとして、その肝心のサンプルに一体誰を使うっていうんだ?同じ人間の物を使うっていうんなら、その人間なりの理性って言うのがあるはずだろう。脳の形を作りかえた際にそれまでコピーしてしまうかもしれない」
そして今度は、そのベースにした人間の持っていた理性に縛られる。元の木阿弥だ。言外にそう告げるダニエルの言葉に、ゾフィーが頷きながら言った。
「確かに。ベースにする相手が同じ人間である以上、そのような懸念はあってしかるべきです。むしろそれこそが、この手法を取る際の最大の問題でもあった。まさか犬猫の頭をサンプルに使う訳にも行きませんからね。容量やら形やらが根本的に違う」
「なら、どうするんだ?」
「簡単です。倫理観や良心を全く持っていない人間の脳を使えばいい」
あたりの空気があからさまに変わる。今までの話の流れから、そんな奴がいる筈ないと誰もが考えていた。だがゾフィーの表情は堅く、口調は至って真面目だった。
「理性の欠落した、あるいは常人や常人の形成する社会とはズレた倫理観を持つ人間の脳を入手し、対象者の脳をそのサンプルのパターンに近付ければ……」
「お、おいおい、いるのかよ、そんな奴」
「はい、いますよ」
「本当にいると思っているのか。どんな人間にも理性や倫理というのは存在しているぞ。例え救いようの無い悪でも、豆粒程度には残っているんだぞ。一パーセント程度でも残っているのなら、それは完全とは行かない」
「ええ、存在します」
ゴードンの脅しにも似た言及にも全く動じない。するとゾフィーがダニエルの方を向きながら言った。
「そしてダニエルさん。おそらく貴方は、貴方がたの中ではその人物のことを一番よく知っているはずです」
「僕が?どうして?」
「私から、いえ、屋敷への道すがら、その人間の話を聞いたと自分から言ったではないですか」
「そんな、一体誰のこと……」
そこまで来て、ダニエルの思考が止まる。脳裏に一人の存在が現れる。思考がその存在に集中される。
「奴か」
「ご明察の通りです」
「おい、ダニエル、誰なんだそいつは?」
「刑事が知らないのも無理ありませんよ。そいつは大昔のこっちの人間ですから」
「だから、誰なんだよそいつは」
キースの追及に、大きく息を吐いてからダニエルが言った。
「オドネル・アッシュ」
「オドネル?」
「気狂いの殺人鬼」
何かを吐き出すようにダニエルが呟く。それを聞いたゴードンが眉根を吊り上げた。
「死んだはずだ」
「ああそうなんだ……って、君も知ってるのか?」
「前に聞いた」
ゴードンがあっさりいってのけるが、置いてけぼりを食らっていたキースは一人混乱していた。
「おいおい、話の線が見えねえよ。俺にもわかるように筋道立てて説明させてくれ」
「そんなわけもわからぬ説明など放っておけ!言葉ではなく心で感じるのだ!全ては天上よりもたらされる御意志なのだ!」
パーシーは考えることを放棄し、別次元にトリップしていた。彼を無視してダニエルがキースにオドネルのことを説明し始める。
数分後、大体のことを理解したキースは、それと同時に顔を歪ませた。
「馬鹿じゃねえの?」
「僕に言われても困るよ。僕だって意味がわからないんだから」
「確かに、オドネルはずっと前の人間。今彼は骨として土の下で眠っています。脳なんて欠片も残っていない」
「だったらどうする気だ?お前のことだ、まだ何か隠してるんだろう」
ゴードンが威圧するようにゾフィーに言い放つ。それを聞いたゾフィーが澄まし顔で言った。
「オドネル・アッシュのアッシュ、なんて書くかご存知ですか?」
「アッシュの綴り?A、S、Hじゃねえのか?」
「少し特殊なんです。彼の場合の綴りはHASH。H、A、S、Hと書くんです」
「頭がH?そりゃおかしいな」
「おかしいでしょう。それでは次に、トレイルグループの現当主、ゼオン様のフルネームは?」
「ゼオン?あの大企業のトップか。確かあいつは、ゼオン……」
全員の思考が止まる。
「ゼオン・H・トレイル」
「奴の脳か」
「冗談だろ?」
ゾフィーが自分の腕を抱き寄せて俯き、弱弱しく呟いた。
「冗談ではありません」