第五話 ビヨンドザソード ⑧
屈辱だった。
数十分前、上部の命を受けて侵入者の排除のためにこの部屋に来たディクシー・バーンズは、今はこれ以上ないほどに屈辱を味わっていた。
最初に侵入者二人を見た時、ディクシーは自慢のポーカーフェイスを崩さぬままに、楽勝だと内心でほくそ笑んだ。実際片方は大したことなかった。この調子ではもう片方もすぐに終わる。そう思っていた。
しかしそれから数十分後、ディクシーの制服は擦り切れ、自慢の身体は打ちのめされ生傷だらけ、何より関節の節々が悲鳴を上げていた。そして自分をそんな目にあわせた目の前の男――パーシーとか言った奴は、傷一つなく文字どおりピンピンしていた。
「さあどうしたんだね?随分ヘトヘトではないか?」
曲げた腕を頭の高さにまで上げた構えを取り、パーシーが得意げに挑発してくる。
どうしてこうなった?口の端の血を拭いながら、ディクシーは鉄面皮の下で必死に思考を働かせた。いや、理由は分かっていた。つい先ほどの交戦を思い返しながら、閉じた口の奥で歯を食いしばった。
ディクシーが飛びかかる。頂点から高度を落としながら、ぐんぐんと距離を詰める。
間合いに入ると同時に、ディクシーが側頭部めがけて右足を蹴りあげる。バネ仕掛けのように勢いよく飛び出したその一撃は大気を裂き、切っ先がぶれて見えるほどのスピードでパーシーの頭めがけて牙を向く。
だが足の甲と側頭部が当たる瞬間、パーシーは上半身をほんのわずか後ろに反らして、その攻撃を紙一重でかわしたのだった。靴の先が鼻の頭をかすめ、目標を失った足が虚しく空を切る、のならまだ良かった。
だがパーシーは靴と鼻が擦れる瞬間、両手でディクシーの足を掴み、なんとその状態で半回転してからディクシーを投げ飛ばしたのだ。一連の動作が速すぎて、受け身などとれるはずもない。
結果、自分の技の勢いにパーシーの回転のエネルギーもプラスした状態で無防備に床に叩きつけられたディクシーが一方的にダメージを負うことになり、攻撃を食らうはずだったパーシーは傷一つ負っていなかった。
そう。奴に自分の攻撃が通じないのだ。こちらがどれだけ速く動いても、どれだけ素早い攻撃を繰り出しても、さっきのように男はそれに平然と反応し、あらゆる攻撃を全て紙一重でかわしていたのだ。
そして空振った腕や足に、奴はまるでタコのように自分の手を絡ませてきた。そして掴んだ腕を引き寄せて投げ飛ばしたり、体重を支えているもう片方の足を払って派手に転倒させてマウントポジションを取り、関節技を掛けてきたりもした。後ろに回って肩や腰を小突き、転ばせるだけの時も。
自分からは全く動かず、相手の行動を利用して制する。この自分を手玉に取るようなパーシーの戦術に、それができるだけのパーシーのスキルに、ディクシーは言いようも無いほどの屈辱と怒りの炎を燃え上がらせていた。
「ふふん、大分怒っているな。僕にはわかる。顔は能面のように筋肉一つ動かしてないが、中ではメラメラと火が猛っている!」
自分の核心を突く発言を、パーシーが声を張り上げて言ってのける。その鋭さ、もしくは当てずっぽうが、ディクシーの火に油を注ぐ結果となっていた。
「なぜわかるのかだって?僕にはスペロスベルトの猛々しきグルソーより培った観察眼と、なによりこのしなやかで強靭な肉体があるのだ。君だってバカじゃないんだ。何が言いたいのかわかるね?」
相手に言い聞かせるようにパーシー淡々と告げる。その態度や意味不明な言葉の全てが、ディクシーの神経を逆なでし苛立ちを募らせていった。
「……攻め手を変える必要があるようですね」
「ほらそれ。それだよ。自分の中じゃ怒り狂ってるってのに、そうやって外見では冷静を貫こうとする。それがいけないのだ。そんなんじゃあ」
そしてそんなディクシーの抑えようのない怒りをその目の奥から感じとったパーシーが、トドメとばかりにニヤリと笑って言った。
「君では僕には勝てないよ」
ディクシーの理性の糸が切れた。へこむほどの勢いで床を蹴り、一足飛びで瞬時にパーシーの眼前に肉迫する。気配が、一泊遅れて風がパーシーに降りかかる。
パーシーと目が合う。腕を組み、見えていると言わんばかりに余裕の笑みを浮かべている。しかしディクシーはそのまま攻撃しろと言う己の激情を抑え込んだ。
ディクシーは更にそこで左足で床を蹴り、その反動を生かしてパーシーの右側面に回り込んだのだった。予想外の行動に、横からパーシーが息を呑むのが見えた。
「死ね!」
ここにきて、初めてディクシーが声を荒げた。横に弧を描くように、後頭部めがけて右拳を振るう。
ギリギリで食いついたパーシーが、顔と拳の間に右手をねじ込む。直撃する一歩手前で、パーシーがディクシーの拳を掴む。だがディクシーは諦めなかった。
間髪いれずに、今度は左拳を相手の側頭部めがけて振りおろした。それもパーシーには見えていたが、反応するのが一瞬遅れていた。パーシーの左腕は動かなかった。