ネクロフィリア
ざんこくなおはなし
何度か誘いが掛かっていたクラスの卒業記念パーティーを欠席し、先約の父と二人の夕食の卓となる。
高校進学と共に寮暮らしとなる僕に、どうしても話さなくてはならないことがある、とのことだ。
父と夕食を取るのも久しぶりだ。母親も兄弟姉妹もいない僕にとって、唯一家族といえるのが父だが、いつも仕事で帰りが遅くなるので、僕が食卓を共にするのはテレビの声のみ、というのが常だ。料理も出来合いのもので済ましてしまう。
だが今日は、テレビの音もなく、料理も父の手作り。父に料理が出来ることを知ってまず意外に感じたが、その見栄えや味が素晴らしいものであったので、二重に驚いた。
「部活は県大会出場だったな。お前とキャッチボールもしたことないのに、立派な球児になってくれたものだ。」
「ああ、一人で夕食とるようになったころから、面白い番組がないときは大体野球中継見てたから。なんとなく野球やってみたいって思うようになってたんだ。」
「そんな野球部のレギュラーともなると学校でもヒーローだろう。応援してくれる子とかいなかったのか?」
「いや、なんかウチの学校運動部全般的に強いからそうでもなかった。」
食事の間は、このような会話が続いた。父は僕の想い出について根掘り葉掘り尋ねた。それに対し僕は逐一返答を重ねていったが、どうも父の興味は、『彼女はいるのか?』ということに集約しているようであった。
僕はそういったことにあまり興味がなかった。部活仲間や級友が学校の女子や芸能人の話をしているときには、大抵蚊帳の外にいた。そのせいで、『むっつり』だの『ホモ』だのあだ名されたことがあったが、それも一時的なものであった。もちろん、そんな話は父にはしないが。
食事を終え、食器を自動洗浄機に片付けると、父は居住まいを正し、恭しい声で言った。
「話しというのは、父さんが持つ性的な障害についてだ。」
そう言われて、僕は面食らった気持ちになった。それと同時に真剣な顔で『性的な』何て言う父が何となく滑稽に思えて、にやけ顔になってしまう。
「笑うんじゃない。深刻な話しだ。……私の妻、お前の母が死んだのも、偏にこの障害が原因だ。それ故、私が殺した、といっていい。」
笑いを見咎めて、父が強い口調で言った。内容も合いまり、その言葉は僕を身構えさせた。
「ついて来い。今まで決して入れなかった私の部屋に、お前の母はいる。」
そう言って父は立ち上がり、歩き出した。
明らかに父の弁はおかしかったが、父の真剣な様子から僕の理解では矛盾するはずの『母は死んだのに部屋にいる』という状況があるということを確信していた。
その部屋の前に着いた。父は緩慢な動作で鍵を取り出し、挿し込み、回す。ガチャリという、鍵っ子の僕が聞きなれているはずの開錠音が、そのときはやけに不気味に気負えた。扉を一枚隔てたその向こうに、死んだはずの、それも父の障害に殺された母がいる。
「覚悟はいいか?間違いなく、お前の人生に大きな影を落とす光景がある。私もずっといつ言うか迷ってきた。」
「ここまで聞かされて、見ないほうがきっと疲れる。さあ、開けてくれ。」
扉の開く音も、やけに仰々しく聞こえた。
その中は、ベッドが二つあるだけの、殺風景な部屋だった。そして、父より少し若いと思われる女性が眠っていた。その寝息は、微音ながら僕の耳にはっきりと届いた。
「……私の性的障害。いや、祖先からの呪いといったほうが正しいか。それは、妊娠させた女性が不可逆昏睡、脳死の一種に陥る。ということだ。私もその可能性があることは父から伝えられたが、親と縁を切ってまで私との恋に殉じようとする彼女との間にどうしても子を持ちたかった。一族全員がこの呪いを被るとは限らないとも父から教えられていたので、その可能性にかけた。しかし、……結果は見ての通りだ。」
父は目に涙を浮かべているようであった。
「私には母役と呼べる女性はいた。だがそれは伯母であった。……この呪いの存在を伝えられたときにこのことも知った。私には女兄弟がいない。お前のは母役となれる女性をとることもよしとしなかった。お前には寂しい思いをさせて済まなかった……。」
父の告白は続く。
しかし、その言葉は僕に対し意味を成さなかった。
……僕はただ、ベッドに横たわる女性、寝ているだけのように見える女性に魅されていたのだ。
寂しくなかったといえば嘘になる、今までの母の不在。
読み聞かされることなく、自ら読んだ童話の本。特に僕は白雪姫が好きだった。
僕が学校の女子やアイドルに興味を示さなかったのは、白雪姫のような待ち続ける女性を望んでいたからではなかっただろうか。そして母は眠っているという母なき子に語られる言葉を信じた少年の僕が、母の像を重ねていたのではないだろうか。
……王子様の接吻はそれそのものが目的でもかまわないだろう。