わたくしは、たしかに病弱な義妹だけれど……。
「アルフレッドの病弱な義妹というのは、あなたのことですわね!」
わたくしの寝室の扉が、勢いよく開かれた。
同時に、女性の大声が響き渡る。
わたくしは驚きながら、のろのろと起き上がった。
女性は誰の許可も得ずに、わたくしの寝室へと入ってきた。
華やかな赤毛に、緑の瞳の美人だわ。
流行りのドレスは……、アルフレッド様の瞳のような青。
わたくしの方は、金髪に菫色の瞳。着ているのは、ただの白い寝間着よ……。
「どなたですの……?」
わたくしは寝台に座って、女性に訊ねた。
女性の後ろには、我が家の執事や下男、侍女たちがいて、みんな顔を青ざめさせている。
今、この館には、わたくしの他には使用人しかいない。
お義父様たちは、王都で行われる騎士団の入団式に行っているの。
ああ、困ったことになったわ……。
「エルザ・ペルソナージュよ!」
ペルソナージュ侯爵家は、このレシット伯爵領の隣に領地を持っている。
エルザ様は、ペルソナージュ侯爵家の跡取り娘だったはず……。
「リリアン・レシット嬢……。平民の母親が、アルフレッドのお父様に見初められて、後妻に入ったのだったわよね」
「はい……」
なにもかも、エルザ様のおっしゃる通りだった。
わたくしは寝台の上掛けをぎゅっと握りしめた。
ただでも身体が怠いのに、さらに怠さが増した気がした。
「アルフレッドは、舞踏会のエスコートをお願いしても、これまで一度もしてくださらなかった。リリアン嬢、あなたがいるから、と……」
エルザ様の声が、悲しげに震えた。
わたくしは顔を伏せて、鼻にハンカチを押し当てる。
気分が悪いわ……。
「アルフレッドは、わたくしがお茶会にお誘いしても、毎回『リリアンの具合が悪いから』と言って、決して来てくださらない」
エルザ様は強い口調で、わたくしを責め立てる。
わたくしは今、不調の波が来ていて、しゃべれる状態ではないのに……。
「街へのお出かけ、王宮の庭園の開放日、サーカス、観劇……。アルフレッドは、ただの一度だって……」
エルザ様は、まるで悲劇のヒロインのように言葉を切った。
わたくしはエルザ様の様子が気になって、のろのろと顔を上げた。
エルザ様はうつむき、白いハンカチで目元を拭っておられる。
「エルザ様は、アルフレッド様の幼馴染でしたわね……」
わたくしは無理をして言葉を吐き出した。
エルザ様のことは、アルフレッド様から聞いたことがある。
ペルソナージュ侯爵家とレシット伯爵家は領地が隣り合っているから、以前はなにかと交流があったのですって。
お二人が幼い頃には、いずれ婚約させてはどうかという話が出たことがあった、とも……。
アルフレッド様が三男で、年齢も釣り合うから、と……。
「そうよ! リリアン嬢、体調が悪いふりをして、アルフレッドの気を引くのはやめてちょうだい! アルフレッドから侯爵家の婿になるチャンスを奪わないであげて!」
「侯爵家の婿……。それはたしかに、素晴らしいお話なのかもしれません。ですが……、決めるのは、アルフレッド様です……」
わたくしは、なんとかそれだけお伝えした。
くしゃみが連続して出てしまった。
ああ、調子が悪すぎて、言いたいことの半分も言えない……。
◇
わたくしがアルフレッド様と初めてお会いしたのは、母ちゃん……ではなくて、お母様がレシット伯爵家に雇ってもらうことが決まった日だった。
実の父ちゃん……、いいえ、お父様が亡くなってから、半年ほど後のことよ。
お母様は、なんとか住み込みの仕事を見つけられて、しかも三歳の娘と一緒でも良いと言ってもらえて、とても喜んでいたわ。
わたくしとお母様は、領地館の豪華絢爛たる玄関ホールで、旦那様と三人のご子息たちにご挨拶をした。
「ジャネットさん、リリアン、これからよろしく頼む」
思えば、旦那様……、お義父様はあの頃から、お母様がお好きだったのだろう。
ただの使用人が新たに来たからって、お貴族様が玄関ホールで出迎えてくれるなんて、普通はないもの。
しかも、お母様とわたくしは、お貴族様の礼儀作法を仕込まれて……。
お母様は下働きからメイドとなり、ついにはお義父様の侍女になったの。
お母様が侍女になって一年半ほど経った頃、お義父様はお母様に一度目の求婚をした。
お母様は、平民だからと断ったわ。
お母様だって、お義父様を好きだったのに……。
お義父様はお母様を諦めることなく、求婚し続けてくれて……。
お母様は、伯爵家の後妻になったの。
――あれは、お義父様とお母様が結婚式をした教会の庭。
「リリアン、今日から義妹だね」
そう言って笑ったアルフレッド様の金髪が、陽の光を浴びてキラキラしていて……。
お貴族様らしい青い目が、やさしく細められていた。
「はい、お義兄様! わたくし、ずっと兄が欲しかったのです!」
こんな素敵な方が、わたくしのお義兄様になってくれるなんて!
わたくしは淑女教育も忘れて、満面の笑みを浮かべた。
他の二人のお義兄様も、とてもやさしくて素敵なお方だった。
ただ、お二人ともだいぶ年上で、一緒に遊んでもらうことはなかったわ。
アルフレッド様とは、お茶会ごっこに、めちゃくちゃなダンスに、お絵描き、一緒に歌を歌ったり、絵本を読んだこともあった。
わたくしが成長すると、きちんとしたダンスのレッスンの相手も……。
ダンスの先生に見守られながら、わたくしとアルフレッド様は、館のダンスホールで何度も何度も踊った。
「リリアン、上達したな」
アルフレッド様の青い目が、やさしく細められるのを見るのが好きだった。
――あれは、いつからだったのだろう……。
あの瞳と同じ色のドレスを着たい、などという大それた願いを持ったのは……。
踊るために握られた手に、ドキドキしてしまったのは……。
いけないことなのだと、わかっていた。
わたくしは平民の出。
アルフレッド様とは釣り合わない。
だけど、アルフレッド様は、そんなことは気にしなかった。
「リリアン、デートをしよう」
街へのお出かけ、王宮の庭園の開放日、サーカス、観劇……。
アルフレッド様は、他の誰でもなく、わたくしを選んでくれた。
舞踏会でだって、わたくしをエスコートしてくれた。
平民の出のわたくしを……。
わたくしはアルフレッド様を好きだという気持ち以外、なに一つ持っていないのに……。
あの頃のわたくしは、こんな風に病で苦しむことなんてなかった――。
◇
「仮病はやめなさいよ!」
頭にひどい痛みを感じた。
気付くと、わたくしはエルザ様に髪の毛をつかまれていた。
「やめてくださいまし!」
わたくしはエルザ様を突き飛ばした。
エルザ様が、体勢を崩して床に転がる。
「仮病ではありません! わたくしは本当にくしゃみ鼻水が出て、目が痒くてたまらないのです! あまりにひどくなると、身体が怠くなって……、発熱して……」
わたくしだって努力したわ。
適度な運動、規則正しい生活、バランスの良い食事……。
アルフレッド様が旦那様に頼んでくださって、王宮医師に診察していただいたことだってある。
王宮医師から「ストレスを溜めないように」と言われた時には絶望したわ……。
ストレスを溜めないようになんて、もうとっくにしていたわよ!
「ほとんど一年中、そんなことになるわけがないわ!」
「リリアンはなるのです」
わたくしは、はっとして扉の方を見た。
「アルフレッド様……」
王都で騎士団の入団式に出ているはずの方が、黒い騎士服を着て立っていた。
アルフレッド様の後ろには、馬丁が立っている。おそらくあの馬丁が、お義父様たちに報せに行ってくれたのだろう。
レシット伯爵家の領地が、王都に近くて良かったわ……。
「まあ、アルフレッド! わたくし、あなたの義妹に突き飛ばされましたのよ!」
エルザ様は、床に座り込んだまま叫んだ。
わたくしは髪が乱れていたことを思い出し、慌てて手櫛で髪を梳いた。少しはマシになっているといいのだけれど……。
「リリアンになにをした!」
アルフレッド様は厳しい声で言いながら、エルザ様の横を素通りして、わたくしのそばまで来てくださった。
「リリアン、髪が……、ひどいことになっている」
アルフレッド様は寝台に腰かけると、わたくしの髪を直してくださった。
恥ずかしい姿を見られてしまったわ……。
「アルフレッド、わたくしを差し置いて、義妹の世話など……!」
エルザ様は勢いよく立ち上がった。あれだけお元気なのですもの、きっとお怪我はされていないわね。
「リリアン、安心しろ。ペルソナージュ侯爵家には、父上から抗議してもらう。ペルソナージュ侯爵令嬢は、このように他家で暴れたのだ。きっと跡取りではなくなるだろう」
アルフレッド様が、わたくしを抱きしめてくださった。
いつだってアルフレッド様は、わたくしを一番に考えてくださる。
「なんですって!? 抗議しに来たのは、わたくしの方ですわ!」
エルザ様は、アルフレッド様の肩を片手で掴んだ。
アルフレッド様は、その手を冷たく払いのける。
「エルザ様……、勘違いをなさっていますわ……」
わたくしは、アルフレッド様の腕の中からエルザ様を見た。
「勘違いですって!?」
「エルザ様は、いわゆる『アルフレッド様と婚約する予定だった幼馴染』でしたわね」
「そうよ! そのどこが勘違いだというの!?」
「ペルソナージュ侯爵令嬢、あなたは私の婚約者ではありません」
アルフレッド様が、エルザ様を見ないまま教える。
「それがどうしたというの!」
「アルフレッド様の婚約者は、わたくしです。わたくしは……、ただの平民リリアン・ヴェールに戻り、騎士アルフレッド・レシット卿に嫁ぐのです」
アルフレッド様は、ペルソナージュ侯爵家や、他の貴族家への婿入りだってできるお方だった……。
それなのに、お義父様やお義兄様たちを説得し、一族の方々とも何度も話し合って……。
ただの騎士になってまで……。
わたくしを……、ただの平民を……、妻に迎えてくださるの。
「そんなわけないわ!」
エルザ様が、先ほどと同じように叫ばれた。
「信じたくなくても、そうなのです」
わたくしが言い切ると、エルザ様はその場によろよろと座り込んだ。
「嘘よ……、そんなの嘘……」
「アルフレッド様が舞踏会のエスコートをしないのも、個人的なお茶会に行かないのも、デートをお断りしてきたのも、わたくしと婚約していたからです」
「ペルソナージュ侯爵令嬢、貴女は私と婚約する気でいたようですが……。私は元よりリリアンと婚約する予定でした。貴女がなにをどう勘違いしたのか、私にはまったくわかりません」
アルフレッド様が、さらに冷たくエルザ様を突き放す。
エルザ様は、その場で泣き崩れた。
「ペルソナージュ侯爵令嬢のお帰りだ」
アルフレッド様が言うと、エルザ様の侍女や、レシット伯爵家のメイドたちが弾かれたように動き出す。
暴れるエルザ様は、執事や下男に引きずられて、わたくしの寝室から出ていった。
「アルフレッド様、お騒がせいたしました」
わたくしは寝台の上でうつむいた。
もっと丈夫な身体でさえあったなら、どの舞踏会にも、お茶会にも、出られたはず……。
そうしたら、きっとこんな誤解も生まれなかったわ……。
今日だって、アルフレッド様の入団式を見に行けたのに……。
「リリアンのせいではない」
そろそろスギ花粉の季節が終わり、ヒノキ花粉の時期になる。
さらにイネ科がやって来て、秋にはブタクサが待っている。
ああ、目がひどく痒いわ……。
わたくしは、そっと目元にハンカチを押し当てた。
「誰がなんと言おうと、私が愛しているのはリリアンだけだ」
アルフレッド様が、わたくしを強く抱きしめてくださった。
こんなに病弱なわたくしなのに……。
「リリアン、いつまでも私のそばにいてほしい」
アルフレッド様……。
わたくしは、そのお言葉だけで幸せだった。
アルフレッド様と結婚してしばらくすると、この病の症状を軽くする薬がやっと完成する。
わたくしはその薬のおかげで、また普通の日常生活を送れるようになるのだけれど……。
それは、もう少しだけ先のお話。




