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第7話 地底の暴走(Zero-Day Transit)

 0.  臨界点(Critical Point)


 神保町、『カウント』。

 スピーカーからは、アート・ブレイキーの激しいドラミングが響いている。

 今の僕の心拍数には、このくらいのテンポが丁度いい。

「……マスター、ケニア・AAを。豆は少し多めで」 蓮実が注文を投げると、カウンター越しに鋭い視線が返ってきた。

 ここのマスターは、客の体調を珈琲の好みで見抜く。

 今の僕は、カフェインによる強制的なブーストを必要としていた。

「蓮実、地下鉄の全線が『点検のため見合わせ』になったわよ」

 新しく買い替えたばかりのスマホを手に、結衣が店に飛び込んできた。

「でも、おかしな噂が流れてる。止まってるんじゃなくて、『止まれない』車両があるって」

「……始まったか。パペットマスターの言っていた『網』の破壊だ」

 蓮実は届いた珈琲の香りを嗅ぐ。

 シャープな酸味が鼻腔を抜け、脳内のメモリがクリアに書き換えられていく。

「結衣、今回の獲物はゼロデイ脆弱性だ。開発者すら気づいていない、未知の穴をあいつは見つけたんだ。それも、都市交通の心臓部……運行管理システム(ATO)のね」


 1.  暴走(Runaway Train)


蓮実ハスミ視点:18:15 PM】


 自宅のモニター群には、地下鉄の運行図が不気味な赤色で表示されていた。

「……ターゲットは千代田線。自動列車運転装置(ATO)の信号が、偽の指令によって上書きされている」

「蓮実、大変よ! 私の友達がその電車に乗ってるの。速度が落ちないどころか、加速してるって!」

「落ち着け、結衣。犯人はシステムのメモリ空間に大量のデータを送り込み、ヒープスプレーという手法で実行権限を奪った。……これは、パッチが存在しないゼロデイ攻撃だ。ソフトウェア的な防御は、今のあいつには通用しない」

 僕の指先が、最深部のカーネルログを暴く。

 敵のコードが、列車のブレーキ制御プログラムを「無効化(NOP化)」している。

 このままだと、先行列車に衝突するか、カーブで脱線する。

「……結衣。駅の指令室からはハックできない。現場の車両にある『車載コントローラ』に直接、物理的に介入するしかない」

「……わかった。私、今からその暴走列車に追いつくわ。地上から並走して、次の駅のトンネル手前で飛び乗る!」

「無茶だ! だが……それしかない」


 2.  接舷(Physical Access)


結衣ユイ視点:18:30 PM】


 私は借りたばかりの大型バイクを飛ばし、地下鉄の通気口が並ぶ道路を疾走する。

「蓮実! 次の駅を通過する瞬間に、非常用ハッチから進入するわ。タイミングを計算して!」

「あと30秒……20、10……今だ!」

 私はバイクを乗り捨て、管理用通路の重い扉を蹴破った。

 轟音と共に、加速した車両が目の前を通り過ぎる。

 私は連結部の蛇腹に飛びつき、必死に食らいついた。

 風圧で意識が飛びそうになるが、歯を食いしばって非常コックを回し、車内へ転がり込む。

「……ハァ、ハァ……蓮実、乗ったわよ! 乗客はパニック状態。……車載ユニットはどこ?」

「車両中央の座席下、点検用ハッチの中だ。結衣、そこにあるRS-485ポートに、無線中継器を差し込め。僕がそこから、汚染されたメモリを直接クリーニングする!」


 3.  深淵(Zero-Day Patching)


【蓮実 視点:18:45 PM】


 結衣が中継器を接続した瞬間、僕のモニターに生々しいバイナリの濁流が流れ込んできた。

「……これか。パペットマスターの書いた『悪意の断片』」

 敵は、メモリのヒープ領域を特定のパターンで埋め尽くし、プログラムの戻り先を書き換えている。

 僕は、列車が疾走する中で「動的なパッチ」を当てるという、針の穴を通すような作業を強いられた。

「……失敗すれば、制御システムが完全にクラッシュして、非常ブレーキすら作動しなくなる。結衣、30秒間だけ、その中継器を絶対に離すな。ノイズが入れば終わりだ」

「……やってるわよ! でも、犯人側も気づいたみたい。システムが私を排除しようとして、ドアが勝手に開閉し始めたわ!」

「……クソっ、あいつ、直接僕のセッションを遮断しに来たか!」

 画面に、パペットマスターからの嘲笑的な文字列が躍る。

『蓮実。動いているシステムを直すのは、心臓手術より難しい。君にその覚悟があるかな?』

「……黙れ。コードは僕の言語だ。君の汚い言葉で汚させるか!」

 僕は、メモリの断片化を逆手に取り、敵のコードを「自分自身で上書き」させるループに陥れた。

 再帰的なバッファオーバーフローによる、自己破壊プログラム。


 4.  制動(Emergency Stop)


【結衣 視点:18:50 PM】


 車両が激しく揺れ、火花がトンネル内に散る。

「蓮実! 速度が……速度が落ち始めた!」

「……間に合った! 制御権を取り戻したぞ! 結衣、手動の非常制動弁を引け! 今なら受け付ける!」

 私は、運転室の鍵を蓮実が遠隔で開けた瞬間に飛び込み、赤いレバーを渾身の力で引いた。

 キィィィィィィィィ――ッ!!

 鼓膜を裂くような金属音が響き、私の体は前方へ投げ出された。

 長い、長い数十秒。

 列車は、隣の駅のホームのわずか数メートル手前で、その巨体を停止させた。


 5.  警告(Signature)


 深夜。

 駅のホームに座り込み、泥だらけになった顔を拭う結衣の元に、蓮実がやってきた。

 手には、コンビニで買ったばかりの温かい缶コーヒー。

「……ケニアじゃないけど、我慢しろ」

「……当たり前よ。あんた、後で最高級のケニア、1kg買いなさいよ」

 蓮実は力なく笑い、自分のスマホを見せた。

 そこには、停止した列車の運行モニターに残されていた、最後の一行。

『File 07: Success. 都市の血管は守られた。だが、守るほどに、君たちの“正義”は削られていく。 次は……君たちが最も信頼している「守護者」をハックしよう。 そう、警察のデータベースだ。 ――P.M.』

 蓮実の表情が、これまでにないほど険しくなった。

「……警察のデータベース。そこには、僕たちの過去の『すべて』が眠っている」

 結衣が、5年前に削除した蓮実の足跡。

 それが、再び白日の下に晒されようとしていた。

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