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第6話 亡霊の広場(The Ghost Square)

【アーカイブ:偽装バズ事件(5年前)】


 それは、日本のSNS史上で最も醜悪な「情報汚染」と呼ばれた事件だった。

 ある日突然、無名の清掃員や平凡な主婦、さらには倒産寸前の企業が、ネット上で爆発的な称賛バズを浴び始めた。

 しかし、それは何万台ものボット(自動プログラム)が生成した「虚構の熱狂」だった。

 この「偽装バズ」は、単なる人気取りでは終わらなかった。

 偽のバズによって株価を吊り上げ、高値で売り抜ける「仕手筋」の道具となり、逆にターゲットにされた人間は、捏造されたスキャンダルを大量のボットに拡散され、社会的に抹殺された。

 当時、若き天才ハッカーだった蓮実は、そのボットの挙動に魅了され、解析のために独自の追跡スクリプトを書き込んだ。

 だが、そのコードの未熟さゆえ、犯人のサーバーに自分の足跡(IPアドレス)を残してしまう。

 その事件を追っていた当時サイバー特捜班の協力者だった結衣は、蓮実の才能を惜しみ、独断で押収データから彼の足跡を削除した。

 事件の主犯「パペットマスター」は逮捕されず、霧の中に消えた。

 そして今、その「過去の貸し」を回収するために、パペットマスターが動き出したのだ。


 第6話:亡霊の広場(The Ghost Square)


 0. 苦い調和(Discordant Harmony)


 神保町、『カウント』。

 今日のコーヒー、ケニア・AAは、抽出してから少し時間が経っていた。

 蓮実が口にすると、冷めた液体からは鋭すぎる酸味が立ち、胃の奥をキリキリと焼く。

「……あの掲示板、『アルカディア』が狙われてる」

 蓮実が、モニターを見つめたまま呟く。

「アルカディア……。私たちが初めて出会った、あの匿名掲示板?」

 結衣が、カウンターの隅で手を止めた。

 二人の出会いは、5年前。

 偽装バズ事件の渦中、情報の真偽を議論するスレッドで、蓮実の理論的な書き込みに結衣がコンタクトを取ったのが始まりだった。

「パペットマスターは、あそこの過去ログをすべて書き換えようとしている。僕たちが共有した情報、僕たちが交わした言葉……そのすべてを『嘘』に塗り替えるつもりだ」

 蓮実は、キーボードの上に置いた指を震わせた。

 それは、彼にとっての聖域サンクチュアリへの攻撃だった。


 1.  侵食(Archive Corruption)


蓮実ハスミ視点:22:00 PM】


『アルカディア』のサーバーは、都内にある古いデータセンターの一角に、ひっそりと置かれている。

 もはや利用者は少ないが、そこには5年前の事件の膨大な「生データ」がアーカイブされている。

「……始まった。SQLインジェクションの波だ。データベースのテーブルが、次々とデタラメな文字列に置換されている」

「蓮実、リモートで防衛できないの?」

「無理だ。犯人はすでに管理者の特権ID(Root権限)を奪取している。ソフトウェア的な壁はすべて無効化された。……結衣、物理的にサーバーを止めるしかない。データセンターに潜入して、ストレージの『ライトプロテクト(書き込み禁止)』を物理スイッチで入れるんだ」

「了解。……でも、そこって確か、最新のスマート・セキュリティを導入したばっかりよね?」

「ああ。顔認証、レーザーセンサー、そして……AI監視カメラ。今の僕には、そのシステムをハックする余裕はない。結衣、君の『勘』だけが頼りだ」


 2.  潜入(Dead Space)


結衣ユイ視点:22:30 PM】


 深夜のデータセンターは、巨大な墓標が並んでいるかのような静寂に包まれていた。

 私は作業員用のつなぎを着て、ダクトを伝ってサーバー室の真上に張り付く。

「蓮実、3階のサーバー室が見えるわ。……でも、様子が変よ。監視カメラが、私の方を向いてない。まるで……私を中に誘い込んでるみたい」

「……罠だ。パペットマスターは、君が来るのを待っている。結衣、そのまま進めば、システムが君を『侵入者』として隔離し、密閉された空間で消火用の不活性ガスを放出する可能性がある」

「怖がらせないでよ。……でも、やるしかないわよね」

 私は意を決して、通気口から床へと降り立った。

 その瞬間、部屋の照明がすべて赤く染まり、耳を裂くようなサイレンが鳴り響く。

『警告。未認証の個体を検知。物理的封鎖を開始します』

「蓮実! 扉が閉まったわ! 窓もない!」


 3.  逆転(Buffer Overflow)


【蓮実 視点:22:35 PM】


「結衣、落ち着け! 今、データセンターの管理システムに負荷をかけて、バッファオーバーフローを引き起こす。システムが処理しきれなくなれば、安全装置フェイルセーフが働いて、扉のロックは開放されるはずだ!」

 僕は、自宅の全リソースを一点に集中させた。

 数千通のダミーリクエスト。

 プロトコルの脆弱性を突いた「毒入りのパケット」。

 しかし、パペットマスターの妨害インターセプトが入る。

「……くそっ! 敵がパケットをフィルタリングしている。僕の攻撃が届かない!」

『ガス放出まで、残り60秒』

 機械的なアナウンスが、結衣の死を宣告する。

 僕は、ケニア・AAのカップを握りつぶしそうになりながら、一つの「禁じ手」を思い出した。

「……結衣! 君のスマホのNFC(近距離無線通信)機能をフルパワーで起動しろ! サーバーラックの通信モジュールに、物理的に近接させてノイズを叩き込むんだ!」

「それって、私のスマホが壊れるんじゃ……」

「代わりはいくらでも買ってやる! やれ!」


 4.  決戦(Near Field Sabotage)


【結衣 視点:22:39 PM】


「……わかったわよ、このケチ!!」

 私はスマホをサーバーラックのセンサーに押し当てた。

 蓮実が送ってきた、過電流を引き起こすための特殊なアプリが作動する。

 スマホの画面が白く発光し、手の中に熱が伝わってくる。

「いっけええええ!!」

 バチバチ、と火花が散り、サーバー室の電子錠が、力なく「カチリ」と音を立てた。

 同時に、天井のガス放出ノズルが静止する。

「……開いた! 蓮実、脱出するわよ!」

「待て、結衣! サーバーの右下だ! 物理スイッチ、早く!」

 私は、熱を持ったスマホを放り出し、ラックの最下段にある小さなレバーを「PROTECT」へと切り替えた。

 その瞬間、激しく点滅していたハードディスクのアクセスランプが、静かに消灯した。


 5.  遺産(The Heritage)


 深夜。

 事務所に戻った結衣は、黒焦げになったスマホを机に置いた。

「……高くつくわよ、今回の報酬」

 蓮実は、守り抜いた『アルカディア』のログを画面に出していた。

 そこには、改竄されることなく、5年前の二人の会話が残っている。

『蓮実:プログラムに感情はない。だが、その裏にいる人間の意志は、ログに残る。』

『結衣:じゃあ、私の意志も、いつかあんたに見つかるかな?』

「……見つけたよ、結衣」 蓮実が小さく呟く。

 モニターに、パペットマスターからのメッセージが届く。

『File 06: Success. 思い出は守られた。だが、肉体はどうかな? 次は……都市の血管を止めてみよう。 君たちが毎日乗っている、あの「ネットワーク」だ。 ――P.M.』


 蓮実がケニア・AAを最後の一口、飲み干す。

 その酸味は、どこか澄み渡っていた。

「次は、地下鉄か。……結衣、新しいスマホを買ってやる。一番いいやつをな」

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